第44話


 屋敷を出て三十分ほど西に歩くと、やがて王都ティアスの正面口の大門へと辿り着く。流石に夜中は閉まっていて、門の前には二人の門番の姿があった。

軽く挨拶を交わすと、俺とマリカの姿を見て大仰に、ビシッと敬礼する兵士に苦笑いしつつ、更に西へと向かおうとしたら、門番の一人が慌てて駆け寄って来て、


「難民の元へ向かわれるのですよね? 専用水路に、巡回用のボートがございます。西町までお送り致します」と、城壁沿いの水路の方へと促された。


 アリエルに視線を向けると、無言でコクリと頷かれたので、好意に甘えることにした。


 船尾で長い棒を水底に突いて、ボートを動かす兵士に、あとで問題にならないのか訊いてみたら、自分はエミール派です、とのことだ。


 ……うん。エミール派だったら、なんで大丈夫なのかも説明して欲しかったが…まぁいい。今度ギルスにでも聞いておこう。


 そのまま西の郊外まで送ってもらい、礼を言ってボートを下りる。東の下町と同じく、城壁の外であり、街を囲む形でグルっと水路に囲まれているが、その水路の外側、近くに小さな林があるところに、小さく焚火が灯っているのが見えた。


 水路に架かる跳ね橋を渡って近づいてゆくと、小雨に打たれて今にも消えそうな焚火の周りに、とても雨風を凌げそうにないボロボロの布で作られたテントが、五つほど設置されてある。


 焚火の周りに三人の男の姿があって、丸太や石を椅子がわりにして、火に当たっていた。


 魔物発生事件があった直後だし、警戒しているのだろう。


「こんばんは。何か手伝えることはありますか?」と、アリエルがいつものニコニコ顔で話しかけた。


 真夜中の訪問者とはいえ、女性がいることで警戒もほぐれたのか、男の一人がスックと立ち上がり、こちらに身体を向けた。


「薬を…用意していただけませんか。風邪の薬と、消毒薬と…あと、新しい包帯も」


 よく見ると服もビショビショで、身体は小刻みに震えている。しかもテントの中には、立ち上がることも難しい、怪我人もいるみたいだ。


 テントの側に近寄り中を覗き込むと、一つのテントに五人ほどが寄り添い、寒さを凌いでいた。半数は子供のようだ。大人の中には、薄汚れた包帯を、身体中にグルグル巻きつけている者もいる。子供の中に大きな怪我をした者が見当たらないのは、せめてもの救いだっただろう。


「マリカ、治療魔法を」


「はーい」


 人型になったマリカが、四つん這いになって、テントにゴソゴソと潜り込んで行く。


「は、斑天竜様ですか。そんな…恐れ多い…」と、テントの中から、弱々しい声が聞こえる。


「ジッとしててくださいねー」


 マリカの口調はいつもの調子だ。


 自分も治療魔法を取り出すと、他のテントの怪我人を治療して回った。全快とまではいかないが、少なくとも痛みは、だいぶ和らげることができただろう。


 ただし、風邪の方はどうしようもない。子供の何人かが、高熱にうなされていた。どうしてやることもできず、額に手を当てて、軽く撫でてやる。と、子供の目がスッと開いて、ぼんやりと俺の顔を見た。


「おとー…さん?」うなされるように、苦しげにつぶやく。


 返す言葉も思いつかず、ただ微笑んだ。


 …放っとけないじゃないか。こんな状態で、なんで国は放置できるんだ。


「屋敷の近くの空き家を、確保してあります。今夜にも移ってもらいましょう」


「そうか…すまない、迷惑をかける」


「シュウ様が謝ることはございませんわ」と、アリエルがニコリと笑った。


 それにしても手際がいい。あるいは、これから先、何かと人が増えていくことを予見して、準備していたのかも知れないが。


 ヒヒイロカネくらいでよければ、望むだけ作ってやろう。


 一通り治療を終えて、アリエルが舟を手配するために、町の中へと消えて行った。真夜中でも動いている業者はあるらしい。


 その間に、焚き火に当たっていた男から、色々と話を聞いた。


 ティアスに辿り着いたのは、三日前のことで、到着してすぐに、王宮の関係者と面会はできたらしい。


 が、追って沙汰を出すとの回答があったきり、その後一切の支援も、接触もないという。


 なんとか持ち出せた私財も、ここまでの路銀に使い果たしており、売れる物も全て売り尽くし、食糧や薬に替えてしまっていて、あとは心ある人達の援助によって、なんとか命を繋いでいる状態だったとか。


 ティアスの住人の中にも、食べ物を持って来てくれる人がいたっていうのは、ちょっとホッコリとするところだ。だがそんな者達は口を揃えて、すぐにも街を守っている民衆の守護者が、助けに来てくれるからと、励まして行ったのだという。


 …まぁ、自分でできることをやった上で、俺の名前を出したっていうのなら、ギリ許容範囲に入るか。結局人任せなところは、ちょっと釈然としないものはあるが。


「忙しい中、こんな夜中になってまで助けに来ていただき、ありがとうございます。本当に、どうお礼を言えばいいか…」


 いや…別に忙しいから、夜中になったわけではないんだが。まぁ、色々とやることがあるのは確かだけれど。


「お前達の他に、生き残った者はいないのか? 町はどんな状態だった?」


「気がついたときには、町の周りを帝国軍に囲まれていて…。こんなときですから、町でも、自警団を組織して備えてはいたのですが、いきなり空から光の塊が降って来て、弾けて町の至るところに降り注いだのです。それだけで、街を守っていた自警団も、一気に壊滅してしまいました。あとはもう皆、逃げ延びるのに、ただただ必死で…」


 追撃隊をなんとか振り切ったときには、ここにいる二十人くらいしか、残っていなかったのだという。


 それからマリーフィード山脈に沿うようにして移動し、途中でいくつかの村を経由して、援助を受けながらも、ようやく王都に辿り着いた。有事のことであり、王都に着きさえすれば、なんとかしてくれると思っていたらしい。


「光が…弾けましたか」と、不意にマリカがつぶやき……ハッとした。


 それって…暁光竜ラグデュアルの技に似ているな。拡散暁光弾、だったか。広範囲に渡って光の弾丸を降り注がせる、極めて強力な技だ。


 いや…でも、まさかな。ラグデュアルが、ノウティス軍に関わっているわけがない。どんな事情があろうと、破壊神ルイスの軍門に降るなど、ありえない話だ。


 だが……どうなんだ? よくよく考えてみれば、あのラグが、一千年もマリカを放っておくということの方が、ありえない話なんじゃないか?


 暁光竜ラグデュアル。光竜神ラウヌハルトの実弟で、光の竜帝の座に位置する、竜族でも最強クラスの実力者だ。


 ラウヌハルトがシィルスティングになって、父なる神ウィルに追従するようになってからは、光竜達のトップに立ち、終焉戦争においても、光竜の軍勢を率いて、輝かしい功績を挙げた。


 真面目で正義感に強く、情に厚く、自らが勇者と称えたシャロンの王子、シュン・ラックハートが死したのちも、律儀にシャロンの守り神として、戦い続けていたという。


 …そこまでは、俺が思っていた通りの、ラグデュアルの行動だ。


 神族が死したのち、復活するには、どれだけのダメージを負ったかなど、細かなルールはあるが、魂まで粉々に粉砕されでもしない限りは、数十年から数百年もあれば、元の力を取り戻して、地上に具現化することができる。


 ラグが復活していることだけは、間違いない。知らないところで、再び何度も滅ぼされたりしていない限りは。


 マリカは黙って、焚火の炎を見つめている。


 この難民達の町があったのは、マリーフィードの最南端から、さらに南へ数十キロほど下ったところらしい。…俺とマリカなら、一晩で帰って来ることが、できるんじゃないだろうか。


 軍事作戦下に置かれている、グラハガ平原付近は、連合軍や帝国軍の索敵に、引っ掛かってしまう恐れがあるために、飛ぶことはできないが、少なくともマリーフィードの上空だけは、空の魔物や魔獣とかち合うこともなく、安全に移動することができるだろう。


 そこから先の数十キロは、速度を抑えて、低く飛んで行けばいい。略奪軍もすでに撤退しているだろう。戦場跡であり、魔物や魔獣が発生している可能性は高いが、俺とマリカならなんとでもなる。


 自警団を壊滅させたという例の光が、本当にラグデュアルによるものだったのか…痕跡を見れば、マリカなら判別できるかも知れない。


 難民の移動のための舟を手配して、戻って来たアリエルに事情を話し、あとのことを託した。


 マリカは少しだけ渋り気味だったが、俺一人で行って来てもいいがと言ったら、仕方なしに頷いてくれた。


 手持ちのシィルスティングの中で、最速のランファルトを翼に召喚融合し、マリカと並んで飛翔する。


 雨は先ほどよりも小雨になっていた。霧雨というのはこんなものだろう。夜の闇の中を南西に飛び、マリーフィードに入ると、連峰の頂上に沿って南下してゆく。


 連峰に流れる竜脈は、ルイスが魔物発生の秘術を使った回路が、乱れているのが分かった。


 が、その他の部分は正常だ。上空を飛んでいると、翼の下に集まる風の力が、山脈から流れ込んで来る神力により補助され、すごく快適に飛ぶことができた。竜族の聖域に施された、魔法の一種だ。


 しばらく飛んでいると、連峰から二匹の黒い魔竜が飛んで来て、俺とマリカの後ろを追従して来た。


 マリーフィードを馬車で移動したときに、先導してくれたあの二匹みたいだ。子供達とすごく仲良くなってた奴らね。


 やがて、マリーフィード山脈の最南端に辿り着き、速度を緩めて、低く高度を取ってゆく。


 その辺りから魔竜二匹が、俺とマリカの前に出る形になった。なんらかの風魔法を使っているのだろう。魔竜の背後だと、空気抵抗が極端に少なく感じた。たまに出現する魔物も、魔竜の黒炎弾一発で、楽々と駆逐されてゆく。


 しばらくゆくと、徐々に魔竜の速度が落ちてくる。やがて完全に停止し、ゆっくりと下方に降りて行った。地面に降り立った途端に、魔竜が四方に向けて、いくつかの黒炎弾を吐き出した。魔物がいたらしい。


「ありがとう。すごく楽に飛べたよ」


 ランファルトの融合を解き、魔竜に向かって礼を言うと、魔竜二匹が、足元から黒い煙をグルグルと立ち上らせた。


 マリカと同じ変化の魔法だ。片方が二十歳ほどに見える若い男の姿に、もう片方が女の姿になって、俺とマリカの前で片膝をついて頭を垂れた。


 二人とも黒髪で浅黒い肌をしている。なかなかに美男子と美女だ。出立ちは剣士系の傭兵スタイル、って感じだな。


「もったいなきお言葉にございます」


 うん………喋れたんだね貴方達。


 なんでも、あの旅の途中にも、たまに子供達と言葉を交わしていたのだという。


 …も、もちろん気づいてたよ? と、当然じゃないか!


「襲って来た魔物は、我等が対処いたします」


「助かるよ。町はこの先?」


「はい。この場所も、かつては人間達の家が、建っていた場所にございます」


 おっと。すでに町の中だったか。真っ暗だったから気づかなかったよ。


「ところで君達、名前は?」


 辺りをキョロキョロしながら問いかけると、魔竜…人間? 二人は、ちょっと困ったように視線を合わせた。


「私供は名付きではございませんゆえ」と、二人揃って深々と頭を下げる。


 そっか。竜族って、名前を持ってる方が珍しいんだっけ。ちょっと失礼なこと聞いちゃったなぁ。


「じゃあ、男の方は、真っ黒だから…ネーロ。女の方は……真っ黒だからマウラで」


 あはは。二人とも黒い竜だった。魔竜だから当然だけど。しかし、いい名前だ。ちなみに意味は、黒だ。


 ……安易とか言うな! 分かり易いって大事だぞ!


「な…!? わ、我等に、名を与えてくださると!?」


 いや、いいからそういうの。別にそれでパワーアップするとか、進化するとかいう設定もないから!


「良かったですね。これで貴方達も、名付きの仲間入りです。シュウ様の眷族として、恥じることがないよう、存分に役立ちなさい」と、マリカが二人の前で、厳かに言い放った。


「ははーっ!」「創造主様の御心のままに!」


 地面に頭突きをするようにして、畏まるネーロとマウラ。


 どこの教祖様だ俺は。


「授かったこの力、存分にお役に立てて見せます!」


 ………………。


 ……………え? もしかして、名前付いたらパワーアップするとか、あるの?


 いや…そういう設定は作った記憶はないが。そもそも、どういう理屈だよ、名前が付いただけで。


 まぁいい。とにかく、ラグデュアルの痕跡を調べよう。


 マリカ、ネーロ、マウラと四人で、灯した魔導具の明かりを頼りに、辺りを調べて回る。


 というか、明かりを必要とするのは、もしかしたら俺だけだろうか。


 うん。もしかしなくても俺だけだな。三人とも闇竜の一族だ。マリカは風と光の要素が混ざっているけども。


 しばらく進むと、かつて町があっただろう痕跡が、ハッキリと現れてきた。


 黒く煤けた瓦礫や、粉々になった石壁。深く地面が抉り取られたような場所もある。なんらかの魔法や、シィルスティングによる攻撃の跡だろうか。あるいは、例の光の塊が弾けた跡なのか。


 あちこちに…かつて人であっただろう…ものもあった。大きいのから、小さいのまで。嫌な臭いが辺りに漂い、飛び回る羽虫の音がさらに気分を悪くさせる。願わくば来世は、もっと平和な場所に生まれますように。そう、祈ってやることしかできなかった。


「……………」


 マリカが無言で、抉られた地面の前に屈み込み、そっと手を触れた。


「…何か分かるか?」


 問いかけると、マリカはふうっと軽く息を吐き、静かな声音で言った。


「一つだけ……」


 それ以上は何も言わず、口をつぐむ。


「……そうか」


 それだけわかれば…十分だな。自然とため息が漏れた。どうしようもなく重く、深く。


 ラグデュアルが帝国軍に加担している。三神と六竜神を除けば、単独最強に設定した自慢のキャラだ。たとえ拷問されようが、人質を取られようが、破壊神の軍門に降ってしまうような、ヤワな奴じゃない。


 なんらかの事情があるとは見るべきだが…本当にラグが町の人達を殺したのか? 未だに納得できないのだが…。


 と、


「……隠れ切れていませんよ?」


 不意にマリカが、暗闇に向かって、そう声を発した。

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