第9話 ネイル-07 『怪しい積荷』
猪人を、百人も敷き詰められそうな空間。一面に開かれた木箱や袋、入っていたであろう品々が並べられていた。
干した肉や木の実、薬草。日持ちのする野菜類と、穀物。それに酒。布類は少なく、武器は一つもない。整然とはしていないが、似たもの同士は集めてある。
その作業をした筈の蜥蜴人や、聞き分けのいい小鬼たちが端で休む。視線に奇異の色が混ざっているのは、見なかったこととした。
高級品がないのは船の目的が貿易でなければ、ままあることだ。それに砲も付いていなかった。荷としての武器がないのも、まあなくはない。
変だと聞かされた筈だが、何だろうか。見れば分かるとも言われた気がする。
ならばどうしても、真相を見つけてから。とは考えない。「これがどうした」と聞く為に、息を吸い込む。
――臭え。
小賢しい、人間の臭いがした。体臭ではなく、忌まわしい知恵の臭いだ。
「そこにある」
気付いたことを察して、ホルトは指さす。蓋が半開きになった、木箱を。
見るまでもないが、顔をしかめつつ近付き蓋を開けた。陶器の壺が、
火薬だ。
ネイルの鼻は、耳ほど優れていない。だがそれでも十分に、ツンと刺す刺激がこたえる。
蹴飛ばしてしまいたいところだが、そうすれば臭いが飛び散ってしまう。仕方なく仰け反って、一歩さがるだけにした。
「……おい」
視界に、小さな金色の頭が入る。待っているよう言ったのだが「着いていってはいけませんか?」と、至極遠慮がちに聞かれたのだ。
「――変な臭い。何かしら」
「溺れてえのか、こっちへ来い」
木箱を覗き込む襟元を摘んで、引っ張る。「うっ」と、息を詰まらせる声。
かなりの力加減をしたつもりだが、まだ強いらしい。煩わしい想いで、指を離す。怒りよりも困ったというほうに、その苛立ちは偏っていたが。
腰に巻いたボロ布の端を掴み、短い歩幅を積み重ねて横穴から着いてきた。何度も転んだので、もう一度待っているようにも言った。
けれども彼女は「すみません」とだけで、戻ろうとはしない。どうしたものか、ため息による保留が既に数え切れなくなった。
「これもだ」
別の細長い木箱を、ホルトが抱えて見せる。彼の流し目は時折、クレアに向いた。その度に口角が片方だけ僅か上がるけれども、それだけだ。
蜥蜴人や小鬼にしろ、ホルトにしろ。何も言われないものを、ネイルからあれこれ言うことはない。
しかし何だか、それでは良くない気もする。結局どうにもならないのだが。
「鉄の臭いだ。何が入ってた」
渡された木箱にも、緩く麦稈が詰められていた。それ以外には何も入っておらず、並べられた品に同じ臭いのする物はない。
「何もだ。猪人どもが、中身も見ずに持って帰ったみてぇなんだよ」
同じような木箱は、他にもあった。鉄と、少しばかりの油。その臭いが指し示す物は、武器の他に考えにくい。
「剣だの斧だの、何十人分かあるな。それを持った奴らは、どこへ行った?」
「実はなぁ、船倉に隠れてる人間を見付けたんだ。でも三人だけだったし、そいつらは武器を持ってなかった」
持っていたのはこれだけだ。と、ホルトが見せたのは、血に濡れた火打ち石。
「他に人間は?」
「水夫は何人か居たなぁ。みんな死んでたけど」
「そいつはドゥアの仕事だな」
火薬。大量の武器。それを持っている筈の人間。ある物とない物の、どちらもおかしい。どう考えても、ただどこかへ荷を運ぼうという船ではない。
人間同士が争うなら、どうでも良い。だがもしそれらが、この島へ上がっているとしたら。
怪しい軍船といい、あの帆船といい。余計な面倒を担いでいそうで、何一つはっきりしない。
「何をしようってんだ人間ども!」
今度こそ、ほぼ怒りと同義の苛々が募り始めた。怒気に反応した小鬼が、蜥蜴人の陰に隠れる。
――いや。荷物がもう一つ、ここにあるじゃねえか。
「おい女。お前の乗った船は、どこへ向かってた」
引き戻されたことに反省したのか、クレアはネイルの脚に触れて、じっと立っていた。
呼ばれると、濁った目をこちらに。見えていない筈のそれが、まっすぐに合う。
「サクレ男爵領です。わたしはそちらへ、嫁ぐことになっていましたから」
「嫁ぐ? 嫁ぐって何だ」
「結婚です。ええと――決まった相手と、つがいになることです」
そう言われて、聞いたことはあると思い出した。襲った人間が、結婚したばかりだとか言っていたことも。
「そいつあ人間には、祝いごとじゃねえのか」
「ええ、そうです。お祭りのようになります」
おかしなことが、また増えた。
祝いだというのに、武器を運ぶことはもちろん。
サクレ男爵と言えば、船で丸一日も離れた対岸を領地とする人間だ。そこへ向かっていた船が、なぜこの島へ流れ着くのか。
もちろん直接の原因は、ドゥアに襲われたからだが。そんな場所で襲ったなら、こちらへ流れ着くまで彼が放っておくわけがなかった。
ましてや大陸と島との間にある荒い潮流が、原形を留めておかない。
「どうする?」
「どうもこうも。どこへ行ったか知れねえもんを、どうしようもねえだろ」
「そうだなぁ。あんまりバラバラに動くなって言っとけばいいかぁ?」
それくらいしか、仲間たちに言えることもない。ホルトに任せて、ネイルは横穴へ戻ることにした。
目障りな物が目の前にあって、粉砕すれば終わり。そういう事態なら、ネイルの拳で解決できないほうが珍しい。
そうでないのが腹立たしく、無意識に脚が速まった。
「あっ!」
べしゃり。ぶざまに這いつくばった声と音。一瞬、クレアの握っていたボロ布がぴんと張って、弾けるように離れた感触もあった。
振り返ると、掴まるところを探す手が、宙を右往左往している。
――そこはど真ん中だ。何もありゃしねえよ。
小さく舌打ちをして、細い身体を出来るだけそっと掴んだ。担ぐように肩へ乗せると、クレアは疲れたような息を吐く。
けれどもすぐに、ネイルの指を抱いて言った。
「ありがとうございます。次はお邪魔にならないように、頑張りますね」
相変わらず、声にも顔にも表情がない。
だが苛とした気持ちが、なぜか幾分「どうでもいいか」という気になる。速まった歩調も、いつもよりゆっくりに変えた。
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