2章『こちら人的資源および文化的資源損失課』

 人間というのは、よくできた、いい加減な生き物である。

 イコライザーミサイルが久方ぶりに発射され、直後に辞令を受けた黄泉寺は、外出を切り上げて自室に戻った。沢木は心配しすぎだと笑っていたが、心配にしすぎはない。もしアポカリプサーに見限られたら終わりだ。

 外に追い出されたらという想定で身の振り方を考え始め、憂鬱になり、寝れば夢になるんじゃないかとベッドに潜り込んだが、眠れるわけがなかった。

 躰は緊張し、絶望と興奮で目はギンギンに冴えていた。むやみやたらと部屋を歩き回ってみたり、シャワーを浴びてみたり、せっかくだから湯船に浸かってみたりした。

 食欲だけは湧かなかったのだが、外に放り出されたら明日の食事にも困るはずだと、デリバリーでピザを三枚頼んで、炭酸飲料で胃に流し込んだ。またベッドに入って、とにかく寝ようと頑張った。眠れなかった。とにかく眠く、でも寝られなくて。

 明日――いや、数時間後に、俺は死ぬんだろうか。

 なぜか泣けてきた。やるせない。生きていたい。内側の世界から追い出されたら、生きていけないだろう。だから今だけは温かい布団にくるまって、泣いていられる平穏を噛み締めながら審判の時を待とうと思った。まさにそのとき、

 寝た。

 まったく、人間というのは、よくできた、いい加減な生き物である。

『おはようございます。黄泉寺委員。日本時間で、午前八時、ちょうどになりました』

 新しい朝は、アポカリプサーの柔らかな声から始まった。黄泉寺を起こそうとベッドのリクライニング機能が動き始める。

 黄泉寺は寝ぼけ眼を擦りつつ自ら躰を起こした。ベッドが元の高さに戻っていく。

『本日から、黄泉寺委員は、人的資源および文化的資源損失課に配属となります』

「……なんだって?」

 思わず首を振った。枕元に置かれているアポカリプサーミニ(円筒タイプ):サマークラウドホワイトは、いつものように青い光を点灯させていた。

「もう一度お願い。俺はどこの配属になったって?」

『はい。もう一度ですね? 黄泉寺委員は、本日付で、人的資源および文化的資源損失課の配属になりました。本日は、午前九時までに出勤されることを推奨します』

「……午前九時に出勤……はわかったけど、人的資源および文化的資源損失課って何?」

『はい。人的資源および文化的資源損失課は、本日から試験運用が始められる、実験的資源管理課となります』

「試験運用……? 実験的資源管理課……?」

 意味のわからない単語がいくつも混じっていた。

 人的資源損失課はともかく、文化的資源損失課の方は概要くらいしか知らない。

 文化的資源損失課は、人的資源損失課が人を資源とみなすように、人以外のすべての物品を資源とみなす。最も一般的なのは本や雑誌の類だが、娯楽作品をふくむ映像資料や音楽、食料品なども該当する。噂では、フィギュアやエロ本ですら対象になるという。

 ポストアポカリプスを生きる人々にとって不要と思われる、ありとあらゆるものを、文化的資源と認定して損失させていく。それが文化的資源損失課のはずだ。

「および、ってことは、人的資源と一緒にやってくってことか……?」

 黄泉寺は誰に言うでもなく呟いた。訊ねさえすればアポカリプサーは答えてくれるだろうが、いまは知りたくもなかった。

 とりあえず朝食代わりに昨晩食べきれなかったピザを食べ、シャワーを浴び、いつものブレザーに袖を通し、左耳にイヤホンをかけて人差し指で軽く叩いた。

「アポカリプサー、出勤場所ってどこになるの?」

『はい。直接、駐機場にお出でください』

「りょーかい……」

 黄泉寺は外したイヤホンをポケットに突っ込んだ。昨日の今日だ。人的資源損失課に顔を出さずにすむのは僥倖だと思う。AI頼みの仕事にもいいところはある。

 黄泉寺は枕元のメガネケースから黒縁のメガネを取り出し、メガネ拭きは胸ポケットに押し込んで、深呼吸をひとつ入れて部屋を後にした。

 早朝を模しているはずのポポポ市の天井は薄暗いままだった。灰色の、厚い雲の映像が流れている。外も雨なのだろうか。それとも、ただの気まぐれか。

 人通りが少ないのはいつものことだ。委員の出勤時間はまばらで、律儀に守る人材も少ない。さすがに主任のような管理者は守っているのだろうが、出勤時間が違うのか、出くわしたことは数えるほどしかなかった。今はそれが嬉しい。

 エレベーターチューブに乗り込んだ黄泉寺は、沢木に会いませんように、と願った。もし出くわしたら気まずさで死んでしまう。躰に上昇Gがかかり始めた。遠ざかっていくポポポ市の眺望はやはり好きになれなかった。暗闇に入った。五百メートル続く闇だ。窓ガラスに死人のような顔をした黄泉寺が映っていた。

 沢木は、乗り込んでこなかった。エレベーターが止まる。駐機場にはまだ早かった。

 イヤホンが、ポーン、と鳴った。

 黄泉寺は左耳のメガネのつるを持ち上げ、イヤホンを耳に掛けた。

『お早いお着きですね、黄泉寺委員。廊下の案内板に従ってお進み下さい』

 廊下? と首を巡らすと、いつのまにか背後の扉が開いていた。壁に大きな矢印と共にかけられた『実験機駐機場』案内板があり、廊下が延々と続いている。

 物音ひとつない廊下を進むと、また金属扉があった。ロボットがため息をついたような排気音とともに扉が開いた。部屋には産業用のロボットアームらしきものに囲まれた、

「ポポポメカ一号……にしちゃデカい?」

 一回り大型化した竜――ポポポメカ一号にしか見えないものがあった。

 角のある竜の頭を模した熱戦放射口カバー、長い首、蝙蝠に似た翼、太い六本の足、全身を覆う真っ赤な人工皮革装甲。突起に人の目玉のような斑紋が蠢いているのも一緒だ。

『いま』

 とうとつなアポカリプサーの声に、黄泉寺はビクリと震えた。

『新たに人的資源および文化的資源損失課に配属された委員がこちらに向かっています。到着をお待ちください』

「……もうひとりの委員?」

 初耳だった。言われていないのだから当たり前だが。

「アポカリプサー、到着までどれくらいかかるの?」

『しばし――来ました。三、二、一、いまです』

「うぉ!?」

 エアロックが解ける強い排気音に驚き、黄泉寺は慌てて振り向いた。

 ただの壁だと思っていた場所が割り開かれていて、少女がひとり、メガネの黒いフレームに囲われた目を丸くしていた。イコライザーミサイル発射を告げるサイレンを黄泉寺と同じ表情で聞いていた、赤い髪の少女だ。ズームレンズの最大値三百ミリ望遠で写真を撮り、昨晩も見返していたのだから間違いようがない。

 特徴的な後ろでまとめた真っ赤な短髪と、黄泉寺のそれとよく似た藪睨み。ジーンズとフライトジャケットの代わりとばかりの灰色ツナギにエンジニアブーツ。気持ち活動的な印象を受ける外見とは裏腹に地味な雰囲気を全身から放っているが、もし教室にいたならいつの日にか必ず日の目を見るであろう隠れ美人だ。

 少女が、会釈よりは少し深く、礼というには少し浅いくらいに頭を下げた。

「よ、よろしく……ッス?」

 黄泉寺は唾をごくりと飲み込んで、同じくらいに頭を下げた。

「よ、よろしく……っす」 

「えっと……キミ……じゃない、あなた? が? 自分、の同僚、ッスか?」

「えと……多分、そうッス……」

「えーと……人的資源損失課の……?」

 言いつつ、少女は平手で続きを促した。先に自己紹介いただいてもよろしいですか? といったところだろうか。

「えと、俺……じゃなくて、僕は、黄泉寺、と言います」

 なんとか言い切り、急いで頭を下げた。自己紹介自体が三ヶ月ぶりだった。夏休みに入る少し前にポポポ委員会にスカウトされて、ポポポ市に来て、初めて人的損失課に出勤したとき以来だ。

 黄泉寺は、今度はそっち、と手を差し出した。

「――あ、えと、じ、自分は! 文化的資源損失課の、三頭さんず絖瀬わたせッス!」絖瀬は両手を揃えて膝に当て、深々と頭を下げた。「き、気軽に絖瀬って呼んで欲しいっス!」

 そのガチガチに凍りついた挨拶と名字がふたつ並んだような名前に、黄泉寺は思わず吹き出した。

「え、えと……ま、まぁなんていうか、優しそうな人で良かったッスよぉ!」

 絖瀬はへらりと笑ってギクシャク歩き、黄泉寺に手を差し出した。

 黄泉寺は慌ててブレザーの裾で手を拭った。すぐに伸ばしたその瞬間、絖瀬は自分の手汗に気づいたのか、手を引いていた。ツナギで拭いている。

 宙ぶらりんとなった黄泉寺の手に気づき、絖瀬は気まずそうに口角を引きつらせた。目と目が合った。メガネ越しの瞳が少し潤んでいた。

「すすすす、すいませんッス!」絖瀬は慌てた様子で黄泉寺の手を握った。「じ、自分、緊張しいで、すぐ手汗まみれになっちゃったりとかして……ッス」

「お、俺もそうなんで! あんま、気にしない……ッス」

 両手でしっかり手を握られた黄泉寺は、緊張のあまり語尾が伝染っていた。

 二人のポケットから、ポーン、と音が鳴った。二人は同時にハンズフリーイヤホン取り出し、同じように左耳のメガネのつるを上げ、耳に押し込んだ。

『――自己紹介は終わりましたでしょうか?』

 アポカリプサーの声がいくらか冷ややかに聞こえ、黄泉寺と絖瀬は慌てて手を離した。

『――それでは黄泉寺委員、三頭委員を誘導して、ポストアポカリプス用アポカリプスメーカー二号に乗り込んでください』

「……ポポポメカ、二号?」

 黄泉寺は佇む竜に胡乱な目を向ける。

「えっ?」絖瀬が言った。「自分も、アレに乗れるッスか!?」

「へっ? えと、絖瀬さん、乗ったこと無いんですか?」

「はい! 自分、夕日に向かって飛んで帰るとこ、よく見てて、一回乗ってみたいなぁって思ってたんッス!」

「……えぇと、そうなんですか?」

 黄泉寺はポポポメカ二号に歩み寄りつつ、イヤホンを指先で叩いた。

「梯子車が来てないんだけど、どうやって乗ればいいわけ?」

『ポストアポカリプス用アポカリプスメーカー二号は、胸部から乗降できます』

「胸部……ってことは、胸?」

 長い首の下に入り、黄泉寺は竜の胸に触れた。爬虫類を模したのか恐竜などの獣脚類を模したのかは知らないが、ポポメカ一号の人工皮革よりもベトベトしていた。

 いきなり、ぐずり、と肉壁が割り開かれ、鈍色の鋼板が露わになった。粘液質の赤い液体が糸を引き、不快な音を立てて垂れ落ちる。

『どうぞ、お進みください』

 心なしか誇らしげにも聞こえるアポカリプサーの声に続いて、鋼板に人ひとり通るのがやっとくらいの隙間が開いた。

 黄泉寺は迷わず中に躰を入れた。見た感じ一号の二倍近い装甲厚になっていた。

 入り口からシートまでは無理やり空間を確保したといってもいい狭苦しさで、ほとんど計器とコンソールによじ登るような形となっている。座席は左右一脚ずつで、旅客機のようなタンデムシートに変更されていた。

『黄泉寺委員は、向かって左の、ライト・ヘミスフィアシートに着席してください』

「ら、ライトヘミスフィア……?」

 黄泉寺は困惑顔をしながらシートについた。両肩のすぐ上にあるベルトを引っ張り、腰回りをホールドするベルトと接続する。遅れて嫌そうな顔をして入ってきた絖瀬も、見よう見まねでシートに座った。

「左半球って……」

「えっ?」黄泉寺は聞き慣れない単語に眉を寄せる。「左半球ってなんですか?」

「へぁっ!?」頓狂な声をあげた絖瀬は、唇の端を引きつらせながら言った。「す、すいません……自分、ちょっと独り言が多くって……」へへへと笑って続ける。「さっきアポカリプサーさんがレフトヘミスフィアーシートに、って言ってたッスよ。ヘミスフィアってのは半球って意味で、レフトヘミスフィアだから左半球ッス」

「へぇ……すいません。俺、英語は昔から苦手で……」

「いやぁ、知らなくっても変じゃないッスよぉ。左脳なんて単語、普通は知らないッス」

「左脳? 左脳って……」

 呆気にとられた黄泉寺はここですか、と頭を指さす。

 絖瀬はふふんと胸を張って腕組みをした。ツナギで隠れていたが意外と大きい。

「って、そうだ」黄泉寺は緩みかけた口元を引き締める。

「それで? アポカリプサー、次は何をすればいい?」

『もうよろしいでしょうか?』

 やや棘を感じる口調で言った。

『ポストアポカリプス用アポカリプスメーカー二号Ver.〇.九一一八bを起動します』

 なんでいちいち更新情報が細かいのだろうか。bというからにははベータ版なのか。

 無限に湧きでてくる疑問をヨソに、ポポメカ二号の全天モニターが起動する。

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