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二頭の竜――黄泉寺と沢木の乗ったポポポメカ一号が、最初にイコライザーミサイルが落とされた地、旧・東京スカイツリーを目指して滑空していく。
かつて数十キロ先からでも見れた摩天楼は見る陰もなく破壊され、縦横無尽に張り巡らされていた道路は川と海に飲まれた。今では汚泥の混ざる沼地と化した文明の跡地をアポカリプサーの操作する無人型ポポポメカ一号が警戒している。
実に二十体を超える自律行動型ポポポメカが守っているのは、まさにかつてスカイツリーがあった場所に浮遊している、半径二百メートル弱の黒い球体である。
二頭の竜はひとつ滑らかに羽ばたき減速をかけ、球体の中へと沈んでいった。異界に帰ったようにも見えるが、実態としてはホログラフィ・フィールドを抜けたに過ぎない。
人の目では――たとえカメラレンズを通しても――黒い球体が浮かんでいるようにしか見えないが、実際にあるのは大地を穿つ直径百メートルほどの円筒型の構造物である。
かつて地表を吹き飛ばしたその直後、東京の地下に広がる『ポストアポカリプス用アポカリプス生成委員用シティ』――通称ポポポ市から伸びてきた死を運ぶ梯子、地下駐機場へと続くエレベータープラットフォームだ。
二頭の竜は、静かにその中心に降り立った。
「アポカリプサー」黄泉寺が言った。「収容を開始して」
『わかりました。収容を開始しますね』
アポカリプサーの声が切れると同時に鈍い音がし、竜を乗せたまま床が沈み始めた。
黄泉寺は居心地の悪い浮遊感に顔をしかめる。すでに乗った回数は五十を優に超えているというのに未だに慣れない。
新たなエレベータプレートが頭上の穴に蓋をするためにせり上がっていくのを見ながら、アポカリプサーには必要ないが人間相手には欠かせない作業について考える。
主任への言い訳である。
人的資源が子どもだったから、なんていうのは言い訳にはならないだろう。
まだ『気分が良くなかったから』とか、『体調が悪くて』とか、あるいは昔読んだカミュの異邦人のように『太陽が眩しかったから』くらいのほうがマシな気がする。
きょう、世界が死んだ――なんて。
そういえば、異邦人は母親の死に頓着しないことを咎められたのだった。
……こっちはしなかったことを裁判にかけられるわけだけど。
思考の海に逃避しかけていた黄泉寺に、沢木からの通信要請があった。条件反射のように承認する。
「考え込むことないよ、黄泉寺くん」沢木は当然だとばかりに言った。「もしアレなら、主任に会わずに部屋に直帰しちゃってもいいよ? 僕が言っておくし」
「いや、さすがにそれは沢木さんに悪いんで……」
黄泉寺は沢木のやりすぎなくらいの気遣いに苦笑した。
別に怒られるのが嫌なのではない。いや、嫌は嫌なのだが、黄泉寺は夏休みに予定していたバイトが『倉庫での仕分けからコンビニの夜勤に勝手に変えられていた』程度の感覚で働いている。どれほど怒られようと、『
むしろ問題はその先だ。
主任がアポカリプサーに何を訊ねるのか、またその質問にどう答えるのか。
黄泉寺の上司にあたる主任は、『黄泉寺の上司』という役割をアポカリプサーに与えられているにすぎない。彼がどれほど怒ろうと、どれほど嘆こうと、黄泉寺にできることは限られているから恐れる必要はない。
しかし、アポカリプサーへの報告は別だ。
ポポポ委員会で命令権を持っているのはアポカリプサーだけであり、同時にあらゆる責任を有しているのもアポカリプサーだけである。その判断と決定は絶対……でもないが、少なくとも委員として活動していられるのは必要だと判断されている間だけだ。
もし主任が『黄泉寺は委員に不適だ』などと報告したらどうなるのか。
アポカリプサーが『黄泉寺は委員に不適だ』と判断したら、どうなるのか。
黄泉寺の知る限りでは、人的資源損失課から配置転換された委員は五人いるが、今のところ再び彼らの顔を目にしたことはない。
ムチウチになりそうな衝撃と共にエレベーターの下降が止まった。
ポーン、と軽快な音を立て、アポカリプサーのアナウンスが始まる。
『お疲れ様でした黄泉寺透委員。ハッチを開放します。そのまましばらくお待ちください』
「はい、おつかれさまー」
ほとんど癖のようになった文句を唱え、黄泉寺はぐったりと背もたれに躰を預ける。
言い訳は、まだ思いついていなかった。
とりあえず少女の判定値『S』については報告するのはまずい……気がする。
いや、敢えて報告するべきだろうか。
マニュアルにも書かれていなかった判定値だ。アポカリプサーが判定ミスをした可能性も……アポカリプサーを疑うような発言をするのは危険だろうか。
沢木の言葉を借りるなら『人の判断ミスを期待して』黄泉寺も委員に据えているのは間違いないが、だからといって疑っていいとはならない。
「考えても仕方ない、かなぁ……」
脳裏に過るは、地に伏す少女の小さな躰。
黄泉寺は天井を仰いだ。丸いハッチが回転しながらふたつに分かれ、肉々しい人工皮革の内側が粘着質な音を立てながら割れる。穴から冷たい蛍光灯の光が差し込んできた。
ポポポメカ一号の首元には、すでにアルミ製の梯子台が据え付けられていた。足をかけると、ポポポメカ一号はアポカリプサーの指揮下に入り、最も移動効率の高い空間へと滑るように移動し始める。
すべてがアポカリプサーによるもので、人の手はなにひとつとして介在していない。
しかし、そのあまりにも滑らなかな足取りは人が操作するよりも巧みだった。
黄泉寺は目を疑うほど爽やかな服装の沢木と合流し、人用のエレベーターに乗った。
ガラス越しの黒い大地を見つめること約五百メートル、ポポポ市全域を見渡せる『上空』に出る。天井に張り巡らされた『空』は、すでに星空に変更されていた。
さすがに見渡す限りとまではいかないが、ポポポ市中央に位置するエレベータチューブから向こう五キロに渡って楕円形の街が広がっている。乱立するビル群にポツポツと光る街の明かりは、どこか天井のさらに上にあった東京の面影を滲ませていた。
住民はすべてアポカリプサーに選ばれたポポポ委員であり、衣食住の管理はすべて自律型のロボットが担っているため、人影はまったくといっていいほど見当たらない。
いわば、生まれながらに死んでいる街だ。
「コレで結構、僕は好きなんだよね。この風景」沢木は徐々に目線の高さに近づいてくる街並みを見つめながら言った。「黄泉寺くんは苦手なんだっけ?」
「……えぇと……まぁ、そっすね」
そっけなかっただろうか、と黄泉寺は目を泳がせる。世界が壊れる前から人と話すのは得意ではない。それに相手は入学と同時にカーストの頂点に立ちそうなイケメン。灰色に染まった中学の三年間で、黄泉寺の躰は受け答えに細心の注意を払うようになっていた。
だいたいにして、ひと月も前に話したことを覚えているとは。
もしや自分の気に入っている風景を嫌っている冴えない元・高校生が腹立たしくて――。
と、黄泉寺が過去の孤独に舞い戻ろうかというとき、沢木が苦笑しながら言った。
「ああ、特に他意はないよ。というか、好きなのは好きなんだけど、嫌いだっていうのも分からなくもないんだよね。変な感じがするよ」
「……イケメンかよ」
「えっ?」
沢木は微笑を浮かべたままパチパチと目を瞬かせた。
黄泉寺は慌てて顔を伏せ、噛まないように慎重に舌を回した。
「や、その、やっぱり人の気は――」
同時に、エレベーターが止まった。黄泉寺は続く言葉を飲み込み、震えそうになる手でメガネを押し上げる。
沢木は音もなく開いたガラス扉と黄泉寺を交互に見、『開』ボタンを押した。
「えーと……ところで、いい言い訳は思いついた?」
向けられたアルカイックスマイルを直視できず、黄泉寺は小さく肩を落とす。それを返答と受け取ったのか、沢木は手をひらひらと振った。
「じゃあ僕がテキトーに話すからさ、黄泉寺くんフォロー入れてよ」
「……うす」
イケメンかよ、と今度は心中で呟く。しなくてもいいのに主任のネチっこい説教を想像して足を重くしながら、黄泉寺は人的損失課コントロールセンターに入った。
推測どおりの、不機嫌そうな主任の視線が待っていた。
しかし、初っ端から飛んでくると踏んでいた怒声はなかった。沢木という防波堤が未然に阻止したのである。
主任の口が開ききる前に黄泉寺を肩の後ろに隠し、第一声で『すいません。僕が黄泉寺くんに余計なことを教えちゃったみたいで』である。
続けて『本当なら僕が怒らないといけない立場なんですけど、主任のお手を煩わせてしまって。いつもフォローありがとうございます』とくる。
もちろん、主任は面白くなさそうに口を噤んだ。それを見越していたかのように沢木が『実はお説教するつもりで帰投したんですけど、エレベーターで黄泉寺くんから主任の指導のお話を聞きまして。――ね?』と黄泉寺に目配せ。
頷きを確認すると同時にこう畳み掛けた。
『でまぁ、戻ってきてしまったので、あらためて巡回に出るのもアレかなと思うんです。なので主任、今日はこれで帰らせていただけませんか? お願いします』
促されるままに『お願いします』と言った黄泉寺は、問題なく帰れることになった。
訂正、沢木はイケメンを超越した何かだ。
ポポポ委員用の宿舎となっているマンション手前で沢木からの夕食の誘いを丁重にお断りして、黄泉寺は自室へ戻った。
「ただいま」
真っ暗な部屋に向かって、一応、呟いてみる。
『おかえりなさいませ、黄泉寺委員』ベッドの枕元で青色の光が淡く灯った。『お部屋の電気をおつけしましょうか?』
「いや、いいや――なんか疲れたから、寝る」
言いつつ、黄泉寺は緩めたネクタイの輪から首を抜く。タイはブレザーと一緒にハンガーに吊るしてズボンを丁寧に畳み、脱いだシャツと靴下はランドリーシュートに放り込んでおく。明日の朝には帝国ホテルクラスの仕上がりで戻ってきているはずだ。帝国ホテルに泊まったことはないが、アポカリサー自身がそう自慢している。
黄泉寺はベッドに横たわり、両手で顔を覆った。
「アポカリプサー。いま何時?」
『日本時間で午後七時二十分です』
さすがに寝るには早すぎる。
けれど、そう思っている間にも瞼が重くなってきた。いつも通りの巡回のはずだったのに、なぜか、ひどく躰が疲れていた。
「……おやすみ、アポカリプサー」
『おやすみなさいませ、黄泉寺委員――』
瞼を落とすと、すぐに意識が遠のいた。
夢は、見なかった。
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