テーブルが片付きはじめたところで、沢木が片肘をついて言った。

「――黄泉寺くん、写真が趣味なのかい?」

「うぇ!?」不意打ちのような質問に、黄泉寺はセットのスープを吹きそうになった。

「おっと。大丈夫?」沢木はペーパーナプキンを差し出した。「ポポポ市で一眼レフ首から下げてる人なんて、初めて見たからさ。同じ人的資源損失課のよしみだし、教えてよ」

 崩壊以前プレアポカリプスの口説き文句だろうか、と黄泉寺は受け取ったナプキンで口を拭う。

「えぇと、そう、その、趣味で……」

 ニコニコと笑う沢木に気付いた瞬間、黄泉寺は汗が吹きでそうな恥ずかしさを感じた。

「や、やー……なんか、変、っすよね」

「なんで? 僕はいいと思うよ。というか、黄泉寺くんってそういう人だったかーって」

「いや、そのすんません、変人で……」

「えっ? あっ! 違う違う! そうじゃなくて、実は僕さ、黄泉寺くんは、もっとなんていうか、悪いとは思うんだけど、理屈っぽい人かと思ってたんだ。メガネかけてるし」

「メ、メガネ?」

「そうそう。まぁ、第一印象というか……ちょっと偏見はいってるよね。ごめん」

 沢木は小さく頭を下げて、すぐに続けた。

「でもほら、黄泉寺くんはあんまり趣味の話とかしないし。ほら、あのエレベーターチューブから見える街並みの話とか……もっと早く教えてくれれば良かったのに」

「は、ははは」

 愛想笑いを浮かべるくらいしかできない。疑問ばかりが胸に降りる。

 昨日の一件を慰めようとしている? 

 そうすることでなにかメリットがあるのか? 

 単純にポポポ委員会に同性・同年代の人間が少ないから?

 沢木は、考える時間を与えよう、とばかりに席を立った。

「と、ちょっとコーヒーをもらってくるよ、黄泉寺くんは? コーヒー?」

「え、と、じゃあ、コーヒーで」

「了解。ちょっと待っててよ」

 沢木は鼻歌まじりにコーヒーメーカーの前まで行って、マグカップになみなみと注いで持ってきた。握り込んでいた手を伸ばし、黄泉寺の前に砂糖とミルクを置いた。

「いくついるか聞くの忘れてたよ。ごめんね」沢木は黄泉寺が愛想笑いを浮かべるより早くコーヒーを一口飲んで言った。「それで?」

 それでって?

 黄泉寺は持ち上げたマグカップに口をつけることなく下ろした。カップには妙に楽しげな字体で『HAVE A NICE APOCALYPSE!』と書かれていた。

 よい終末を。

 昼間からイケメンとメシを食べるのが、一般的な元・高校生が過ごす、よい終末か?

 黄泉寺が迷っていると、小首を傾げた沢木が窓の外に目をやった。

「ああ」思いついたように言った。「なんでカメラが趣味なのかなって思ってさ」

「えっ? 理由ですか?」

「そう、理由。たしか黄泉寺くんは――前は高校生だったよね? 部活だったとか?」

「あーいえ……そういうわけじゃないんですが……」

 どう答えたものか。通っていた高校に写真部は無かったし、あっても入りはしなかっただろう。上手い写真を撮りたいわけではないし、理論派ぶった素人同士の批評合戦なんて寒気すら覚える。かといって、撮った写真を見せ合うような友だちは、

 すでに内側の世界にはいない。

 友だちはいなくなったが、写真を見せる相手は欲しいかもしれない。

 黄泉寺はコーヒーを一口すすった。なんとなくかっこつけようとしてブラックを飲んでみたものの、やはり好んで飲みたい味ではなかった。

「――や、その、なんか、いいな、って思ったときとか、なんでいいと思ったのか、よくわからなかったりしません?」

 やっとの思いでそう言うと、沢木はぱちぱちと目を瞬いていた。

「ん? どういうこと?」

「えと、だからその、なんか綺麗な風景とか見て、いいなって思ったりして、そのときいいって思った理由って、その場だとよくわからないんですよ、俺。で、いつか考えようと思ってても、十秒もしたら忘れちゃったりして」

 昨日の、赤い空の下で泣いているボロボロの子どもみたいな光景なら、すぐに思い出せるのに。しかしそれでも、なんで感情が動いたのかは思い出せないか。 

「ああー……なるほど? つまり、忘れちゃう前に写真を撮ったらどうだろうって?」

 予想をはるかに上回る正確な沢木の理解に、黄泉寺は思わず身を乗り出した。

「そう! そうなんです! そのときにすぐ写真を撮っておけば、あとで写真を見て、なんでこれをイイと思ったんだろう、とか、後から確認したり考えたりできるじゃないですか。それで、最初はスマホで撮ってたんですけど、段々、もっと綺麗にって……」

 矢継ぎ早にそこまで言って、黄泉寺はまたやっちまったと顔を歪めた。ポポポ委員に入る前からそうだった。自分の好きな話になると相手がどう受け取るかを忘れてしまう。気づかずにいられる鈍感さがあれば好きなだけ話して満足して終わりだが――

 そういうときには必ず、別の自分が内側にいる。

 やらかしていると気づかせる、冷静極まりない黄泉寺がいるのだ。

 しかし、

「なるほどなぁ」と頷く沢木はまったく気にする風ではなく、むしろ嬉しそうに頬を緩めていた。「ね、もしよかったら、写真、ちょっと見せてくれないかな?」

「えっ? 俺の撮った写真、ですか?」

「もちろん。黄泉寺くんがいいなって思った写真でしょ? もしよかったら、だけど」

「い、いいですけど……笑わないでくださいね?」

 黄泉寺はカメラを差し出した。諦めだった。どうにでもなれ。

 沢木はカメラを受け取ると、「これ、どう操作するの?」と聞きつつ、メモリーカード内の写真を見始めた。愛用のカメラを人にいじられるのは気乗りしない、はずだった。

 よい終末を。

 案外、そうなのかもしれない。

 あまり物珍しそうに沢木が写真を見るから、黄泉寺は少し背筋を伸ばしてしまった。

 ふいに沢木が「へぇ、面白いね」と言った。

「えっ? そう、ですか?」

 一瞬、自分が認められたような気がした。だが、

「最初の頃は建物とかも撮ってるのに、最近のは植物なんだね」

「あっ……それは……その、最初はすげぇって思ったんですけど、毎日見てると、その」

 初めて目にしたときは自然な世界を映し出すモニターが壁や天井に張り巡らされているという事実に、言いようのない感動を覚えたものだ。人を乗せてせりあがっていくエレベーターチューブを見れば子どものように興奮した。けれど、

「なんか、変化がないから、撮り終わっちゃったっていうか……」

「うん、わかるよ。いいなって思ったときに、忘れないように撮るんだもんね。毎日ほとんど変わらない風景を見てるから、変わるものが『いい』んでしょ?」

「そ、そう! そうなんですよ! 植物とかなら、毎日撮れば……少しずつ……」

 黄泉寺はじっと見つめる沢木の視線に気づき、逃れるように目を逸した。

 沢木は、ふんふんと頷きながら、「でも、」と言った。

「人の写真は無いんだね。毎日変化するものなら人が一番だと思うけど……って、そうか。人を見ても『いいな』って思わないのか」

 言って、沢木は男女問わず赤面させるような微笑を浮かべた。それは黄泉寺も例外ではなく、視線を窓の外に逃がした。相手は男だ、イケメンだ、と自らに言い聞かせて、荒ぶる胸の鼓動を落ち着かせる。

 黄泉寺の動揺を見透かすかのように、シャッターの音がした。慌てて顔をあげると、今度はフラッシュまで焚かれた。

 沢木は爽やかに微笑みながら、もう一枚、シャッターを切った。

「一番最近にあったのが僕の写真だったからね。僕もいいなと思うものを撮ってみたよ」

「な、なに訳わかんないこと言ってるんですか?」

 中性的な顔立ちにやられているのか、それとも人的資源損失課に女性がいないからか。

 なにかしら理由をつけないと落ち着ける気がしない。

「せっかくだから、あとで、二人で写真撮ろうか。タイマーとかもあるんでしょ? これ」

「あ、ありますけど……男二人で撮ってもしょうがないでしょ」

 言って、黄泉寺は人気のない通りを……いた。

 背中を丸めて歩く、赤い髪の少女がいた。

「あの、ちょっとカメラいいですか?」

 と、黄泉寺はカメラを返してもらい、すぐに通りを歩く少女に向けた。

 黒くてゴツめのミリタリーブーツ、群青色のデニム、黒いフライトジャケットに、真っ赤な色した短いポニーテール。それに、黄泉寺に負けずとも劣らない、目つきの悪さ。

 それだけだったら、レンズを向けることはなかったかもしれない。

 黄泉寺がレンズを向けるのは、いいな、と思ったときだけだ。

 赤い髪の少女は、なんとも居心地の悪そうな表情かおをしていたのだ。つい先程、オムライスを乗せたトレイをテーブルに置くとき、窓ガラスに映っていた黄泉寺と同じ表情だ。

 少女は、黄泉寺と同じように、ポポポ市での生活に飽いているのかもしれない。

 沢木がふぅんと鼻を鳴らした。

「盗撮現場目撃だ。黄泉寺くんの女の子の趣味は変わってる方かもしれないね」

 我に返った黄泉寺が「そういうんじゃなくて」と言い訳しようとした瞬間、


ううううううぅぅぅぅぅぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、


 と、警報が鳴り出した。

 思わずファインダーから目を離した黄泉寺は、ポポポ市の『空』を、その向こう五百メートル先にある外の世界を、呆然と見つめた。

 市中に鳴り響く警報の、まるで世界の終わりを告げる天使のラッパのような音色には、ポポポ委員の誰もが知っている。

 イコライザーミサイルだ。

 半径十キロを圧縮し、半径二十キロを破壊し尽くし、半径五十キロを秒以下でポストアポカリプスに作り変えてしまう魔法のミサイル。僅かに窪んだ爆心地に残されるのは、荒廃しきった大地と、かつてそこに文明があったという記憶だけになる。

 はっと気づいた黄泉寺はファインダーを覗き込んだ。レンズの向こうで、赤毛の少女も天井を見つめていた。カメラを下ろすと、窓に映り込む自分の顔も歪んでいた。

「――黄泉寺く」

 沢木が名前を呼ぶのとほとんど同時に、食堂のスピーカーが耳障りなノイズを放った。

『イコライザーミサイルが、発射されました。ポストアポカリプス用アポカリプス生成委員のみなさまは、万一の事態に備えて、待機するように、お願い致します』

 アポカリプサーが子どもの声をサンプリングしたような音声で言った。市中に響いた声がエコーを重ねる。幾重にも同じ音色を積み重ね、もう一度、同じ文言を唱えた。そして、

『無事、着弾、いたしました。衝撃波の影響は、観測、されておりません。ポストアポカリプス用アポカリプス生成委員のみなさまは、慌てず、落ち着いて行動してください』

 しばらく、間を取って、さらに続けた。

『ポストアポカリプス用アポカリプス生成委員のみなさまは、よい、アポカリプスを、お過ごしください。わたくし、ポストアポカリプス用アポカリプサーは、みなさまの、ご活躍に、日々、感謝しております』

 なんとも薄気味悪い謝意だ。

 黄泉寺は再びファインダーを覗き、シャッターを落とした。

 赤毛の少女が泣きそうな顔をして天井を見つめていた。目尻から一筋の涙が流れる。ほとんど同時に、またシャッターを切った。

 ポーン、とアポカリプサーが着信を告げた。

「えっ?」

 黄泉寺はポケットから耳掛け式イヤホンを出し、メガネを外して左耳に掛ける。すでに何度もカナル型も作ってくれと要請していたが、未だに開発されていない。

『黄泉寺委員に、アポカリプサーから異動辞令が出ることになりました』

 言葉の意味を理解するのには、十秒ほどの時間が必要だった。

「異動!? どこに!?」

 声を荒らげる黄泉寺に、沢木が視線を鋭くして「どうしたの?」と言った。

 構わず、もう一度訊ねた。

「アポカリプサー! 俺の異動って、どゆこと!?」

『正式な辞令は、明日の朝、発令されます。黄泉寺委員は、本日、休暇となっています』

「休暇とかどうでもいいから! 辞令!? 異動!? 詳細は!?」

『正式に発令されるまで、これ以上の情報を、ご提供できません。ご了承ください』

 アポカリプサーは淡々と言い切った。無慈悲だ。AIだから当たり前だ。

 しかし、人間はそう簡単に切り替えられない。

 黄泉寺は、ごん、とテーブルに額を打ちつけた。冗談ではない。AIのジョークがつまらないのは今朝知ったが、これはジョークではないだろう。

 頭の中で、昨日と異動がつながっていく。

 人的資源損失判定『S』の少女、殺したくないと思った黄泉寺、音圧で失神して瓦礫から転がり落ちる少女、そのまま帰投してからの事態隠蔽、今日に至る職務怠慢。アポカリプサーが抱くであろう不信感と、姿を消したきり戻ってこなかった同僚たちがつながる。

 黄泉寺は腹の底からこみ上げてくるものを感じた。いますぐにでも吐き出して楽になりたいが、吐いたところで楽になる保証は一切ない。むしろ、どうにもならないという現実を突きつけられそうな予感があった。

 押しつぶされそうな不安に耐えていると、沢木が気づかうように言った。

「大丈夫かい?」

「……や、なんか、よくわからないす……」

「異動って言われたんなら、大丈夫じゃないかな? 別の部署に行くって意味だしさ」

 黄泉寺を気遣っての発言なのだろうが、顔は上げられそうにない。

 一見正しく思える推理だが、所詮は人の浅知恵でもある。知恵比べの相手はアポカリプサーで、AIで、人間的な思考ができないからポポポ委員会を立ち上げたのだ。

 アポカリプサーはポポポ委員をどう定義している?

 より人間的なポストアポカリプスとはどういう代物なんだ?

 外の世界の人々は人的資源と呼ばれているのだ。異動先が外でも、おかしくはない。

 黄泉寺の知る限り、異動したとされるポポポ委員を、再び内側で見たことは、無いのだ。

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