韮山城の勇将
侍女のお
「寒い折には
「なんのなんの。それにしても、音に聞こえた三河の
「ははは。言うてくれるわ。とはいえ弱っておるのは本当の所でな。特に目がいかん。外に出るときには、縫に手を引かれてでないと、辺りが解らず歩けないのだ」
「それはまた。養生して下され」
「ああ。儂になんぞ頼みがあるのであれば、早くするのだぞ。儂の目が見えなくなる刻限までは、そうは長くないからな。さ、話せ」
忠次が水を向けると、氏規は深々と頭を下げて話し始めた。
「実は、
「ほう、
「はい。氏直様にはご子息がおりませぬ。このままではお家は断絶し、拝領したばかりの領地も召し上げとなります。それを憂慮した殿下が、我が息子の
「なるほど。願ってもない話ではないか」
「はい。北条家にとってはありがたい話です。ですが、後を継ぐのであれば氏直様の御舎弟である
「ふむ。太田家に入ったという御仁か」
「左様で。この話を受けたものかどうかと」
忠次は腕を組んでまじまじと氏規を見つめ、呆れたようにため息を吐いた。
「助五郎、相変わらずよのう」
思わず幼名で呼ばわると、氏規はにっこりと微笑んだ。
「言わずともわかっておろう。受ければ良い。主家に対する体面の問題ではないぞ。光成めがわざわざ打診してきたという事は、何か腹に一物あるという事よ。彼奴め、お主が主家に遠慮して辞退することを見越しておるのだ。そして辞退をすれば殿下の差配を断ったと吹聴し難癖をつけ、北条の者どもを諸共路頭に迷わせる魂胆よ。織田家の
「は」
「こと光成めは、北条に対して
「さすがは小五郎殿。物が良く見えておいでです」
「見えぬと言っておろうが。まったくお主という奴は。気を使ってばかりのただの柔和な男かと思えば、戦も世渡りも、随分と上手くなったものよのう」
忠次が呵呵と笑うと、氏規は軽く頭を下げた。
「いや、これで安堵いたしました」
「おう。任せておくが良い。お安い御用よ。それに案ずるには及ばん。お主は殿下の覚えがめでたい。先の
先の小田原征伐の折、攻める秀吉軍は東海道を抜け関東の北条領へと攻め入る手はずとなっていた。守る北条方は、最前線となる関東への入り口に位置する二つの城、北の
氏規は、二つの城のうち南側、伊豆半島の付け根に位置する韮山の地にて籠城戦の指揮を執った。守る軍勢は三千五百余り。それに対し、韮山に当たる豊臣軍は四万とも五万とも号していた。
寄せ手の大将は、織田信長の遺児、
幼少時からの温厚な姿を知り、普段は北条方の外交役として氏規と接していた家康や忠次は、思わぬ武勇に驚かされたものであった。北条方の猛将と言えば、氏規の岳父に当たる
「あの折は必死でしたが故に。徳川殿の小牧・長久手の戦いに倣い、手強いと思わせて条件良く降伏する道を探ったのですが、力及ばず無念です」
「なに、十分よ。おかげで殿下はお主を高く買っておられる。わざわざ本家とは別に所領を与えたのがその証左よ。かつては毛利の
「それで忠次殿も、京都に」
「うむ。家中には頼もしい後進も育ち、丁度潮時であったしな。
「成程。流石は徳川随一と言われる忠義者。見習いたいものでございます」
氏規は、急須から椀へと手酌で茶を注ぐと、ちびりとひと舐めして遠くを眺めるように目を細めた。
「とはいえ、某の主家はもはや風前の灯火。某もすっかり、一族の者を見送るのに慣れてしまいました」
「助五郎……」
その顔を見て、忠次は氏規がひた隠しにしているだろう心を
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