これが恋というものですか

真名瀬こゆ

純愛という言葉を知っているか

「よ、良樹よしきくん。わ、私の告白、茶化さないと聞けないくらい、酷かった……?」

「は? 茶化したつもりないんだけど」


 え、泣いた。

 何をそんなに泣くことがあるんだ。

 涙を拭いてあげようと思って手を伸ばしたのに、弱々しい力で叩き落とされた。そんなことされたら、もう彼女に触れることはできない。


 どうしよう。

 彼女の大きな目からぼろぼろと零れる涙は止まる気配がない。

 その泣き顔を見ているともっと泣かせてしまいたくなる。もっと駄目になって、俺に縋って欲しい。

 お前を慰められるのは俺だけだよ。

 よこしまな考えが頭を支配する。口に出したりはしない。それくらいの分別は俺にだってある。


 俺の頭は彼女の気持ちなんて全く考えていなくて、ただただ目の前の状況を見ているだけだった。その行動が更に彼女の心を抉ったのか、俺の希望通りに一層辛そうに顔を歪めた彼女は走っていなくなってしまった。

 もう少し、その顔を見ていたかったのに。

 いやいや、違う。そうじゃない。そうじゃないだろ。





 公園に置き去りにされた俺はその足でハンバーガーショップに向かい、解散したばっかりの仲間たちを呼び出した。


「事件が起きた。いや、起きている」


 俺たちの関係は仲間である。

 幼馴染でもなければ、同じ学校のクラスメイトでもない。年齢は俺の方が三つ上だし、住んでる地区も違う。俺と彼女を繋ぐ共通点はないと言ってもいい。

 それでも、仲間だ。

 友達といえばそうなんだけど、それよりももっと深い関係。

 一緒につるんで、飯食ってだべったり、馬鹿な事したり、新地開拓にうろついたり、ちょっと悪い冒険しちゃったり。


 いつも俺を含めて四人でつるんでる。

 一人が俺に告白してきた女、しずく。もう二人が四人掛けの席、俺の対面でぎゅうぎゅうに詰まっている男ども。筋肉隆々でおっさんみたいな見た目のたっちゃん、女みたいに細身の癖に俺らの中で腕相撲が一番強い茶々ちゃちゃ

 俺が事件のあらましを語ると、二人とも憤怒の形相で阿吽像になった。ここはハンバーガー食う店じゃなかったか。完全に説教部屋。

 

「良樹さあ、もうちょっとなんとかできなかったわけ?」


 茶々はふうと恋愛百戦錬磨のスナックのママみたいにため息をついた。手に持っているフライドポテトが煙草に見えてくる。


「んだよ」

「お前は本当に馬鹿ってこと」

「そーだ、このゲスヤロー! なんでオメェばっかモテるんだよ!!」

「たっちゃんだって熟女にはモテるじゃん」


 責められたいわけじゃない。俺はどうすれば良かったのかを知りたいのだ。

 なんで雫は泣いたの。なんで俺の手を払ったの。


「良樹は雫のこと好きなんだと思ってた」

「好きだけど」

「ベタな返ししなくていいから。仲間じゃなくて、女の子として好きってことだよ」


 そんなわけあるか。





 告白をされた日。

 もじもじ、そわそわ。確かに雫はちょっと変だったかもしれない。

 いつも通り四人で遊んでその帰り道。雫は女の子だから危ないって、男どもで順番に彼女を送っていってた。その日は俺の当番で、二人で歩いてて、公園に寄っていきたいって言うからOKした。


「良樹君、わ、私ね――」

「んー?」

「良樹君のこと好きだよ」


 今、思い返すと、多分、雫の言葉がショックだった。

 俺の中では恋人と仲間なら、確実に仲間の方が貴重で尊い存在で、優先すべきもの。雫は女だったけど、俺の中では恋愛対象の枠には入っていなかった。だって、もっと大事だったから。


「は? お前、俺とどうこうなりたかったの?」

「――え?」


 思わず、心の声が飛び出した。


「他の女みたいに? 手ぇ繋いで、キスして、エッチして。そんなこと俺としたかったの?」


 そんな馬鹿な。

 そんなのいなくなっても構わないような、どうでもいい男としろよ。俺とすることはもっと俺じゃなきゃダメなことだろ。


「あ、分かった。男紹介して欲しいんだろ? それなら回りくどい言い方しねぇでそう言えよなぁ」


 はい、これで冒頭に戻る。





 雫に告白された日から、雫は俺たちの前に顔を見せなくなった。いや、正確に言えば”俺たちの前”ではなく”俺の前”にである。茶々とたっちゃんは会ってるみたいだ。なんでよ。


 三日経って、俺がキレた。

 街中で「なんで俺だけのけ者にするわけ!」と叫んだら、二人は冷たい目で俺を見て「自業自得」と声を揃えた。マジで意味分からん。それで俺はさらにへそを曲げた。


 俺が二人相手にぎゃーぎゃーしていたら、女が縋りついてきて「良樹じゃん! 喧嘩する暇あるならあたしと遊びに行こ!」と笑いかけてきた。知ってる顔。何回か遊んだ子。名前は忘れた。

 イライラしていた俺は二人にべっと舌を出して、女の子と一緒に背を向けた。仲間外れにする奴らとは遊んでやんねー。


「どこ行く?」

「どこでもいいや」


 きらきらの瞼、ばさばさのまつ毛、ぷるぷるの唇、ぴかぴかのネイル。女の子って感じ。可愛い。

 雫とは違う。あの子はこういう風に着飾ったりしない。化粧っけもなくて、とにかく地味だ。いつも制服だし、それも改造とは無縁で校則の通りの着こなし。いや、校則の内容なんて知らないけど。


「カラオケは?」

「うーん」

「なんか元気ないね」

「そんなことないけど」

「えー、でも、最近付き合い悪くなぁい?」


 ぷくりと頬を膨らまし、ぱっと口を開いて空気を吐き出すと、楽しそうにくすくすって笑う。

 可愛い。媚びた態度、女に嫌われる女って感じはするけど、俺としては可愛いなら何でもいい。性格良くて友達が多くて俺のこと大勢のうちの一人みたいにされるより、ちょっとくらい性格悪くても俺のこと特別の一人にしてくれる女が良いに決まってる。


 そういう意味では雫はすごい。ひねくれの茶々も認めるくらい良い子だし、俺のことを特別の一人にしてくれるのだから。

 あーあ、雫に会いたい。

 三日も会わないのなんていつぶりだろう。会ってない間、最後に見た泣き顔ばっかりが頭に浮かぶ。いい加減上書きしたい。


 俺の手を引き、ああでもないこうでもないと言う女の子の後ろ姿はふわふわしてた。この子、髪型だけなら雫に似てるな。

 もし、もしも、雫と付き合ったりしたら――、やめやめ、恋人なんて仲間以下じゃん。雫はもっと大事。


「じゃ、ホテル行こ」


 そう言って足を止めた先には七色に光るラブホテル。最初からその気だったじゃんか。

 カラオケに行くよりはいいかと思って、俺は悪戯っ子みたいに笑う女の子に連れられて中に入った。後ろから見たら、俺と雫が連れ立っているように見えるだろうか。





 びっくりした。びっくりした。びっくりした。

 エッチしてこんなに気持ちよかったことない。好きな子とエッチするってこういうことなの? 嘘じゃん。大発見。

 ホテルを出て、彼女と別れて、俺は大興奮のまま雫に電話をかけていた。コール音が繰り返されるたびに焦らされている気になる。

 

「雫、今から会える? いや会えなくてもすぐ来て!」


 あっちの返事は聞かずに通話を切って位置情報を送り付けた。

 雫が来たのは三十分過ぎたくらいだ。急いできてくれたんだろう、肩で息をしてた。いつも通り真面目な制服の着こなし、化粧をしていないのにくりくりしたリスみたいな目。

 顔見るの、久しぶりだな。


「お、お待たせ」

「雫。俺、雫のこと好きかも」

「え――」


 最初は大きく口を開けて唖然としていたけど、すぐに顔を真っ赤にして「えっと、あの――」と口をもごもごさせた。さっきの子みたいのも可愛いけど、こういう女の子も可愛いな。清楚女子。外見も中身も清楚なのは、俺の周りには雫しかいないけど。


「だから、やらせて?」


 ビンタされた。





 デジャヴ。

 俺はまた行きつけの説教部屋で、化け物のように目を吊り上げた二人に睨まれていた。今回は呼び出した側ではなく、呼び出された側である。俺に一発かました雫がいなくなった後、すぐに電話がかかってきたのだ。


「思いっきりビンタされた」


 叩かれた頬を擦ると、二人は人間やめて鬼に転身したのかってくらい険しい顔で「被害者面すんな」と声を荒げた。してねーわ。


「良樹って、彼女は絶えないけど、決して恋愛上手ではないよねぇ」

「あァ?」

「俺だってその状況はビンタするぜ」

「誰がお前みたいな筋肉だるま押し倒すかよ」


 やはり雫から聞いているらしい。

 なんだよ、また俺が悪いのかよ。雫に告白されてからずっとこんなだ。やっぱり恋愛なんていいことねぇのかな。でもなあ。


「で? なんで抱かせてなんて言ったの?」

「俺、雫のこと好きかもと思って」


 二人はぎゃんと目を見開いたかと思えば、うるうると目を潤ませた。双子か。鬼は廃業らしい。それで、それでと続きをせがまれたので、俺はふふんと鼻を鳴らした。世紀の大発見の発表だ。


 二人と喧嘩した後、あの女の子とホテルに行ったこと。

 髪型が雫に似てたから、雫だと思って抱いたこと。

 それがびっくりするくらい気持ちよかったこと。

 もしかして好きな子としたらそうなのかもと思ったこと。

 確認せずにはいられなくて雫を呼び出したこと。


 そこまで話すと、茶々は忌々しげに舌打ちし、たっちゃんは目頭を押さえた。最初は乗り気でちょっと嬉しそうにしてくれたのに。いつの間にか曇り顔になっている。


「で、やらせてって言っ――痛ぇ! んだよ!」


 茶々に頭を叩かれた。俺の仲間は本当に手癖が悪い。


「雫はなんで良樹なんか好きになったんだろうね」

「オメェ、ほんと女関係ポンコツだな」

「はあ?」

「あのさあ。それ、雫にやられたらどう思うわけさ」


 雫が?

 行きずりの男とホテルに行って、好きな奴――ここに当てはまるのは俺なわけだが――に抱かれたつもりになって、ひらめき大発見して、好きな奴に抱いてもらうために呼び出すって?

 あの雫が?


「雫がそんなことするわけないだろ」


 しんと沈黙がテーブルを支配する。こういうの幽霊が通ったって言うんだっけ。


「そうじゃねェだろ良樹ィ!!」

「うわ何、急におっきい声だすなよ、びっくりした」

「お前には想像力ってもんがねぇのか! 人の気持ちが分かんねぇのか!」

「少なくともたっちゃんが今泣いてる意味は分かんない」


 たっちゃんはおいおいと泣きながら、わけの分からない言葉を発し始めた。嗚咽なのか、罵声なのか。とにかくハンバーガーショップで泣き喚く姿はSNSにでも投稿されてしまいそうなインパクトがある。


「たっちゃん、良樹にはそれじゃ伝わらないよ」


 茶々はたっちゃんの背中を叩いた。慰めにしては力加減が効いていない。俺の頭を叩いた時もそうだけど、見た目は細くてもゴリラなんだからもっと気をつけろよゴリラ。


「告白も茶化され、挙句には抱かせろと強要され――」

「茶化してねーし、強要してねーし」

「さすがに雫だって良樹のこと嫌いになっちゃったんじゃない」


 俺のことを? 嫌いに?


「それは困る」

「なんで? 仲間だから? 男としては嫌われても、仲間としてはいつも通りに戻れるんじゃない? 雫、優しいし」


 そうだ。ちゃんと説明すれば、きっと雫だって分かってくれる。俺は恋人よりも仲間を大事にしてて、雫はそのうちの一人だって。

 俺は雫に俺にしかできないことをしてやりたいんだ。泣いてたら傍にいてやりたいし、困ってたら助けてやりたい。

 そしたら、雫だって俺と恋人になろうなんて気はなくすはず。

 茶々とたっちゃんに自分が思っていることを説明したら、二人は憐れむように顔を歪めた。


「良樹、お前の言う好きって何なんだ?」

「良樹、恋したことないんじゃないの?」





 俺の雫への想いは仲間の特別じゃない?

 たっちゃんと茶々に言われた言葉がずっと頭の中を巡ってる。

 答えが知りたくて、少女漫画を読んでみたり、女の子たちに話を聞いてみたりして。漫画に出てくるヒロインよりは雫の方が可愛くて良い子だし、女の子たちは俺の言う恋の相手が自分じゃないと分かると舌打ちをして去っていった。


 結論、俺は雫を好きらしい。

 認めてしまえば、すとんと落ちるものでもあった。それから、自分の行いがとんでもない非道だと後悔した。雫の想いを俺の価値観で貶めたり、他の男を紹介しようとしたり。そりゃビンタもされるし、説教もされるや。


 雫とどうにかなりたいのはさておき、とにかく、あの子を傷つけた事には変わりないので謝りに来た。電話はでてくれないから、帰り道を待ち伏せ。

 雫に告白された公園。

 あの日、泣いていた雫を慰めたかった。でも、もし、雫に恋人が出来たら、それは恋人の仕事なのだろうか。くそ、土下座でもなんでもするから俺にやらせてくれ。

 あーあ、あの日に戻れないかな。


「いや、振られちゃった、から……」

「え!? そうなの!?」


 雫――、と雫と同じ制服を着た男。誰だよ。


「うん。でも、恋人にはなれないけど、友達ではいられるから」

「そんなの不毛じゃない?」

「あはは、そうだね。でも――」

「俺にしたら?」


 無理、絶対無理。

 何あの男、雫は俺のなのに。他の男に取られるなんて絶対に嫌。あの日の雫や仲間たちに言わせれば、俺の言い分はわがまま極まりないだろうけど、そんなの知らん。

 俺の足は勝手に二人に向かって歩き始めていた。


「ごめん。私、その人のことまだ好きなの」


 あー、もう、好き、好き。雫、好き。


「雫」


 乱入した俺を見て、雫と横恋慕男は目を丸くした。おうおう、俺が雫の好きな男だぞ。


「良樹君!? なんで――」

「どーも、あとは俺が送ってくから」


 雫の手を引いて、公園の奥に向かう。握った手が解かれなくて一安心。手汗かいてきた。べたべたしてねえかな。

 やばい。どくどくいってる。雫が取られるかと思ったら心臓潰れた。口から血吐きそう。


「あのさ、雫」

「は、はい」


 雫、こんなに可愛かったっけ。

 あの女の子と全然違うじゃん。よくあの子のこと雫だと思えたな、俺。地味で清楚で優しい女の子。俺の好きな女の子。


「酷いこといっぱい言ってごめん。告白、茶化したんじゃねーから。俺は恋人より仲間が大事なんだ」


 絶望の顔だった。

 また振られるのか、と顔に書いてある。


「も、いいよ。何回も言われなくても。分かってるから」

「ちゃんと最後まで聞けよ」

「……」

「でも、違った。お前の隣は俺じゃないと嫌。俺にしかできないことも、俺以外でもできることも、全部俺にさせて欲しい」


 俺は雫とどうこうなりたい。

 あんなことを言っておいて、虫のいい話なのは分かってる。けど、気づいちゃったら止まれない。

 雫はじっと俺の顔を見てた。じわじわと色付いてく頬。期待してる目がきらきらしてる。可愛いなあ。


「好き、私、良樹君のこと大好き」

「あ。おう」

「良樹君は?」


 待っている。俺からの返事を。


「――」


 口を開けても声が出ない。何これ、顔熱い。心の中でなら簡単に言えるのに。あの日、この子はどれだけの勇気を振り絞って俺に好きと伝えてくれたんだろうか。どれだけ傷つけてしまったんだろうか。

 好きだよ、雫。


「ふふ」

「んだよ」

「お返事、五分だけ待ってあげる」


 照れた笑顔にきゅんと来た。俺はもう駄目かもしれない。雫が可愛すぎる。

 そうですか、これが恋というものですか。

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これが恋というものですか 真名瀬こゆ @Quet2alc0atlus

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