第3話 ネイル-02 『島の入り江』
サッドという名の島がある。大陸の南端から、船で丸一日。広さだけならば、そこいらの小国にも比肩する大きな島だ。
北岸には唯一の町があって、そこから西にネイルたちの棲み処。さらに西へ行けば、入り江がある。
休息に水を差され連れて来られたのは、そこだった。
「あれか、でけえな」
「あれだ。でかい」
彼とその同族は、他の種族と目的意識が異なった。獲物に食料と良質の武器があれば、武器を選ぶ。
要は目先でなく、次を考えているらしい。戦って負けることは、恥だとも言う。
そんな彼らは先の狩りの後も、縄張りを見回っていた。その途中、報告すべき物を見つけたのだ。
「武器、食い物。たくさん」
「ああ、あるといいな」
月はない。星明かりだけでは、島を包む夜という名の闇を覆せはしなかった。その下に広がる海も、歩いてきた森もだ。
だがネイルの目に、それらは黒でない。空と海は青く、岩は黒に近いがグレーで、座礁したらしい帆船は赤茶に艶めく。
それはちょうど、入り江と外海の境辺りだ。マストは太いのが二本と細いのが二本。
畳みかけただらしない帆は、無事に思える。ここしばらく嵐などはなく、操船を誤ったか海賊にでも襲われたか。
この入り江には、よく流木などが流れ着く。今は潮が引いているが、満ちれば隠れてしまう岩礁だらけだ。
大小さまざまな岩の間を、絶え間なく波が抜けては砕けていく。おしゃべり好きな
「てめえら、見張ってろ」
最も人数の多い、
人間の子どもほどしか背丈のない彼らは、船まで辿り着けない。泳げばなんとかなるだろうが、それも得意ではなかった。
帆船がここへ来た原因はともかく。リーズの言う通り、大きな船であれば当然に載っている物は多い。
縄張りの中とは言え、人間の国のように領境が決まっているわけでも、警備隊が立っているわけでもない。急いで回収する必要があった。
「食い物! 女!」
「ああ? どうやってあそこまで行く気だ」
小鬼たちが騒ぐ。ギーッと不満の声を発する一人の額を、中指で弾いた。手加減したつもりだが、彼らの体格では強めのゲンコツくらいになったかもしれない。
「ネイル! 食い物! 女!」
「オレは食い物でも女でもねえ」
「心配すんな。お前たちのも持って帰ってやるさぁ」
ホルトが請け負ったことを手で示すと、小鬼たちは散った。
この辺りは縄張りの中でも端のほうだ。他にも目敏い者は、すぐに現れるだろう。そのとき接近を、事前に知っているのといないのでは勝手が違う。彼らの役目は重要だ。
「さあ行くぞてめえら!」
もしかするとその相手は、もう船に入っているのかもしれない。こちらが気付いていないだけで、見張りから秘密の連絡がされているのかもしれなかった。
十分にあり得る予想だが、尻込みする選択もない。
危険があるからと目の前の獲物をみすみす見逃すようでは、この島で生きていくことなど不可能なのだから。
――居るとすりゃあ、ドゥアのとこだろうがな。
縄張りを隣り合わせる一団の長を思い浮かべ、ネイルは海水を踏み始めた。ひやりとする温度が心地いい。
ざぶざぶ音を立てて、船に近付く。水深はネイルの膝まで。他の者には腰か胸辺り。波飛沫が素より激しく、多少の音を気にかける必要はなかった。
「こいつはもう、動けねえな」
「だなぁ、お漏らしがひでぇや」
左に傾いた船の腹には、ホルトが入れそうなほどの穴が空いている。他にも浸水する場所があるらしく、波の打ち寄せる度に海水が吐き出された。
ごぼごぼと不快な音がして、お漏らしと言うよりも悪酔いした小鬼の嘔吐だ。
他にも真新しい傷跡が多く見える。これほど大きな帆船に傷を付け、横腹に大きな穴を空ける。この近辺にそんな相手は、あまり覚えがない。
――軍船に襲われたのか?
「上は届くかぁ?」
答える代わりに、ホルトの腰を掴む。腕を伸ばし、上甲板に足を乗せてやった。
彼はさっと見回す素振りを見せて、手招きをする。そこだけは人間と同じ形をしていて、彼が混血であることの証左と言えた。
「急げよ」
他の仲間も二、三人ずつ。一度に上甲板へと運ぶ。何人が着いてきたか数えていなかったが、十八人だ。
最後の一人を上げてやると、ネイルは周囲の警戒態勢に入った。この巨体で船室に入ることは出来ないし、乗った時点で船がひっくり返るかもしれない。
仲間が船内で敵に鉢合わせたなら、甲板まで戻ってくればいい。そうすれば大抵の相手は、ネイルがどうにかする。そのときに一人くらいは、やられてしまうかもしれない。だがそこで強みとなるのが、人数の多さだ。
その優位に間違いがないのを、船体に耳を付けて窺う。
――これって音も聞こえねえし、大勢が潜んでるってこたあ……。
波の砕ける音は、一瞬たりとも止むことがない。その中で仲間たちの走る足音、というよりも振動が、船の上のほうから伝わってくる。
「ん?」
敵が居るなら、これだけの物音に反応のない筈はなかった。それを確認していたネイルの耳に、予想の範疇から外れた種類の音が届く。
――なんだ、変に区切って独り言か?
よく響く洞窟の中でも、仲間たちの声を聞き分けられる。その優れた聴覚がなければ、聞き逃していただろう。
ほんの微かに、細い声が聞こえた。それは細かく上下し、妙に間延びしたり途切れたりする。
何か話しているようなのに、一人だけで相手の声はない。それが歌と呼ばれるものだと、ネイルは知らなかった。
どうやらそこは、船に穴の空いた部分に近い。死なせたところで不都合はなかった。
――いつか、誰か辿り着くだろうが……。
しかし生きているなら、そんな変わったことをする奴がどんな顔をしているのか。どんな姿をしているのか見てやろう。
そんな気紛れに、ネイルは動かされた。
船の外板。継ぎ目に爪を引っ掛けて引くだけで、剥がれていく。露わになった肋骨は折り、内壁を引き千切る。
「子ども――?」
小さな部屋に、人間の女が居た。
簡素な白いドレスを着た、白い頬に長い金髪。痩せ細った身体をまっすぐに立ち、視線は概ねネイルに向かっていた。
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