第11話 ネイル-09 『消えにし命』

 ネイルが歩けば、そこにはクレアが居る。その後ろに、小鬼や猪人の子らが二、三人ついてくる。さらに距離を取って、また数人。そのまた後ろにも――。

 棲み処の中でそんな光景が、馴染みのものとなりつつあった。

 この岩穴を人間が歩くのは、初めてでない。生きたまま捕らえ、衣服を剥ぎ取り、彼らの怖れる魔物の巣窟で放す。そうして怯える様子を見て、楽しむ者も居る。

 その者たちの目に、何の制限もなくそこへ居るクレアはどう映るのだろう。


「人間、仲間ない。ネイル、どうする?」


 口にしたのは、蜥蜴人のリーズだ。彼に獲物を弄ぶ嗜好はないけれども、人間を嫌う気持ちが強い。

 最初の数日こそネイルの気紛れとして見ていたが、我慢出来なくなったようだ。彼の後ろに、クレアへ揶揄の視線を向ける仲間の姿も隠れ見えた。


「こいつはオレの獲物だ。てめえらが気に入らねえってんなら、歩かせねえようにはする。だが食うも捨てるも、オレの勝手だ」

「分かった。人間、見たくない」


 いつもの横穴から、あまり出さないようにする。それでひとまず、リーズは引き下がった。

 彼は元々、蜥蜴人の混血ばかりの集団に居た。それが人間の騙し討ちにあって壊滅したと聞いている。嫌う気持ちは、理解出来るものだ。

 そのやりとりがあって、次の日。

 ホルトが、機嫌を悪くした顔でやってきた。程度を言えば、最高に近い。ネイルであれば手近な岩でも粉々にするところを、彼は逆にいつも舌を出している口がきっちり閉じる。その脇へ覗く牙が、ぎりぎりと音を立てた。

 ホルトがそこまで怒るというと、原因は概ね想像がつく。


「ログが帰ってこねぇんだ」

「一人だけか。他には?」

「三人で出たみてぇなんだがなぁ。気付いたら居なくなってたんだと」


 猪人のログは、戦える中で最も若い。先日のドゥアとの小競り合いで、戦わせろと言った男だ。

 同じく若い猪人と連れ立って、「人間でも獣でも、何でもいいから狩ってこよう」と。そういうつもりだったらしい。


「居なくなったと気付くだけ、ましだがな」

「そうだけどよぅ」


 猪人は目先のことに惑わされやすい。目の前で仲間を殺されても、好物の食い物でも与えれば綺麗に忘れてしまう。

 ここに居る者は混血の分、いくらか分別がある。それでもホルトが、冗談にされたと怒らないのが実情だ。


「出るときにはたくさんでって、俺は言ってたんだ。それがよぅ……」


 この島で生きる限り、争いは避けられない。戦えば傷付き、死ぬ者は居る。それはホルトも当たり前に理解していて、その補充に子を育てようと考えついたくらいだ。

 しかしそれでも、彼は仲間が死ぬのを嫌がった。勝手なことをしたと言うのも、それで責めたのではない。


「リーズに見張りでも頼めば良かったのかなぁ。無理やり通られたら、俺じゃぁ止められないしなぁ――」

「今からそうすりゃいい。だが悩んだって、なかったことにはならねえよ」


 行うことを仲間に伝え、それを実現させてくれるのがホルトだ。大きな狩りへ出かけるときに然り、獲物を分配するに然り。

 やれと命令したことなどない。すぐに腕力頼みとなってしまうネイルに代わって、いつもホルトが自分から買って出るのだ。

 彼が悔やむ気持ちは、よく分からない。いや何となく、朧には分かるが。

 そんなことを言っても、ログが生き返りはしない。そもそもの原因は、当人が不用意だからだ。

 ――弱えくせに。


「あの、ネイルさま」

「ネイルさま?」


 名を呼ぶのに、人間は何やら余計な言葉を付けたがる。そうすることで、どちらが上位かを区別しているらしい。

 実に人間らしい、くだらない話だと思う。言葉で示すだけなら、いくらでもできる。問題なのは、その言葉を送り出した舌がどこにあるかだろう。

 口の中へ収まっているのか、こちらを舐めているのかだ。


「オレはネイルだ。そんな人間臭え呼び方をするな」

「あ――すみません」


 言ったクレアを貶めるつもりはない。あくまで、嫌いな人間とひと括りにされた気がして、不快だった。


「謝るんじゃねえ。さま、ってのが気に入らねえと言っただけだ」

「え、と。それではネイル? そのログという方を、探しには行かないのですか」

「探す? 何のために」


 棲み処に帰ってこない仲間。理由は二つに一つだ。つまり何かあって死んでいるか、帰るのが嫌で出ていったか。

 死んだ事実は動かないし、居たくないものを居ろとも思わない。どちらにしても、探す意味がない。


「まず、死んだのは間違いないのですか」

「帰り道が分からねえってのはない。どこか穴にでも嵌ってるなら、奴らの腹が食い物を入れるだけじゃねえって分かるだろうよ」


 敵と争い獲物を狩る為に、ただ腕っぷしが強ければ良いのではない。木々の生え方や地面の凹凸を、身体に覚えさせるのだ。

 そうすれば、敵わない相手から逃げるのにも役立つ。その為に幼いころから、危険を承知で外に出させている。


「なるほど――不幸なことです。でもそれなら、身体だけでも連れ帰ってさしあげてはどうでしょう」

「分からねえな。そんなことをして何の意味がある」

「お墓を作ったり、とか」


 墓とは何だったか。考えていると、ホルトがあれのことだろうと教えてくれた。人間が死者を土に埋めて、杭や石を置いたりするまじないだ。

 最初に見たときは、保存して後で食うのかと思った。しかし違って、そうするのが死んだ者を大切にする行為らしい。


「必要ねえ。誰だろうが、死ねば勝手に土へ還る。食われたとしても、いつかきっとな」

「そうですね。でもどうして死んだか、分かるのではないですか?」

「どうして死んだか?」


 ああ言えばこう言う。どうもクレアは、死体を持ち帰らせたいらしい。ログのことなど、ろくに見てもいないだろうに。なぜこうまで拘るのか。

 答えずにいると、気を利かせたつもりか、ホルトが言った。「見てみなけりゃ分からねぇ」と。


「食い荒らされてたら分かんねぇ」

「牙で死んだのか。爪なのか、殴り殺されたのか。それとも、鉄の刃か。それが分かれば、何に気を払うべきかも分かりませんか」


 熱のない淡々とした口調で、話は容易い。だが逆に、何を言いたいのか聞き逃すところだった。

 この人間の娘は、先日の話にあった武器のことを言っている。それを持つ人間たちが関わっているなら、用心すべきだと。


「あ、あぁ。そうだな、それはそうかもしれねぇ」


 ホルトは納得している。やってみる価値はあるようだ。

 人間と魔物は、互いに忌むべき相手だ。それをどうしてこの娘は、同胞でなくここに居る者の味方をするのか。

 変わった奴だと思ってはいたが、ますますおかしい。


「そうか。オレにやることがあれば言え」

「うん。とりあえずリーズに言ってみる」


 明確な目的を持っての捜索となれば、生真面目な蜥蜴人が向くだろう。ホルトが横穴から出ようとすると、ちょうどリーズがやってきた。


「リーズ、頼みが――」

「子ども。足りない」

「足りない? 居なくなってるってのか」


 頷いた彼は、言葉もなくクレアに視線を注ぐ。

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