第50話

 世界最大の軍事大国、ノウティス帝国。その中心地である帝都リーベラは、帝国貴族の住む煌びやかな城下町を中央に据え、その周囲は持たざる者達の住まう、スラム街に囲まれている。


 帝国の各地より搾取され、集められた物資は、全てが城下に運び込まれ、帝国貴族達の優雅な暮らしの礎となっており、奴隷街に住まう奴隷達の中でも、金を持つ者は、貴族達のおこぼれに預かる形で他の奴隷達を従え、我が物顔で奴隷街を支配していた。


 帝国貴族以外の国民は、搾取を免れない奴隷の身分にある。奴隷の持ち物は、財産から家族に至るまで、全てが帝国貴族のものとされており、自分の命さえも自由にできない、過酷な生活を強いられている。


 奴隷同士での奪い合い、殺し合いも日常茶飯事であり、それを取り締まる者は誰もいない。人権なき社会。それは弱肉強食の獣の世界にも等しかった。


 ……とまぁ、このような設定を出したことのある街が、帝都リーベラだ。それでも運良く貴族に生まれた者は、何不自由ない裕福な暮らしが待っている。あるいは奴隷の中でも上手く貴族に取り入った者は、貴族直属の上級奴隷として、他の奴隷達に役人風を吹かすことができた。


 ニコラ・レインのような人種にとっては、天国のような場所と言えよう。…特権階級に生まれさえすれば、だが。


 …それでマトモな大人に育つかと言えば、別の話になる。子供というものは、環境と教育次第で、いかようにも生い育つものだ。


 帝都リーベラの出身ではない、うちの子供達だって、奴隷という身分に疑問を覚えることもなく、納得して生きていた。あの子達にとって、それが当たり前のことだったのだ。


 この状況を定めた俺にも、思うところはある。


 仮にそんな設定を出さなかったとしても、結局は似たような状態になっていただろう。破壊神の支配の下、奴隷は存在し、不幸な人々は存在した。それは間違いない。


 だとしても…思うところはある。


 俺にとってこの世界は、もはや紛うことなき現実なのだから。




 地脈の中を流される感覚は、不快なものではない。トンネルの中を、鮮やかな、七色の光が流れてゆくような、色だけの景色。暑くもなく、寒くもなく、常に身体はフワフワ浮いたような感覚だが、恐ろしいほどに長い距離を、一瞬で移動し続けていることが分かる。


 人は死したら竜脈の流れに入り、魂をリセットされた状態で再び生を得る…というのがこの世界の輪廻転生の理だが、今俺達が体感しているこの転移魔法は、それとはまた違った理によるものだ。


 まず俺達は今、魂だけの状態ではない。死んではいない。肉体を持った状態のまま、竜脈の中を流されている。基本的に竜脈の中には、生きている状態で入り込むことはできない。


 正直言うと、破壊神ルイスが使用したこの転移魔法も、ウィラルヴァが俺をこの世界に送り込んだときに使用した、時空を超える転移魔法も、俺は設定を出したことがなかった。全く知らない技術だ。それがどういう理屈で構成されているのかは分からない。


 俺のロードリングの中にも、ディグフォルトをはじめ、竜脈に干渉できるだけの力を持ったシィルスティングは存在しているが、肝心の転移魔法という技術が、全くの無知の領域のため、使いたくても使うことができない。そもそも、それを理解して、実行できるシィルスティングを、持っているのかさえ謎だ。


 もしこれを覚えることができたなら、青の軍神ストル・フォーストに会いに行くにも日帰りできるし、プレフィス聖王国やアルディニア公国にも、散歩感覚で遊びに行くことができるのだけれど。


 ──シュウ様……どうしてそんなに、のんびりしたことを、考えることができるのですか? これから破壊神ルイスの眼前に、召喚されるのですよ?──


 マリカに言われてハッと我に返る。


 こうしてなんとなく考えていることさえ、筒抜けなわけね。便利なんだか不便なんだか。


 まぁ、戦闘中であれば、便利なことこの上ないから、良しとするか。


「戦うつもりはないからね。単独じゃまず勝てないだろうし。話を聞きたいだけさ」


 ──話の通じる相手ではありません。恨みという感情に支配され、その他の感情の抜け落ちたウィラルヴァ様…と言えば分かりますか?──


 うーん…。ウィラルヴァの人間らしい部分が、父なる神ウィル、母なる神レーラとなって抜け落ち、人を愛する心を失った欠如神…というのが、破壊神ルイスだったか。


 いや、ラグデュアルと戦っていた際に聞こえた声は、女性の姿のウィラルヴァと同じものだった。ということは、今は破壊神も、女性の姿を取っているということになる。


 その姿のときは、ルイーズ、という名前なんだっけか。そういう設定があった。


 とはいえ、俺が書いた物語の中じゃ、その姿を取ったことは一度もなく、完全な裏設定になっていたんだが…。なんでまた女性の姿を取っているのだろう。


 …いや? 確か、何か理由があったはずだ。


 なんだったかな…。思い出せない。何か重要な理由があったと思うのだが…。


 と、


 ──シュウ様、転移が完了します。備えて下さい!──


 光、闇、火、水、風、地の神力の色が鮮やかに流れる竜脈の中の景色が、徐々に変化していった。同時に、深く竜脈に沈んでいた身体が、暗い水の底から水泡が昇るようにして、浮き上がってゆく。


 竜脈の神力が、闇、火、地の要素が強くなっていき、その他の神力が薄れていった。


 ノウティス帝国が、その三つの神力が強い土地柄であるからだ。とはいえ、他の要素も全く無になってしまうわけではないのだが。


 ──転移完了です。場所は…やはり、リーベラ城の中央のようです──


 地面から生えるようにして、身体が地表へと辿り着いた。わずかに靴底が宙に浮き、数秒ののち、石畳の床に着地する。


「ここがリーベラ城か。思ってたよりも綺麗だな」


 石畳の硬い感触を確かめつつ、ゆっくりと歩を進める。


 どうやらここは、リーベラ城の地下のようだ。てっきり転移が完了した先にはルイス…もとい、ルイーズが待ち構えていると思っていたが、そういうわけではないらしい。


 大地を流れる竜脈から、一番近い部屋、といったところか。竜脈の流れを利用して移動する術のようだし、魔物発生の秘術の応用魔法なのだろう。


 ウィラルヴァの使用した時空を超える転移魔法とは、全く別の理によるものだと推測できる。きっとウィラルヴァならば、この世界のどこにだって瞬間移動できるのに違いない。


 対してルイス……ルイーズは、ウィラルヴァの使用した転移魔法は、使うことができないのだろう。これは転移魔法だけに関わらず、かつて創造神であった頃の万能の力は、ルイーズだけでなく、ウィルもレーラにも失われてしまっている。


 ちなみに創造神ウィラルヴァであった頃の記憶に関しては、それぞれに覚えていたり、覚えていなかったりすることがあり、中には共有している記憶もある。


 まぁ、何をどう覚えているのかは、聞いてみなければわからないが。そういう設定だ、としか俺には言いようがない。


 ──誰か来ます。気をつけてください──


 マリカに言われ、地下室の出入り口に注意を向ける。薄暗い中、石の壁にかけられた松明の灯りが、ぼんやりと出口付近を照らしていた。


 カツ…カツ…カツ…と、石の床をゆったりと歩く足音が、仄暗い廊下の向こうから響いてくる。


 出入り口の向こうは、細い通路が続いているようだ。そういえばリーベラ城の地下は、迷路のように、入り組んだ造りになっていたのを思い出す。


 が……なんだろう。何か違和感がある。


 そうだ。なんで俺は、それを知っているのだろう? 俺の作ったどの物語でも、どの設定や、頭の中にだけあった構想でも、リーベラ城の地下について、触れたことはなかったはずだ。


 なのに、知っている。知っているどころか、ここからルイーズのいるであろう謁見の間まで、一切の迷いもなく、辿り着くことができるような気がする。


 …どういうことだろう。融合したディグフォルトの闇竜神としての記憶でも、リーベラ城の地下については何も知らない。訪れたことがないからだ。


 ──廊下から聞こえていた足音が、すぐ近くまで近づいてきた。


 やがて、出入り口の先に、白いフードを目深に被った、男とも女とも判別のつかない人物が姿を現わす。


「お初にお目にかかります。創造主、シュウイチ・リドウ様。…ルイス様がお待ちです。どうぞこちらへ」恭しく頭を垂れた。


 声音もまた、男なのか女なのか分からない中性的な声だ。おそらくは竜族だろうが…少なくとも俺には、全く見覚えのない人物だ。


 が、その人物に対して、マリカが必要以上に緊張しているのが感じられた。


 俺に対する敵意は全く感じないため、そこまで緊張する必要もないと思うのだが。どうやらただの案内役のようだし、いきなり襲いかかってくるようなこともないだろう。


 ──創生の時代より、ウィラルヴァ様に仕えていた古代竜です。ネームドでこそありませんが、実力は六竜神にも匹敵します──


 …ほう。六竜神に匹敵するということは、ロードで言えばSS級に値する。


 おそらくだが、今の俺の実力も、同じくSS級程度のものがあるだろう。やや神力量では力負けしていた感はあったが、あのラグデュアルとほぼ互角に戦えたのだから。


 とにかく、単純な強さのランクで言うなら、このルイーズ配下の古代竜一人で、今の俺と、同程度の力だということになる。さらに言うなら、ルイーズ配下の神級古代竜は、他にも何体も存在している。


 流石にSSクラスとなると数は限られるが、その中でも四天王に位置する四柱の破壊竜は、かつて地竜神ジェムズロイスの、人としての姿である、大陸最強の傭兵戦士、鬼神ジェイムズ・フロイズと、互角の戦いを演じたこともあった。


 ロードの最高ランクであるSSS級は、父なる神であるウィル・アルヴァ只一人。


 そのウィル・アルヴァでさえ、純粋な神力量では、破壊神ルイーズの半分ほどでしかない。ウィル・レーラの二人が揃って、ようやく互角に渡り合うことができるのだ。


 つまり、だ。


 ここでようやく、一つの真実が浮き彫りになったということだ。それは……


 ……………馬鹿じゃないの俺? なに調子に乗って、一人で敵本陣に乗り込んじゃったりしてんの!?


 ──だからゆったじゃにゃいですか! すぐに逃げましょう! 今ならまだ間に合います。破壊神ルイスに出会ってからでは、逃げ道さえ封じられてしまうかも知れません!──


 確かに。ここはルイーズの本拠地だ。城の間取りはなんとなく把握できるため、外へと続く通路は、迷いなく見つけることはできるだろうが…問題は、城の外に出てからだ。


 すっかり忘れていたが、まるで城壁のようにして、帝都を取り囲んでいる切り立った岩山には、ルイーズが施した強力な結界が張られてあり、単純に飛行するだけでは、通過することができない。


 結界を破壊するには、相当に強力な攻撃を撃ち込まなければならない。それこそ、ラグデュアルに放とうとしていた、闇の竜脈の根源から力を引き出す、大技クラスでなければ、ヒビ一つ入れることもできないと思う。


 ランファルトの白銀の咆哮グランツゴッドバーストならば、あるいは短い時間だけ穴を開けることもできるかも知れないが……ランファルトも万全の状態ではない。破壊できなければ、攻撃はそのまま自分に跳ね返ってくる。そのような危険は侵せない。


 ──それって、詰んでませんか? 長い詠唱が必要なくらいに、集中力のいる大技を、逃げながら使う余裕なんて、ないに決まってるじゃないですか!──


 うむ。なかなか鋭いところを突いてくるねマリカ君。


 その通りだと私も思うよ。


 ──じゃあどうするんですか!? 戦っても勝ち目などありません! そもそも、なぜルイス・ノウティスは、シュウ様をリーベラ城に連れてきたのですか!──


 そこ、なんだよな。確かにそれが、一番気になる部分だ。


 もしルイス……ああもう、めんどくさいな。ルイーズだ。これから破壊神のことは、ルイーズで統一しよう。


 とにかく、ルイーズがもし、俺をこの世界に送り込んだ創造神ウィラルヴァの記憶を有しているのならば、俺のことを危険視するのも頷ける話だ。


 ウィラルヴァの狙いは、破壊神の消滅。具体的には、二度と復活することがないよう、なんらかの封印を施すことだろう。正直、それくらいしか、ルイーズを止める方法は思いつかない。


 俺の目的が破壊神の消滅であることを知っていれば、ルイーズにとっては、この上なく邪魔な存在でしかないだろう。だったら、今のうちに始末してしまおうと考えても、何ら不思議ではない。


 が、果たして本当にそれだけなのだろうか。もし本当にそれだけが目的であれば、わざわざ自分の本拠地に転移させるなど、回りくどいことをせずとも、方法はいくらでもあるはずだ。


 なぜ、俺をわざわざ帝都リーベラへと転移させたのか……それを考えると、いくつか理由は見えてはくるのだが……


 ──何があると言うのですか? 帝都リーベラでなければならない理由……


 …待ってください、確か今、帝都リーベラには── マリカが、何かを思いついたように言葉を詰まらせた。


 そう。帝都リーベラには今、父なる神、ウィル・アルヴァがいる。


 破壊神ルイーズの宿敵であり、俺なんかよりも、最も目障りな存在。


 そのウィルを炙り出すために、俺を利用しようとしているのかも知れない。


 ──マズイです。もしこれで、ウィル様が敗北するようなことがあれば──


 それは、暗黒時代の到来を意味する。すぐさま帝国軍は進軍を開始し、ルイーズ自身も打って出るだろう。


 破壊神自身が出陣したとなれば、守護国ビズニスであろうと立ち所に陥落する。そうなるともう、聖王国プレフィスも四聖公国アルディニアも、自国の結界を強化し引き篭もるしか術がなくなってしまう。ウィル・アルヴァが復活を遂げるそのときまで。


「シュウイチ様……あまり時間はございません。どうぞ、こちらへ」


 と、名無しの竜人が頭を垂れ、通路の奥へと俺を促した。

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