「ガキって、そんな……」

 黄泉寺は肺から絞り出すように呟いた。

 子どもが尻餅をついた。竜がいきなり振り向くとは思っていなかったのだろう。くりくりとした目を一気に潤ませ、涙を流した。自分が泣いていることにすら気づいていないだろう。下手すると小便をもらしているかもしれない。

 落ち着け……子どもじゃなくて人的資源だ。

 心中で自分に言い聞かせ、黄泉寺は細く息を吐きだした。

「あ……アポカリプサー……損失優先度判定を」

 明確に子どもだと認識したうえで優先度判定をするのは初めての経験だった。どのような判定がでるのか、まったく予想できない。

 黄泉寺は祈るような気持ちでモニターに映る子どもの顔を見つめた。ふっくらとした頬は煤で汚れ、鉄帽から垂れた前髪はパサついている。アポカリプサーが子どもの顔を認識し、長方形のレティクルが表示された。すぐ脇に判定値がでている。

「ま、じ、か、よ……」

 通常なら淡い緑色で表示されるはずの判定値が、赤字で表示されていた。

 損失優先度判定は――S。

 マニュアルに書いてあったのはA判定の『見つけ次第、損失させよ』までだ。

 S判定は、どうすればいいというのか。

 アポカリプサーAIは『より人間的な理想的崩壊後世界』のために、あらゆる角度から人的資源の損失優先度を判定する。

 たとえば、崩壊後世界の遺伝子多様性を担保するためなのか、顔だけはいいようなイケメンは損失優先度が高くなりがちだ。見つけたら殺せの精神で問題ない。

 男性の場合は年齢があがるごとに緩やかに優先度が下がり、ある一定を超えると優先度があがる傾向にある。けれど、子どもがこれほど高いとは思わなかった。

 ――いや、何かの間違いかもしれない。

 黄泉寺はアポカリプサーに訊ねた。

「子どもの損失優先度の平均ってどれくらい?」

『〇歳児から四歳までの平均はBプラス、五歳から十歳はB、十一歳から十五歳ではCとなっています』

「……判定基準は?」

『一概にはいえませんが、保有している遺伝因子、判定時点で習得している技能と知識、私たちの演算による将来予測に基づく、生存にかかるリスク等で判定されています』

「……そうだよね……」

 すでに熟知している算出方法を確認したにすぎない。人的資源損失課の講習で習っているのだから、いまさら確認する意味もない。すぐにでも損失させるべきだ。

 頭ではわかっているのに、黄泉寺はまた別の質問を重ねていた。

「あの子どもの……性別は?」

『女性。年齢は十歳です。必要であればお名前や経歴も検索しますが、お薦めしません』

 アポカリプサーAIは淡々と言ってのけた。

 黄泉寺は訊ねたことを後悔した。全世界のコンピュータに侵入して情報を共有しているらしいアポカリプサーは、手がかりがひとつあれば人的資源の固有情報を提示できる。常時それをせず、また推奨しないのは、人的資源の損失という形を保ちたいからだ。

 人ではなく資源とみなすことで、ポポポ委員の精神を保とうとしているのである。

 だが、黄泉寺は子どもを人として、少女として認識してしまった。

「逃して……いいのか?」

 迷う。これは人的資源の損失ではない。少女を自分の手で殺すか、逃がすのか。

 判断は黄泉寺の倫理観に求められ、どのような決定を下したとしてもアポカリプサーに罰せられたりはしない。自由に決定できるのだ。

『ご自身の判断に従われるのが懸命です。私たちはそれを望んでいます』

 淡々と語るアポカリプサー様のお言葉は、不快感を与えないように調整されている。

 手が汗で滑る。黄泉寺は操縦桿を握り直した。人差し指で熱戦放射装置のトリガーキャップを開いた。あとは赤黒いトリガーを切るだけでいい。それで子どもは損失する。

 ――違う。殺すんだ。女の子を。

 腹の底からこみ上げてくるものを無理やり飲み込む。

 イケメンを狙って引き金を切るのとはわけが違う。イケメンの場合は憎いという以前に『イケメン』という概念に置き換えることで人として認識せずにすむのだ。黄泉寺は無意識のうちにそのように解釈して自分を守っていた。

 少女は、どこまでいっても、少女だ。

 ――人だ。

 こみあげてくる吐き気に黄泉寺は顔を伏せた。瞬間、アポカリプサーが言った。

『攻撃を受けています』

「攻撃!?」

『損傷率は〇.〇〇〇〇〇一パーセント以下、九ミリ口径のけん銃弾です』

「けん銃弾って、やっぱ自衛隊かよ!」

 黄泉寺は攻撃者を探そうと顔を上げ、絶句した。

 少女が、ボロボロと涙をこぼしながら、腰だめに銃を構えていた。数発の連射を繰り返す、丁寧なバースト射撃である。どこで学んだというのか。

 弾が切れたのか、少女はぱたりと発砲を止めた。すぐにポケットをいくつか探り、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

 弾が残っていなかったのだろう。少女は周辺に散らばる瓦礫の破片を拾い、こちらに投げ始めた。何度も、何度も、何度も投げてきた。大声で何かを叫んでいるようだった。

 何を叫んでいるのだろうと思った瞬間、アポカリプサーが見透かすように言った。

『外部音声を拾うこともできますが、推奨しません』

「……いや、いい」

 少女が何を叫んでいるのか、おおかたの予想はつく。

 生存者側にはポポポメカ一号の個体識別はできないはずだ。少女は黄泉寺の乗るポポポメカではなく、他の誰かのポポポメカを攻撃しているのだ。少女の身内か誰かが、ポポポ委員の誰かに損失させられたに違いない。

 ――いや、あるいは自らに降りかかる運命に怒っているのかもしれない。

 死を覚悟し、躰の内側で膨らみつづける恐怖をぶつけているのかもしれない。せめて一矢報いようというのかもしれない。何もしないで、できないで、ただ漫然と死を待っていたくはない。それだけなのかもしれない。

「……アポカリプサー、無力化するからロアリングの出力絞って」

『わかりました。ロアリングの出力を落としますね』

 黄泉寺はうなだれたまま出力調整を待った。

 少女がまたひとつ石を投げた。緩やかな放物線を描く石は、竜に届かなくなっていた。

 肩で息をしていた少女が新たな石を拾おうとして膝から崩れ落ち、やがてそのまま泣きだした。アポカリプサーに感情推定をしてもらわなくても、何を感じているのか分かった。

 絶望しているのだ。無駄死にに。

『出力の調整が終了しました』

「……了解」黄泉寺は泣きじゃくる少女を見つめて呟いた。「運が良かったね」

 黄泉寺はトリガーキャップを下ろし、親指をロアリングスイッチに乗せた。

 ゆっくりと目を瞬き、押し込む。

 ポポポメカ一号――竜が、大気を揺るがすような咆哮を少女にぶつけた。

 少女はぎゅっと目を瞑り両手で耳を塞いだ。しかし抵抗虚しく瓦礫の山の上で小さな躰がぱたりと倒れた。細かな瓦礫の破片と共に、ゆるゆると滑り落ちていく。下まで落ちきり、白茶けた粉塵が立った。

「……アポカリプサー、生命反応はある?」

『はい』アポカリプサーは一拍の間をおいて答えた。『呼吸が確認できます。心拍数は一時的に高くなっていますが、五分以内に正常値に戻ると推測されます』

「……よし。えーと……沢木さんにつないで」

『わかりました。沢木直宏さんにおつなぎしますね』

 微かなノイズ音がして、すぐに沢木の落ち着いた声がコクピット内に響いた。

「あ、大丈夫だった? ……って、ポポポメカに乗ってるんだから大丈夫なのは間違いないんだけどさ」

 気軽い沢木の声に、黄泉寺は安堵の息をついた。

「えーと……こっちは大丈夫……なんですけど」

「――含みがあるね」沢木は声を低くした。「この会話はアポカリプサーに学習されるだろうけど、僕らが許可がしなければ公開もされない。僕は求められても許可しないし、あとは黄泉寺くんが許可しなければ、ほとんどオフレコってやつと同じだよ」

 期待通りの回答だ。黄泉寺は感謝を込めて暗号化された電波の向こう側に会釈する。わざわざ宣言してくれるあたりが憎めないイケメンの憎めない所以である。

 もっとも、アポカリプサー自身が作ったマニュアルによれば、アポカリプサーの最終決定は全ての権限を超えるため、やろうと思えばあっさり公開されてしまうのだが――、

 今は、その気遣いが嬉しかった。

「あの……ロアリングで無力化したんです」

「なるほど」沢木は一分ほど考えるかのように間を取った。

「……ほんと、黄泉寺くんはいい人だよね。でも僕はキミの判断を支持するよ」

「……そんな簡単に言って大丈夫なんですか?」

「まぁね」沢木はあっさり答え、またしばらく間を取った。

「ちょっと言い難いことなんだけど、黄泉寺くんくらい真剣に人的資源の損失について考えてる人はいないからね。ほら、アポカリプサーは人為的なミスを求めてるでしょ? 言ってみれば僕らの判断は神様の決定と同じなんだよ。気にすることじゃない」

「……ありがとうございます」

 そう答えてみたが、自分自身、納得はできなかった。ポポポメカ一号の足元に気を失った少女が転がっていた。両手足を投げだし、静かに胸を上下させている。

 目覚めた彼女はどう思うのだろうか。

 神様が助けてくれたなんて妄想じみた感想をもつのだろうか。日本人らしく、運がよかったんだと周りに語ってみたり、すでに死んでしまっているであろう保護者が助けてくれたとかなんだとか、そう思うのだろうか。少女を助けたのは黄泉寺の意志。神の決定――。

「ほんとに、そうなんですかね?」

「僕はそう思うってだけさ。少し穿った言い方をするなら、アポカリプサーは――」

 沢木は続きを促すかのように言葉を切った。

 顔を上げた黄泉寺は、汗でずり落ちたメガネを押し上げる。

「こうして俺が悩むのも、アポカリプサーの予測通りって感じっすかね」

「――だと思うよ」

「俺、先に帰投してもいいですか?」黄泉寺は思いついた冗談に自ら吹き出した。「まだ巡回終わってないんですけど、これも判断ミスってことで」

 微かなノイズに混じり、沢木の快活な笑い声がした。ウケてよかったと肩の力を抜く。

 沢木が穏やかな声で言った。

「じゃあ僕は、黄泉寺くんの撤退支援をしようかな。帰るまでが巡回ってことでさ」

「うす。ありがとうございます」

 イケメンは冗談もイケメンなのか、と黄泉寺は苦笑する。少女を踏まないように慎重にポポポメカ一号を操作して、廃墟となった東京スカイツリーの方へ首を向けた。

 竜はコウモリのそれにも似た翼を大きく開き、地を蹴った。

 すっかり日の暮れた中道五番町商店街は、今日も静かなものだった。

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