1章『こちらポストアポカリプス用アポカリプス生成委員会人的資源損失課』
1
その日も、中道五番町商店街は静かだった。
崩れたコンクリート壁、剥き出しになった鉄筋、ひしゃげたシャッター、半分破れて焼け焦げた看板、壊れた空っぽになった自販機などなど。
かつてはそこに人がいて、共に暮らしていて。
つまり、活気があった。
三ヶ月ほど前、世界の終わりが始まるまでの話だ。
まず東京スカイツリーの真上に業火の火種が落ちた。
銀色に輝くそれは、一本の、太い杭のような何かだった。
それは展望台を貫ぬき大地に刺さり、半径十キロを東京タワーを残して消滅させた。
何かの比喩ではなく、文字通り消滅させたのである。
次の瞬間、地上の全てを吹き飛ばす爆風が、半径二十キロ圏内を襲った。
爆風には不思議なものが混ざっていた。消えたはずのスカイツリーを含めた、ありとあらゆる人工物が、元の形を留めたまま混じっていたのである。爆風に晒された地域は、当然のように全て瓦礫と化し、爆心地には空中に浮遊する黒い球体が残った。
その後、球体から奇妙な生き物が出てくるようになった。後に人類が『
自衛隊は必死に抵抗した。
竜の、目玉のような斑紋が蠢く赤い表皮を破れず、半径五十キロが破壊された。
その段になって、人類は海の外に連絡を取ろうとしたという。
無駄だった。
竜が地上の覇者となってからほどなくして、次は異形の人間が目撃されるようになった。エビのような昆虫のような、人形の生き物だ。後に『
空を塞がれ、海を塞がれ、やがて通信も遮断された。
人々は為す術もなく数を減らし、居住地を追われていった。
僅かひと月の間のできごとである。
以後、竜はじわじわと数を増やしながら行動範囲を広げていき、最初に落とされたものとよく似た謎の業火が何度か地に落ち、黙示録の進行は緩やかになっていった。
そして三ヶ月が経った今、黙示録の原点となった東京は、そこがどこかを象徴するかのように完璧な形を保つ東京タワーを中心として、生き物の住めない死地となっている。
ふたたび、中道五番町商店街――。
廃墟と無機物だけがずらずらと並ぶかつての生活の要地を、ときに器用に瓦礫を避け、ときに無造作に瓦礫を踏み潰しながら、一匹の竜が歩いていた。体表のそこかしこに浮かぶ人の目玉のような斑紋が、一歩ごとにうごめいている。
ふいに、竜が足を止めた。長い首を伸ばして地平の先を見つめている。
延々と連なる瓦礫の列は、半径にしておよそ六十キロ続く。その後は半崩壊に留まっているがしかし人の住まない街並みで、さらに先は知らない。
しばらく佇んでいた竜は、首を振って、また死んだ街の巡回へと戻っていった。
その、竜の中――より正確に言えば人類側が竜と呼称している〈ポストアポカリプス用アポカリプスメーカー一号Ver.三.七七五六四〉――通称ポポポメカ一号のコクピットには、紺色のブレザーを着た少年が座っていた。
少年の名は
黄泉寺は、先ほどからずっと、顔をしかめていた。対衝撃・貫通人工皮革に覆われたポポポメカ一号のコクピットはとにかく暑く、湿気が酷いのである。加えて、代わり映えしない外の風景にも嫌気がさしていた。
「……うっはぁ……ここらへんは相変わらずくっせぇなぁ……」
言って、黄泉寺は鼻をひくひく動かした。
炭化した木と、化学繊維と、ヒトを含めた動物性たんぱく質の焼け焦げた匂いだ。対毒エアフィルターに守られていても、まだ臭う気がする。
コクピット内の大気成分異常を知らせる警告ランプは点灯していないので、実際には臭気は入ってきていない。軍事知識について詳しくない黄泉寺だが、ポポポメカのマニュアルは熟読しているので、そんなことはよく分かっている。
しかし、全天モニターに映る惨憺たる外の世界と、彼の頭に残る過去の活気が、臭いを感じさせるのだ。
中道五番町商店街は、首都近郊にある割に、古い木造建築物が多かった。住人も互助精神を重んじるような古臭くも温かい価値観を共有していて、そのために荒っぽいながらも治安はよろしく、意外なほど老若男女に愛されてもいたのである。
「……ああ……くっせぇわけだぁ……」
黄泉寺の操るポポポメカ一号が、うごめく六足を止めた。
ポポポメカ一号の正面には、定食屋の廃墟があった。黄泉寺自身も何度か入ったことのある店だ。押しつぶされた店舗の上に、這いずって逃げたであろう人の死骸まである。
黒焦げだ。完全に炭化して性別すらわからない。身につけている金属製品も歪んでしまって元がなんだったのかわからない。
なんだってアポカリプサーは地元を巡回地に選びやがったのか。
せめて瓦礫の上に転がる黒焦げた死体が定食屋のおっちゃんではなく、現代社会でエロゲー並のハーレムを構築していた腐れイケメンでありますように、と祈る。
「……ま、おっちゃんなら損失優先度はD判定だろうから、殺されはしないだろうけど」
つまり黒焦げさんには手を合わせなくてもいい。
とはいえ、いまだに肉付きはキツい。
「……あぁ……クッソ……気分落ちたわ……」
この三ヶ月の活動で人の死体というモノには見慣れていた。けれど、見ること自体がショックであるには違いなく、気分の落ち具合は明らかに死体の状態に依存するのだ。
不思議なもので、それがどんな動物の死体であっても、完全に白いお骨になってしまっていれば気にはならなかった。
それらは駅の向こう側にあったサブカル雑貨屋に並んでいた髑髏グッズと同じで、ただのオブジェにしか見えない。瓦礫の山に紛れていればなおさらで、ポポポメカ一号のカメラを通すと、よくできたゲームの背景としか思えなくなる。
が、肉が少しでもついていると話は変わる。
人もやはり獣ということなのか、肉が残っている死体を見ると、たとえソレが顔どころか性別までわからない黒焦げ状態であっても、動物の、そして人の死体であると、強烈に認識させられてしまう。気分は最悪レベルまで下降する。
「あぁ、くっそ」
悪態をつき、黄泉寺はシートのヘッドレストに後頭を押しつけた。巡回はまだまだ終わらないし、これからも風景も変わらない。やるせなさばかりが募る。危険信号だ。
黄泉寺はひとつため息をつき、コンソールに向かって言った。
「アポカリプサー、なんか新しめの明るい曲かけて」
『わかりました。新しい、明るい音楽ですね』
そう、コンソールが若い女性の声で答えた。操縦を含めたあらゆる作業の補助を担う音声入力型アシスタント、アシスタント・アポカリプサーの声だ。
残された東京タワーのアナログ電波塔としての機能を利用して接続している、ポストアポカリプス用アポカリプサーAIの末端――いや、端末――どちらでもいい。同じだ。
しばらくして、コクピットにアイドルソングらしき曲が流れ始めた。
ポポポメカ一号の前進が再開される。相変わらず全天モニターには日暮れの廃墟群が広がるばかりではあるが、アップテンポの曲のおかげで雰囲気だけは明るい。
さぁこの調子で巡回を終わらせて、と思った瞬間だった。
『た~と~え~♪ このせ~かいが~♪ こ~わ~れ~て~も~♪ ……私は――』
「ちょ、アポカリプサー。ちょっと曲止めて」
黄泉寺は顔を覆いたくなった。曲調に騙されかけたが、良く聞けば歌詞が暗すぎる。
『わかりました』と、再びコクピットに静寂が戻った。
黄泉寺はメガネを押しあげ首の骨を鳴らした。
そもそも世界が壊れる前には聴いた覚えがない曲である。誰が歌っているのかなんて検討もつかない。音楽にはあまり興味がなかったから知らないだけなのだろうか。
曲調からアイドルグループらしいのはわかる。だが、三ヶ月前の業火――イコライザーミサイルによる攻撃で、当日東京にいたアイドルの大半は絶滅したはずだ。
「……アポカリプサー、さっきの曲はなに? 歌ってんの誰?」
『《たとえ世界が壊れても》。ひと月ほど前から岐阜県のあった座標周辺で活動を始めたアイドルグループ〈カタクリスト
「……岐阜かよ。それも、ひと月前かよ。しかもなんだよ、カタクリストって」
ツッコミがまるで追いつかない。
アポカリプサーの若々しい声が冷静沈着に答える。
『カタクリストは、政治的変動または破壊的な変化を意味する英単語、カタクリズムを元にした造語と考えられます。おそらく、変革をもたらす者、という意味でしょう』
「……あぁ……ってことは……さっきの曲、生存者が作った最新曲ってこと?」
『そのとおりです』
アポカリプサーのどこか誇らしげな声に、黄泉寺はため息をついた。
彼女、あるいは彼か――性別はともかく、アポカリプサーはアポカリプス開始前に、あらゆるネットワークを介して全世界のコンピュータというコンピュータを掌握した。
だからこそ黙示録の開始とともに大部分の通信手段を遮断できたのだが、結果として生存者側の共有情報を把握するのは難しくなった。
そんな現状において、ひと月前に生存者側で生まれたアイドルグループのデビュー曲を入手するというのは、たしかに誇らしい成果なのだと思う。
問題は、致命的にいまの黄泉寺の気分にはそぐわないということだ。
「なんでよりによってヘコんでるときに生存者側の曲を流すかなぁ……って、俺が新しいのって言ったからか」黄泉寺は自己解決して失笑する。
「もういい……アポカリプサー、夕暮れの廃墟に合いそうな、オフヴォーカルの曲かけて」
『わかりました。では、こんな曲はいかがですか?』
今度は少し不満げに聞こえる声だった。
黄泉寺はスローテンポなトランペットの音色に頷き、巡回を再開した。
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