シュリュズベリー精神城(2)
扉を開けると、長い下り階段があった。
階段は、たっぷり太った大人十人が一列に並んで降りていけるくらいに広く、滑らかな表面をした見たこともない石で出来ていた。
煙も温度もない灯りに照らされたその階段室は、どう加工したのか、継ぎ目がどこにも見当たらない。天井も、壁も、床も、全てが同一の材質で出来ているらしかった。
アリソンとフリントは、注意深くゆっくりと階段を下りていく。
階段はきっかり七十段あった。
階段を降りきってしまうと、また両開きの扉があった。扉はなんの装飾もない鋼板で出来ていて、ひどく無愛想だった。
罠がないか注意深く観察したあと、扉を開く。分厚い鋼板で出来た扉はとても重く、二人がかりで力いっぱい押してようやく開くことの出来るものだった。
鉄扉の向こう側には、書庫とも神殿ともつかない広大な空間が広がっていた。
優美な大理石で出来た円柱がそこかしこに立ち、その隙間を埋めるように巨大な本棚があった。本棚のひとつひとつは、アリソンの身長の五倍くらいの高さを持っていた。
三面三体の魔女像を模した篝火が至る所に配置され、室内を暖かく照らす。
そしてそのすべてが完全に重力を無視して配置されていた。
空間には、上下の概念は無いようだった。
自分が今立っている場所が、床なのか天井なのかわからない。
整理整頓された無秩序の神殿を、何人もの司書が忙しそうに行き来していている。全て女性で、古風なロングスカートのお仕着せを身につけていた。
彼女たちの主な仕事は、蔵書の管理と、何かを記録することらしかった。
ある者ははたきで本棚の掃除をし、ある者は荷車で大量の本を運搬していた。長机に座り、石板や陶片から、本に何かを書き写している者もいた。
労働に励む彼女たちには、一様に頭部がなかった。彼女たちの肩の上には、頭の代わりに、枯れて腐った人間の頭部大のひまわりが乗っかっていた。
神殿には窓はひとつもなかったけれど、その外では昼と夜が高速で入れ替わっていることがアリソンには理解できる。
彼女たちの頭が、ぴったり同期してゆらゆらぐるぐると回っていたからだ。
「アリソン」と、フリントが油断なく彼女に声をかける。「わかってる」とアリソンが答え、半透明のドレスを身に纏う。
フリント少年が姿を変えた煙は、この夢の冒険のあいだ彼女の身を守ってきた、灰紫の
杖帯から杖を抜き放ち、目の高さに構えて、アリソンは注意深く歩を進めることにした。
ひまわり頭たちが害のある存在かどうかわからない以上、彼女たちには極力見つかるべきではない。そう判断したアリソンはしゃがみ込み、物陰のあいだを、薄べったい影のようにするすると移動した。
物音を立てないように移動しながら、アリソンはちょっと途方に暮れていた。
この多次元的な大迷宮のどこをどう進めば、マリオン・ウェインライトにたどり着けるのだろう。
そもそも、アリソンは――というか、おそらく存命中のこの世の全ての人が――マリオンの顔貌を知らないのだ。なんの手がかりも無しで、どうやって探せというのだろうか。
可能性だけで言えば、ひまわり頭のうちのどれかひとりがマリオンだということだってあり得るのだ。
それでも、動き回っていれば何かヒントが得られるかもしれない。少なくとも、まごついて立ち止まっているよりはましだろう。
アリソンはそう考えて、探索を続けようとした。
「Ĉu mi povas adiuvare vin?」
不意に背後からかけられた声に驚いて、アリソンは飛び上がりそうになった。
素早く後ろに振り向いて、杖を構える。
背後にはひまわり頭の司書が佇んでいた。紙束を小脇に抱えて、怪訝そうにしている。
「Adiuvare vin?」と、ひまわり頭がもう一度たずねる。アリソンが問いかけに答えないのを、声が聞き取れなかったと考えたらしかった。
豆がたくさん入った箱を振るような、奇妙な声だった。
アリソンは問いかけに沈黙を保ったまま、高速で思考を巡らせた。何も考えずに目の前の異形を撃ち抜くことも出来たけれど、それは最悪の結果を招くだろう。
〝矢〟の放つ光と音は、この静かな神殿では騒々しすぎる。無数にいる他のひまわり頭に袋叩きにされることを考えると、それは最後の手段に取っておくしかない。
幸いにも相手は問答無用で襲いかかってくる気はないらしく、こちらに何かを問いかけている。警戒だけは怠らず、様子を見るべきだ。
黙ったままのアリソンを、ひまわり頭はしげしげと眺めた。少なくとも、アリソンはそう思った。枯れたひまわりの頭は相変わらずぐるぐる回り続けていたし、目も口も鼻もなかったけれど、身体の動きからそう結論づけた。
「Ĉu vi estas bene?」
ひまわり頭が声を発するたびに、頭の中央にびっしりと埋まった種が振動する。しゃかしゃかとした声の独特さは、この発声方法から来るものだろう。
ひまわり頭の言葉は、とても古いものだと思われた。魔女が術式を構築する際に使う〝ちからの言語〟によく似ている。
ところどころの単語は理解できるものの、会話を成り立たせるほどの知識はアリソンにはまだ無かった。
ひまわり頭にはどうやら害意はなさそうで、どちらかといえばアリソンのことを心配しているような雰囲気があった。
身を隠すために姿勢を低くしていたのが、うずくまっているように見えたのかもしれない。
『ねえ、アリソン』と、フリントが声をひそめて言った。『どうにか意思の疎通ができないかな』
それはある意味で賭けと言えたけれど、この手詰まりに近い状態では、アリソンとしてもそれ以上の名案は考えつかなかった。
少なくとも、すでにひまわり頭に見つかってしまっている以上、逃げ出すのは得策ではない。
アリソンは覚悟を決めて、ひまわり頭に話しかけてみることにした。
もちろん、杖は杖帯に収めなかった。一見、害はなさそうだけれど油断するわけにはいかない。
「あのう、こんにちは。お仕事中に申し訳ないのだけれど、マリオン・ウェインライトという人をご存知ないですか?」
アリソンの言葉は大方の予想通り、ひまわり頭の司書には通じていないようだった。
アリソンは身振り手振りを交えながら、どうにかして会話を成立させようとする。
「マリオン、ウェイン、ライト。
「Aiiii......」
司書は腕を組み、首をひねった(と、アリソンは判断した)。
アリソンにはその動作が、異国の言葉をなんとかして理解しようとしているふうに見えた。
頭が延々と回り続けていること以外、彼女の佇まいは格別異常なところもなく、ごく普通の――どちらかと言えば親切な部類の――、人間のようだった。
ひまわり頭はアリソンの様子を注意深く観察する。顎に手を当て、しばらく上から下まで眺め回した。それから、はたと気づいたように声を上げた。
「IA! Utero, utero!」
思いがけない喜びに出会ったような声音だった。それからひまわり頭は、得心がいったとでも言うように言葉を続けた。
「Hazarde... Kiam vi diras
「
忍耐強いコミュニケーションが実を結んだことに、アリソンはちょっと感激していた。
アリソンもフリントも、だめで元々のつもりだったから、このことは思いがけない奇貨だった。
「Tiel ĉi.」とひまわり頭が言い、すたすたと歩き出す。二、三歩行ったところでこちらを振り返り、アリソンに手招きをした。
「Sekvu min.」
『ついて来いって言っているみたいだ』
フリントの言葉にアリソンはうなずき、杖を納め、ひまわり頭のあとを小走りでついていった。
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