やるせなくなった黄泉寺は、怠くなった両手を下げようとした。瞬間、警告が飛んだ。

「手を下げないでください!」

 黄泉寺は、素直に指示に従った。

「この子は俺らをどうしたいんだろうな」

「そんなの、自分に聞かれてもわからな――何の音ッスかね?」

「音?」

「なんか、ザリザリ、って、変な音がしないッスか?」

 絖瀬の言葉に、黄泉寺は耳を澄ました。

 たしかに、ノイズのような粉っぽい音がする……気がする。いや、これは。

「アポカリプサー、通信マイクの音、もっと大きくしてもらえる?」

『現在の値が黄泉寺委員にとって――』

「いいから早く大きくして」

 アポカリプサーの杓子定規な対応に苛立ちを覚えながら指示すると、すぐにマイクを通して聞こえる音が大きくなった。

 と、同時に、黄泉寺は全身の皮膚が粟立つのを感じた。 

『……だろ? ……じゅうせ…………』

『――ないって! めん………………』

 ノイズ混じりに聞こえてきたのは、他の文化的資源損失課員の話し声であった。

 ポポポ委員の扱う兵装は基本的に外部音声を遮断するようにできているため、現場に到着したらマイクを通じて会話するのが普通だ。しかし、距離に関係なく接続すれば混線しして誰が誰に喋りかけているのかわからなくなってしまう。

「ヤバい。これ、誰か近づいてきてるんじゃ……!?」

「えっ!? ど、どうするッスか!? 聞こえるってことは、もう十メートル以内にきてるってことっスよ!?」

 そう。複数人で行動する文化的資源損失課では、通信の混線を防ぎ、かつ円滑な連絡を可能とするため、十メートル以内にいるポポポ委員と自動的に接続するように設定されていた。

 黄泉寺はスーツの下で歯を軋ませた。

 これまで他の委員と対面することはなかったが、それはアポカリプサーがそうなるように調整していただけなのだろう。

 本来であれば、黄泉寺と絖瀬の作業時間はとうの昔に終わっているのだ。意図的に命令を無視し続ける二人のフォローをさせるために、アポカリプサーが他の委員を送り込んできたとしても、何の不思議もない。

「――説得。説得しよう」

「えっ、その子、言うことなんか」

「違うよ。こっち来てる人たちを説得するんだよ」

 理由はどうあれ、対応を急がなければせっかく救ったはずの絆夏が殺されてしまう。黄泉寺や絖瀬と違って、普通の委員は人を人的資源という形でしか認識しない。

 ガリガリとノイズが走った。

「お? 誰かいるじゃん」マイクを通じて聞こえてきたのは男の声だった。

「おー、ちょっと珍しいね。アポカリプサーの言う通り、だねー」女の声も続く。

 黄泉寺は咄嗟に呼びかけた。

「ど、どうもー。えと、こっちは大丈夫なんで、向こうお願いしてもいいですか?」

「は?」男の声色が一気に冷え込んだ。「大丈夫って、何が?」

「アポカリプサーが言ってたけど、銃めっけたのーん?」女は楽しげな声で言った。

「――や、な、ないッス! なんか、どっか行っちゃったっぽくて!」

 絖瀬が慌てて説得に加わった。元は彼女も文化的資源損失課の所属だ。黄泉寺は任せるべきかと思った。だが、

「あ? あー! その声! 赤っぱつのメガネちゃんじゃん! 復帰してたんか!」

 どうやら、知り合いにぶち当たってしまったらしい。しかも絖瀬の呼ばれ方から察するに、それほど仲がいい相手ではなさそうだった。

「へっ、えっ、あ、あの、こっちは大丈夫――大丈夫なんで――」

「ちょっ、そういう呼び方はどうなん?」

 しどろもどろになった絖瀬を見かねてか、女の声が割り込んだ。どうやら、男の口調を非難しているらしいが――。

「――ねぇ? ……あれ? ……えーっと……何さんだっけ?」

「えと、ぁの、じ、自分、三頭絖瀬ッス!」

「あー! そうだ! ジブンちゃんだ! ジブン、ジブン呼びがインパクトありすぎで名前が覚えられないであります!」

 女がケラケラ笑った。男の笑い声が混ざり、絖瀬が押し黙った。

 黄泉寺は考えを改めた。悪意はないが、悪意がないだけだ。本人たちは面白くイジっているという認識でしかなく、似たような状況で彼らは面白くイジられてやるのだろう。

 だが、黄泉寺がそうであったように、絖瀬にしてみれば不愉快極まりないはずだ。

 言ってやれ、と思った。

 言わないなら俺が言ってやる、と黄泉寺が息を吸い込んだ。けれど先に口を開いたのは絖瀬の方だった。

「――あの、こっちは自分らが担当するッス。だから――」

「あー! ジブンちゃん、ンんなこと言って銃で遊ぶ気でしょ! 私らも混ぜてよ!」

「も、もう処理したから、いらないって意味ッス」

「は!? 処理したの!? なんでそういうことしちゃうんだよー……まぁいいわ、俺らもう近くまで来てるから、合流すんね?」

 精一杯という様子で答えた絖瀬に、男が大げさに声を大きくした。

 黄泉寺は深い溜め息をついた。そうだった。忘れていた。

 そもそも、ポポポ委員の九割九分はバカなのだ。愚鈍なのだ。黄泉寺と絖瀬のように自らの行為に疑問を抱くようでは、優秀なポポポ委員とはいえないのである。

 彼らは迷わない。そうなるべくアポカリプサーが守ってきたし、最初からアポカリプサーはそうなるような人間を選んだに違いない。

 そんな、絖瀬に言わせれば『前頭前皮質が機能停止してると気付いてない』連中は、いつだって黄泉寺や絖瀬のような人々の事情にお構いなしである。

 ポポポ委員会、文化的資源損失課の二人組が、ビルの陰から現れた。

「って、あれ? お前ら、何してんの?」

 だから、教室の真ん中から端っこをいじくりまわすような奴は、大っ嫌いなんだ。

 黄泉寺はこらえきれずに顔を向けた。瞬間、

「鍋神さんはそいつらを!」

 絆夏が叫び、新たに現れた二体のポポポ星人に銃口を向けた。腰を落として片膝立ちになり、銃身を安定させようとしていた。目の前で両手をあげていたポポポ星人が、急に首を振った。絆夏にとっては警戒を強めるのに十分な理由だったのだろう。

「は? なに、ジブンちゃんって、そういう遊びしてるんだ? 悪趣味だなぁ」

「えっ? あれ遊びなん? てか、見っけたら、さっさと処理するんじゃなかったっけ? 俺やったことねぇから、やってみてもいい?」

 角から姿を見せた空気を読まない二人組は顔を見合わせ、黄泉寺たちそっちのけで言い合いを始めた。

 その声は、絆夏と鍋神には届かない。

 だからだろう、鍋神は黄泉寺と絖瀬に銃を向け続けていたし、絆夏は新たに現れた二人組を威嚇した。

「そこの二人! 止まりなさい! 止まらないと、撃ちますよ!」

 なまじ黄泉寺と絖瀬に言葉が通じたせいで、誤解してしまったのだ。

 話せば分かるかも、と。

 ポポポ委員に絆夏の言葉は届かない。

 人的資源損失課では、外に住む人は人とは呼ばず、人的資源と呼称する。

 文化的資源損失課においては、呼称すら与えられていない。

 まして、できるだけ生存者と遭遇しないように避けていたという絖瀬と違って、二人組はアポカリプサーから銃声の情報を受けて足を運んできたのだ。

 彼らには人的資源という認識すら存在しない。外の世界は、ただの玩具と変わらない。

「どする? 私もコラプってみていい?」

「あ、じゃあ、俺が奥のやつでいい?」

「えっ!? やだやだ! ちっこいのとか外したりしそうだし、私がでっかい方!」

「おっけー。そいじゃ俺がちっこい方な」 

 まるでアミューズメントパークのアトラクションのように、あるいはFPSの協力コーププレイで交わすボイスチャットのごとき気軽さで。

「やめてくれ! この子らは見逃したいんだ! 頼む!」

 黄泉寺はたまらず叫んだ。

「へっ?」「おっ?」

 二人組が顔を見合わせた。

「どする? やめとく?」

「んー……じゃあ、そうすっか?」男――二人組の右側の方が、ちらりと絆夏の方へ顔を向けた。「――なーんてわけにはいかないでーす」

 男が、恐怖のポポポ星人が、コラプサー弾発射口のある右の手の平を絆夏に向けた。

 そのとき黄泉寺は、自分の異常性に気付いた。それまで絖瀬と過ごした二週間があったおかげで壊れずに済んだのだと思っていた。だが、違った。

 黄泉寺は最初から、絆夏を――子どもを撃てなかったのだ。

 認めなければいけない。

 あの日までは、彼らと同じようにゲーム感覚で、人を殺していた。そうできるようにアポカリプサーが仕組んだにしても、行為を選択したのは自分だ。だからこそ、子どもを子どもだと認識してしまったから殺せなかったと考えるのは、誤りなのだ。

 そうではなく、単に、黄泉寺はゲームの中ですら子どもを殺せなかったのだ。

 黄泉寺は善人なんて大層な代物ではなく、単に愚かだったのだ。

 この期に及んで、自分が絆夏の前に飛び出せば諦めてくれると信じてしまうほどに。

「撃つな!」

 黄泉寺は反射的に左踵のペダルを踏み込み、絆夏の前に飛び出した。ポポポ星人型兵装スーツの右手の平に開いた穴から、奇妙な砲声が鳴った。射出されたコラプサー弾頭は黄泉寺の動体視力では捉えようのない高速飛翔体となり、彼に迫った。そして――、

 衝突する寸前、スーツがコラプサー弾に反応し膨れ上がった。対ポポポ委員兵装用の反応防御機構が展開したのだ。

 コラプサー弾は、この世に存在する全兵器の防御力を上回るように設計された消失型兵器である。当然、既存の装甲では防ぐことができず、誤射による被害も無視できない。そこでアポカリプサーは、まずポポポ兵器の火力に耐えうる装甲から開発したのだ。

 膨張した装甲にコラプサー弾が接触した瞬間、空間が圧縮されはじめた。半径二十五センチの空間に存在するすべてのものを物理的『点』に圧縮する力が、スーツの一部を食いとった。理論的には、圧縮から開放までのタイムラグは限りなくゼロに近い。

 黄泉寺は、その力を、押してくる力と認識した。

 あ。

 そう思うのが精一杯だった。

 コラプサー弾が発生させる開放圧力に耐えられる人間はいない。踏ん張ろうという意志が生まれるよりも早く吹っ飛ばされた。地面に触れることなく柱に衝突、後、落下。

 何が起きたのか。

 黄泉寺がたったそれだけの疑問を抱くのに、五秒を要した。

 後ろにいたはずの絆夏が、正面の渦巻く砂塵にまぎれているという事実。自分の息が詰まっているという事実。胸元に感じる外の風。これら三つを認識して、気付く。

「う、撃たれた?」

 バシン! と何かが爆ぜるような音がして、モニターにノイズが混じった。首を振ろうとしたが動かない。まさか、と思う。

「あ、あれ? 俺、死んでる?」

 呆然とそう呟きながら、黄泉寺は回りの時の流れが緩やかになっていると錯覚した。

 絆夏がゆっくり振り向く。目を大きく見開いていた。鍋神は風圧で転ける途中だ。

 砂塵の奥で、ポポポ星人二人が狼狽えていた。

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