第8話 ネイル-06 『生きる理由』

 小鬼は三、四年も経てば大人になる。狩りに使うだけなら、二年ほどでも十分だ。

 彼らはどれだけ食っても醜く痩せ、種族を問わず見境なしに交配しようとする。しかし棲み処に居るのは混血の者ばかりで、まだ抑えが利く。そうでなければ、ネイルも仲間として受け入れなかっただろう。

 種として生存競争に強いが、その浅ましさはどうか。彼らは放っておけば、我が子の持つ食料さえ奪って食う。

 そんな生き物の子を、クレアは手懐けようとした。食べ物などで釣るでなく、甘えたような声だけでだ。

 ネイルに立ち向かう為、味方を増やそうとしたのではあるまい。

 ――急に盛りがついたか。

 そうも思ったが、何やら違う。

 ただの移動で気絶して、目覚めたと思ったらいきなりそれだ。当人に聞いた通り、こいつは何なんだとしか思い浮かばなかった。


「あなたは怖いの? なぜ生きるの?」


 挙句に、そんなことまで聞き返された。

 人間は非力だ。ドゥアにしたところで、単純な筋力を言えば大したことはない。その上にこの娘は、ひどく痩せ細っている。

 人間の女の、理想的な体格がどんなものか知らない。が、クレアが病的であるのは間違いなかろう。

 ――オレを侮って、挑発しているのか?

 言葉の意味だけを考えると、そうとしか受け取れない。だが言った当人を見れば見るほど、あり得ない話だ。


「怖くねえ。誰も、いつかは死ぬ。だが戦って勝てるうちは死なない」


 死ぬのが怖くて、戦いに勝てるか。それだけを言うつもりだった。けれども問いの意味を考えるうち、自然と言葉が加わる。


「死なない為に、戦うの?」

「戦わなけりゃ、食い物も何も手に入らねえ。それが生きるってこった」

「食べる為に、生きるの?」

「ああ?」


 なぜ戦うのか。

 そうしなければ、生きられない。

 なぜ生きるのか。

 生きなければ、死ぬしかない。

 なぜ死んではいけないのか。

 死ねば――。

 クレアが何を問うているのか、ようやく分かった。生きる方法でなく、生きる理由だ。

 しかしそれをもう一度自問しても、答えは出ない。

 ――オレは、死ぬのが怖いだけなのか?


「生まれてずっと、わたしは目が見えません。幼いうちはまだしも、成長するにつれ疎まれました。仕方のないことです」


 誰かに手を引かれなければ、家を歩くことも難しく。たくさんの迷惑をかけた。

 淡々と、クレアは語る。迷惑をかけたと言う割りに、悲しげだったり後悔の色は見えない。

 いや、そうではない。ずっとだ。

 船で寒さに震えるとき。いきなり鬼人に掴まれたとき。知らぬ場所で目覚めたとき。小鬼に噛まれたとき。

 彼女の顔に、表情と呼べるものは存在しなかった。


「具体的にどんな迷惑だったのか。わたしはそんなことも満足に知りません。それは罪です。生きている限り、その罪を重ねていくしかないのです」

「意味なく生きるってのは、そのことか」


 目が見えず、それを補う能力のない魔物や獣が居たら。

 考えるまでもなく、一日と生きられない。十中八九は誰かに食われるし、そうでなければ崖から落ちて死にでもするだろう。

 それを思うと、人間という種は特殊だ。何の為にクレアを生かしてきたのか、ネイルにはさっぱり分からなかった。


「わたしは自分の力で生きているのでなく、生かされてきました。誰かの為になったことなど一度もありません。本当は、そうしてくれた父や家の者の為になれば良いのですが」


 それが叶わぬとなれば、せめて誰かの腹を満たすくらいしても良かろう。

 死ぬのは怖くないのかと。進んで食われようとしたことを、あらためて言わなかったネイルの問いに、けちの付けようがない答えだった。

 だから彼女の問いにも答えねば。などと殊勝な発想は、ネイルには存在しない。

 だが、気になった。


「活きのいい獣は、うまい。人間の作った酒も、うまい。気に入らねえ奴は潰すし、そうすりゃ縄張りは居心地がいい。そんなことをやってりゃ、生きたり死んだりがどうとか考える暇もねえよ」

「それが楽しいから、生きるのね」


 自分は日々、何をしているのか。それを頭に並べ、突き詰めるとそうなる。

 だから納得した様子のクレアにも、頷くことが出来る。言葉を捻り出す都度、己でも合点した。

 けれども繋ぎ合わせた完成を振り返ると、「本当か?」と、また自問したくなってしまう。


「……ネイル、いいかぁ?」


 互いに言うことがなくなって、しばしの沈黙があった。そこへやってきたのはホルト。

 彼を見て、胸がざわめく。

 なぜ、ざわめいたのか。またそれを疑問に思うが、分からない。ともあれ何ごともなかったように「何だ」と答える。

 なぜか不機嫌な声になった。


「どうしたぁ、この女が何かしたのかぁ」

「どうもしねえ」


 急に元へ戻すのもおかしく、同じに続けた。ホルトは交互に、ネイルとクレアとを見て頭を掻く。


「よく分かんねぇけど、この女は好きにすればいい。普段お前は、何も言わねぇからな。あれはネイルのだって言っても、誰も文句を言わなかったぜ」

「――用があるんだろ」


 そういうことではない。と言えば、ではどういうことかと。そうなるのが面倒で、不機嫌さを増して話を変えた。


「あぁ、そうだった。悪ぃけど獲物を見てくれねぇか」

「獲物を?」


 ホルトが言ったように、ネイルは自分の取り分をことさらに主張したことがない。そんなことをしなくとも、配分はきちんとホルトがやってくれるから。

 だから棲み処の中でも大きな空間でやっている、山分けの作業もほとんど見ない。もちろん呼ばれたこともない。

 あの帆船から奪ってきた物が、どうかしたのか。聞くとホルトは首を捻り、悩ましげな顔を見せる。


「見たほうが早い。ちょっと変なんだ」

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