第51話

 目深に被ったフードの奥から、切れ長の鋭い視線が、こちらを見据える。


 少年のようにも、少女のようにも見える顔立ち。肌の色は白く、年齢的には成人前といった感じだ。だが、身長は俺とさほど変わらない。身体をすっぽりと覆ったローブにより、身体つきがどうなっているのかを、見定めることはできなかった。


「…あまり、気の長いお方では御座いません。お急ぎください」と、目を伏せて深々と頭を下げる。


 別段、焦っているふうには見えない。表情は無表情。どんな感情を抱いているのか、顔つきや物腰から察することはできない。


 竜人形ドラグドール……という言葉が、頭を過った。


 それがなんなのかは、ハッキリと思い出せなかったが。


 ──とにかく、どうにかして城の外に出ましょう。最悪、城下町のどこかに身を隠せば、逃げ出せるチャンスもうかがえます──


 マリカの的確な判断に委ねることにして、名無しの竜人の案内に従って、少しカビ臭い冷んやりとした通路を進む。


 ディグフォルトの究極融合は、維持したままだ。どれくらいの神力を消耗するのか、明確な設定は出していなかったのだが……どうやら、通常の召喚融合と比べても、大差ないように感じる。むしろそれよりも少ないくらいだ。


 ちなみにマリカの猫姫融合の方は、神力の消耗は全く感じない。マリカはシィルスティングではないので、当然といえば当然だろうか。


 ……この違いはなんなのだろう。まぁ、今考えるべきことではないが。


「シュウイチ様……ルイス様の元に案内する前に、確かめておきたいことがあります」


 数メートルほど離れて、前を歩いていた名無しの竜人が、ふと足を止めて、こちらを向いた。


 抑揚のない、それでも何か確固とした意思の感じられる声音で、躊躇いのない言葉を紡ぐ。


 それは、思ってもみない問いかけだった。


「シュウイチ様は、この世界が何だと考えておられますか?

 また、この世界をどうなされたいのでしょうか」感情の見えない瞳が、こちらを見据えた。


 この世界が何なのか、だって? …いや、それはむしろ、こっちが聞きたいことなのだが。


「俺のつくった物語を元に、ウィラルヴァが創造した世界なんだろう? なんで俺の物語じゃなければならなかったのかは、分からないが」


「…やはり、そのような認識でおられましたか」心なしか、伏目がちに答える。


 …え? 違うのか? だけど、それ以外にどう解釈しろというのだろう。


「…では、シュウイチ様はこれから、この世界を、どうなされたいのでしょうか?」


 こちらが考える暇さえ与えられず、名無しの竜人が続けて訊いた。


「どうしたい、と言われてもな。どうにかできるとも、思っていないんだが。……レインティアを救いたい、とは考えているけどな」


 それだけは紛れも無い事実だ。むしろ、今の俺にあるのは、それだけのような気もする。


 というかこれ、こいつに言っていいのか?


 一応、敵対する陣営にいる相手だ。…まぁ、口にしても構わないと感じたから、言ったことなのだが。


「本当に、それだけでしょうか?」


 何かを含ませた声音で、名無しの竜人が、フードの奥の両眼を光らせた。


「……他に何があるって言うんだ?」


 訳も分からず素直に尋ね返す。名無しの竜人は、しばし無言で、俺の目を見つめ返したが、ややあってスッと目を伏せ、後ろを向いた。


「破壊神ルイス様は、ウィラルヴァ様であって、ウィラルヴァ様とは程遠いお方です。そのこと、お忘れなきよう」


 肩越しにそう言って、それまでと同じように、ただ無言で薄暗い通路を歩み始めた。


 …どうにもハッキリしない奴だ。


 いろんな意味で。


 ──油断しないでください。昔から、何を考えてるのか分からない奴です──


 マリカがキッパリ釘を刺す。


 こいつが何者なのかは分からないけれど、少なくとも敵意がないことは、把握できるのだが……マリカがこれほど警戒するんだ。何かあるのだろう。


 というか、このままずっと付いてゆくのもマズいな。普通にルイーズのところに、案内されてしまう。


 地下道を出たら、どこかでコッソリと、脇道にでも逸れて……


「一応言っておきますが、逃げ出そうなどと、考えぬことをお勧めいたします。全ての道は、すでに閉ざされてあります」


 こちらの考えを見越したかのように、振り向きもせずに言った。


 くっそー。見抜かれてたか。こうなるともう、素直にルイーズに会うしか、選択肢がなくなる。


 あるいは、今からこいつを叩き伏せて、強引に城の外へ逃げ出すという手もあるが……勝てるだろうか? 少なくとも、ラグデュアルと同等以上の強さであることは、間違いがない。


「私を倒して逃亡するというのは、良策の一つと言えるでしょう。ですが願わくば、一度だけでも、ルイス様との面会を切望いたします」


 またもこちらの考えを見透かしたかのように、抑揚のない静かな声音で告げた。


 まるで本当に、俺の頭の中を読んでいるかのようだ。そんなことができるのは、ウィラルヴァだけだと思うが。…セラお姉さんは別として。


 仕方無しに、名無しの竜人の後をついてゆく。


 地下通路を出て側塔の一階に辿り着くと、ステンドグラスの張られた高い窓から、月明かりが差し込んでいた。


 見覚えのある風景だ。もしかしたら、どこか現存する西洋の城でもヒントにして、設定を出していたことが、あるのかも知れない。


 人っ子一人見当たらない、居館らしき一帯を抜け、赤い絨毯の敷かれた、本城の通路を進む。壁掛けの蝋燭の灯りが、ユラユラと揺らめき、静かに歩を進める二つの人影を、石壁に映し出していた。


 不気味なほどに静かな空間。まるでそこだけ現実から切り取られた、異世界であるかのごとく、異様な空気を漂わせている。


 …いや、異世界だけども。


「こちらになります。どうぞ、お進みください」


 謁見の間の扉に辿り着き、名無しの竜人が深々と頭を下げた。


 誰が手を触れずとも、ギギギと軋む音を立てて、自動で扉が開いてゆく。


 一瞬、その先に進むことが躊躇われた。しかし、


「よくぞ参った、シュウイチ。待っていたぞ」


 聞き覚えのある声が、扉の向こうから俺を迎える。


 …悪いな、マリカ。ここまで来たら引くことは出来なさそうだ。と、心の中でマリカに謝罪した。


 意を決して、悠然と謁見の間へと歩みを進める。


 薄暗い中、七色の鮮やかなグラスの嵌め込まれた天窓から、月明かりが部屋の中を照らしていた。


 赤い絨毯が中央に長く延びた、厳かな部屋模様。綺麗に磨かれた大理石の床や壁には、繊細な模様のタペストリーや、装飾品が飾られ、それら全てに、不思議な既視感を感じて、妙に胸中が騒ついた。


 向かう先には、二つの玉座。その一つに浅く腰掛けた、一人の女性の姿。


「ルイーズ……」自然と口から漏れた。


 ウィラルヴァと同じ、透き通るような白い肌。しかし、サラサラとした長い髪もまた白く、白銀のように艶やかに輝いて見える。


 顔つきもウィラルヴァと同じだ。どこか儚げな、整った顔立ち。だが妖艶な光を灯す黄金色の瞳は、一切の感情を何処かに置き忘れてきたかのように、鈍く燻んで、沈んで見えた。


「我をその名で呼ぶは、そなただけに許されたこと」口元だけが、微かに微笑んだ。


 だが心から笑っていないことは、不思議と感じ取れた。笑えるだけの喜の感情を持っていないのだ。ウィルとレーラが出て行ってしまったときに、全て失われてしまったのだから。


「まず訊きたい。破壊神ルイーズ。お前は、創造神ウィラルヴァであった頃の記憶を、持っているのか?」


 謁見の間の半ばで足を止め、十ほどの階段の向こう、玉座に座るルイーズへと問いかける。


 これは、非常に大事なことだ。


 俺をこの世界に連れ込み、破壊神を倒すことを命じた、創造神ウィラルヴァ。ルイーズがそのときの記憶を有しているのならば、俺のことを危険視しているということが、確定する。


 ルイーズは端麗な顔立ちに貼り付けた、静の表情を崩すことなく、


「我が名はルイーズ。お前の呼ぶこの名前だけが、我の真実」


 目に見えぬ何かを切望するように、スッと片手を前に出し、広げたしなやかな指先を、こちらに伸ばした。


 ゾワリ、と首筋に、触れられたかのような感覚を感じた。


「虚しき永久とこしえの孤独。何物をも許されぬ、暗鬱の日々に、どれほど、このときを待ち焦がれたことか。


 我が悠久の伴侶、愛しき隣神、空座の神よ。シュウイチ…お前が訪れるのを、ずっと待ち望んでいた」


 フワリと、目の前の光景がぼやけて見えた。次の瞬間、玉座に座していたはずのルイーズの姿が、目の前へと出現する。


「うっ…!?」


 咄嗟に後ろへと跳ぼうとする。だが、硬直したように、上手く身体が動かなかった。


 金縛りにでもなったかのような気分だ。そうしている間にも、感情の感じられない燻んだ瞳が、ゆっくりと顔に近づいて来る。


「…っ!?」


 合わせた視線を逸らすことも、閉じることもなく、ルイーズの紫色の唇が、俺の唇に重ねられた。


 …数秒の間、意味も分からず動けずにいた。


 ほんのりと冷たく、柔らかい感触。


 それ以上に近づくことは不可能なほど、間近なルイーズの瞳に…不意に、僅かばかりの、何かしらの感情が灯ったような気がした。


 瞬間、


 ──離れてください! 流されてはいけません!!──


 全力のマリカの警鐘が頭の中に響き、ハッとして後方に飛び退る。


「我の姿が、この姿へと変わったときに、すぐに解ったのだぞ。シュウイチ…お前が、帰って来たのだと」


 ゆっくりと、まるで赤い絨毯の上を流れるようにして、再びルイーズが、こちらへと近づいて来る。


「帰って来た? おかしなことを言う。俺は、連れて来られたんだ」


「お前は我のものだ。誰にも渡さぬ。


 強き意志。あらゆる理を見定めるその瞳も、嘆きも渇望も聴き漏らさぬ、その耳も、数多の理を創造するその手も、掲げし真理を解き放つその唇も……


 全ては、我のものだ」


 いや…聞けよ人の話! さっきから、全く会話が成り立っていないぞ!


 ──話の通じる相手ではありません! こちらの要求には一切応じず、ただただ自分の目的を突き通すだけの存在です。自分以外の存在は、どうだっていいんです。だからこそ、欠如神と呼ばれているのですよ!──


 マリカに言われてようやく、破壊神ルイーズという存在が、どういうものなのか理解できた気がした。


 従わぬ者は全て敵であり、気に入らないものは全てを破壊する。慈悲なき狂神。他を慈いつくしむ情の全てが欠如し、ただただ己の欲求のみに殉じる。


 …要するに、史上最悪のワガママ娘ということだ。


 …あれ? でもそれって、ウィラルヴァと、どこが違う……おっと、どこぞで観察しているお方のこめかみに、青筋が浮かんだのが見えましたよ、と。危ない危ない。


「我は、ウィラルヴァそのものだ。ただいくつかが、欠けているだけに過ぎぬ。


 シュウイチ…我が愛しき、永遠の伴侶よ。我と共に生きよ。

 お前が望むなら、人も滅ぼさず、生かしてやっても良い」


 ──嘘です! 信じないでください! 明日になればまた、違うことを言っています。どれだけの竜族が、奴の言葉に誑かされて、滅ぼされたことか!──


「我のこの身体も、お前のものだ。毎夜、好きにして良いのだぞ。


 シュウイチ。お前さえいれば良い。あとは何も要らぬ。


 お前のその優しさで、脈打つ生き血の通った温もりで、冷め切った我の心を温めてくれ。


 何も感じぬ、何も齎さぬ、我の空っぽの中身を、お前という存在で満たしてくれ」


 縋るように手を差し出しながら、ゆっくりと近寄って来るルイーズの切望が、傷むほどに胸を打つ。


 だが……それが如何に、自分本位なものなのかも、不思議と理解できていた。


 ルイーズの、空っぽの中身。


 それは、俺ではない。


 居なくなってしまったのは、俺ではなく、ウィルとレーラだ。


 ルイーズはそれを、俺に置き換えて、話しているだけなのだ。


 さらに数歩、後退りする。接近されてしまうと、何もできなくなるような気がしていた。


「ラグデュアルに何をした。何故ラグデュアルに、闇竜の力がある。あいつの加護はどうなっているんだ」


 ルイーズはふと足を止め、やや小首を傾げるような仕草を見せた。


「ラグデュアル……お前は、あれが、ラグデュアルだと思っているのか?」


 初めて、会話が成り立つ。


「どういうことだ。ラグデュアルじゃないなら、あれは一体、なんなんだ?」


「お前がラグデュアルだと思うならば、ラグデュアルなのだろう。そうではないと思うならば、ラグデュアルではないのだ」


 ルイーズが再び、ゆっくりと歩を進めた。


 …全く、意味の分からない返答だ。


 ──シュウ様、ここを離れましょう。これ以上の問答は不要です!──


 分かってはいるが……どうにも、身体が上手く動いてはくれない。


 まるで、このリーベラ城そのものに、囚われてでもいるかのような感覚だ。何かしらの呪いなのか、あるいはルイーズの魔法の一種なのかは分からないが。


「もう一つ問いたい。ルイーズ、お前なら分かるはずだ。

 この世界はなんなんだ? なぜ存在している!」


 焦る気持ちを抑え込み、叫ぶようにして問いかける。


「簡単なことだ。お前と我でつくった世界。愛しき我が子も同然の世界。

 さぁ、共に歩もう。空座の神。我が宿命の隣神よ」


 ルイーズが両手を広げ、感情の見えない黄金の瞳に、狂気の色を光らせた。口元だけが愉快気に微笑み、アンバランスな笑顔を浮かべる。


 途端に、ゾクリと背筋に悪寒が走った。究極融合したディグフォルトの意識が、ルイーズに対して、全力で敵対の意思を示す。


 ……正直、それがなければ、そのまま流されていたかも知れなかった。


「神剣ランファルト、武具召喚!」


 ランファルトを取り出し、スチャリと両手で構える。


 ルイーズが歩みを止め、黄金の瞳が、軽蔑するかのようにスゥーっと細まった。


「どうしても、我を受け入れぬか。ウィル・アルヴァと同様に。

 ならば、お前達の守ろうとするこの世界、その悉くを破壊し尽くしてやる!


 我一人では成し得ぬ世界。どれだけの事を尽くしても、終焉へと向かうだけの世界。

 お前の創造なくして紡げなかった未来も、我一人では滅ぼすことしかできなかった未来も、全てはもう要らぬ!


 我は、お前さえ居れば良いというのに」


 ルイーズの背中から、真っ白な翼がバサリと広がった。


 瞬間、恐ろしいほどの質量の神力が、ルイーズを中心に、部屋中に拡がっていった。

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