第38話

「シュウ様、朝です〜!」


 ボフっと顔に、モフモフの毛玉がのしかかってきた。


「うーん……」


 ガシッとマリカの首を引っ掴み、強引に持ち上げて引き剥がす。それでもプラプラと揺れる尻尾が、鼻先をくすぐった。


 昨夜は久しぶりに遅くまで起きていたため、どうにも今日は寝起きが悪い。


 重たい瞼を擦りながら、ムクッと起き上がり、マリカをベッドの上に戻す。


 ボフンと魔法の煙を巻き上げ、マリカが人の姿に変化した。


「具合悪いです? まだ寝ます?」小首を傾げるようにして、俺の顔を覗き込んでくる。


「起きる…よ。子供達を見送らなきゃいけないし」


 ふあぁと欠伸をして、ベッドを降りて洗面所に向かう。顔を洗って、ダイニングとして使用しているパーティルームへ向かうと、すでに起きて来ていた面々が、揃って朝食をとっていた。中にはもう食べ終わっている子もいるみたいだ。


「おはようございます。シュウ君」真っ先にセラお姉さんが挨拶してきた。


「おはよー」と、セラお姉さんの隣の席に着くと、テーブルを囲んでワイワイと騒がしい面々を見回す。


 マーク君とバルート、そしてアリエル以外の皆んなは、すでに起きて来ているみたいだ。マーク君はいつもの寝坊助で、実家から通っているバルートは、今頃家を出た頃合いだろう。


 アリエル…がいないのはなんでだ? 首を傾げていたら、ギルスが朝食のツナサンドを頬張りながら、


「アリエル殿は早くに出掛けて行きましたぞ。商会の方にトラブルがあったようですな。ロード協会の集会所に、通信器を借りに行ったのでしょう」


 と言って、もう片方の手で、隣に座る女の子のコップにミルクを注いでいた。


「商会にトラブル? 大丈夫だろうか…」


 そういえばアリエル、アクロティアに戻らなくて大丈夫なんだろうか。なんか当たり前のようにここに住んでいるけれど。


「ギルス様、そこのマヨネーズ取ってください」


「ふむ。これかな?」


「ありがとうございます」


 トニー君がギルスからマヨネーズの瓶を受け取り、パンに塗り始めた。


 ……てか、当たり前のようにギルスがいるな。しかもめっちゃ馴染んでるし。昨夜はあれから少し話を詰めたあと、普通に帰って行ったんだが。


 というか、隣で卵サンドを一生懸命に頬張っている女の子は誰だ? よく見ると、うちの子じゃない。


 …もしかして!


 と、女の子が不意に俺の方を見た。


「………!」


 瞬間、ドキリと胸が高鳴った。


 頬っぺたに食べカスをつけて、まぁるいお目目を見開いて、キョトンと首を傾げている。


 髪の色は水色。母親のアイラと同じだ。瞳の色は青。これはギルスから受け継いだらしい。サラサラの髪は、肩口で切り揃えられていて、耳元でピンで止められ、食事の邪魔にならないようにされていた。


 ジッと見つめていると、女の子…ファルナもまた同じように、こちらをジッと見つめ返してくる。


 一瞬、ほんの一瞬だけ、不意にウィラルヴァを目の前にしているような、錯覚に捕らわれた。髪や目の色は違えど、持っている雰囲気はそのまま、ウィラルヴァと同じように感じる。


 輝くような青い目が、スッと細まり、ファルナがニッコリと微笑んだ。


 か…可愛い! 何この子!? 他とは比べものにならないほど、圧倒的な可愛さなんですけど!?


 い、いや。欲目だなきっと。ファルナといえば、ロストミレニアムのメインとなるヒロインだ。最も思い入れのある、女の子キャラと言っていい。


 キャンディ用意しとくんだった。次からは常備するようにしよう。


 と、


「……………」


 いつの間にかすぐ隣にいたマリカが、人を責めるような、逆かまぼこお目目で俺を見ていた。


 し、心臓を抉り取るかのような、冷たい目つきで見るんじゃありません!


「ご…ゴホン。…ギルス君や。隣のその子は、君の娘さんかね?」


 わざとらしく咳払いして、マリカの方を見ないように、心掛けつつ問いかける。


「うむ。今日の午前中には、アクロティアの叔母のところに、向かうことになっていてな。顔を合わせるには最後の機会だったので、連れて来たのだ」


 おや。それはまた急な話で。


 アクロティアの叔母ってことは、ギルスの腹違いの姉、アメリア・レインのことだろう。B級ロードであり、商業都市アクロティアで上位に位置するギルド、ソリッドガードの創始者だ。


 このソリッドガード、後世ではアルディニアに拠点を移し、グランツベース、リベラルフォースに次ぎ、世界第三位の強豪ギルドにまで成長する。いずれはファルナも、叔母のシィルスティングを引き継ぎ、このソリッドガードのギルドマスターとして、活躍することになる。


 しかし…今ファルナが、叔母のところに引き取られるとなると、俺の作った物語とは、ちょっとタイミングがズレているのだが…。


「何か気になるんですか?」と、俺の顔を見たセラお姉さんが訊いた。


「ん? うん…まぁ、差し障りはないとは思うけど」


 …一応、ギルスには話しておいた方がいいかも知れない。彼自身にも関係のあることだ。


「俺の記憶では…ファルナが叔母のアメリアに引き取られるのは、七、八歳くらいのときだった」


 話し始めたとき、ラルフ爺さん達が子供らに「さぁ、ご飯を食べたら学校の準備だ」と、朝食を食べ終えた子供達を連れて、部屋を出て行く。


 徹底してらっしゃる。そこまで気を使う必要はないんだけどな。まぁいいけど。


「ファルナは五歳のときに、レインティアを離れる。ノウティスの侵略を防ぎ切れないと判断したギルスが、母親のアイラと祖母とともに、アクロティアへと避難させたからだ。

ギルスはレインティアに残り、私兵を集めて、ノウティスを迎え撃つ用意をしていたが、アイラとファルナを逃す際に、王家の奸計に嵌って死亡している。

その後レインティアは、帝国の猛攻に耐え切れず、呆気なく陥落した」


 ギルスの眉が、ピクリと跳ね上がった。


「避難先に用意したアクロティアの農村では、七歳のとき、村全体が野盗の襲撃に遭う。ファルナは祖母と二人生き残ることができたが、その後すぐに祖母が他界してしまう。叔母のアメリアに引き取られたのは、そのタイミングだった」


「一つ確認してもよろしいか」と、そこでギルスが片手を上げた。


「創造主様としては、予定通りに事が運ばぬことは、不都合ではないのか?」


 至極、真面目な顔つきだ。


「…そう考えているとしたら、レインティアを救おうなんて思わないさ。それ以外にも……できることなら変えてしまいたい未来は、たくさんある。過去のことはもう、どうしようもないとしても、手の届く未来に関しては、捻じ曲げてしまっても構わない。例えそれで、全く俺の知らない物語になってしまっても」


 そもそもが、すでに決まっている未来を、その運命を変えることができるのか、それすらもやってみないと分からないのだが…。


 ウィラルヴァは、レインティアを救うことはできないと断言していた。俺がそう定めてしまったからだと。


 そこにどんな力が働くというのだろう。いくら捻じ曲げようと努力しても、必ず決まった通りに修正しようとする、大きな力でも働くというのだろうか。だとしたら、それは一体なんなのだろう。


 運命。そう一括りに言ってしまえば、これほど都合のいい言葉はない。しかし、どうせダメだからと最初から諦めていては、努力することも怠って、変えられるものも変えられなくなってしまう。


 それだと、俺がここにいる意味などない。ウィラルヴァも俺を、ここに送り込んだりはしない。何かがあるはずなのだ。俺だからこそできる、何かが。


「それを聞いて安心した」


「シュウ様を疑っていらしたのですか?」


 マリカが真顔で、冷たい視線をギルスに向けた。…軽く、殺気も混ざっている。


「勘違いしないでいただきたい。死ぬ運命に殉じろと言われれば、言われた通りにしていた」


 憤慨したように目つきを険しくさせ、フンと鼻を鳴らす。


 気を利かせたのか、トニー君が明るい口調でパタパタと手を振り、


「まぁまぁ。こんなところで喧嘩しないで。


 それより、今のタイミングでファルナちゃんが、アクロティアに行くことは、特に問題はないですよね。ティアスにいるよりは安全ですし、ここより発展した平和な国ですし」


 国というよりは、都市だけどね。独立都市というやつだ。どの国にも属しておらず、独自の法により自治された、商人達の街。他大陸との交流も盛んで、海路、陸路、共に大陸の流通の要でもある。


「もしアリエルがアクロティアに戻る必要があれば、一緒に行くのも手だが…このあとすぐにでも出発するのか?」


「多少であれば融通は利く。だが、アリエル殿が、シュウ殿の側を離れるとは思えぬが…」


「まぁ、どんなトラブルが起こったかによるだろ。相当大きな商会みたいだし、アリエル一人がいないくらいで立ち回らなくなるようだと、それはそれで問題だが」


 アリエルならば、不測の事態に対処するマニュアルも、完璧に作っているだろう。地竜五十を従えているくらいだ。知能においても、優秀な部下がいるに違いない。


「一旦、ファルナのことは保留にしておこう。今の話を聞いてしまったあとではな。

 シュウ殿、しばらくファルナを、この家に置いていただいてもよろしいか?」


「構わないが…。部屋は余ってるしな。なんなら、ギルスの部屋も用意しようか?」


「ファルナと同じ部屋で構わんよ。いつでも居られるわけではない」


「分かった。セラお姉さん、お願いできる?」


「分かりました。おいでファルナちゃん。部屋に案内してあげる」と、セラお姉さんがファルナを連れて、二階の階段を上って行った。


 入れ違いで、ようやく起きて来たマーク君が、階段を降りて来る。


「おはようございます。…姉御が連れてた子供は誰ですか? めっちゃ可愛いらしい子でしたけど」と、自分の席について、大皿のサンドイッチに手を伸ばす。


 そしてそこで初めて、対面に座るギルスの姿に気づいたようだった。


「え、まさか、ギルス・レイン様ですか!?」


 さすがにギルスの顔は知っているようだ。ギルスが失脚する前からレインティアに住んでいるのだから、当然か。


「お初にお目にかかる。本日より、シュウ殿の配下に加わることになった」にこやかに挨拶するギルス。


 厳格な雰囲気を漂わせつつも、すごく人当たりの良い笑顔だ。


「ま、マジっすか!」


 サンドイッチを食べながら、あんぐりと口を開けて驚愕するマーク君。汚いからおやめなさい!


 と…そのときだった。


 突然バタバタと、玄関から誰かが走って来たかと思うと、部屋の扉をバタンと開けて、バルートが慌ただしく中へと駆け込んで来た。


「おはようバルート。どした、そんなに血相変えて? 腹でも痛いのか?」


 トニー君が軽い口調で笑いかけた。


 バルートはそんなトニー君を全く無視するように、俺のそばへと駆け寄り、驚くべきことを口にした。


「大変ですシュウ殿! 街のあちこちに、魔物が出現して暴れています!」

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