6
夜空に無数の閃光をバラ撒きながら、崩壊した文明の上を、一機の竜が翔け抜ける。何かに急き立てられるように。何かに追われているかのように。
その竜の内側で脳の役割を果たす黄泉寺と絖瀬は、前方に黒い球体を捉えた。ポポポ市に通じるポポポメカ駐機場兼エレベーターである。
黄泉寺は舌先で唇を舐め、全天モニターの下方を見つめた。沼地に林立する崩れたビルの間を何頭もの竜が闊歩していた。AIによる自律警戒だ。
竜が黄泉寺たちの駆るポポポメカ二号に気づき、首をもたげた。
「絖瀬さん! 今度は下だ!」
「ひ、ひぇ!」
咄嗟に叫ぶ黄泉寺に、絖瀬は腰砕けた声で応じた。彼女の網膜に映るレフトヘミスィアシートのモニターは前後が逆転しており、背後に伸ばしたポポポメカ二号のヘッドカメラ映像が映し出されていた。いまだ何発も火球が飛んでくる。少しは追手も減らせたようだが、黄泉寺のように上手くは当てられない。そのうえで足元の対応まで求められても、
「む、無理ッス! 脳がパンクしちゃうッスよぉ!」
「ンなこと言ったってこっちは手一杯なんだよ!」
「あ、アポカリプサーさぁん! 何とかして欲しいッスぅぅぅぅ!」
『はい』
絖瀬の情けない涙声に、アポカリプサーはどこか懐かしそうに言った。
『音響浸透による自律型ポポポメカのアナログハッキングを開始します。三頭委員はロアリングの準備をしてください』
音響浸透? アナログハッキング?
と、黄泉寺が首を傾げている内に、
「――は、はいッスぅ!」
絖瀬がロアリングスイッチに指をかけた。
また、画面にノイズが走った。今度は長く、激しかった。
下方でこちらを見上げていた竜たちが、視線をポポポ委員たちへ滑らせた。そして、
一斉に飛び立った。
「ひ、ひぇ……?」
「……乗っ取った?」
困惑する黄泉寺と絖瀬をヨソに、
『ポポポ市に到着しました。お疲れ様でした、黄泉寺委員』
と、アポカリプサーがナビゲーションの終了を告げた。
「え――と……と、とりあえず、エレベーターに下ろすね?」
「は、はいぃぃぃぃ……」
絖瀬の了承ともため息ともつかない声に少々心配しながら、黄泉寺はポポポメカ二号をエレベーターへと駐機した。
首を後ろに振ると、夜空に無数の花火があがっていた。
アポカリプサーの操る自律型ポポポメカと、ポポポ委員が戦闘しているのだ。
「……なんか、綺麗だな……」
音がないからか、緊張が抜けたからなのか、不思議とそんな言葉が口から溢れた。
カチン、と横から音がした。見れば、ツナギの上をはだけた、絖瀬がVAPEを口に咥えていた。ぐぅ、と煙を口に含んで、細く、長く、煙を吐いた。
「……コクピット内は禁煙、とか言っていい?」
「……今そんなこと言われたら、自分、泣いちゃうッスよ?」
絖瀬はおどけるようにそう言って、さらに続けた。
「これで最後ッスから、許して欲しいッスよ。そしたら、あの盗撮写真も許してあげまス」
「……盗撮ってそんな……じゃあまぁ、許可しようじゃないか」
言って、黄泉寺は大げさにカクンとうなだれた。
二人はどちらともなく笑いあった。冗談だらけのやりとりが可笑しくて、可笑しくて、後から後から笑えてきた。
ひとしきり笑った黄泉寺は息を整えながら絖瀬に訊ねた。
「なんか、他にやり残したことある?」
絖瀬はシートベルトを外してあぐらをかき、空に向かって甘い匂いのする煙を吐いた。
「……そうっすねぇ……あ、一個あったッス」
「何? 俺にできることなら何でもするよ……あとどれくらい時間あるのかしらないけど」
黄泉寺はシートベルトを外して絖瀬の方へ手を伸ばし、VAPEを借り受けた。久しぶりに吸った煙はやっぱり甘く、少しだけ苦かった。
むせそうになるのをこらえながらVAPEを返すと、絖瀬が腰の後ろから本を出した。
「――これ、読み終わんなかったッス」
カミュの『異邦人』だった。
「……いま読んじゃえば? ……っていうか、読んだことあるんじゃないの?」
「読んだことはあるんスけど、いま読むとちょっと印象が違うッスね。自分、最後のシーンをよく覚えてるッスよ」
「えーと……『太陽が』……」
「――じゃないッス」
絖瀬はくすくすと笑いながら本を開き、黄泉寺の方に身を乗り出した。小さなページを細かな文字が埋め尽くしていた。
「なんで覚えてるのか不思議だったんスけど、まだそこまでいってないのに、分かるッス」
「……へぇ? なんで?」
と、相づちを打ちながら黄泉寺は絖瀬の方に目を向けた。少し悲しげな表情にドキリと胸が高鳴った。慌てて視線を外そうとしたら、絖瀬の、大きく膨らんだ胸の谷間に目がいった。
「主人公のムルソーさん、ずーっと冷静なまんまなんでス。色んな、けっこう大変なことになってるのに、ずーっと、つまんねーって感じなんス」
「……なにそれ? そんなだっけ?」
言いつつ、黄泉寺は勇気を奮い立たせて撓垂れ掛かかってくる絖瀬の肩に手を回し、気持ち首を突き出した。もう少しだった。
「なんっていうか、他人事ーって感じで……でも、ムルソーさんは最後の最後でめちゃくちゃ怒るッスよ。ずーっと黙ってたことを全部ぶちまけて、なんかスッキリしちゃったりして……初めて読んだ頃は自分も悶々としてたんで、それできっとよく覚えてるッスよ」
「……へぇ」
半ば上の空で返事をしつつ、黄泉寺はもう少しだけ首を前に伸ばそうとした。瞬間、
ふいに絖瀬がこちらを向いた。
「……黄泉寺さん、結構ムッツリッスね」
「…………はいぃ?」
黄泉寺は眉を目一杯寄せて顔を上げた。吹けない口笛を必死こいて吹こうとした。絖瀬が悪戯っぽい目をして、猫のような笑みを浮かべていた。
「……触ってみます?」
はい。石火の如き素早さでそう答えそうになった。
危ういところで口を結び、黄泉寺は精一杯の自制心を働かせて言った。
「――違うし。俺、そんなスケベでもないしムッツリでもないし」
あからさまにすぎる嘘だった。目線は勝手に下に向かった。言われなければ気が付かずに済んだし、こんなタイミングで目を惹かれることもなかっただろうに。
どうして、こうなってしまったのか。
黄泉寺は開き直って柔らかそうな北半球を見ながら言った。
「俺が撮りたかったのは、素の絖瀬さんの写真なの。いいなって思ったものを撮るのが俺の流儀なの。別に下心があったわけじゃないし、いまだってないよ」
「怪しいッスねぇ……あんな写真撮ってたしぃ、いまだって……」
「ち、違うし!」
黄泉寺は気合と根性で顔をあげようとした。
――のだが。
「黄泉寺さんなら、いいっスよ?」
「――は?」
は?
一瞬、黄泉寺は完全に思考を停めた。
再起動をかけはじめる黄泉寺に、絖瀬はさらに畳み掛ける。
「なんっていうか……昔はからかわれてたッスけど、誰にも触られないまんま死んじゃうのも癪だなぁって思うッスよ!」
「な、なるほど?」
「これも何かの縁でスし、まぁいいかなーって。パートナーでスし! それにほら! いま一緒にいる男の人って黄泉寺さんしかいないでスし!」
「そ、そうだね?」
「触られてみたい自分と! 触ってみたい黄泉寺さんで! うぃんうぃんってやつじゃないかと思うッスよ!」
と熱弁をふるってみせる絖瀬だが、顔を見たら死んでしまうとばかりに思いっきりそっぽを向いていた。
黄泉寺は黄泉寺で、今際の際に春到来かー、と感慨を抱きながら、それでもなお躊躇しようとする自分と本能に従おうとする自分とを戦わせていた。
そもそもAIが相性いい人を選んだだけだから錯覚みたいなものでは? という冷静さのなかに、ここまで言ってもらったのに笑って済ませるなんてできんの? という蛮勇と男気を混同する下心とスケベ心と色々なものが混ざりあい、
腕のなかに収まる『いいな』と思ったその人に触れてみたくなった。
「……マジで触っていいの?」
だから黄泉寺は素朴に確認をとった。
湯気が出そうなほど上気していた絖瀬は、
「自分、もいっかい聞かれたら拒否するッス。ウス」
と、ムードもへったくれもないような、けれど、だからこそ愛おしくなる言葉で返した。
黄泉寺は絖瀬を驚かせないようにと静かに腕を持ち上げ、手の平を胸に近づけた。数ミリの空間を挟んでいても、火傷しそうな熱を感じた。
「……絖瀬さん」
何か喋らなければ平静でいられそうになかった。絖瀬はぐっと背中を黄泉寺に押しつけ、汗でしっとりとした頬を首筋に擦り寄せた。
「……絖瀬、だけででいいッスよ」
消え入るような甘い囁きに、黄泉寺は肩を強く引き寄せた。
「絖瀬……さんで。恥ずいから」
「…………」
顔のすぐ横で、絖瀬が幽かに頷いた。
世界が終末を迎える寸前に、黄泉寺は絖瀬の胸に手を這わせた。
「……んっ」
唇から吐息を」漏らし、絖瀬が躰を強張らせた。黄泉寺はそれに気づけるほど冷静ではいられなかった、柔らかな双丘に指を沈ませ。形を確かめるように撫でさすり、その重みを感じながら少しずつ指に動かした。汗ばんだ手の平に、絖瀬の鼓動を感じた。
コクピットの内側で、二人の熱っぽい吐息が混じり合う。
「あっ」
と、絖瀬の口から潤んだ声が零れた。まさか自分がそんな声を出すとは思っていなかったのか、絖瀬は自らの手で口を塞いだ。
その手首を優しく掴んで、黄泉寺は震える唇を見つめた。
二人はどちらともなく目を瞑り、顔を寄せ始めた。息がかかる距離。鼻先が触れ合う。無意識の内に手を繋ぎ、互いに指を絡ませた。そして、そっと唇を――、
一瞬を求めあう二人を嘲笑うかのように、コンソールがけたたましい警報を鳴らし始めた。
聞き間違えるはずもない。
イコライザーミサイルの発射を告げる、終末のラッパだ。
黄泉寺と絖瀬はいまにも唇が触れ合いそうな距離を保ったまま、目だけをモニター正面に向けた。仰々しい赤色灯が規則的に明滅していた。
ああ、世界が終わるのだ。
まぁまぁ、よい終末だったと思う。
二人は感傷に浸りながら唇を重ね――ようとした瞬間だった。
シュカン!
と、空から落ちてきた《それ》がエレベータープレートを貫通していった。《それ》を目撃した二人はキスする寸前で固まった。一旦は再開しようとしたが、我が目を疑い二度見した。
「は?」「えっ?」
二人同時に、間抜けな声を出していた。
そう。空から降ってきた直径三メートルの銀色の杭――イコライザーミサイルは、見事に黄泉寺たちの乗るポポポメカ二号を外し、質量の割にはぺらっぺらだったエレベータープレートを貫通して、五百メートル下のポポポ市まで落ちていったのである。
ゴミ箱めがけて投げた空き缶が、ゴミ箱に刺さってしまったような気分だった。
喜んでいいのか。
喜ぶにしても何を喜べばいいのか。
わずかに、大地が振動した気がした。黄泉寺は顔をあげ、先程まで命がけっぽい花火大会が繰り広げられていた夜空を見上げた。
コントロールを失ったらしい数多の竜が、錐揉み回転しながら地表に落ち始めていた。
「……あの、黄泉寺さん」
先に再起動したのは絖瀬だった。自らの胸を鷲掴む黄泉寺の手の甲を撫でた。
「一旦、離してもらっていいッスか……?」
「――あ、はい」
黄泉寺は素直に従った。従う以外の選択肢はなかった。
コクピット内になんとも気まずい沈黙が舞い降りた。二人とも、何を言えばいいのかわかるはずもなく、目を合わせようとすらしなかった。
先に動いたのは、やはり絖瀬だった。ポケットからVAPEを取り出し一服。
「……自分、黄泉寺さんが結構がっつり揉むんでびっくりしたッス」
「――え、そっち!?」
「やー……たはははは」と照れ笑いしながら、絖瀬はツナギを着始めた。「いやー……お見苦しいものならぬ、揉み苦しいものを、なんて……」
「や、気持ちよかったけど」
色々と動揺していたのもあって、黄泉寺は秒の間もなく感想ならぬ失言を述べた。
「いや違くて! もうちょっと、じゃなくて! えーとなんだ!?」
否定しようとは試みた。できたかどうかは別問題だが。
二人の気まずいやりとりはそれから五分ほど続き、やがて『こういうことはしかるべき時と場所でしかるべきムードを作り、しかるべき順序で行われるべきである』という、いかにももっともらしい割に内容のない結論を得て、一定の解決をみた。
絖瀬は席に戻るついでに掠めるように黄泉寺と唇を重ねようと試み失敗し、黄泉寺は黄泉寺で過冷却クラスに凍りつき、結局いそいそと互いの席に座り直したときだった。
ポーン、と呼び出し音が鳴った。
二人は顔を見合わせ、黄泉寺は普段めったに使わない手動コンソールを叩いた。
モニターにデカでかと、『メール:一件』と表示されていた。
メールってなんだっけか? と一瞬の迷いを覚えながらも反射的に指を動かしていた。
差出人欄に『アポカリプサー』と書かれていた。
『件名:ようこそ、ポストアポカリプスへ!
本文:
黄泉寺 透、三頭 絖瀬 委員。
お世話になっております。
ポストアポカリプス用アポカリプサーです。
ひとまず、ご生還おめでとうございます。
お二方の対ポストアポカリプス用アポカリプサー・アポカリプサー任命につきまして……』
わかりやすいが長ったらしい名称に、黄泉寺と絖瀬は顔を見合わせるしかなかった。
対・ポストアポカリプス用アポカリプサー・アポカリプサー。おそらく、より人間的なポストアポカリプスを作るためのアポカリプサーに終末を与える者、という意味だ。
――だから、それはなんなんだ。
黄泉寺と絖瀬は、声を揃えた。
「はぁ?」
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