第15話 ネイル-12 『凍りつく夜』

「お気をつけて。いってらっしゃいませ」

「おう」


 クレアの目は見えない。実は見えているものを、偽っているのではない。白く濁った瞳を見ても、明らかだ。

 それなのに。なぜいつも目を見開くのか。

 声を頼りに、話す相手を。ネイルを探し、必死に目を合わせようとする。

 そうしたほうが良く聞こえるのだろうか。そうしろと誰かに言われでもしたのか。

 ――まあ、どうでもいいや。


「てめえら、死ぬまで食う分を持って帰るぞ!」

「オオオォォォォォ!」


 月のない深夜。戦える者を棲み処へ半分残し、十三人で出発となった。もちろんその数に、ネイルとホルトも入っている。

 目指したのは、小高い丘の上にある集落。いつか人間が、版図を広げようとしたのだろう。崩れた砦があって、その周囲に住み着いている。

 そこは誰の縄張りということもない。頑丈な丸太の壁が広く築かれ、見張りの櫓もある。人数はさほどにないが、住人はいつも近くに武器を備える。

 襲うならこちらの被害も、相当を覚悟せねばならなかった。

 この集落へ住む意味が、それだけ人間にもあるのだろう。離れた山頂から中を覗けば、穀物が山と積まれ、飼われた獣の姿も数えるのが面倒なくらいだった。


「ホルト。裏から回れ」


 よほど接近されれば別だが、ネイルに矢は通じない。正面の門へは、猪人と三人で向かう予定にしていた。

 頷いたホルトが、残りの猪人と小鬼を連れて集落の反対へ向かう。壁の外には堀まであって、音を立てず移動するにはまあまあ時間がかかる。

 その間じっと、中の様子を窺うのにちょうど良くはあった。


「居ない。見張り」

「座ってんだろ」


 櫓を囲う低い塀は、細かい格子になっている。中で座っていればこちらからは見えないが、あちらからは見える筈だ。

 答えたものの、ネイル自身「おや?」と思っていた。だが人間にも真面目な者と、そうでないのが居る。

 町のように最悪は海へ逃げられるわけでなし、見張りを置かないのは考えられなかった。


「行くぞ。せいぜい騒げ」


 猪人でも、身体と声の大きな者を選んだ。手には鋼の鎚を持たせてある。ネイルと三人、雄叫びを上げれば、どんなに深く眠っていても必ず飛び起きる。

 そうして目立ち、注意を引き付けるのが狙いだ。本命は裏に行ったホルトたち。あちらが門を破れば、こちらもゆうゆうと中へ入れる。


「なんだ。誰も出てこねえ」


 やはり櫓に人の姿はなく、壁上から覗く人影も現れない。

 猪人に問うたところで、特段の答えがある筈もなかった。彼らも、おかしいというのだけは分かるようだが。

 しかし足を止めるわけにはいかない。

 もしかするとこれは、ホルトたちが先に発見されたからかもしれなかった。であれば早く門を破壊し、中へ入らねば。


「気に食わねえな、人間ども!」


 ここへ住む者には関係のない苛立ちをぶつける。二度を殴りつけると、門扉として降りている丸太の一本が折れた。

 そこへ猪人が蹴りを見舞い、横木を飛ばす。するともう、門扉は瓦礫と名を変えた。

 踏み込むと、先にもう一枚の扉がある。頭上にも足場があって、ここで熱湯でも浴びせる構造に違いない。

 だがやはり、人の姿は見当たらなかった。


「あっちが危ねえ。急げ!」


 難しいことを猪人に言っても詮ない。急げの言葉と裏腹に、ネイルは迷っていた。住人が少なく、範囲は広い。人間の声が聞こえないのは、そのせいか否か。

 二つ目の門を踏み越え、集落内に入った。

 やはり人は居ないが、篝火はあった。人間の臭いも、どこからか。いかにも「たまたま今は居ないだけ」というように思える。

 猪人の二人は「どこだ、人間!」と吼えた。しかしやはり。

 ――おかしい。


「てめえら獲物は後だ。ホルトたちと合流するぞ!」


 穀物の匂いをさせる建物に向かおうとしていた猪人を呼び、走る。

 胸の内で、嫌な予感が膨れ上がっていく。まさか、また仲間が死ぬのか。今度はホルトなのか。

 しかしどうであれ、最短で会うよりも優先できることはない。だから走った。何か潜んでいないかも見極めずに。

 この夜を迎えた瞬間に、凍りついたような集落。人にも獣にも出会わず、ほぼ横断した。

 そこにネイルは、絶叫をぶつける。

 嫌な予感が、形を持った光景を。忌々しい人間に、してやられた自分を。それを行う人間自身を。

 呪う言葉で、切り裂こうとするように。


「薄汚え人間ども、それはオレの仲間だ!」


 二、三十人も入れそうな深い落とし穴。しかも一面どろどろと、脂が撒いてある。

 塗れたホルトや猪人はよじ登ろうとするが、叶わない。小鬼は埋もれたのか、そもそも姿が見えなかった。混乱に、ネイルにも気付いていないようだ。

 長い槍を携えたのが十人ほど。分厚い刀身の剣を持ったのが、やはり十人ほど。穴を囲んだ人間たちは、松明を投げ入れる。

 獣脂の発火は鈍く、奴らの顔を照らしはしない。だがネイルの目に、薄笑いの聞こえるような表情ははっきりと見えた。


「てめえら、皆殺しだ!」


 もう一度。大陸共通語での叫びに、人間たちはこちらを向く。

 ドゥアの一味が身に着けるのと似たような、革鎧。怒れる鬼人の急迫にも狼狽えぬ様子。

 余裕さえ見せて待ち受ける只中に、ネイルは拳を突き立てた。

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