武家の庭師
小田原征伐の仕置きにおいて氏政と氏照の兄弟が自刃した際、その介錯を務めたのは氏規であった。氏規は自ら介錯役に名乗りを上げ、同じ母の腹から産まれた二人の兄弟の首を斬ったのだ。見事務めを果たした氏規は、血刀をそのまま自らの腹へと突き立てて後を追わんとした。だが、検死役の一人として家康より派遣されていた
康政は、氏規が介錯役を務めると聞き及んだ家康に、「かの男であれば、必ずや追い腹を切ろうとするに違いない。なんとしても止めよ」との命を受け、送り出されていたのであった。「死に急ぎなさるな、北条の為にも」。そう諭され、氏規は唇を噛んで刀から手を離した。
「兄者たちを手にかけ、その上、恥辱に耐え生き永らえた甥までも……」
肩を落とし声を震わせる氏規に、忠次は諭すように声をかけた。
「助五郎よ、それが我々の務めよ。
「尼御前様の……」
氏規は顔を上げて忠次を見た。
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その日、小五郎と助五郎は、寿桂尼に連れられ屋敷の脇にある小径を歩いていた。寿桂尼は今川義元の生母である。だが、単なる生母というだけでなく、政務を補佐する役割を担い、尼将軍とも尼御前と呼ばれる女丈夫であった。その娘である
道沿いに立つ松の木を見上げ、寿桂尼は助五郎に問うた。
「助五郎、そなた、小田原城下にある七本松を知っておいでか」
「いえ、尼御前様。私は幼少の砌よりかの地を離れておりますゆえ、存じ上げません」
「成程。小田原へ帰った折には、本丸の
「はい。きっと参ります」
助五郎の言葉に、寿桂尼は優しく微笑んだ。
「助五郎、そして小五郎、武家の家中とは巨松に似ております」
「松に」
「左様。外から眺めれば美麗で立派な巨松も、その内には
「害をなす枝……」
「そうじゃ。気を付けてはいても、それらの枝は生えてきてしまう。松を健やかに保つためには、誰かがその枝を見つけ、正し、時には切り落とさねばなりませぬ。見事な松の木を育てるには、腕のいい庭師の働きが肝要」
寿桂尼は二人の顔を交互に眺め、諭すように話しかける。
「その庭師が、そなたらじゃ。そなたらの務めは、竜王丸や竹千代とは違う。お家という松の木をしかと見遣り、余計な枝を剪定するがそなたらの役目。言わば裏方。表舞台に立つ機会は少なく、時に汚れ仕事を引き受ける事もあろう。じゃが、お家を支え、健やかに保つ要となる務め。心してお励みなされ」
「はっ、肝に銘じます」
小五郎が頭を下げる横では、助五郎も意味も良くわからず頭を下げていた。
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「松の木を整えるが我らが務め、でございましたな」
「その通り。覚えておったか」
「はい。正直なところ、駿府に居た折には意味を判じかねましたが、今となっては、まさに」
氏規はしみじみと頷いている。さもあらん。忠次が知る限りでは、氏規はまさに松の木を整える裏方に徹してきた男であった。北条家に帰参した折、氏規は跡継ぎの氏政に次ぐ、序列第2位の後継として扱われた。
だがしかし、北条家を取り巻く情勢が変わり、弟の氏照がその才を発揮し始めると、氏規より上位の位置へと繰り上げられた。さらに後年、異母弟の氏邦までもが氏規の上位の位置へ。氏規は、四兄弟のうちの最も下の序列へと位置することとなった。
当時、この話を聞き及んだ家康は、氏規が不遇を
「うむ。辛い役目を引き受け、お家のために粉骨砕身するが我らが務めよ。だが、おぬしの苦労の一因は、我ら徳川にもある。今更詫びても栓無き事であるが、済まなんだ」
「いえ、その話はとうに済んだこと。
氏規は想い出したのか、くすりと笑った。
小田原征伐をさかのぼる事四年の天正14年 (1586年)。当時、北条と組んで豊臣家との対立姿勢を見せていた徳川家は、突然方針を転換し、豊臣家へと臣従した。
この臣従は、北条家に相談もなく行われた。当然、北条方は不安に駆られ、家中は動揺する。今にも徳川を先手として、豊臣方が小田原に攻め入ってくるのはないかと考えるのは当然である。だが、家康は北条家に害をなすつもりは無いことを示すために、すぐさま自ら北条領へと足を運び、黄瀬川の畔で宴を開いた。
疑心暗鬼を払拭できぬまま宴は進み、宴も半ばとなった頃、緊張感の残る両家の諸将の前に進み出たのが、忠次であった。徳川家中随一の将に、皆の目が集まる。そこで忠次が披露したのは、なんと、滑稽な踊りであった。手拭いを頭にほっかむりし、広げた扇を
家康と並び立つほどの地位にある忠次ほどの猛将が、真剣な顔で踊り狂うその様は、両家の諸将を笑いの渦に包みこんだ。なし崩し的にわだかまりも解け、やんややんやの大喝采。互いの諸将は打ち解けて、両家の絆を深めることとなった。
「あの海老すくいには、大笑させていただくと共に感極まり申した。ああ、このようなやり口もあるのか、と。小五郎殿程のお方が、和を成す為に自ら滑稽者を演じられるのか、と」
「なに、あれしきの事、
二人は互いに笑いあった。そして、氏規がぽつりと漏らす。
「小五郎殿も、やはりご苦労されてるのだなあ、と、しみじみ感じ入った物です。時に小五郎殿、一つお尋ねしたいことが」
「なんじゃ。海老すくいの舞い方か」
忠次は、苦笑しながら手酌で茶を注ぐ。
「家中の縁者を誅した際、如何なる心地となり申したか」
「何? 今何と?」
突飛な問いに、忠次の笑いが思わず止まる。戯言であろうか、はたまた聞き間違いであろうか。困惑する忠次に向け、再度、氏規の問いが投げかけられた。
「家中の縁者を、主の子を、
聞き間違いではなかった。かといって戯言でもない。目の前の氏規は、うっすらと口許に笑みを浮かべている。だがしかし、その双眸は漆黒の闇のように深く黒く、真摯な眼差しで忠次を見ていた。
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