第12話 ネイル-10 『外れた視線』

 木の実を採らせたり、小さな獣を狩らせたり。ナイフを持てるようになれば、どの子も外へ出させた。もちろん誰か、戦える者が数人付いてだが。

 時分は満月であれば、真上に来るころ。棲み処を出て、ひとつふたつ何か得たら帰ってくる。何度か出るうちに出ていられる時間が伸び、獲物も多くなっていく。今夜もそれは行われていた。


「誰も気付かなかったのか」

「見てない。後ろ」


 子どもたちを十数人ずつ、何グループかに分けている。そのうちの一つを見ていた者が、帰る途中だったらしい。棲み処が近くなり、振り返ったときには最後尾が居なかったと。


「だから必ず、前と後ろに居ろって言ったじゃねぇか!」


 拳を握り、誰にともなくホルトが叫ぶ。リーズは無言で、その腕を軽く叩いてやった。


「探すか、敵」


 蜥蜴人は、決して狭量でない。同族だけでなく、この棲み処に居る者を間違いなく仲間と思い、今もその為に怒っている。

 リーズたちにとって、人間だけが特別に悪しき存在なのだ。


「いや。敵もだが、ログと子どもたちを探せ。死体でもだ」

「分かった。見つけた、言う」


 ここに棲む蜥蜴人は、リーズ以外に五人。普段は必ず、何人かが残っている。それをリーズは、全員を連れて捜索に出た。当然その左手に、よく磨かれた槍を握って。


「……すみません」

「ああ?」


 声の調子は、いつもと変わらない。僅か普段よりも、細い気はする。謝っているのだろうが、何に対してか分からなかった。


「お前が誰かに言って、子どもをさらわせたとでも? それなら話が簡単でいい。どこに仲間が居るか言わせて、お前を真っ黒な泥にするだけだ」

「いえ。違います、それはありません。ただ、わたしが居ることで混乱を呼んでいるのではと。申しわけなく思いました」


 低い唸りを利かせた問いに、クレアは間髪を入れず答える。同じことが、ここに住む何人にできようか。猪人には、一人残らず無理だろう。


「なら、気安く謝るんじゃねえ。いまは聞いたが、次は何もなく踏み潰すかもしれねえ。それにオレはお前を――」

「わたしを?」


 何を、言おうとしたのか。

 何か言葉が、浮かんではいなかった。思い出そうとしても叶わず、もう一度考えても続かない。 


「オレがお前を拾ったんだ。いいも悪いも、オレが決める」

「分かりました。しかと、そのように覚えておきます」


 それは嘘だ。そんなことを考えてはいない。だがこれ以外に、思いつかなかった。無理に続けなくとも「何でもねえ」で良かったと気付いたのは、しばらく後だ。

 そのままネイルは、棲み処で待った。どこかで戦わねばとなったとき、遅れるのはまずい。

 リーズたちはもちろん、棲み処の半数以上が明け方まで。捜索を続けた彼らは、いくつかの知らせを持ち帰った。

 結果を言えば、誰の死体も見つからなかった。けれどもそこで生き物を殺したとしか思えない、血痕が何ヶ所か。

 臭いや味で、それが誰の血液かまでは分からない。だが種族と、大人か子どもかくらいは分かる。おそらくログは、姿の見えなくなったすぐ近くの岩陰で。子どもたちは、棲み処に近い海辺で。

 どちらも指の一本。骨の一片さえ残されていなかった。


「遺体がなければ、誰がどうやって殺したのか分かりませんね――」


 すみません、とは言わない。クレアは顔を伏せ気味に、しかしはっきりと言った。


「いいや、分かるさ」

「あぁ、間違いねぇ」


 きっとホルトも、同じ判断だ。横目に視線が合って、小さく頷く。


「やったのは、薄汚え人間だ。余所者のな」


 死体を探せと。クレアの言を、くだらないと思った。聞いてすぐに聞き入れたホルトも、言われるまで頭になかった筈だ。

 縄張りを広げる為。持ち物を奪う為。姑息な手段を用いる者も、ときに居る。

 だがこの島の住人に共通するのは、誰が誰を害したのか隠す理由が存在しない。町を出入りする人間でも。強者だと示すことが、次の争いを有利にするのだから。

 だから死体を調べる必要を、ネイルたちは思い付かなかった。血液以外の何も残さないなどと、「死体を隠せば情報を与えずにすむ」と考える者の仕業なのだ。


「それがこの島の法。いえ、掟なのですね」


 噛みしめるように、クレアは何度も小さく頷いた。見た目に表情のない彼女にも、実はそれが存在すると気付く。

 ここへ来て最初は、何に触れても聞いても、理解するまでの間が必要だった。思えばそれが彼女の驚きで、理解しようという想いの表れだったに違いない。

 日を追うごとその間が短くなり、新たなこともすぐに受け入れるようになった。彼女なり、岩穴に馴染もうという意思が感じられた。

 それをネイルは、無下にできない。非情の判断をすることがあっても、多くの仲間を抱えた棲み処の長だから。


「人間。敵か、お前」


 黙って聞いていたリーズが、クレアに槍先を向ける。察するまでもなく、すぐ胸の前のそれに彼女は気付いていない。

 腕や腰の動きが、そのまま突こうというのでなかった。だからネイルも、それを直ちに止めはしない。


「違います。わたしはネイルに捕らえられ、ここへ来ました。でもそれを、感謝しています。これまで生かされて、唯一温かい場所なのです」


 クレアは視線を、頭三つ分ほど上に向ける。そこにリーズの顔があるから。正確には、彼の声が聞こえるほうを向いたのだろうが。

 しゅるり、しゅるり。

 蜥蜴人の息が荒い。胸を張るクレアをしばらく見つめ、次にネイルへと眼は動いた。

 縦に細い瞳孔が、槍よりも鋭く光る。問うものが何か、候補は浮かべども図り知れない。


「……俺たち。出る」

「出るって、どこへ行くんだぁ?」


 眼球をぺろり舐めて、背中が向けられた。いつもながらの短い意思表示に、ホルトが補足を求める。


「探す、仇。ログ」


 外に待たせていた同族たちと、リーズは敵の捜索に向かう。彼らはそれから、どれほど経っても戻ってはこなかった。

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