第36話
闇夜に響く、草の葉の陰で鳴く、虫の音を聴きながら、庭に面した屋敷のテラスで、白いデッキチェアに背を持たれて、ティーカップを口元に運ぶ。
中身はマリカのジャスミンティーではなく、家事担当のおばちゃんが入れてくれた、ミルクティーだ。最初マリカは拗ねるかと思ったが、自分もミルクと砂糖を多めに入れて、幸せそうにコクコク飲んでいた。
そのマリカは、このところ寝るときには、いつも猫竜スタイルでベッドの枕元で丸くなっているのだが、今日は少し早めに、俺の膝の上で丸くなり、スースー寝息を立てている。
お茶しながら撫でてたら、寝ちゃったのです。セラお姉さんも、猫竜姿のマリカなら、ベタベタしてても文句はないようだ。
子供達ももう就寝時間であり、テラスに出てくる子は誰もいない。大人達は、屋敷に移ってからは、少し寝るのが遅くなっており、マーク君らと軽く酒盛りしているみたいだ。
ただ、バルートのおっさんだけは、屋敷に部屋は用意しているのだが、寝泊まりせずに早めの時間に家に帰っている。なんでも病気がちの母がいるとかで、夜は不安なんだとか。それでなくとも、遠征で長く家を空けたばかりだ。
そういうところも、バルートらしいといえばらしいかも知れない。顔を見る限りは、とてもそうは見えないけれど。
「なんだか最近、迷惑かけてばかりですね」
と、魔導具のランプを乗せたサイドテーブルの向こうで、セラお姉さんが苦笑した。
俺と同じようにデッキチェアに腰を下ろし、両手で包み込むようにティーカップを持っている。
「今日のことでしたら、迷惑というほどのものではありませんわ。元々ファルナ様との交換条件に、提示するつもりだった内容です。むしろ、無駄にならなくて助かりました」と、二階のベランダを支える柱を背もたれに、座り込んだアリエルが笑った。
提示した内容というのは、ビズニス・エストランドの連合軍に援助する資金を、アリエル商会が持つというものだった。
元々アリエル商会は、連合軍に対して金銭的な援助を行っていた。それをレインティアからの援助ということにすれば、余計な出費を増やすことなく、レインティアも面目を保つことができるというわけだ。
というかレインティアは、連合軍に軍を派遣するどころか、これまで金銭や物資での援助すら、一切行っていなかったらしい。
攻め込まれたのは自国の領土だというのに、どこまで身勝手なのかと耳を疑ったが…裏を返せば、それだけ守護国ビズニスや傭兵国エストランドが、頼りになるってことだろう。
ちなみにセラお姉さんの国外追放の件は、記録から抹消してもらった。これでセラお姉さんの実家や、この前までお世話になっていた宿屋にも、一切の迷惑をかけることはないだろう。一安心だ。
「帰り際に、エミール将軍の間者から、接触がありました。ファルナ様は安全なところにいるので、心配なさらぬようにとのことです」
帰って来たのはつい先ほどなのだが、帰りは王家が用意した馬車に乗ったため、当たり障りのない会話しかできなかった。
御者が信用できない馬車ってのは、乗るもんじゃないね。備付のドリンクも、手を付ける気にはなれなかった。まぁ運賃がタダになったのは良かったけど。
「結局あのおっさんが一番のクセ者だったってわけか。あんな中にいて、よく立ち回れるもんだな。ああいう場所は、俺には場違いだってことが、よく分かったよ。決定的に性に合わないわ」
「初めから申していたではないですか。今のレインティアの王家とは、付き合うものじゃございませんわ。こういったことは、私にお任せください。誰しも、得手不得手はございます。
創造主様だからといって、全てをご自分でなさる必要はないのです。それは欲張りすぎですわ」とアリエルがクスクス笑った。
ほんに、仰る通りですわ。
父なる神ウィルでも、適材適所を見極めて、人材を配置していた。何もかもを自分一人でやっていたわけではない。むしろどちらかといえば、グウタラな男だ。頼れる仲間も増えて来たのだし、任せるところは任せていかないと、俺一人ではすぐに潰れてしまうだろう。
コロンと寝返りを打ったマリカの頭を、モフモフ撫でつつ、本心からそう思って苦笑いを返した。
と、そのときだった。
「……お客様のようですね」と、アリエルが静かに立ち上がり、庭の暗がりに目を向けた。金色の瞳を鋭く見開き、俺とセラお姉さんの盾になるような位置取りで、無言の圧力を庭先に向けて放つ。
「身の毛もよだつ気迫だな。ただの行商人の放つ殺気ではないぞ」
暗がりの中に浮かんだ影が、ゆっくりと近づいて来た。
やがて人影が、明かりの届く範囲に入り、おもむろに立ち止まった。
「初めましてと挨拶した方がいいのかな? シュウ・リドー殿」
長身で青黒い短髪の男が、魔導具の白い明かりに照らされ、不敵な笑みを浮かべた。
年の頃は四十過ぎといったところか。年相応に顔に刻まれたシワが、渋く厳格な雰囲気を際立たせている。何者にも屈しないという意志の滲み出た、自信ありげな目つき。良く手入れされた髪型や口髭は、整然として清潔感を感じさせ、ナイスミドルと呼ぶに相応しい、中年の男だった。
「あ…貴方は!」
思わず立ち上がり、マリカを胸に抱いて、アリエルの前へと進み出る。
ナイスミドルのおっちゃんが、ニヤリと口の端を上げて、歩み寄って来た。
「……誰だっけ?」
ガクッと膝を曲げて、数歩前へとつんのめるナイスミドル。
「知らんのかい!」セラお姉さんのつっこみが飛んで来た。
いやぁ、だって顔だけ見たって、たとえそれが俺の作ったキャラだったとしても、判別しようがないもの。マリカみたいに特徴のある容姿をしてるならともかく。
…だがまぁ、さすがに予想はできるけれどね。それに、一目見たときから、直感的に感じたものもある。間違いなく…知っている人物だ。
「て、てっきり私の顔を知っているものとばかり……。
私はギルス・レインという。元レインティア軍の総司令官であり、ファルナ・フォッグの父だ」
ギルスが頰に汗を流しつつ、苦笑気味に自己紹介した。
「これはこれは。フォッグ家の屋敷以来ですわね。もっとも、顔を合わせては下さいませんでしたが」
緊張を解いたアリエルが、ニコニコ顔に戻って……
え? 今なんて言った?
「気づいておられたか。気配は完全に消せていたと思うのだが…さすがはS級ロードと、その御一行。何、ファルナの件が無事解決したことを、アイラに報告に行っていたのだ。そこに丁度、そなたらが訪問して来たものでな。少し話を聞かせてもらった」
お…おう。あのとき屋敷にいたってことか。…き、気づいてたよ?
「シュウ殿にいたっては、私の事情にも、随分と詳しいご様子。一体何者なのかと警戒はしたが、エミールから会見の詳細を聞いて、味方なのだと確信した。おそらくだが……ウィル・アルヴァ様の配下なのであろう? アリエル商会の総元締を従えていることも、それを決定的に裏付けている」
そう言ってギルスは、俺の目の前に歩み寄り、親しげな顔つきで、スッと片手を差し出した。続けて、
「手筈通り、レジスタンスの結成も、順調に行っている。ウィル様の助言を受けて早二年…その間に、末端まで含めれば千人、常時では五百ほどの組織を、結成することができた。このタイミングでシュウ殿の援護を得られることは、非常に有難い。ウィル様に、ギルスが心から感謝していたと、伝えてもらいたい」
そう言いながら、俺の手をガシッと握り、力強く握手をした。
……ええーっと。ちょっと待ってな、おっちゃん。理解が追いつかん。
「ち、ちょっとお待ち下さい、ギルス様。話が飛躍しすぎています!」と、セラお姉さんが背後から慌てて声をかけた。
その通りだ。言ってやってよセラお姉さん。
「貴女は、セラ・ディズル殿だな? 元アレスフォース三番隊の隊長で、シュウ殿の恋人だそうだね。私がギルスだ。今後ともよろしく頼む」と、ギルスが和かに、セラお姉さんと握手した。
「そ、そんな、恋人だなんて…」頰に手を当てて、クネクネ身悶えるセラお姉さん。
いやいや、照れてる場合か! 途端に役立たずになるんじゃありません!
「ギルス様。少々、勘違いをなさっておいでのようですね」と、今度はアリエルがギルスの前に歩み出た。
「む? 勘違い、とな?」
「はい。まず第一に、シュウ様は、ウィル様の配下ではございません。私もシュウ様の腹心の一人として、お側に控えておりますが、それはウィル様の指示というわけではなく、私自身の判断によるものです」
「ふむ。シュウ殿が所有している漆黒竜と白銀竜は、ウィル様から譲り受けたものではない、と言うのか? ディグフォルト、ランファルトは、この世に二枚とない、特別なシィルスティングだと聞き及んでいるが」
訝しげな視線をこちらに向ける。続けてギルスは、
「かと言って、ウィル様本人ではない。二年前にお目にかかったときと、姿が違い過ぎている。仮に継承が行われたとしても、継承は赤子から幼少期の子供でないと、不可能と聞いている。よって、すでに大人であるシュウ殿に、継承の儀が行われた訳ではないことが分かる。シュウ殿は父なる神ではない」
さすがに、分析力に優れている。どうやら、俺が設定した通りの人物のようだ。
てか、二年前にウィルに会っているのか。その辺りのことも、あとで聞いとかないといけないな。
知識に関しても、普通ならば知り得ない情報まで、所有しているようだ。ウィルが父なる神であることも知っていて、継承を繰り返して、永劫の時を生きていることも知っている。
ただし、継承は別に、大人でもできるのだが。自我が強いと上手く融合できないため、できるだけ赤子に近い子供の方が、適しているというだけの話で。
まぁ、指摘するほどのことでもないけど。
「ウィル様を倒したり、騙したりして、その二体を手に入れたわけでもないだろう。そうでなければ、ウィル様の陣営の幹部クラスであるアリエル殿が、黙って従っているわけがない。
…ふむ。二枚目のシィルスティング、と考えるのが妥当か。驚くべきことだがな」
「そう考えていただいてよろしいかと」と、アリエルが恭しく頭を垂れた。
ギルスは軽く苦笑し、
「私の早とちりか。しかし、シュウ殿が敵であるとは思えない。こうして顔を合わせてみて、尚更その思いが強くなったのだが。一体シュウ殿は何者なのだ? グランツベースや聖王国の関係者か? あるいは…竜族、という可能性もあるな」
「…どちらでもないんだけどね。とりあえず、こっちに来て座ったらどうですか」
腕に抱かれながら、くてんと項垂れてきたマリカを、よいしょと抱え直して、テラスの方へとギルスを促がす。
デッキチェアは二つしかないため、セラお姉さんが座っていたものを譲ってもらい、魔導具のランプが乗っけられたサイドテーブルを挟んで、ギルスと並び合った。
ギルスは俺に習ってか、寛ぐようにゆったりとデッキチェアに背を預け、
「その眠っている子が、斑天竜殿か。まさか実際にお目にかかれる日が来るとは」と、俺の膝で丸くなるマリカに目を向ける。
マリカが薄っすらと目を開けて、チラッ、と横目でギルスを見やった。が、すぐに視線を直し、目を閉じてスースーと寝息を立て始める。
興味ないようだ。まぁ裏を返せば、敵意を向ける相手ではない、ということだろう。
セラお姉さんが一旦、家の中に入って、ギルスの分のミルクティーを用意して戻って来た。庭にマリカが設置していた木製のベンチを、アリエルが軽々と片手で運んで来て、セラお姉さんと並んで腰を下ろした。
それを見て、それまで当たり障りのない世間話しかしなかったギルスが、ようやく核心に触れて来た。
「シュウ殿。私が今日ここに来たのは、貴方に、私のレジスタンスに加わってもらいたいからだ」
その言葉に、セラお姉さんが真っ先に反応した。
「待って下さい、いきなりそんな話を持ち出されても、即答できるような話ではありません。そもそも、私達の目的は、王家を倒すことではないのですよ」
チラリと俺に視線を向ける。
…安易に引き受けないで下さいってことだろうな。もちろんそれは分かってはいるけど……。個人的には、ギルスの力にはなってやりたい。
こうして直に会ってみて、俺が思っていた通りの人物だということが、ハッキリと分かった。なんというか…一目見たその瞬間に、直感したというか。
マリカやアリエルに出会ったときみたいに、まるで我が子に出会ったかのような特別な思いを、ギルスにも感じたのだ。まぁ我が子といっても、実年齢はギルスの方が、一回り以上歳上だけども。
「……シュウ君。ダメですよ。レジスタンスに加わるということは、名実ともに、王家と敵対するということです。ロードとしてこの国に拠点を置くなら、取るべき選択ではありませんからね?」セラお姉さんが、キッパリと釘を刺して来た。
うう…また考えを読まれた。明日バルートが来たら、ポーカーフェイスのやり方教えてもらおう。
「これはこれは、手厳しい奥方様だ。まずはセラ殿と話をつける必要がありそうだな」と、ギルスが口元をニヤつかせた。
「お、奥方様だなんてそんな……い、いやいや、もう騙されません! 適当なことを言って、誤魔化さないで下さい!」
「ふむ…適当なことを言ったつもりはないのだが。よくお似合いの二人だと思うぞ」
「そ、そうなのですか? そんなことを言われたのは初めてで…」顔を赤らめて、あっさり引き下がってしまうセラお姉さん。
完全に手玉に取られている。ダメだこりゃ。
ええい! 行けアリエル!
ため息混じりにアリエルを見やると、アリエルは苦笑しながらコクリと頷いた。
「ギルス様。まずはこちらの事情を、全て包み隠さずお話しいたします。ただし、ここでの会話は、他言無用に願います。例え信頼できる腹心であったとしても、決して明かすことがございませぬよう」
そう前置きして、アリエルは語り始めた。
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