シュリュズベリー精神城(3)
枯れたひまわりの司書が辿る道のりは複雑を極めた。
彼女は慣れた様子で何度も十字路を曲がり、階段を上ったり下りたりした。壁を歩き、天井を歩き、吹き抜けの渡り橋の裏側を歩いた。
ひまわり頭の足取りは軽く、ずいぶんと早足で歩くものだから、アリソンははぐれてしまわないように必死であとを追う。
アリソンたちの移動に合わせて、遠くに見える別の本棚や柱が位置を変え、新たな道筋を作った。
重たい音を立てて組み変わる構造物の様子は、
アリソンは、心底「ひまわり頭に声を掛けてよかった」と思った。
最初こそ道順を覚えておこうと努力していたけれど、彼女はものの五分でそれを放棄していた。
機序のあまりの複雑さにうんざりしたのはもちろんのこと、一見法則性を持った器械的なものに見えた神殿の胎動に、ごく僅かな恣意の介在が感じられたからだ。
それがひまわり女の意思にしろ、神殿そのものの意思にしろ、つまるところ、アリソンとフリントのふたりだけで引き返したところで、帰り道の保証はないということを意味する。
おそらく、夢の表層の森の中がそうであったように、案内人なしには辿り着けないようになっているのだ。
一方で、神殿の案内人たるひまわりの司書は上機嫌だった。大股で前を歩く彼女の背中からは、久方ぶりの来客に対する歓迎の空気が感じられた。
彼女は陽気で面倒見のいい人物らしかった。
アリソンが彼女に連れられて神殿の中を歩き回っているあいだ、幾人もの別のひまわり頭とすれ違った。
彼女は彼女らとすれ違うたびに挨拶をし、何事か冗談を言い、笑い合った。
それからアリソンを紹介して、「Ŝi estas utero.」と言った。
紹介された側のひまわり頭は、必ずと言っていいほど「Aii!」と答え(これはおそらく彼女たちの言語における感嘆詞だと思われた)、両手を上げるか、口元に手を当てるかした。
それからアリソンを上から下までじろじろと眺め回し、もう一度感嘆詞を口にした。
だいたい半数はそのまま二、三言い交わして作業に戻ったけれど、残りの半数は仕事をほっぽり出してアリソンたち一行に着いてきた。
歩を進めるたびにその人数は増え、最終的には知らない街の知らないお祭りのような様相を呈していた。あるいは、遠くから見れば、敬虔な巡礼の列にも見えたかもしれない。
ひまわり頭たちの陽気な騒々しさに若干の居心地の悪さを覚えながら、アリソンは声をひそめてフリントにささやいた。
「思ったよりもいい人たちみたいね」
フリントはドレスを静かに震わせて『ふむ……』と唸る。十秒くらいの沈黙ののち、『……必ずしも、人は見かけで判断できないってことだね』と言った。
なんだか月並みでうわの空の返答からは、疲労の匂いがする。アリソンは少し心配になって、「大丈夫?」と声をかけた。
『平気だよ』
答えるフリントの声は重苦しく、ちょうど霧吹きでまんべんなく水をかけたかのようにくぐもっていた。
羽根のように軽い煙のドレスからも、その重さが伝わってくる。
「ねえ、どこか具合が――」
『本当に大丈夫だから』
否定するフリントの語気は強く、アリソンはなんだか拒絶された気分になった。がっかりしたような、悲しいような、なんとも言えない気持ちだ。膚を覆うドレスの肌触りが「やってしまった」というふうに波打ったけれど、アリソンは気づくことができなかった。
それきりふたりは黙りこくって、ひまわりの人だかりにしずしずとついて行った。
長い長いお祭り騒ぎの巡礼が終わり、ひまわり頭たちが一斉に足を止めた。
正面には分厚い鉄で出来た両開きの大きな扉があった。
枯れたひまわりの司書たちは、アリソンの一歩後ろで立ち止まり、口々に「Aperire.」と言った。身振り手振りから察するに、扉を開けろと言っているようだった。
どうやら彼女たち自身が、扉に触れる事は叶わないらしい。彼女たちがこの場所にとらわれているのか、あるいは、閉じこもっているのか。それはアリソンには知る由もないことだ。
扉は入り口のそれとまるっきり見分けがつかず、もと来た場所に戻ってきたのかと錯覚しそうになったけれど、周囲の調度品の細かな違いから、そうではないことがかろうじてわかる。とはいえそれも、確たる証拠とは言えなかった。
柱や壁や本棚が自由に動いてかたちを変える迷宮において、調度品の細かな配置などはなんの道標にもなりはしないからだ。
結局のところ、アリソンたちにはひまわり頭を信じる以外の選択肢はなかった。
「彼女に声をかけたことが最良の選択ではなかったかもしれない」という不安が、アリソンの心にふと浮かんだけれど、かぶりを振ってすぐにその考えを打ち消した。
後知恵でどうこう言ったって何かが解決するわけではない。
あのとき、あの状況では、ああするしかなかったし、あの場面ではベストを選んだはずだ。アリソンはそう思い直し、一歩前に踏み出して、扉を見上げた。
のっぺりとした金属の扉はやはり入ってきた時と同じ顔をしていて、アリソンを歓迎も拒絶もしていない。ただ重々しくそこにあるだけだ。
アリソンは力いっぱい扉を押してみたけれど、分厚い鋼板はぴくりとも動かない。やはり入り口の扉と同じように、女の子ひとりの腕力では到底動かせるものではなく、アリソンにはフリントの力が必要だった。
アリソンはフリントに声をかけようとして、少しためらう。ふたりの間には長い時間気まずい沈黙が流れていたし、彼の疲労も気掛かりだった。大山羊との戦いから今までの間に、フリントの体調は坂を転がるように悪くなる一方だ。
出来ることなら彼を休ませて、自分ひとりでなんとかしたいとアリソンは思った。
『大丈夫。やろう、アリソン』とフリントは言う。
少年は煙の魔術師の写し身であると同時に、アリソンの無意識が作り出した化現だ。
彼女の沈黙の中身がなんなのかくらいは、手に取るようにわかる。
『心配してくれてありがとう』
「……心の中がわかるのも、考えものね」
アリソンはため息をつき、はなはだ不公平だと思った。フリントにはわたしの考えていることわかるのに、わたしにはフリントの心がわからない。
我が夢ながら、つくづく自分に都合の良くない夢だ。アリソンは自分の頭の固さに呆れながら、煙のドレスの袖を払う。
ドレスが霧散し、男の子の輪郭を形成した。煙の渦がフリントの身体をかたち作ると、ひまわりたちの中からどよめきが生まれた。
「……確かに、何もないところから急に男の子が出てきたら、びっくりするかも」
「ぼくとしては、彼女たちの見た目のほうが、よっぽど驚いたけどね……」
アリソンとフリントは顔を見合わせて肩をすくめ、それから鉄の扉をめいっぱいの力で押し開ける。蝶番が軋みを上げ、鉄扉がゆっくりと動く。
脂汗を額に浮かべ、荒い息を吐くフリントの後ろで、ざわめきは大きくなるばかりだった。
ひまわり頭たちは、何かに狼狽えたように囁き合う。彼女たちの顔の真ん中、発声器官である種子が擦れ合い、声を増幅してゆく。
無数の虫が翅を擦り合わせるような、不吉な音だった。
扉をゆっくりと押し開けながら「……様子が、おかしいぞ」とフリントが言う。アリソンも同意見だった。
背中を這い上がる得体の知れない焦りを感じながら、アリソンは扉を押す力を強める。なんだかわからないけれど、早くここを立ち去るべきだ。
「
ざわめきの中、よく通る声は、その場のひまわりの司書たち全員に聞こえたようだった。
「
神殿ごと震えるような、嫌悪の叫びだった。
ざわめきの全てが、この世のものとは思えない白熱した鉄のような絶叫に変わる。
ぐるぐると回る数十のひまわり頭が一斉に奇声を上げ、床を蹴り、狂ったようにこちらに走り込んでくる。腐って枯れたひまわりが、雪崩のようにフリントに襲いかかった。
「フリント!」
アリソンが悲鳴を上げるよりも早く、ひまわり頭のひとりがフリントの肩を掴み、乱暴に扉から引き剥がそうとした。
あるものは、手にしたペーパーナイフをフリントの背中に突き立てた。あるものは紙束でフリントの頭を殴りつけ、またあるものは体勢を崩して床に倒れ、それでもフリントの足首に爪を立てた。
フリントはたまらず叫び、それでも扉を押すのはやめなかった。
「アリソン! 逃げて!」
フリントの顔を引っ掴んだひまわり頭の指が、彼の白い肌に食い込む。
「わあああ! ああああ!」
叫びながら、アリソンはがむしゃらに杖を振り回す。術式を与えられていない
フリントの足首に掴みかかるひまわり頭を蹴り上げると、枯れた頭が首からぼきりと折れて転がった。
襲いかかる無数の腕を打ち払って、アリソンはフリントの肩を抱き、転がるように扉の隙間に滑り込む。
扉の中の真っ暗な闇。
アリソンとフリントは、這うようにしてその場から逃げ出した。
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