第45話


「おや。以前より勘だけは、鋭くなったようだな?」


 夜の虫の音に混ざり、勝気な若い女性の声が響いた。


「いいから出て来なさい、ルーテ。我が主の前で失礼です」


 鋭い口調を崩すことなく、マリカが暗闇を睨みつける。


 ザッ…ザッと足音が聞こえ、一人の女性の姿が、暗闇から浮き上がって来た。


「ここにいれば、いずれ出て来ると思っていたよ。アンタの聖域の、すぐ側だもんなぁ?」


 大きな諸刃の鎌を肩に担いだ、赤と黒の髪の女が、不敵な笑みを浮かべ、立ち止まって仁王立ちした。


 なんというか…色合いは違えど、マリカによく似ているように思う。白黒のマリカとは違い、赤と黒を織り交ぜたような色合い。浅黒い肌に、赤黒い痣。髪はマリカより短いが、瞳の色は同じく、黒味がかった黄色だ。


 斑天竜の色違い? ただ、可憐な印象を受けるマリカとは違い、すごく勝気で自信過剰な印象を受ける。


 胸も、まな板のマリカとは真逆で、すごく……うん。…頑張れマリちゃん。


 と、ネーロが俺の背後で、


斑天紅竜はんてんこうりゅうルーテフォーテ様です。闇竜帝テンネブリス様の御息女で、マリカウル様の従姉妹に当たります」小声で教えてくれた。


 ええーと……テンネブリスって誰だ? 闇竜帝?


 …ということは、闇竜神ダグフォートの弟で、終焉戦争のときに破壊神の側に付いた、裏切者の竜帝か。


 そうか。そういえば、完全なモブキャラだったんで、闇竜帝としか設定していなかったが、確かに存在していた。名前すら付けていなかったけれど。ウィルが闇竜神ダグフォートに会ったときには、すでにダグフォートによって討伐されていたため、物語にはほとんど出番がなかった竜帝だ。


 …いたんだ、娘。


 ちなみに竜族には、それぞれの竜神の下に、竜帝、竜皇、竜王の三柱の腹心がいる。


 竜族の中でも、特に強い力を持つ古代竜であるが、その全てにちゃんとしたキャラ設定が、されているわけではない。


 …一瞬、ジト目のウィラルヴァの姿が、脳裏に浮かんだ気がした。


 …なんだよぅ。いずれやろうと思っていたんだよぅ。


「いつ以来だったかしら。ああ、確か…アンタにラグ様を寝取られて以来、だったかな?」


「誰も寝取っていません。初めから私が選ばれていました」


 マリカの口調も態度も、すごく落ち着いたものだ。


 あるいは、そう演じているのかも知れないが。


「ふん。それで? そのラグ様はどうしたのさ?」ルーテが人を小馬鹿にしたように、口の端を引き上げた。


 分かってて言っているのだろう。が、マリカは全く、動じたふうには見えない。


「あれはもういらない。欲しければあげる」


「ふん。別にアンタの了承なんていらないよ」


 トントンと、担いだ諸刃の大鎌で肩を叩いて、ルーテが空いた片手を上に挙げた。


 と、暗がりの中から、兵士ふうの出で立ちをした、十数人の男達が姿を現わす。鎧の胸元には、帝国軍の紋章。


 まぁ…こういう展開にはなるよね。


 ここで待ち伏せしていた、イコール、帝国軍の関係者だ。そもそも闇竜帝の娘となれば、ルイスの陣営であることは、疑いようもない。


「お下がりください。ここは我々が」と、ネーロとマウラが前に進み出た。


「へぇ。雑魚二匹が、何をしようってんだい? 言っとくけど、こいつらも全員魔竜だぞ」


 ルーテがフンと鼻を鳴らす。


「そこらの魔竜と、同じにしないで頂きたい。我らの加護を甘く見るな」


 マウラがスラリと、腰の剣を抜き放った。


 ……どう見たって普通の剣です。魔法でどこかに収納でもしてたんだろうけど、その剣じゃ、魔竜相手に傷一つつけられないと思うんだが…。


 まぁ、とりあえず見ていようか。せっかくやる気を出してくれてるんだし。


「加護なら…こちらも特別だ」と、ガタイの良い兵士風の男が、ニヤリと笑った。


 抜き放った剣は、魔剣と呼んでいいほどのちゃんとしたものだ。なんらかの魔導石で作られているのだろう。剣先から揺ら揺らと、闇の神力が立ち昇っている。


「ふ…たかだか、破壊神の加護であろう」


 言い放ったネーロが、抜き身の剣を片手に地を蹴った。一瞬で男の側に接近し、袈裟懸けに鋭い斬撃を放つ。


 いやいや、バカにできない加護だぞ。破壊神の加護は。人間であれば、生まれ変わる輪廻の輪さえも断ち切られてしまう、凶悪な力だ。他にも厄介な呪いのテンコ盛りで、竜族であろうと、呪いに対する抵抗力を持っていなければ、擦り傷一つでも、致命傷になり兼ねない。


 対してネーロとマウラの持っている加護は、おそらくは闇竜皇ヒメリアス、ないし斑天竜の加護だろう。どちらも神力のブースト能力は高いが、破壊神の力に対する、護りの性能には乏しい。


 それ以前に、同じ魔竜同士。基礎能力は全く同じだ。向こうは十数人。それだけでも圧倒的に不利であることは間違いない。


 てか、任せちゃダメじゃん!


 と、カードを取り出して援護しようとした、そのときだった。


「ぐ、ぐああああああっ!?」


 ネーロの斬撃を魔剣で受け止め…たかに見えた魔竜兵が、受け止めた剣ごと、ネーロの剣に切り裂かれ、耳を劈くばかりの悲鳴を上げた。


「なにっ…!?」


 と、驚愕に目を見開く、ルーテと魔竜兵一同。…と俺。


 ただの鉄の剣で、魔剣をへし折っただけでなく、魔竜の防御も貫通させて、切り裂いただと!?


 物理的に不可能だぞ、それ…。


「純粋な力の差だ。何を驚くことがあろう」


 ネーロがフッと微笑を浮かべた。


 いや…まぁ、圧倒的に技量の差があれば、可能な芸当では……あるか? あるのか?


「何を呆けている?」


 マウラがスッと身を屈めた途端、一瞬でその姿が、魔竜兵の傍らに出現した。


 その速さは、マリカにすら匹敵する。…が、闇魔法を使った痕跡がうかがえるため、闇に紛れて残像を残したのだと思う。


 そうか…闇竜と戦うのは、夜は絶対やめた方がいいな。まさに独壇場だ。とはいえ、相手も魔竜であるのだが…。


「なっ…いつの間に!?」


 魔竜兵は、マウラの動きに全くついていけてないようだった。


 ザシュッ!


「ぐあぁああっ!」


 またも普通の鉄製の剣に、呆気なく切り裂かれる魔竜兵。


「貴様らぁ!」と、別の魔竜兵が、両手を前に突き出し、巨大な黒炎弾を撃ち放った。


「なんとも弱々しい炎だな」


 小さく呟いたマウラが、空いた左手を前に出し、同じ黒炎弾を勢いよく射出させた。


 ゴゥッ!!


 マウラの黒炎弾が、魔竜兵の黒炎弾を呆気なく飲み込み、「なっ…!?」と目を見開いた魔竜兵を、骨も残らず焼き尽くした。


「バカな! なぜこれほどの力の差が!?」


 騒めく魔竜兵達。


 と…


「いつまで時間をかけているのです」


 俺の隣にいたマリカが、スッと前に一歩踏み出した。途端、


 ブンッ…! とマリカの姿がぼやけ、消え去ると、


「ぐわっ!?」「ぎゃっ!」「うわぁぁ!」


 と、残った魔竜兵が、次々と悲鳴を上げていった。


 なんだ? と、そちらに目を向けたときには、


「この程度の雑魚に手間取るは、恥と知りなさい」


 残った魔竜兵の全てを打ち倒し、こともなげに佇む、マリカの姿があった。


 ………………嘘? 暗闇だからとはいえ、全く見えなかったんですけど!?


 や、やばい。マジに俺より強いぞ、この子。


 い、いやいや、こんなに強かったかマリカ? 明らかに俺の設定の、遥か上を行っている。


「へぇ。ちょっとは強くなったみたいだな」


 と、ルーテが余裕の笑みで、手にした大鎌を担ぎ直した。


「新しいご主人様ができましたから」


 マリカが凍えるほどに冷たく落ち着いた物腰で、ルーテの方へ歩み寄ってゆく。


「奇遇だな。アタシもだよ」


 ルーテが不敵に笑みを浮かべた。


 うう……。完全に取り残された感がすごい。


 考えてみれば、要はこれって神同士の戦いなんだよな。普通なら、人間の俺が立入れる領域ではない。それを可能にしているのは、シィルスティングがあるからであって……


 なるほど。シィルスティングか。


 思い立ち、ディグフォルトを全身融合させた。見た目は出来るだけ変化させず、その能力を身体能力だけでなく、五感全てに行き渡らせる。


 とはいえ、ある程度の変化は、防ぎようがないのだが…全身の所々が黒い鱗に覆われ、肘や肩など、身体の各所が、竜らしき様相に変化していった。


 もちろん、瞳も。眼の色が黒から黄金色に変わり、真っ暗だった景色が、昼間のようにハッキリと見えるようになる。まぁ、若干モノクロだが。


 とにかく。ロードというのは通常でも、常発能力だけで、ある程度の能力向上はされているのだが、それだけでは限界があるのは確かだ。向上したといってもそれは、あくまで人間を基準にしたものでしかない。竜族のような高位な存在からしたら、微々たる量でしかないだろう。


 このレベルの戦闘では、五感までも相応なものに高めなければ、目で見ることさえ叶わないということだ。


 ルーテの視線が、一瞬だけこちらを向いた。が、すぐにマリカに視線を戻し、油断なく大鎌を構える。


「ウィル・アルヴァが新しい主か。よっぽどパパが恋しかったんだな、この甘ちゃんが」クククっと愉快そうに笑い声を漏らす。


「親離れはできています」と、マリカが瞬間移動するような速さで、ルーテを殴りつけた。


 が、ルーテは身を仰け反ってそれを躱し、諸刃の大鎌でマリカを斬りつける。


 ビシュッ…と黒い閃光が、虚空を切り裂いたが、マリカは余裕の動きでそれを躱していた。


 俺が大鎌の動きを認識したときには、すでに躱していた。…ディグフォルトの眼でも捉えきれないか。まぁ、実際に相対してみれば、対処できそうではあるが。


「ラグ様離れはできているのかな?」


 嫌味たらしく言ったルーテの言葉に、マリカはスッと冷たく目を細めた。


「貴女ほど粘着質じゃありませんので」


 言って、突き、蹴り、尻尾を使っての不意打ちと、怒涛の連続攻撃を仕掛けた。その全てをルーテは紙一重で躱すと、合間を縫って、鋭い鎌の一撃を加えて来る。


 が、その攻撃もマリカに当たることはない。


 ルーテフォーテ。おそらく闇、風、炎の属性をその身に宿す古代竜であろう。素早さに関しても、特筆すべきものがあるようだ。マリカの速さについていくなど、並大抵のことではない。


「懐かしいなぁ。昔からよくこうやって、喧嘩してたもんなぁ!」


 と、マリカの突きを躱したルーテが言った。大鎌をグッと前に突き出して、マリカの動きを牽制し、身体を横にグルンと一回転させて、水平の斬撃を放つ。


 斬撃が衝撃波となって、後ろに避けたマリカを追撃したが、当たった、と思った瞬間には、マリカの姿はそこにはなかった。


 散り行く残像を残し、マリカの姿が一瞬、完全に視界の中から消える。と、ルーテが小さく舌打ちし、横薙ぎに大鎌を振るった。刃の通り過ぎた先に、マリカの姿が出現したが、それもまた残像となって消え去っていった。


「貴女が闇竜の聖域に、帰ってくればいいだけの話です。…もはや手遅れのようですが」


 マリカの姿が、ルーテの背後に出現する。ルーテがすぐさま反応し、大鎌の柄でマリカの横腹を薙いだ。


 しかし、それもまた残像となって躱すマリカ。小さく舌打ちするルーテ。


「あの二人、最初は仲良かったのか?」


 ネーロに訊くと、マウラと二人して頷き、


「小さい頃は、姉君のヒメリアス様、ベルメーナ様と一緒に、よく遊んでおりました」


「天敵となったのは、テンネブリス様が、破壊神ルイスの側に寝返ってからです」


 なるほど。ということは、人の時代が訪れてからは、ずっと敵対関係にあるってことか。


 ていうか、それを知ってるってことは、ネーロとマウラも結構長生きしてるのね。古代竜の域じゃないか。


 だからこんなに強いんだな。


 と、人知れず一人で納得していると、


 ゴゥッ…! と辺りの景色が、一瞬で明るく染まり、


「いい加減、コソコソ隠れ回るのは、やめやがれ!」


 ルーテの全身が、荒れ狂う炎の渦に包まれ、それが諸刃の大鎌の先に、寄り集まっていった。


煉獄焦轟破れんごくしょうごうは!!」


 大口を開けた、一筋の巨大な炎の龍が、暴れ狂うようにして周囲を飛び回った。


 おそらく、高速で移動するマリカを、追随しているのだろう。


 と、


風牙陣障壁ふうがじんしょうへき!」


 マリカの声が響き、炎龍の顎門の目前に、緑色の光を放つ球体が出現した。よく見ると、その中にマリカの姿が見える。


 風の障壁魔法だ。これを広範囲に展開したものは、軍隊を守る結界にも使われることがある、六星クラスの上級魔法である。


 余談だが、英雄アレクも好んで使っていた魔法だ。…ほんとにどうでもいい情報だが。


 ガシュ…! と炎龍が障壁にぶつかり、凄まじい炎風が飛び散り、辺りを薙ぎ払っていった。


 ボルケーノの比じゃない。辛うじて残されていた瓦礫や草木を吹き飛ばし、地面を抉りながら、尚も範囲を広げてゆく。


「失礼します」と、ネーロとマウラが俺の前に出て、闇魔法のシールドを展開した。


 ディグフォルト全身融合してるんで平気だったのだが……まぁ、好意でやってくれたことだし、有難く受け取っておこう。


 やがて吹き荒れる炎の嵐が収まり、静けさが戻ってくる。ネーロとマウラがシールドを解除すると、黒く焼け焦げた平坦な大地の上で、マリカとルーテが睨み合っていた。

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