第2話 ネイル-01 『荒ぶる鬼人』

 海べりから島の奥地まで続く、広大な森。その端をネイルは歩く。

 戦いに紅潮した腕は素に戻っているが、もとより赤い。その手に麦酒エールの小樽を掴み、文字通り浴びるように飲む。

 赤いのは、脚も顔も。全身が岩を貼り付けたようで、焼けた赤土色をしている。そうでないのは、ボロ布を纏った腰回りくらいだ。

 巨岩に目鼻を付けたら動き出した。そう言って信じる者さえ、居るかもしれない。


「あいつら、言うことを聞く気はあんのか」

「そう言うなよ、いつものことだろぉ? あいつらが居なきゃ、逃げられたかもしれねぇし――塩が強ぇな」


 隣を歩くホルトは、自分の顔ほども大きな干し肉を齧りつつ答えた。

 いぬの顔を持つ彼が肉を喰らう様は、いかにもらしい。それを言うなら、ほぼ全身が狗であるのに、直立しているのはどうかとなるけれども。

 二人は今宵の狩りを終え、棲み処へ帰るところだった。

 後ろには彼らの仲間たちが続く。同じように何かしら飲み食いする者や、馬や人の死体といった獲物を嬉しそうに引き摺る者も居る。


「どうせ人間なんざ、食ったってうまかねえんだ。逃げられても、どうってことはねえ」

「いくらお前の腕が、走る馬の首を圧し折れてもなぁ。それと積み荷と、一度に運ぶほどの本数はねぇだろ?」


 狙ったのは、二両で連れ立った馬車。御者の他に、護衛も人間ばかり四人居たが、全員を屠った。

 ネイルがいかに強くとも、六人が散り散りに逃げれば追うことは出来ない。そうならぬよう囲み、押し包んだのは仲間たちだ。

 場合によっては、それがとても重要と分かっている。しかしだからと、そのまま積み荷を貪り食っても良い理由にはならない。

 棲み処には獲物を分け与える仲間が、他にも待っているのだ。


「まぁまぁ、また俺から言っとくよ」


 海に向かう崖下に、洞窟が口を開いている。そこから地下を進み、岩山の内部にできた空洞へ彼らは棲む。海側は切り立った断崖。陸側は翼獣でもなければ行けまいという高い崖の中腹。

 洞窟と岩穴を繋げたのはネイルだが、それ以外はほとんど手を加えていない。天然の要害と言って良い場所だ。

 いつもの定位置。具合いのいい平たい岩に腰かける。


「分け前のない奴が居るとか、くだらねえ真似はしてくれるな。特に子どもらにはな」


 この島に多く居るのは、元々棲んでいた魔物。それに大陸から島流しに遭った、あるいは自ら逃げてきた悪人。

 それが何百年と続き、魔物が人間を襲って産まれた子も多くなった。だがそんな土地で、親のない子が育つなどほぼ不可能だ。

 だから、と言ってしまえば事実と異なる。しかしネイルとホルトは、そんな子たちを集めて育てていた。


「あぁ、いつものことだからなぁ。みんな分かってるって」


 何をしていたのか、すぐ後ろに居た筈のホルトが遅れてやって来た。声は届いていたようだが。

 二人は親が居ないで育った稀有な例だ。互いに親の顔も種族も知らない。

 ただし人間の二倍ほどもあるネイルの体躯と、硬い皮膚を思えば、鬼人オーガと人間の混血メックだろうと想像できた。

 豊かな狗の毛に覆われたホルトは、狗人コボルドの。

 なにかしようという時、おおまかな決断はネイル。細かな采配はホルト。そうした役割分担は、自然と決まっていた。子どもたちを育てようと言い出したのも、ホルトだ。

 いつからとははっきり思い出せないほど昔から、彼と二人で生きてきた。

 その男の腕が、さっと突き出される。


「――なんだ?」


 先ほどまで生きていた鳥の死骸が、その手にある。これも馬車の積み荷だ。

 島には珍しい、飼って増やされた食用の黒鳥。黒い羽根は鎧のように堅いが、肉はうまい。

 どうせ数奇にもこの島へ棲むことを選んだ、金持ちの人間が食う予定だったのだろう。


「お前の分だとさぁ」

「オレの?」


 ――そんなくだらねえ真似をするっていうと。

 察して、離れた岩陰に視線を向けた。

 たったそれだけでも、大きな目玉の動く様は周囲に威圧を与える。身を潜めていた様々な種の子どもたちが、怯えて逃げていった。


「そういうことか。余計なことをしてねえで、てめえの腹を膨らませろと言っとけ」

「あいよぉ」


 ホルトは手に黒鳥をぶら下げたまま、適当な岩に腰かけた。ここはネイルが私室のごとく使っている横穴だが、誰が来ても拒んだことはない。

 黒鳥をふんだくる。おそらくこの分け前を用意したのは、あの子らだろう。

 しかしネイルの大きな声。そこらの大木よりも太い腕に、誤って当たっても岩のほうが崩れる爪。気付かず近くに居合わせてしまった子などは、腰を抜かすのが常だ。自分たちの手で持ってきた試しはなかった。


「あいつらもコレも、大差ねえんだがな」


 独り言ちながら、黒鳥の両脚を握って喰らう。大雑把にではあったが、羽根はむしられて口触りがいい。

 だがそういうところがまた小賢しくもある。硬い頭骨を、林檎と変わらぬ感覚で噛み砕いた。


「そう言うな、強い奴に憧れんだよぉ。頼りにされんのも悪いことじゃねぇんだし」

 

 子どもたちを育てるのは、仲間の多いほうが有利だからだ。ある程度成長すれば戦闘の頭数になるし、今のままでも獣や果実を捕らえることは出来る。

 ネイルとて、純粋な鬼人やそれより強い力を持つ魔物に負けることはあり得る。同じく、数を頼んだ集団にも。


「あいつらが育ってくれなきゃ、俺たちだって困るんだ。その仲間とうまくやんのは、いいことだろぉ?」

「またその話か。しょせん誰も、一人なんだよ」


 大勢で居なければ、いつ滅ぼされるか分からない。だから事情が分かって言葉も通じる、混血の子どもたちを育てているのだ。

 だがいくら数を揃えても、争えば必ず幾人かは死ぬ。そこは個人の力量の問題で、他にあるとすれば運だけだ。

 ネイルも無敵の存在でない以上、そういう時に頼られても困る。自分のことは自分で面倒をみてもらわなければ。


「それはそうだけどよぉ、そうとばかりも言ってられねぇんだ。いま居る連中を大事にしなきゃ。あの仲間こそ、俺たちがこの島で生きる証じゃねぇか」


 ――死ぬのがホルトだったら、そりゃあ惜しいがな。

 例外としてそうは思うものの、それが現実となる可能性を否定はできない。

 その時には怒り、相手を粉砕するだろう。だがそれで生き返るわけでなく、仮にネイルが守ると決めたところで、やはり絶対はないのだ。

 最悪でもとにかく逃げるというのでいい、ホルトはホルトで生き抜くしかない。


「さっきも言ったが、自分の命の次だ。まず、てめえが生きなきゃ話にならねえ。ほかはその後なんだよ」


 ホルトが言うのは正しい。しかしネイルの言い分との兼ね合いだ。生き残るために人数は必要だが、自分の命を脅かす足枷となっては意味がない。


「……ハッ、ハッ」


 息を切らして、誰かがこちらへやってくる。


「どうやら無駄話は終わりらしい」


 しゃぶっていた黒鳥の脚を、ネイルは口の中へ放り込んだ。

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