第四章:闇の島の奥
第19話 クレア‐04 『同行の資格』
胸を焼け付かせる息。溜まりに溜まったそれを、クレアは長く、ふうぅっと吐き出す。
ホルトが残ると分かって、安堵はあった。自分と違い、彼はネイルに必要だから。
けれどもそれで、焼け付きは治まらない。クレアの罪が、赦される筈はないのだ。耐えきれず息を吐いたことさえ、罪状を増したと痛みになる。
「仲間の為か。それともこの女の為か」
ホルトは聞いた。
始末しておくべきだったとも言った。
つまり彼にとって、クレアは有害なものだ。不要ならまだしも、邪魔だと。
ネイルの仲間からすれば、異物なのは理解している。いやネイル当人も、必要だから置いているのではなかろう。
そんな場所をどうして温かいと感じるのか、クレアにも分かっていなかった。しかしホルトが言って理解した。
――彼らがわたしを疎むのは、人間だから。盲目だから、じゃない。
見えぬものを、見えるようには出来ない。だが人間でも、仲良くはできる。なぜなら彼らは既に、種を越えて共存していた。それに子どもたちとは、友だちになれたと思う。
だから時間をかければ、仲間になれた。少なくとも、希望を持って良かったろう。
だが、打ち砕かれた。
壊れたのはクレアの願いなどという、ちっぽけなものでない。彼らの命そのもの。それに、安住の場所。
余所者の自分が傲慢にも同じものを望み、結果として奪った。こんなことでネイルの仲間などと、恥ずかしくて言えもしない。
もうここには。彼らの傍には居られない、と。クレアは終わりを噛み締める。
「どうせなら、島の奥へ行ってみねぇか?」
「オレは構わねえが」
棲み処を捨て、新たな土地へ旅立つらしい。ならばなおのこと。彼らに着いて、道を踏み分けるのは不可能だ。
――せめて、笑って見送れたら良かったのに。
僅かながらの知識では、人は笑うと口角が上がるらしい。やってみようと思い、すぐに行き詰まる。
話すのにも物を食べるのにも、口の動きそのものは意識しない。それに動くのは顎であって、皮膚はそれに連れて引っ張られるだけだ。
唇と頬との間。そこに筋肉などあったのかと、いまさらに認める。
これまで意図して動かしたことのないそれを、左右同時に。いきなりは無理だと判じ、まず左から。片方でも難しく、右はどうか。
どの試みも、理想の片鱗にさえ届かない。これほど困難な芸当を、世の人々は当たり前にこなしているのか。可能にするまでの努力たるや、いかほどか量りしれない。
「お前、何やってんだ。痛えのか」
「えっ、いえ。何も」
「……変な奴だな」
見られていた。けれども、痛みを堪えていると見えたようだ。急拵えしようとした愚かさを、知られなくて良かった。
別れを告げねば。
立ち上がろうと、手がかりを探した。触れたのは岩石と似た、しかし温かいネイルの腕。
今のクレアに、それは熱さが過ぎる。火傷でもしたように手を離し、よろめきながらどうにか立つ。
「わたしはここで……」
「ああ?」
無骨な言葉と声。初めて聞いたときは、何を怒っているのか不思議に思った。
もう知っている。彼はほんの少し、せっかちなだけだ。届いた声のその先を、早く話せと急かしているだけ。
それがネイルの優しさなのだ。
これから先、もう聞くことはできない。そう思うと、胸の焼け付く痛みが薄れた。代わりに占めたのは、鉄の重み。
――望んでは、いけないのかしら……。
本を読んでと、母にねだったのと違うだろうか。
きっと何か、役に立てるようにするから。連れていけと望むのは、罪だろうか。
「わたしも一緒に、お願いできますでしょうか――」
「一緒に? どういう意味だ。オレが担がなきゃ、動けねえだろうが」
ネイルはまたも、変な奴だと言った。
溶けていく。胸に落ちた鉄が、相応しい熱さを持って溶けていく。
先の焼け付きよりも、まだ熱い。だのに、心地良かった。息も荒く、苦しいのに。
この気持ちを何と呼ぶのか、クレアの知識はまだ及ばない。
「ネイル、待ってくれぇ」
ごつごつした鬼人の手が、細いクレアの腰を掴む。言った通り担ぎ上げるのを、ホルトが止めた。
「何だよ」
「その女は人間だろぉ。俺たちの仲間が――いや、人間を連れていくのかぁ?」
やはり。ホルトはそう考えている。自分がそちらの立場であったなら、どう考えたか。想像しようとしたが、うまくいかない。
ネイルはどうなのだろう。当たり前に担いでいくと言ったのは、どういう意味なのか。
この期に及んで図々しいが、知りたい。そう思うクレアの腕を、ネイルの手が掴む。
「あ痛っ」
力の加減が、強かった。思わず言うと、少し弱まる。しかしその手も腰を掴む手も、離れはしない。
「オレは頭が悪いからなあ。お前みてえに、あれもこれもは考えられねえ。それでも一つ聞いてみてえんだが」
きっとホルトの居るほうへ向けて、腕を強く揺すられた。
「この手が、オレたちの誰か一人でも傷を付けたのか? 草の茎より細えこんな腕で傷付くほど、オレたちは弱かったのか?」
「いやぁ……」
「違うんなら。こいつのせいなんて言うのは、あんまり格好が悪いじゃねえか」
ホルトは答えない。
数拍を待って、ネイルはクレアを持ち上げようとした。
「だから待てってばよぉ」
「まだ何かあんのか」
また返事がなかったが、今度は何やらごそごそと物を動かす音がした。
「連れていくなら、ただじゃぁ駄目だ。荷物持ちくらいはしてもらわねぇと」
「大して持てやしねえ」
そう言いながら、ネイルも止めはしない。背中に触れる物があったので、されるがままにしていた。
両腕をそれぞれ何かに通したあと、肩にずしりと重量がかかる。肩に担ぐ形の背負い袋らしい。
「まったく。結局オレが持つんじゃねえか」
「お前の手に直接よりは、いいだろぉ?」
みたび改めて、クレアの身体は鬼人の肩に乗った。そのまま歩いて、横風が顔に当たり始める。
初めて背負わされた重みだが、クレアは肩に荷のあることを嬉しく思った。
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