第55話

「シュウ様。もうしばらくしたら、ビズニス軍の軍事作戦領域に入ります」


「分かった。…一応聞いておくが、ストルと遠隔会話することはできないのか?」


「はい。もっと距離が近ければ、可能なのですが…」


 一昼夜をマリカが飛び続け、ようやくレインティアの最南端、グラハガ平原まで戻って来ることができた。


 その間、清流の精霊を召喚しての飲み水以外、何も口にしてはいない。とはいえ三日間、水だけで彷徨ったことに比べれば、一日くらいだったらもう、なんてことはない。お腹はグーグー鳴ってはいるけれど。


「軍事作戦領域には、索敵魔法が展開されているはずだ。引っ掛からないように気をつけろよ」


「了解です」マリカが小気味良く返事をした。


 さてさて。引っ掛からないように気をつけろ、とは言ったものの…ここから先、どう移動するかは、すごく悩みどころではある。


 東に大きく回り込み、エストランド国内を飛んで行くにしろ、西に回り込んで、マリーフィード山脈へ抜けるにしろ、相当な距離を飛ばねばならない。


 それだと、ティアスに帰り着くには、数日は必要とするだろう。


 選択肢としては、もう一度ディグフォルト究極融合&マリカ猫姫融合状態になり、高速で飛んでゆくという手もある。それならば、一日足らずでティアスに帰ることもできるだろうが……


 せっかくここまで来たのだから、なんとかして、ビズニス軍の指揮官である、青の軍神ストル・フォーストに会う方法は、ないものだろうかと考えてしまう。


 …難しいだろうけどね。マリカやアリエルが使うことのできる、テレパシーでの会話も、有効範囲は精々が数キロらしいし。


 単純に、ビズニス軍の野営地を目指して、飛べばいいと思うかも知れないが、索敵魔法に引っ掛かってしまえば、問答無用で攻撃対象にされてしまうだろう。俺の姿を見て、味方だと認識できる者が、ビズニス・エストランド両軍には、存在しないからだ。


 仮にマリカを見て、味方だと認識できる者がいるとすれば、おそらくストル本人のみ。索敵魔法をストル本人が使用してでもいない限り、確実に敵と見なされるだろう。


 無論、指揮官であるストルが、索敵魔法を使用している可能性は、皆無だ。もっと下っ端の仕事なのだから。


 結論としては、ビズニス軍の索敵領域に進入するのは、自殺行為と言っていい。ディグフォルトの究極融合と、マリカの猫姫融合状態で、全力で突っ込めばなんとかなるかも知れないが…こちらから反撃するわけにもいかないし、一軍の一斉射撃を回避し続けるにも限界がある。成功する可能性はあれども、そのような危険な賭けは冒せない。


 逆に、ノウティス侵略軍の索敵範囲に入ってしまえば、少なくとも反撃は可能だが……そちらには、ラグデュアルがいる。


 一対一ならば、あるいは勝ち目もあるだろうが、同時に大軍勢を相手にすれば、まず敗北するだろう。斑天紅竜はんてんこうりゅうルーテフォーテという存在もある。帝国軍の陣地である西側へ行くのは、非常にマズイ。


 従って経路は、一つしか残されなくなる。


 東側に回り込み、数日かけてマリカに飛んでもらうか、あるいは、猫姫融合で高速移動するか、だ。


「シュウ様、あの川の向こうからが、グラハガ平原です。どうしましょうか?」


「そうだな……。一旦、下に降りてくれ。そこでディグフォルト究極融合と、マリカの猫姫融合をして、大きく東に回って飛んで帰ろう」


 すでに究極融合に耐え得るだけの神力は回復している。それが最も無難な選択だ。


「分かりました!」マリカが、どこか嬉しそうに返事をした。





「ついでに、川でお魚でも獲りますか?」


 俺の腹がグーグー鳴っているのを見て、気を利かせたのだろうか。川沿いの原っぱへと降り立ったマリカが、変化魔法で人型になり、小首を傾げるようにして、俺の顔を覗き込んだ。


「うーむ。そうだなぁ…」


 早く帰らないと、セラお姉さん達は、かなり心配しているだろうが…


「まぁ、たまには息抜きも必要だな」


 それはウィルの座右の銘だ。ちょっとくらい真似したって、バチは当たるまい!


 釣り道具も持っていないため、手掴みで獲ることになるが…何か適当なシィルスティングはあったっけなぁ…。


「どうせなら、勝負しましょう。より大っきなお魚を獲った方が勝ちです!」


 腰に手を当てたマリカが、元気に胸を張った。


 ふふふ…。夏休みに田舎の婆ちゃん家に帰るたび、川に潜って鮎突きをしていた私に、勝負を挑むと言うのかね。


「普通の勝負じゃ、勝ち目がありませんからね。シュウ様に勝つチャンスです!」フフンと猫顔になり、パタパタと尻尾を振る。


 いや…普通に戦っても、ディグフォルト究極融合だけだと、ワンチャン負ける可能性はあるけどね。神力量と攻撃力では勝る自信はあるが、猫姫融合がない状態だと、どこまでマリカのスピードについていけるか分からない。


「行っくですー!」


 マリカがキャッフーと両手を挙げると、ボフっと黒い煙が立ち昇り、猫耳フードの白黒の服が、霞のように消え去った。代わりに、白黒のシンプルなデザインのビキニが、マリカの華奢な身体を包む。


 そのマリカの姿を見て、ハタと気づく。


 しまった、水着がない。…まぁ、上だけ脱いでしまえばいいか。たとえびしょ濡れになったって、このあと空を飛んでゆくんだし、あっという間に乾いてしまうだろう。


 川の流れは、さほど早くはない。深さも、一番深いところで、俺の身長と同程度のものだった。


 ゴロゴロとした石が川辺に転がり、川底では大岩が水の流れを作っている。日本の一般的な川と比べて、見た目は大差ない。


 ということは、魚の集まる場所も、同じということですな。


 武具カードの中に、丁度いい感じの三又の槍を見つけ、右手に握って川に飛び込んだ。


 透き通った水の中、先に飛び込んだマリカが、水深の深いところに潜り込んで魚を追いかけている。


 さすがに水の中では、いつものスピードは出せないようだ。が、普通の人間と比べたら、その違いは一目瞭然だ。


 うん。ヤバイねこれ。本気出さないと。


 岩の隙間を覗き込み、見つけた魚をひと突きにする。バシャっと水飛沫を上げて水面へ出て、川岸に戻ると、すでに最初の一匹を捕まえたマリカが、両手で頭上に抱えて、笑顔で俺を待っていた。


「えいっ!」


 パシャン…! と、マリカの尻尾が水面を叩いて、大量の水飛沫が俺の顔にぶち当てられた。


「ぶほっ! …やりやがったな!」負けじと水面を蹴り上げる。


「キャハハハ!」


 バシャバシャと逃げ回るマリカ。


 軽く小一時間ほど、俺とマリカは、のんびりと川遊びを楽しんだ。




 獲った魚の数も、大きさも、マリカに軍配が上がった。


 というか、勝ちを譲ってやったというべきか……獲り過ぎても、食べ切れなかったら勿体無いからね。


 ………ほんとだよ? 別にガチで負けたわけじゃないんだよ? ほんとだよ?


 マリカがササっと集めて来てくれた焚き木に火をつけ、棒に刺した魚を炙る。せめて塩くらいは欲しいところだが、まぁ、この状況で贅沢は言っていられないだろう。


 本当は一時間以上かけて、じっくり焼いた方が美味いのだが、少し強めの火で炙っている。大きな魚は二枚におろし、出来るだけ早く焼けるようにした。


 ペタリと砂利の上に座り込んだマリカが、よだれを垂らして尻尾を振りながら、ジィーっと魚が焼けるのを見つめている。


「ん。そろそろかな」


 焼き上がった魚をマリカに差し出すと、幸せそうに大口を開けてかぶりついた。


 物凄い勢いで平らげてゆく。しまった。もうちょっとたくさん獲っておくべきだったか…。


 自分も一匹を手に取り、小骨も気にせず口一杯に頬張った。


 うん。美味いなこれ。味付けしてなくても十分いける。白身の魚で、少しパサパサした感はあるものの、山女魚に似た感じの味わいだ。


 ご機嫌で尻尾を振りながら、子供みたいに嬉しそうな顔で魚をパクつくマリカを見やりつつ、こんなのんびりとした平和な気分は、久し振りだなと気がつく。こっちの世界でこんな気分を感じたのは、余計なことは何も考えずに、子供達と遊んでいるときくらいのものだ。


 向こうの世界にいたときは、毎日がそうだった。それがどれだけ幸せなことか全く、知りもしなかったけれど。この世界ではすごく身近なところに戦争があって、民衆の誰もがそれに怯えながら、備え、死への覚悟も抱きながら、毎日を生きている。


 何気なく、平原の西の、地平線に目を向ける。


 一面の草原が平らに広がる景色。ここからは、マリーフィードの高く険しい連峰も、目にすることはできない。


 グラハガ平原のどの辺りに、帝国軍が陣を構えているのかは分からないが、大陸の平和を脅かす元凶である一団は、確実にこの先のどこかに潜在している。


 …ラグデュアルとは、そのうち決着をつけることになる。なんとなく、そうなるであろうと勅勘できた。


 おそらく、青の軍神ストル・フォーストであろうと、単独では敵わないように思えたからだ。ラグデュアルもまた、マリカと同じく、俺の設定を遥かに超える力を、身に付けているのだから。


 それが破壊神の加護によるものかは、分からない。少なくとも、自身で所有していた暁光竜の加護により、技の威力が数倍に引き上げられていることだけは、間違いはないが。


「……マリカ」


 暖かな日差しの降り注ぐ、西の果てに広がる地平線を眺めつつ、マリカの名を呼ぶ。


「……はい」静かな返事が返ってきた。


「俺は……ラグデュアルを、滅ぼすことになる」


 でなければ、俺が殺されるだろう。どうあがいても、そのどちらかしか、道はない。


「……はい」変わらぬ、静かな返事が返ってくる。


「…ごめんな。折角、再会できたのに」


 ため息混じりに、マリカを振り向いた。


 猫耳をしな垂れたマリカが、口元に食べかすをつけながら、手にした食べかけの魚を見つめていた。


「…私は、一千年待ったのです」つぶやくように言う。


「私にとって聖域は、牢獄にも等しい場所でした。なんのやりがいもなく、退屈な毎日。それでも僅かな可能性を信じて、そこが彼の帰って来る場所なんだと信じて、ただ待ち続けていました」


 食べかけの魚から目を話すことなく、マリカは続けた。


「本当はずっと前に、分かっていたんです。彼はもう、帰って来ることはないんだと。私は、忘れられたのだと。

 それでも、私は待ったのです。待って、待って、待ち続けて…そして、ようやく訪れたのです」


 マリカの視線が、まっすぐ俺を見た。


「なんにもない、虚しくて、退屈なだけの牢獄から、私を連れ出してくれるお方が。

 そのとき私は思ったのです。私が待っていたのは、ラグじゃない。

 私が待っていたのは、シュウ様だったのだと。私が頑なに待ち続けた一千年は、シュウ様と出会うためのものだったのだと」


 そう言ってマリカは、少しだけ涙目で、ニッコリと微笑んだ。


「私はもう、シュウ様のものなのです。いいえ。初めからそう決まっていたのです。


 ならば、シュウ様の敵は、私の敵です。


 たとえそれがラグデュアルであろうと…たとえシュウ様が躊躇おうと、私は躊躇いません。ラグデュアルは、倒すべき敵なのです」


 ピンっと、猫耳が力強く空を向いた。


 そしてマリカが見せた笑顔は、無理をしているようには微塵も見えない、素直な笑顔だった。


「そもそも破壊神に寝返った時点で、何を考えてるんだバカチンがぁ!という話です。これは、粛正が必要です!」


 ムッ、とマリカの顔が怒りに染まる。


「あはは。粛正か」思わず吹き出した。


 確かに。人と違って竜族は、死とは無縁の存在だ。長い時間はかかるが、たとえ滅ぼされようと、いずれは同じ姿で地上に復活することができる。


 そのときには、眷族も加護も、真っさらの状態だ。きっとラグデュアルも、思い直してくれるだろう。破壊神の側に付くことが、いかに愚かな選択かということを。


「そうです。そして、後悔すればいいのです。シュウ様に仇なすことが、どれだけ無謀なことだったのかを!」立ち上がり、ググッと拳を握りしめる。


「そっか…」


 それならば、心置きなく戦うことができる。


 マリカ自身にそれだけの覚悟があるというのならば、俺がクヨクヨと躊躇っているわけにもいかないだろう。確かにラグデュアルといえば、俺の中でトップ3には入る、お気に入りだった。特別な思い入れのあるキャラクターだった。


 本当は、この世界に生きている人物、または竜族を、俺なんかの好みで判別するべきことじゃないのだとは、分かっている。


 創造主という存在、その立ち位置が、どのようなものであるのか、俺はまだ今一つ把握し切れていないけれど、少なくとも俺自身、一人の人間でしかないのだし、そんな小さな存在でしかない俺が、個人的な好き嫌いで、判断できてしまうほど、簡単な問題ではないのだ。


 そんな軽い問題ではない。ラグデュアルも、マリカも、言ってしまえばウィラルヴァだって、俺の創作一つで、成り立っているわけではない。生きているわけではない。


 そこには、俺の頭では把握し切れないほどの意思があり、理念があり、生き様がある。


 だからこそ、汲み取らなければいけないし、分別もしなければならない。


 この世界に生きる一人として。俺たちは皆、同等の存在であるのだから。


 ラグデュアルのことに関しては、マリカが全ての決定権を握っている。そのマリカが、ラグデュアルは敵だというのならば、もう、躊躇う必要はない。


 俺の好き嫌いなんかで、手加減でもしようものなら、他の誰でもない、マリカがそれを許さないだろう。


「必ず、勝つよ。約束する」


 そのためには、今よりも更に、強くなければならないだろう。


 正直なところ、ディグフォルト究極融合以上に、戦闘力を上げる方法は、簡単には思いつけそうもないが…。


 単体融合である究極融合では、純粋にシィルスティングの強さがそのまま反映される。


 手持ちのシィルスティングの中では、ディグフォルト、ランファルトの二枚が、同率で最強を誇るカードだ。


 ランファルトの究極融合は…おそらく、現段階ではできないと思う。ディグフォルトは、マリカの存在があったため、ディグフォルト…もといマリカの父であるダグフォートと同調できたため、上手くいったが、全てを委ねてくれるほど、ランファルトの信頼度は、勝ち得ていないだろうからだ。


 だとしたら、神竜クリスタルドラゴンを軸に、召喚結合を上手く組み合わせられたら、あるいは……


 うーむ…。


 まぁいい。時間をかけて、ゆっくり試行錯誤しよう。焦って適当に組み合わせて、シィルスティングを暴走させてしまう結果になったら、元も子もない。


 ……そんなことを考えながら、食べかけの焼き魚に口をつけた、そのときだった。




 …ゴォ…ン……


「なんだ…?」


 遥か後方の地平線に、僅かな光芒が閃めき、同時に、何かが爆発でもしたかのような軽い振動が、大地を揺らした。


「あれは…帝国軍と連合軍が、戦っているようです」


「戦争が起こっているということか」


 ここからではいくら目を凝らしても、目視することはできないが、ときおり、何かしらの魔法が炸裂する光が、遠くで花火でも上がるようにして、地平線の向こうに閃いていた。


「どうしますか? 今ならば、混乱に紛れて、接近することもできると思います」露出の多いビキニ姿から、いつもの猫耳フードの白黒マント姿に着替えつつ、マリカが言う。


 うーむ。考えようによっては、ビズニス軍と接触するチャンスでもある。帝国軍の方にだけ攻撃し、味方であることを明瞭とすれば、連合軍の攻撃対象にされることもないだろう。


 …うん。もしかしたらラグデュアルと再び遭遇することになるかも知れないが、ストルが味方に付いてくれれば、十分に勝算はあるだろう。あるいは上手くラグデュアルを引っ張り出して、一対一の状況を作り出せれば、それだけでも、連合軍にはかなり有利に働くはずだ。


 仮にこのまま放っておけば…間違いなく、連合軍は敗北する。ここは援軍に向かうが上策だろう。


「よし、急いで向かうぞ」


「了解です!」


 小気味良く返事をしたマリカの声を聞きながら、リングからディグフォルトを取り出し、究極融合した。

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