4章『より人間的なアポカリプサー』
1
瓦礫に埋もれた目抜き通りに、歪んだビル風が吹いていた。ただでさえ複雑に入り組んだ街が、倒れたビルや、陥没した道路や、吹き溜まりに集まった瓦礫によって、侵入者の足を阻む砦と化していた。
ポポポ委員と彼らが操るポポポ兵器群に対して敗北が約束されている、人類の砦だ。
ブレザー含めてちゃんと制服を着ていたら、また違った感想を抱いたのだろうか。
両手を頭の後ろで組んだ黄泉寺は、そんなことを考えながら歩いていた。右隣には同じようにして歩く絖瀬がいる。二人の後ろには油断なく九ミリけん銃を構える絆夏が、絖瀬の背後には八九式を構える鍋神がいた。
「止まって」絆夏が言った。「そこのビルに入ってください」
「ビルって……これに?」
黄泉寺は絆夏のいうビルとやらを見上げた。大きく傾ぎ、七階から上はどこかへ飛んでいってしまったらしかった。
「大丈夫なん? 崩れたりしないよね?」
「用があるのは地下です。降りるまでに崩れたら諦めてください」
「……りょーかい。言っとくけど、俺、あんま運が良いほうじゃないからね?」
絆夏は短いため息をついた。
「私は死ねないほど運がいいですから、安心してください」
まるで見逃したのはお前の独善だと突き刺すような嫌味だ。
黄泉寺は黙って前に進んだ。足の下で割れたタイルとガラスが擦れた。
地下に隠れ家があるというビルの地上階は、窓だけでなく破れた壁穴からも光が差し込んでいて、想像以上に明るかった。ただ、うらぶれた外観どおりの寂れた風景を、上から落ちてきたであろう廃材だらけの狭っ苦しい空間に押し込めてもいた。
「左です」
絆夏の小さな声すら反響する。人も生活も消え、構造だけが残っている証拠だ。
言われたとおりに左に曲がっていくと、ひしゃげた非常階段の鉄扉があった。
「鍋神さん、私が先に行きます」絆夏は黄泉寺から距離を取って回り込んだ。「私が通ったら、次はあなたです」
絆夏は銃のスリングに肩を通しながら絖瀬を指差した。絖瀬は喉を鳴らし、ぶんぶんと首を縦に振った。怯えているというより、不安といったところか。
黄泉寺は絖瀬に言った。
「絖瀬さん、大丈夫だから、言うとおりにして」
「……りょ、りょーかいッス……」
絖瀬は引き攣ったような曖昧な笑みを浮かべていた。絆夏は品定めをするような目で絖瀬と黄泉寺を見比べ、小さく顎をあげた。
「そういえば、あなたの方の名前は聞いてなかったですね」
「……え? 俺?」
「他に誰がいるんですか?」絆夏は凍てつく表情そのままに言った。「私たちに教えたくないというのなら、それでも構いませんが」
「あ、いや。そういうつもじゃなくて……えぇと、黄泉寺。黄泉寺透だよ」
「よみじ? 変な名前ですね」
一瞬、黄泉寺は自分が何を言われたのか分からなかった。それが悪口だと理解し、文句を言おうと口を開いたときには、絆夏はひしゃげた鉄扉の隙間に消えていた。
黄泉寺がジト目を向けると、鍋神はわずかに肩をすくめた。
「私も初対面で似たようなこと言われましたよ。絆夏ちゃん、悪気はないんです。ただちょっとだけ冗談を言うのが下手っていうか――」
ガァン! と、聞こえているぞと言わんばかりの音がし、鍋神は首をすぼめた。ちろりと出した舌先で唇を湿らせ、絖瀬に言った。
「それじゃあ、絖瀬さん、先に行ってください」
「は、はいッス!」
絖瀬は弾かれたように直立した。メガネ越しに見える怯えたような瞳は、まるで小動物のように潤んでいる。黄泉寺は励ますつもりで小さく頷いてみせた。
しかし絖瀬はビクリと震えただけで、何も言わずに扉の前で四つん這いになった。もぞもぞと扉の隙間に消えていく絖瀬の尻を見ながら、黄泉寺は小声で訊ねた。
「鍋神さん、でしたっけ? あなたは俺たちのこと、信用してくれますか?」
「『バグ』から人がでてきたってだけで驚いているくらいです。信用なんてできるわけがないでしょう? ただ銃を持っていればあなたたちは脅威にならない……と思います」
「なるほど……まぁ、そりゃそうですよね。……てか、バグ?」
鍋神は眉間に皺を寄せた。
「知らないんですか? さっきの……スーツ、でしたっけ? あれのことですよ」
ゴン、と扉が内側から叩かれた。鍋神に促されて黄泉寺は扉の前にしゃがみ込む。両手を地面について暗がりに這っていく。バグ――まさに、虫に変身したような気分だった。
内側ではポポポ星人型兵装スーツなんてふざけた呼称で呼ばれていたが、外の世界にとっては
黄泉寺は暗がりを進んだ。
薄い扉の奥は折り重なった瓦礫が作る横穴となっており、張り出した突起が肘や腰に刺さった。鋭い痛みに耐えながら這い出ると、今度は強烈な光が待っていた。絆夏の照らす懐中電灯の光だ。
顔をしかめる黄泉寺に満足したのか、絆夏が懐中電灯を振った。絖瀬は、また、両手を頭の後ろに組まされていた。酷く疲れた顔をしている。
黄泉寺は同じように両手を上げながら絆夏に言った。
「あのさ。手、下ろしてもいいでしょ? 俺、這ってるとき肩がバキバキ鳴ったんだけど」
「……そうですね。下ろしてもいいですよ」
ぱっと絖瀬が顔を輝かせる。間髪入れずに絆夏が続けた。
「地下についたら、ですが」
真顔だった。少女の顔には一片の慈悲もない。
また銃に追い立てられながら地下へと降りていく。一階、二階。ときおり階段が軋んでパラパラと破片がこぼれ落ちた。階段が途切れた。どうやら隠れ家というのはビルの設備室だったらしい。部屋の入口にそう書かれた扉が立てかけられていた。
隠れ家に足を踏み入れた途端、黄泉寺は臭気に顔をしかめた。
黴と腐った水が混ざり合ったような酷い臭いだった。部屋の隅をびっしりと覆った黒黴は、壁を伝い、床に敷かれた靴跡だらけの毛布の下まで伸びている。上から見ればかろうじて毛布はオレンジ色だと認識できるが、ひっくり返せば真っ黒に違いない。
部屋の中央にはビル用の非常用発電機が設置されており、そのすぐ脇には元からあったとは思えない安っぽいテーブルが一脚、囲うようにパイプ椅子が三脚あった。
テーブルの上には缶詰や非常食らしきパウチが積まれ、外から持ち込んだであろう清涼飲料水のペットボトルもいくつか並んでいた。
黄泉寺は薄暗い部屋の惨状にはやくも嫌気がさしていた。
毛布の上に足を乗せていいのかどうか。それに椅子に座ってもいいのだろうか。ここはやはり人質あるいは捕虜らしく、部屋の片隅で丸くなっているべきか――。
逡巡する黄泉寺の背中を、絆夏が銃で小突く。
「発電機の前に座って下さい」
黄泉寺は絖瀬と顔を見合わせ、渋々発電機の前に腰を下ろした。最悪だ。湿っている。
絆夏と鍋神はため息のような長い息をついて鞄を下ろし、銃をテーブルに置いた。
鍋神が伸び上がり、テーブルの上に手を伸ばした。パチン、と小さな音がし、橙色の光が部屋に灯った。ゆらゆらと揺れる電灯のフードは、まるで小型のUFOだった。
「さしづめ、俺たちはアブダクションされたエイリアンか」
「ふぁ?」
絖瀬が驚いたような目を黄泉寺に向け、絆夏と鍋神は顔を見合わせた。冗談を言っていいタイミングではなかったらしい。
「――それで? 俺たちをここまで連れてきてどうする気だ?」
「それを決めるために連れてきたんですよ」
絆夏は呆れたように言って椅子に座り、ラベルが黒く塗りつぶされた銀色のパウチを手に取った。慣れた手付きで封を切り、サイドポシェットから出したアルミの先割れスプーンを突っ込む。保存食のようだが――、
「……それって、温めるんじゃないの?」
眉をしかめた絆夏は鍋神と顔を見合わせ、黄泉寺を睨んだ。
「どうやって? 燃料は貴重ですし、この電灯だって太陽光発電で、いつまで持つかわかりませんよ?」
「それは……だから…………すいません」
言われてみれば、そうだ。黄泉寺は軽率な発言を恥じ、口を噤んだ。
絆夏と鍋神の咀嚼音を遮るように、黄泉寺のすぐ横で、くるる、と腹の音がした。絖瀬が気まずそうな愛想笑いを浮かべ、両腕で腹を抱えていた。
鍋神は絆夏の顔色を窺うように目線だけを食料品と絖瀬の間で往復させる。絆夏がうなずき返すのを見て、絖瀬と黄泉寺に缶詰を投げた。
腹が減っていたわけではないが、黄泉寺は缶詰のプルトップに指をかけた。
「マジかよ……」
乾パンだった。水はもらえるのだろうか。とりあえず氷砂糖をひとつ口に放り込んで噛み砕く。絖瀬の受け取った缶詰は、プラスチックのスプーンがついた鶏飯だった。
「なんか扱いに差がない?」黄泉寺は苦笑した。「せめて飲み物もらえないと、乾パンで窒息死するかもよ?」
絆夏は黙ってペットボトルのひとつを引っ掴み、黄泉寺に投げつけた。ラベルが剥がされていて、見た目には微妙に泡立った真っ黒い汚水だった。
「……嫌がらせ?」
答えはなかった。ため息をこらえて封を切ると、プシュ、と炭酸の抜ける音がした。コーラか何かか、と口をつけた瞬間、黄泉寺は異常な苦味に吹き出した。
呆気にとられる絖瀬を横目に、絆夏がくつくつと笑う。
「炭酸入りのコーヒーでしたか?」
「……やっぱ嫌がらせかよ……」
黄泉寺は口元を拭ってキャップを閉めた。
鍋神が苦笑しながら言った。
「絆夏ちゃんの名誉のために言っておきますけど、違いますよ。手に入れた飲食物のラベルは全部剥がしてしまうので、中身が分からなくなっちゃうんです」
「ラベルを剥がす?」なんで、と続けようとして気付く。「……文化的資源か……」
「はい? 文化的資源?」
鍋神が小首を傾げる。同時に、絆夏は射抜くような目を黄泉寺に向けた。
「どういう意味ですか? さっき言っていた、れじすたんす、とやらの話ですか?」
「あー……そうか。普通は文化的資源なんて変な単語、使わないか」
絖瀬がスプーンを運ぶ手を止め、呟くように言った。
「ポポポ委員会では、文化的資源って呼んでたッスよ」
絆夏と鍋神の顔貌が歪む。いきなり核心から入るとは、と黄泉寺は天井を仰いだ。黒カビのコロニーが光を吸い込んでいて、底の見えない穴のようだった。
「レジスタンスの話は、俺が説明するよ」
暗に、任せておけ、と意味を込め、黄泉寺は言葉の先を継いだ。
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