ポポポ市の朝は早いのだか遅いのだかわからない。

 冗談でもなんでもなくわからないのだ。地下都市であるため日光が入らないからだ。

 もちろん、ポポポ市に住まうポポポ委員の精神衛生を保つために、天井には空の映像が流されていたりはする。映像は時間と共に変化していくし、日によってはスプリンクラーが雨を降らす。時間の感覚が狂うはずがない。そう思える。

 ただしそれは、アポカリプサーを全面的に信頼している場合の話だ。

 ポポポ市のありとあらゆる生活環境を整えているのはアポカリプサーである。もし一瞬でもAIは正確であるという前提を疑ってしまえば、目覚めた時間が早いのか遅いのかすら疑わしくなってしまう。

 瞼を開いたとき、まさに黄泉寺は困惑していた。

 枕元に置いた時計代わりのホームデバイス『アポカリプサー・ミニ(円筒タイプ):サマークラウドホワイト』が鳴らなかった。

 普段、黄泉寺の起床が遅すぎる場合は公共交通機関の仮眠室じみた可動式ベッドが動きだし、スムーズに叩き起こされる。また早すぎれば、どのように検知しているのか知らないが、『今日は早起きですね』と、柔らかな女性の声でアポカリプサーが言う。

 いつもあるはずのできごとが起きない。たったそれだけのことで、窓から差し込んでくる光が自然光ではないと痛感し、見上げる白い天井が隔離室のそれに見えた。

 黄泉寺はごくりと喉を鳴らした。躰を起こし肩越しにアポカリプサーミニを見つめる。

「……アポカリプサー、今、何時?」

 円筒形のスピーカーじみた物体の根本で、ぽっ、と緑色の光が灯った。

『おはようございます、黄泉寺委員。日本時間で、十一時十七分になります』

 柔らかい女性の声はいつもどおりだった。

 しかし、信用できない。

 昨日の一件があったからかもしれない。異常としか思えない判定値『S』の少女を見逃したから、アポカリプサーに見放されたのではないか。

 あるいは、主任が言い訳に気づいてアポカリプサーに確認を取った。それによってポポポ委員としての価値が失われた。だとすると判断ミスを求められてはいるが、限界もあるということになる。

 どうだっていい。もし見放されたのだとしたら。

 脳裏に少女の姿が立ち現れて、黄泉寺の姿と重なる。

「マジ……?」

『マジですよ』アポカリプサーは淡々と言った。『マジで日本時間で十一時……あっ、もう二十分になりました』

 それが冗談だと気付くのに、たっぷり一分は必要だった。

 黄泉寺はがっくりと肩を落とした。

「――っだよぉ! 全然笑えねぇよ、その冗談!」

『申し訳ありません。黄泉寺委員が笑えるようなジョークを言えるようになるには、まだ時間がかかりそうです』

「……まぁ、いいけどさ」

 全然よくなかった。無条件に信用していいものか迷っている。

 ついでに疑問も湧いていた。

「アポカリプサー。なんで起こさなかった?」

『本日、黄泉寺委員には休暇が割り当てられました』

「休暇!?」

 黄泉寺は弾かれたように顔を上げた。

 当日になって休暇が言い渡されたのは初めての体験だった。

 そもそもポポポ委員人的資源損失課としての業務は、すこぶるゆるい。前日までに休みたいと申し出れば、説得されることはあっても休暇を拒否されたりはしない。急病等の理由があれば、アポカリプサーの運営する医院でAI診断を受けた後、勝手に休暇が割り当てられるくらいにはホワイトだ。

 生活していくにあたり賃金を必要としないポポポ市ではそれが普通なのだ。生活のすべてがAIによって賄われているからこそできる、一種の理想郷といってもいい。

 したがって、ポポポ委員がそれでも働き続けている理由は、ひとりひとり異なる。さしあたって黄泉寺の場合は、『ポポポ市から追い出されたくないから』だ。

 外の世界は自分たちが創る《黙示録》の真っ最中で、内側は何不自由ない理想郷。

 好んで外に出たいとは誰もが思わない。

 だからこそ黄泉寺はこれまで休まずに働いてきたし、アポカリプサーの医学的指導にも従ってきたのである。また、だからこそ黄泉寺は、とうとつに与えられた休暇に困惑した。

「……休暇って……何するんだっけか」

『アスレチックジム、シアターセンター、お食事どころ、ポストアポカリプス用アポカリプス生成委員用生活都市は、すべてのサービスを年中無休でご提供できます』

「……そういや、そろそろ昼飯時か……」

 食欲は三大欲求のひとつだけあって優先度が高い。黄泉寺はのそのそとベッドから這い出て浴室に向かった。少し熱めのシャワーを浴びている真っ最中にアポカリプサーが着信を告げた。間髪入れずに後にしてくれと答えた。だが、メッセージが届いたのだという。

『沢木委員からのメッセージです。読み上げますか?』

「沢木さん!?」黄泉寺はシャワーを止め、顔をタオルで拭った。「……読み上げて」

『もしよかったら、昼食を一緒にとりませんか?』

「昼食……沢木さんと?」

 ありがためんどくせぇ、と思った。昨日の今日で、なぜ。

 ごん、と黄泉寺は額を浴室の壁に押しつける。

「昨日は断っちまったもんなぁ……断ったらギスギスしたりすっかなぁ……?」

 二度、三度と頭を軽く打ちあてる。どのみち内側の世界に変化はないが、カメラを片手に外に出ようかと計画を立て始めたばかりだった。ため息が漏れる。

「アポカリプサー、メッセージに返信。行きますって伝えて」

『はい。沢木委員に『行きます』とお伝えしますね』

 黄泉寺はバスタオルを手に取り浴室を出た。

 写真については隠しておくような趣味でもないし、ついでだからカメラも持って行こう。

 人付き合いが少ないゆえに、人間関係の切り替えだけは早い方だった。

 

 十五分後、ポポポ委員用マンションの外には、一眼レフのデジカメを首から下げたラフな格好の黄泉寺がいた。突然与えられたとはいえ休みは休み。いつものブレザーを着る気はなかったのだ。ハイカットのスニーカーにジーンズ、上は黒いTシャツというテキトーさだが、人に会うための服をもらうなんて発想がなかったのだから仕方ない。

 黄泉寺が着ている衣服も、カメラも、すべて市内外のどこかでアポカリプサーが作った支給品である。見た目に関しては既視感を覚えるが一応はオリジナルの設計で、既成品の性能を軽々と上回るものが無償で手に入る。

 特にカメラは、望めば百万はくだらないであろう製品でも支給を受けられたのだ。

 しかし、黄泉寺はそれらの製品を無償で受け取れること事態が恐ろしく、結局バイト購入を予定していた物と同じようなスペックを指定して、発注していた。

 もっとも、冷静に製造工程を考えれば、元から用意されていたモデルではなく個別に指定したわけで、ワンオフの高級機となってしまった可能性も否定はできない。

 黄泉寺は価格の判然としないカメラを街路樹に向け、シャッターを落とした。

「しっかし……どっからもってきたんだか」

 呆れ半分で呟き、写真を確認する。ディスプレイには、昼の太陽を再現した光で葉陰をつくる、銀杏の木が映っていた。葉はまったく色づいていないが、写真の日付は九月の終わりを示していた。まったく、奇妙なものだ。

 学校のような定期的な行事がなく、気温も一定に保たれているため、曜日の感覚も月日の感覚も失われてしまった。まるで永遠に続くかのように思えた小学生の頃の夏休みに戻ったような、あるいは自分だけが止まった世界の中で生きているかのような。毎日同じ植物を撮影し続けないと木々すらも人工物なのではないかと錯覚してしまう。

 ――アポカリプサーに苦情を入れれば、紅葉を見られたりもするのだろうか。

 黄泉寺は短くため息をついた。それはそれで、人工物じみている。

 こんな生活は、生きていると言えるのだろうか。それもただのワガママなのか。

 待ち合わせ場所に指定された食堂までの道すがら、黄泉寺が人工物にレンズを向けたのは一度だけだった。食堂である。もし自分の性が女だったのなら自分に向けているのかと動揺しそうな笑顔で、沢木が手を振っていた。

「良かった。ちゃんと来てくれたね」沢木は黄泉寺の首から下るカメラを指さした。「すごいね、それ。一眼? っていうんだっけ?」

「――そ、そうっすよ」黄泉寺は動揺する自分に腹を立てながら言った。「あ、アポカリプサーに作ってもらったっていうか、支給してもらったっていうか……」

 昼間だろうが、夜だろうが、対面時の緊張だけはどうにもならない。むしろ明るいところで顔を合わせている方が、自分の惨めさをより強く自覚させられるような気がする。

「大丈夫? とりあえず、食堂入ろっか」

「う、うす」

 黄泉寺は小さく頷きながら、せめて声だけはもう少し張ろう決めた。

 二人は三階の洋食フロアまで上がり、沢木は最初から決めていたかのようにペペロンチーノを頼み、黄泉寺はこれまで注文したことのなかったオムライスセットを選んだ。気分を変えようと思って頼んだのだが、どういうわけかケチャップで複雑怪奇な幾何学模様が描かれていた。せっかくなので、テーブルにつくと同時にカメラを向ける。

 と、沢木が快活な笑い声をあげた。

「オムライスに一眼向けてる画ってちょっとシュールだね」

「えっ、あっ、そ、そっすね。すいません……」

 張ろうと決めてたはずの声は、早くも小さくなっていた。

 沢木は目を瞬かせて、すぐに両手をぱたぱた振った。

「ああ、ごめん。バカにしたわけじゃなくて、ちょっとおもしろいなって思ってね……ほら、ちょっと前までならスマホだったからさ」

「ああ……あぁ、たしかに、そうですよね」

 黄泉寺は自然に笑おうと口角を吊った。

 沢木は二度瞬き、「とりあえず、覚める前に食べちゃおうか」とフォークをとった。

 食事中に沢木が口にしたのは他愛のない世間話ばかりで昨日の話はでなかった。黄泉寺はうまく答えられる気がせず、俺は相づち機能を有した街の人工物の一個であると自分に言い聞かせながら、オムライスを平らげることに集中した。

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