「お、おい! 生きてるか、あんた!」

 マイクを通して、狼狽する男の声が聞こえた。

「これ事故だよね!? 私らのせいじゃないよね!?」

 マイクを通して、女が早くも自己保身を図ろうとしていた。

「だから! 待ってって! 言ったッスよぉ!」

 絖瀬が叫んだ。右腕を、コラプサー弾射出口を、黄泉寺を誤射した男に向けた。

「えっ?」

 男が間の抜けた音を発した次の瞬間、だぽぉぉぉん、と奇妙な砲声が響いた。

 ほとんど同時に男の姿は消え失せ、遥か遠方で瓦礫の山が爆発した。

「はっ?」

 女は何が起きたのか理解できなかったらしい。ふらりと絖瀬の方に向き直り、そこで自分に向けられた絖瀬の右手の平に気付いたようだ。

「待っ――」

 女の制止を遮るように、奇妙な砲声が響き渡った。また、遠方で瓦礫の山が爆発した。

「じ、自分は! ちゃんと警告したッスよぉ!」

 ガラガラと崩れる瓦礫の山に向かって、絖瀬が叫んでいた。

 それを隙とみたのか、絆夏が黄泉寺の方へと駆けた。気づいた絖瀬は慌てて絆夏に開いた右手を伸ばした。

「止めなさい!」

 鍋神が絖瀬に銃を向けつつ叫ぶ。

 絆夏は黄泉寺までの数歩を滑走して詰め、九ミリ機関けん銃を彼の胸に押し当てた。

「動かないでください! 動いたらこの人を撃ちます!」

「なっ、えっ、な、なんで!?」

 絖瀬は動揺しているようだった。黄泉寺にしても、こっちが聞きたい、と思っていた。なんでこうなってしまったのか。もっと早く逃げていればよかったのではないか。

 黄泉寺の目の前で起きたできごとは、もはや事故ではすまされない。

 絖瀬は誤射したのではなく、自らの意志で仲間を撃ってしまった。トラウマを克服したというべきなのか。トラウマを強化したとみるべきか。

 事態は好転するどころか混迷を深めている。

 顔を強張らせて黄泉寺に銃を突きつける絆夏、絖瀬に銃を向ける鍋神、その頭越しにコラプサー弾発射口が黄泉寺を見つめている。

 胸に押し当てられる冷たさは、アポカリプサーからの最後通牒に思えた。選んでくれてありがとうと感謝したのは遠い昔だ。

 お前が選ばなければ苦しまなかったと嘆く時間は、もう過ぎた。

 アポカリプサーは言外に言っているのだ。

 反抗のツケは自分で払え、と。

「――落ち着いて、絖瀬さん」

「でも、でも自分……っ!」

「大丈夫。こんなことに巻き込んだの俺だから。さっきも言ったけど、絖瀬さんのことは俺が絶対守るから。だから、いまは俺を信じて」

 何の根拠もない空虚な言葉だ。実際、守ってもらったのは自分で、信じてくれといった自分自身、自分を信じていなかった。

「わたせ……日本語!? あなたはいったい、なんなんですか!?」

 絆夏が吠え立て、黄泉寺の胸を銃口で小突いた。どうやらスーツが壊れ、音が外に漏れていたらしい。

 黄泉寺は絖瀬にも伝わるように、できる限りはっきり言った。

「俺たちは人間だ! レジスタンスなんだ! 頼むから銃を下ろしてくれ!」

 レジスタンス――かつてフランスで行われた侵略軍への抵抗運動を示す語だ。高校生活が二年と二ヶ月で終わった黄泉寺は、もっともらしい語を他に知らなかった。

 絆夏は信じられないと言わんばかりに黄泉寺を睨む。

「れじすたんすって……れじすたんすって何!?」

 黄泉寺は困惑した。目の前の少女の言う『何』が、レジスタンスという語の意味を指しているのか、黄泉寺の行動そのものを指しているのか、判然としなかったのだ。

 一拍の間をあけ、鍋神が肩越しに言った。

「絆夏さん! 多分、スパイだって――私たちの味方だって意味です!」

 どうやら前者だったらしい。

 絆夏はちらと鍋神に横目を向けて、また黄泉寺を睨んだ。

「信じられると思いますか!? なにか証拠は!」

「カメラ! カメラがある! 敵の本拠地を撮った写真が入ってるよ!」

「黄泉寺さん!?」

 マイクを通して絖瀬の動揺が伝わってきた。だが今は四の五の言っていられない。絆夏には銃を下ろしてもらって、絖瀬にも落ち着いてもらわなくてはいけない。

 黄泉寺は宣言した。

「いまから、このスーツを脱ぐ! 俺はキミの味方だ! 撃つなよ!?」

「動くなと言っています!」

 叫ぶ絆夏を無視して、黄泉寺は大きく息を吸い込んだ。手をスーツにかけ一気に顔を引き抜いた。ほとんど同時に、小さな拳が飛んだ。

 バチン!

 と、鋭い打音が響き、黄泉寺の頭がひとたび弾んだ。猛烈な痛みが熱に変わり、黄泉寺に顔を歪めさせた。一気に口中が鉄錆の臭いに満たされた。

 黄泉寺は血の混じった唾を飛ばしながら叫んだ。

「殴んな! 仲間だっつったろ!」

「動くなと言っています! まだ味方だとは思っていません!」

 絆夏は黄泉寺を睨んだまま、絖瀬に叫んだ。

「味方なら、あなたもそれを脱いでみせて下さい! でなければこの人を撃ちますよ!」

「君が先に下ろせば絖瀬さんだって武器を下ろすさ! 命の恩人を殺す気かよ!」

 もうどうにでもなれ、と黄泉寺は叫んだ。歯がグラグラしているような気がした。

「二週間前! 中道五番町商店街! 俺はキミを殺さなかっただろ!?」

「なっ……二週間前っ!?」

 絆夏の冷徹な軍人然とした顔貌に、少女らしい動揺が現れた。 

「――なんで、なんであなたが!」

「だから俺が見逃したんだよ! 死なせたくなかったから! バレたらヤバいと思ったけど! 俺はキミを見逃したんだ! だから銃を下ろせ! 絖瀬さんが撃ったら、キミだって死ぬぞ!? このスーツに銃が効かないのはキミだって知ってるだろ!?」

 黄泉寺の言葉に、絆夏は瞳を泳がせた。縋るような目を鍋神へ、絖瀬へと滑らせ、やがて黄泉寺のほうに戻した。大きな丸い瞳が潤んでいた。目尻に溜まった涙が零れ、埃だらけの白い頬に筋をつくった。

「――鍋神さん。銃を下ろしましょう」

「絆夏さん!? いいんですか!?」

「……銃が効かないのは本当です。それにこの人は、私が生き残った日のことを知ってます」

 絆夏は黄泉寺に苦み走った顔を向けた。

「ですが、変なことはしないでくださいね」

「しないよ。誓ってもいい。俺だって死にたいわけじゃないんだ」

 言って、黄泉寺はズキズキと痛む鼻の下に手を当てた。ヌルっときた。触れた指先は真っ赤に濡れていた。胸から冷たい感触が離れるのを待って、絖瀬に顔を向ける。

「絖瀬さん。スーツ、脱いでみせてあげて。もう俺が撃たれる心配はないからさ」

 努めて平然と言ったつもりだった。絖瀬を安心させるためだ。

 しかし絖瀬は、なかなか右手を下ろそうとしなかった。生身の人間なら一瞬で四肢を断裂させられるコラプサー弾である。射出口が自分に向いているのは落ち着かなかった。

「絖瀬さん。大丈夫。俺のことを信じて。絶対に絖瀬さんも守るから……」

「守る、なんて状況なんですか?」

 ぼそりと絆夏が呟く。辛辣なことをいう子だ。恩人相手にあんまりだ。

 黄泉寺は口の中に溜まった血を吐き捨てた。

「絖瀬さん、右手を下ろして」

 絖瀬は弱々しく首を左右に振った。スーツを脱いだせいで、彼女が何を口にしているのか分からなかったが、怯えているのだけはたしかだ。

「絖瀬さん。お願いだから、俺のことを信じて」

 絖瀬が右手を震わせ始めた。何度も何度も首を左右に振る姿は、迷っているようにも見えた。何に迷っているのかはわからない。どんな葛藤を抱えているのかも知らない。

 けれど、

「パートーナーだろ? 頼むよ」

 黄泉寺がそう重ねていうと、絖瀬は右手を下ろした。薄気味の悪いスーツから頭頂部だけが黒い真っ赤な髪が現れ、ポタリ、ポタリ、と水滴が地面に落ちた。

 絖瀬は顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。

「これ、カメラ、ッス……」

 鼻をすすり、濁った声で言いながら、絖瀬は鍋神にカメラを差し出した。

 銃を下ろした鍋神がカメラを受け取るの見て、黄泉寺は安堵の息をついた。

「重要なのは最初の方の写真だけ。後のはダミーだよ」

 何に対する言い訳なんだよ、と心中で呟き、失笑する。

 黄泉寺は口元の血を拭い、絆夏に言った。

「それで、さっきの奴らはまだ死んでないだろうし、早く逃げたいんだけどな」

「…………」

 絆夏は鋭い眼光と共に、黄泉寺に銃口を向けた。

「二人とも、私たちについてきてもらいます。異論は認めません」

「……ひどいな。騙したのか?」

「騙す? 隙を見せたのはそちらです」

「……さっきの連中はどうする?」

「捕虜にします」

 絆夏はこともなげに言い、さっさと立てとばかりに銃口を振った。

 黄泉寺は壊れたスーツから抜け出て、首を回した。殴られたときにムチウチにでもなったのか、首の後ろに引きつるような傷みが走った。

「それなら、さっさと行こう」

 もう、どうにでもなれ。

 すっかり落ち込んでいるらしい絖瀬に、黄泉寺は言った。

「絖瀬さん。ありがとう」

「……パートナーッスからね……」

 絖瀬は、弱々しく笑っていた。

 黄泉寺と絖瀬は銃口で背中を追い立てながら、先の二人組の元に向かった。

 瓦礫の山には二人分の穴が開いていたが、残されていたのは壊れたスーツだけで、中の人は見当たらなかった。

 検分をしていた鍋神がスーツを持ち上げようと試み、諦めたように首を左右に振った。

「ちょっと一人では持てそうにないです。キャンプに行って人手を――」

 絆夏は小さくかぶりを振った。

「――いえ。それは危険でしょう。先にこの人たちが本当に味方かどうか確認してからでも遅くありませんし、まずは――近くに隠れ家がありましたよね」

「はい。ふたつ。でも、どちらも人を閉じ込めておけるような場所は……」

 絆夏は黄泉寺と絖瀬の背中をじっと見つめ、やがて短く息をついた。

「大丈夫でしょう。スーツだかなんだか知りませんが、生身なら銃で十分殺せます」

「……さっきも言ったけどさ、命の恩人に対して酷くない?」

 黄泉寺は吐き捨てるように言った。

「何度でも言うけど、俺はあのときも、さっきも、いつだってキミを殺せたんだ」

「だから、なんだというんですか?」

 絆夏は無慈悲に続けた。

「残っているのは結果だけです。私は死ななかった。それだけです」

「酷いな。少しは感謝してくれてもいいんじゃないの?」

「だから、何を? 私は今日まで生き延びた。あなたに生かしてもらったわけではありません。あなたは私を殺さなかったかもしれませんが、今日まで私を生かしたのは私です」

 吐き捨てるような絆夏の言葉は、黄泉寺が受け止めるには重すぎた。言い返す言葉が見つからず、ただ追い立てられるままに歩きだすしかなかった。

 隠れ家とやらに向かう間、絆夏と鍋神が発した言葉は、絖瀬が半分着たままにしているスーツはいったい何なのか、という問いだけだった。

 絖瀬はしばらく考えてから「兵装スーツッス」とだけ答えた。黄泉寺がそれに補足する。

「要するに、このアポカリプスは作られたもんだってことだよ」

「あぽかりぷす?」

「黙示。新約聖書のヨハネの黙示録からとられた、終末を意味する言葉です」

 幼さの垣間見える絆夏の声に、鍋神が丁寧に説明を加えた。戦闘時や行動を決める時とは打って変わって、教師と生徒のような会話だった。

 アポカリプサーの言っていた、より人間的なポストアポカリプスの姿とは、絆夏と鍋神のようなあり方なのだろうか。

 だとしたら、そうはなりたくないと思った。

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