第46話

「破壊神の加護を受けてしまったのですね。破壊竜となってしまったからには、二度と竜の聖域へと戻ることは、許されませんよ」


 冷静な顔つきを崩すことなく、マリカが静かに言い放った。


「戻る理由が、なくなったからな」と、ルーテが大鎌を肩に担ぐ。


「それは……ラグデュアルを、手に入れたからですか?」


 あくまで感情のこもっていない声音で問いかける。ルーテはニヤリと、口の端を引き上げると、惚けるようにそっぽを向きながら、


「さぁて。どうだろうなぁ?」と、白々しく口笛を吹いた。


 ……話から察するに、ルーテが破壊神の加護を受け、名実ともにルイスの配下となったのは、最近のことのようだ。


 ルーテの父であるテンネブリスが、破壊神の側に付いたのは、神話の時代の話だ。それから数千年もの間、ルーテはどういうわけか、破壊神の加護を受けてこなかったらしい。


 まぁ、ラグデュアルを想ってのことだろうと、推測はできる。さすがにラグも、破壊神の加護持ちの女には惹かれまい。


 そのルーテが、今は破壊神の加護を受けた状態にある。加護を見ることのできるマリカが言うなら、間違いはないだろう。


 つまりは、


「……どうしてラグデュアルは、破壊神に降りましたか?」


 …それが、確実になったということだ。


「ふふ。愛称で呼ぶことさえできなくなってる奴に、それを教えろと?」


 ルーテが勝ち誇ったように胸を張る。


「そうです。…教えていただけますか?」


 冷静な口調を崩さないマリカに、ルーテは多少、焦れ始めたようだ。余裕を見せていた顔から笑みが薄れ、目つきが苛々したものに変わっていった。


 大したものだ。マリカは演じているだけで、本心ではフラフラと、綱渡りをするように、心が揺れているに違いないというのに、まるで本当になんとも思っていないかのような、冷静っぷりだ。


 変わらぬマリカの冷たい態度に、ルーテは、チッとつまらなそうに舌打ちをした。


「アンタいつだってそうだよ。何があったって、平気な面して、良い子ぶりやがって。

 腹立ったなら怒れよ、悲しけりゃ泣き叫べよ。みっともなく鼻水垂らしながら、ラグ様を返してくれって、懇願してみせろ」大鎌の先を、ビシッとマリカに向ける。


「懇願したら、返してくださるのですか?」


「はんっ! 本音が出たじゃないか。結局アンタも、ラグ様が必要なんだろうが!」


「いいえ。私には必要ありません。

 …ですが、私の主は、必要としていますので」


 そう言ってマリカは、そこで初めて表情を変えて、怒るでもなく、泣き叫ぶでもなく、ルーテにニコリと微笑みかけた。


「ラグデュアルを、返していただけますか? 本来の主の元へ」


 ルーテが呆れたように失笑し、大鎌を肩に担ぎ直す。


「そこのウィル・アルヴァが主だと、誰が決めた? 三神の誰に付こうが、そいつの自由だ」言って、チラリと俺に視線を向ける。


 …うん。まぁ…とりあえず黙っとこう。ルーテのことは、マリカに任せるのがいいような気がする。恋愛沙汰だったら尚更だろう。


 というか入る隙がない。


「いいえ。自由ではありません。…貴女には、理解できないでしょう。真理の神の何たるかも、わからない貴女には」


 マリカはルーテから視線を外さず、ルーテのすぐそばでまで、無防備に歩み寄っていった。


 滲み出る圧力に、ルーテが戸惑って、一歩後ろに後退る。


「な、なんだよ? 人間を甘やかす神が、本物だとでも言うつもりか? 言っとくけどなぁ、ルイス様こそ、ウィラルヴァ様の本体なんだぞ! いずれはウィル・アルヴァも、レーラ・クルーも取り込み、完全なる姿に戻られるんだ!」 


 それができれば苦労はしない。元の姿に戻れるならば、ウィルかルイスが聖戦で勝利した際に、相手を取り込んで、一つになっていただろう。


 戻れない理由があるのだ。爆弾発言してしまうが、戻れない理由とは、実はちゃんと考えていない。


 ………脳裏に浮かぶウィラルヴァの顔が、激怒している。


 し、しょうがないだろ! 話をある程度進めないと、見えてこない部分ってあるんだよ!


 だがまぁ、今ならば、その理由の一つは想像できる。


 シィルスティングと同じだ。シィルスティングは、竜族のような高位な存在…具体的には、六星以上の力を持つ者を封印するには、一方的というわけにはいかずに、封印される側の了承が必要だ。


 ウィルが人と共に生き、元の創造神に戻るをよしとしない以上、ルイスの独断で、取り込むこともできないんだと思う。


「そこに拘る貴女には、シュウ様のことは理解できないです。

 もう、良いです。一度、地脈に帰り、ゆっくりと頭を冷やすと良いでしょう」


 瞬間、マリカの両手に、短めの双剣が出現した。片方は白。片方は黒。先端がクニャリと反った、偃月刀のような形だ。


 魔法剣ミクスグライス。光と闇の神力を物質化させた、マリカオリジナルの魔法剣だ。


「ちっ…!」


 慌てたルーテが、大きく後ろへ跳んだ。退きざまに大鎌を一閃させ、マリカを牽制し、鎌の柄を正面に向けるようにして、腰を低く身構えた。


 大鎌の水平の斬撃を、上に飛んで避けたマリカが、クルクル宙返りしながら、ルーテに向かって降ってゆく。


 ザンッ…! と黒の閃光が走り、ギンッ! と大鎌の柄が、それを受け止めた。時を置かずに、続けざまに走った白の閃光が、大鎌の柄の奥へと、高速で降ってゆく。


 ルーテがクルンと鎌を回転させ、白の閃光を弾いた。が、


 ブンッ! 黒白の閃光とほぼ同時に、別の黒い閃光が、ルーテの顔に迫った。


「がっ…!?」


 バシッ!と黒い塊に、顔を叩かれ、ルーテの身体が、後方へと弾き飛ばされる。


 尻尾だ。マリカの黒いモフモフの尻尾が、双剣よりも長い間合いで、ルーテの顔にヒットした。


 ストっと軽い音を立てて、着地したマリカが、続けざまにルーテを追撃した。


「う…ざったいんだよ! アンタの尻尾は、いつもいつも!」


 怒号を上げたルーテが、尻餅を着いた姿勢のまま、一瞬で体勢を整え、鎌を構えて、一気に前に突撃した。風魔法で瞬発的に、体勢を整えたのだろう。魔狼シルヴァにも、同じ能力がある。


 キンッ…ギンッ…ガガガギッ…ギンッ!!


 双剣と大鎌で打ち合い、接触と共に、赤、白、黒の烈しい神力の火花が飛び散る。


 双方一歩も引かず、尚も打ち合う速さが上がっていった。


 たまに、斬撃の余波が真空波のようにして、辺りの地面を抉ってゆく。


 うむ。…余波とはいえ、ネーロとマウラに対処できそうな速さではないな。


 そう判断して、額に汗を浮かべながら戦況を見守る二人の、数歩前のポジションを取る。


「も…申し訳ございません。本来なら、我らが盾となる立場であるものを…」


 肩を縮こまらせる二人に、笑顔を返しつつ、


「構わないよ。ネーロとマウラが怪我したら、子供達が悲しむんだから」


 ときおり飛来する斬撃の余波を、バシッと片手で弾き落とす。


 うん…。実際に弾いてみると分かるが、対処できない速さではない。まだまだマリカに、遅れを取るわけにはいかないものなぁ。


 と、内心密かに、コッソリと胸を撫で下ろしているときだった。


「そろそろ遊びは終わりにしろ。いつまでも、この場所に止まるわけには、いかないのだぞ」


 聞き覚えのない男の声が、曇った夜空に響いた。




 瞬間、ドクン…! と胸が高鳴った。




 表現しようもない不思議な高揚感と、例えようのない不安感が、胸の奥に混同する。ドクドクと波打つ心臓の音に呼応して、それはどんどんと膨れ上がっていった。


 マリカがルーテから距離を取り、呆然としたように頭上を見上げ、白と黒の双剣の切っ先を、だらりと地面に向けている。


「ラグ様!」


 ルーテが弾けるように甘い声を出し、声のした方にバサッと飛び上がった。


 雨の上がった夜空に、一つの影が浮かんでいた。はかったかのように流れる雲間から、満月が覗き、月明かりが男の姿を照らし出した。


 ルーテが、月明かりに照らされた男に寄り添い、甘えた態度を取る。視線がマリカに向けられ、勝ち誇ったように、恍惚の表情を浮かべた。


「久しいな斑天竜。マリカウル…だったか?」


 言って、長身の色白の男が、背中の白金の翼をはためかせ、ゆっくりと降下して来た。


 やや長めの金髪に、整った顔立ち。着込んだ黒銀のライトメイルには、胸元に帝国軍の紋章が、怪しく輝いている。


 ルーテを片腕に抱き、野性味を感じさせる黄金の瞳で、まるで全くの赤の他人にでも会ったかのような口振りで、マリカに向けてニヤリと、挑発的な笑みを浮かべた。


「ラグ…デュアル様…」「まさか…本当に…」と、ネーロとマウラが、呻くようにして呟いた。


 なん…だろう。なんとなくだが、変に違和感を感じる。


 こいつがラグデュアルであることは、間違いないとは思うのだが…全くの別人のようにも感じる。すごく不思議な感覚だ。


 まず、俺の知っているラグデュアルとは、口調も雰囲気も違う。もっと丁寧で、真面目な話し方をする奴だった。マリカの名前を覚えていないかのように言ったのは、わざとだとしても……思っていたラグデュアルの印象とは、随分と懸け離れている。


 闇堕ちしたら、こんなふうになってしまうということか? 破壊神の加護の影響で、何かしらの呪いのようなものでも、かかっているのかも知れない。


 まぁ、俺にとってラグデュアルは、初見であることには違いないのだが…マリカはどう感じているのだろうか。


「……………」


 マリカは無言で、呆けたような顔つきのまま、ラグデュアルを見つめていた。


 何を考えているのかは分からない。あるいは頭が真っ白になって、何も考えられないのかも知れない。


 ……ここは、俺が出るべきだろう。


 そう思って、マリカのそばに歩み寄ろうとしたとき、


 不意にラグデュアルが、前方に向かって片手を突き出した。


 シュゥゥゥ…と、光の粒子がラグデュアルの掌の先に、寄り集まったかと思うと、瞬間的に、辺りの景色を昼間のように煌々と照らし出す、光の球体が出現した。


 マリカが一瞬、ハッとしたように目を見開いた。が、まるでその場に影を縫い止められでもしたかのように、身体を硬直させて、微動だにできずに立ち尽くしている。


 ラグデュアルが、フッと嘲るように、口の端を引き上げた。


「二つ名持ちのネームドにしては中々だが、所詮は女よ」


 言って、バシュッ! と光の砲弾を撃ち放った。


 マリカが再度ハッとして、唇を噛み締めながら、ようやく身体を反応させた。瞬間的にバッと後方に飛び退る。が、その動きも全くの無駄に終わった。


 光の砲弾は、空気を切り裂く、鋭い音を発しながら、真っ直ぐ……


 俺に向かって飛んで来た。


 ……ええっ? 俺ぇっ!?


 気がついたときには、人の頭ほどの大きさの光弾が、すぐ目の前に迫っていた。


 避けれるかこんなもん!


 直撃を覚悟して身構える。…と言っても、歯を食い縛るくらいしか、できることはなかったが。


「シュウ様!!」


 マリカ、ネーロ、マウラの三人が、全く同じタイミングで俺の名を叫んだ。


 どの道これを避けたら、後ろにいるネーロかマウラに当たっていたな。避けれなくてよかった。…瞬間的に、そんな思いが浮かんだ。


 ドォォォォン!!


 眩い光が弾け、一瞬、グラっと意識が揺らいだ。


 二、三歩ほど後ろによろけ、光弾の直撃したおでこの辺りに、焼けつくような熱さを感じる。


 大した痛みはない。ダメージはほとんど入らなかったようだ。さすがはディグフォルト。八星の防御力は伊達じゃないらしい。


 それにラグデュアルも本気ではなかったのだろう。もしラグデュアルが、俺を倒すつもりで攻撃していたなら、ディグフォルト融合状態とはいえ、こんなものでは済まなかったと思う。


 俺の周囲の数メートルに渡って、白い煙のようなものが覆っている。光弾が炸裂したあとだろう。


 暁光弾。ラグデュアルの主軸となる技であり、体内の神力を凝縮して放ち、炸裂させる。…魔導具ライフルの、光の弾丸と似ている。正直言うとあれは、ラグデュアルの暁光弾を、参考にさせてもらった。


 しかし、俺の作ったライフルのものより、数倍は威力が高い。おそらくラグデュアルは、挨拶代わりに、軽く放っただけなのだろうが…。


「シュウ様!!!」


 マリカの悲鳴のような呼び声が、すぐ近くで聞こえた。


 おっと。心配させてしまったようだ。のんびり分析している場合じゃないな。


 一つ星風魔法の突風を使い、周囲の視界を晴らす。思ったよりもすぐ近くで、マリカが泣きそうなくらい狼狽えた顔で、俺の顔を見上げていた。


「…あっ」と、間近のマリカの顔色に、安堵と驚愕が混ざった。


「シュウ様!」「お怪我はありませんか!?」


 ネーロとマウラも駆け寄って来る。


 心配すんない。おでこがちょっとヒリヒリするだけさ。


「ほう? 今ので無傷とは恐れ入る。さすがは、斑天竜と黄金竜を従える主よ」


 ラグデュアルがゆっくりと、こちらへと歩み寄って、スッと両手を横に広げた。


「お初にお目にかかる。私は逢魔竜おうまりゅうラグデュアル」


 そう言って、右手を胸元に当てて、道化のようにお辞儀をした。


 逢魔竜…か。ラグデュアルの新しい二つ名。破壊神ルイスにでも与えられたのだろう。


 こうして対峙してみると、ハッキリと分かるものだ。


 こいつは、俺のラグデュアルじゃない。


 ラグデュアルであって、ラグデュアルじゃない、何か。


 創造神ウィラルヴァと、破壊神ルイスほどの違いがある。


「シュウ・リドーだ。暁光竜の名は捨てたか、ラグデュアル」


 ピッタリの名前だったんだけどな。こいつが目をかけた戦士は、悉く勇者へと成長した。時代を代表する英雄となり、明けぬ夜がないことを証明し続けて来た。


 当てつけかよ。真逆の名前なんかつけやがって…。


「クク……その名に、どれだけの価値があると言うのだ。これより訪れる暗黒にこそ、我が身の置き所がある」


 大アリだ馬鹿野郎。光をもたらすのが、お前の役目だろうが。


「…価値がどうとかいう、問題じゃないだろ」


 呟き、ランファルトを剣に武器召喚した。

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