第16話 ネイル-13 『罠の為の罠』
土に埋まった拳を引き抜く。一人や二人は叩き潰せると思ったのに、相手は素早かった。だが
――ドゥアほどじゃねえ。
「こっちへ来い化け物!」
「来れるものならな!」
落とし穴の向こうに、奴らは固まって囃す。差渡しはあちらの足で、三十歩分もあろうか。左右どちらかを回らねば、爪が届かないと考えているのだ。
「望み通り、命の底まで磨り潰してやる!」
闇に青白く光る眼が、さらに吊り上がる。眉間に寄せた皺が、感情の波そのものであるような憤怒。怒声による砲撃が、そこらじゅうの空気を揺らす。
片脚を引き、一瞬。溜めた力を、前に向ける。踏みしめた地面が砕け、鉄にも似た硬さが足裏に触れて、跳ぶ。
その次には、人間どもをひと薙ぎ。
している筈だった。だがしかし、景色は変わらない。たしかに跳ねた足が、地面から離れたところで動かない。
――
「落ちろ、鬼人め!」
何と原始的な罠であろうか。落とし穴の縁を薄く削り、そこにロープが埋められていた。
進もうとしたネイルの脚がそれに掛かれば自然、身体は目前の穴へ落ちる。
「うおぉぉぉ!」
吼えたところで、落下は免れない。
ぐしゃ、と。泥以外の何かを潰す感触が胸や腹にあった。真下に居た猪人だ。もしかすれば、小鬼も。
「汚え手を使いやがって!」
「生意気に人の言葉を使うな。汚いってのは、お前たちの存在そのものを言うんだ!」
穴は深いが、立ち上がれば届く。しかし獣脂と混じった泥と、脚に絡んだロープとが困難にする。
――ホルト。ホルトは無事なのか。
己の仲間を下敷きにしてしまった混乱に、忘れていた。ロープを千切りつつ探すと、彼は愛用の槍をまだ手放さず、こちらへ来ようとしている。
腹立たしく、忌々しく、胸糞の悪い状況には違いない。けれどもホッと、大きく息を吐けた。それでようやく、落ち着けと自分を言い聞かすことも出来る。
「ネイル! 悪い、俺たちのせいで!」
「うるせえ、そんなこたあ後だ!」
泥からロープを引き上げて示す。どれだけ長いのやら、何度切っても外れない。
「あ、あぁ! 手伝うぜ!」
苦しげな顔に、僅か喜色が見えた。ホルトは槍先の付け根を握り、器用にロープを切断していく。意図もなくネイルが切っていたのと違い、解けていく感触が明らかだ。
「もういい。離れろ」
「おぅ!」
まだ残っていたが、脚に力をこめて引き千切った。ここまでどうにも先手を取られ続けたが、ここからはこちらの番手だけだ。
そう思った頭上に、「そうれ!」と人間たちの掛け声が載る。
いや、載ったのは網だ。穴の半分ほども覆うしなやかな網が、三、四枚も続けざま投げ入れられた。
「うざってえ!」
また自由を奪おうという魂胆か。それに目隠しも。けれどももう、自在に脚は動かせる。しっかり踏みしめれば、ネイルの巨体がこれしきの泥に揺るぎはしない。
押さえつけた天を裂く心持ちで、立てた爪を左右に開く。そこに狙いすました槍が投げられても、摘んで圧し折る。
「フゴッ!」
「フギィッ!」
聞こえたのは猪人の断末魔。奴らの槍はネイルだけでなく、他の仲間たちへも一斉に投げられていた。
槍と網と、ひと息に外してやる。泥と塊になったそれを投げつけ、穴の縁に手をかけた。
それを多少切られたとて、どれほどか。痛いのは、よほど別のところ。呪いの言葉と共に、人間どもを噛み砕くのだ。
――そうして泥の中に吐き捨ててやる。
誓って、穴から飛び出た。
「……居ねえ」
叩きつけようとした手を、ゆっくり。だらんと下げる間にも、人間を見付けられない。
おそらく集落に臭いは残るが、直近からは消え去っていた。槍を投げたあと、一目散に逃げたとしか思えない。
「酷ぇことになったなぁ……」
「どういうつもりだ、人間ども」
仲間を全員、穴から出してやった。しかし生きているのは、猪人が三人だけ。それも傷を負っている。
ネイルと同行していた二人の猪人も、別の場所に死体で見つかった。
ホルトが軽傷なのは良かった。猪人ほど目立たず、小鬼ほど小さくないので、狙われも潰されもしなかったらしい。
人間の臭いを辿ると、集落のあちこちに死体があった。殺されて何日もは経っていない。血の臭いがしないよう傷は小さく、詰め物までしてある。
「ここに住んでたのは、こいつららしぃや」
「ああ? さっきのは違うってのか。どういうこった」
「たぶん嫌がらせをしてる奴らだなぁ。俺たちがこの村を襲うように、仕向けたんだ」
ネイルたちの狩りを妨害し、備蓄をなくさせる。すると一度に大量の獲物を狙うと見越し、この集落そのものを罠に使った。住人は殺し、撹乱の材料に使うという徹底ぶりだ。
何のためにと問うても、ホルトは「さぁなぁ」と首をひねる。
「あ……」
深く考えを巡らせ、細められていたホルトの目が大きく開く。はっ、と何かに気付いた表情だ。
「どうした」
「ネイル! 棲み処だ!」
「なに?」
「奴らの狙いは、棲み処を襲うことだ!」
ぞくっ。
と、背中に冷たい小人が走り抜ける。それが終いに、尻を蹴ったか。知らぬ間、ネイルは走り出していた。
残してきた仲間。彼らの守る子どもたち。そしてクレアの顔が、順番に思い浮かぶ。
それがまた、悪しき前兆のようで。厭味たらしくもいつもと変わらぬ森に、渾身の咆哮を響かせる。
ネイルの身体は紅蓮の色を為し、風を追い越した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます