年の瀬の来訪者
天正19年(1591年)、冬。京の街は冷え冷えとしていた。雪こそ降ってはいないものの、空気は張りつめ風は肌を刺すように冷たい。桜井屋敷にて隠居をしている
気温のせいだろうか、京の町全体もどことなく重苦しい空気に包まれているようだ。――いや、違う。忠次はひとり首を振った。この町の不安げな空気は、気温のせいだけではない。
今やほぼ日本全土を掌握した天下人、豊臣秀吉は三月ほど前、突然
大切にしていた我が子を失った秀吉は、意気消沈するかと思いきや、かえって執念とでも言うべき暗い情熱を傾けて唐入りの準備を急がせた。既に
――家康様がうまく立ち回って下さっているといいのだが
忠次が主の身を案じていると、侍女のお
「お久しゅうございます。忠次殿、いや、
「おや、これは珍しい。
その男、
忠次の元を尋ねてきた氏規は、当主氏直の叔父にあたり、自刃した氏政・氏照とは同腹の兄弟である。だが、元々豊臣家への臣従を主張し、和平に向けて奔走していたこともあり赦され、氏直共々高野山にて蟄居をしていた。しかし、年が明け、氏直の岳父である家康を通じた赦免活動が実を結んだ。今年の五月、赦免された氏直には大坂の屋敷が与えられ、さらには
「氏直殿の件、誠に残念であったな。隠居の身ゆえに挨拶にも行けずに済まなんだ」
「いえ、お心遣い痛み入ります。こちらこそ、
「なに、栓無き事よ。氏規殿こそ、さぞやご苦労された事であろう」
秀吉に赦免された氏直は、五月より大阪に留まっていた。小田原より家康の娘であり、正室である督姫も呼び寄せ、家臣への知行や借財の整理を行っていたが、十一月に
「時に氏規殿、幾つになられた」
「はい。四十と六になります」
「あの駿河で共に遊んだ童が四十六か。
忠次が笑うと、氏規も畏まった態度を和らげて笑った。二人はその昔、今川義元が健在であった頃の駿河で共に過ごしたことがある。忠次は、当時の松平家から今川家への人質として駿河に送られた家康の供のひとりとして。氏規はこれまた北条から今川への人質として。
臣従の印と同盟の印という違いはあったが、共に故郷を離れ、駿河の地に送られた人質だ。その共通の身の上と、屋敷が隣り合わせという縁もあり、駿河時代は共に学び、そして、遊んだ年来の
特に家康と氏規は、義元の嫡男である
そのまま今川家に仕える事になるだろうと思っていた矢先、桶狭間の合戦にて今川義元が織田信長に討たれた。今川家が大混乱する渦中、家康主従は岡崎城にて独立し松平家の主となり、氏規は北条家に帰参した。
その後、松平家は徳川家へと家名を変え、織田信長と同盟を結ぶ。徳川・今川・北条は、近隣の諸国を巻き込み互いに争っては結び、結んでは争ってはいたが、その最中でも氏規と家康、そして忠次の個人的な繋がりは途絶えることなく続いていた。
北条家中における氏規は、領土の西端にあたる
北条の当主一族でありながら、異質な才を持つ男。それが氏規であった。思えば幼少の
「して、氏規殿。此度の用向きや如何に。まさか喪の挨拶や、ましてや昔語りをされにきたのではあるまいて」
忠次が居住まいを正して問いかけると、氏規はうっすらと微笑んだ。
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