第21話


 次に気がついたときには、宿の一室で、床に座ってベッドにもたれ掛かるようにして眠っていた。


 目が覚めて…というより、意識が戻ってきてと言った方が正確だが、とにかく、首にクルンと回されたマリカの尻尾を、優しく退かして、ベッドに手をつき立ち上がる。


 窓に目を向けると、薄っすらと夜が明けてきているのが分かった。そろそろ難民の皆んなは、少なくとも大人達は起きてくる頃だろう。二日酔いしている者はともかく。


 ベッド脇のテーブルから、木製の椅子を取って、窓際に置いて腰掛ける。マリカを起こさないように、静かに。


 窓を開けて外の空気を吸いたかったが、起こしてしまうかも知れないので、やめておいた。窓枠に片肘をついて頬杖をつき、ガラス越しの外の風景を眺める。


 建ち並ぶ建物はほとんどが二階建てで、一階は何かしらの店舗になっている家が多い。この辺りは宿屋も多いし、旅人の多く集まる、宿場のような地区だろうか。


 この世界の大抵の都市は、役割ごとに歓楽街や住宅街、または貴族街など、地区ごとに分けられているのが普通だ。レインティアもそうなのだろう。


 東の空から徐々に明るくなってゆく。これから登ってくる太陽も、ウィラルヴァの創造物だ。ほんとに何から何まで、元の世界…地球に似通っている。


 それにしてもウィラルヴァの奴…最後に随分と、勝手なことを言ってくれたものだ。


 変えれるなら変えてみせよだと? 楽しませてもらうとか…お前を楽しませるために、やってることじゃないんだよ。


 決めた。こうなったら、是が非でもレインティアを救ってみせる。


「ふわぅ……。シュウ様…? もう…起きられたのですか…?」


 不意にベッドから、衣擦れの音が聞こえたかと思うと、寝返りを打ってこちらを向いたマリカが、ムクッと起き上がって、グッと背伸びをした。


「…起こしたか? 悪い、ちょっと考えごとをしてたんだ」


 もうちょっと寝てていいぞと言ったら、マリカはピョコンとベッドから飛び降りて、ゴシゴシと目を擦りながら、俺の側へと歩み寄ってきた。


「だいじょうぶれ…ふ。考えごとってなんですか?」


 言って、眠そうな半目でキョトンと首を傾げる。「すごく…真面目な顔してます。悩みごとなら…聞きます」と、床に体育座りするようにして、椅子に座った俺の膝に、ポフっと頭を乗せた。


 …話してる間に、寝てしまうんじゃないかこれ。まぁいいけど。


「レインティアが滅びる運命にある。それをどうにかできないかと思ってさ」


 フードが捲れて露出した、猫耳頭を撫でながら、ポツリとつぶやく。マリカは心地好さそうに顎を伸ばしながら、


「そうですか。それは、いつなんですか?」


 太腿にスリスリと頬ずりするようにしながら、訊いた。


 いつ…? そう言われても、正確には分からないんだよな。


「分からないけど。…暗黒竜って、心当たりある?」ダメ元で訊いてみる。


「暗黒竜? …いいえ、その二つ名で呼ばれる竜族はいません。それは、敵ですか? 捜し出して倒してきましょうか?」


「いやいや、そこまでする必要はないよ。それに、マリカ一人で行かせるわけにもいかないし」


 膝枕したマリカの顔が、ふっとこちらを見上げた。白黒の長い髪の間から、子猫が飼い主の機嫌を伺うようにして、黄色の可憐な瞳が覗く。


 その瞳が、ニコリと嬉しそうに細められた。


「シュウ様は優しいです。お父様みたいです。だけど…一人で、戦おうとしないで下さいね」と言って、少しだけ悲しそうな顔をする。


 …おそらく、ラグデュアルのことを思い出したのだろう。自分を置いて戦いに赴き、そのまま帰って来なかった恋人のことを。


 とはいえ、今頃はもう復活していて、どこかの空の下、無事に過ごしていると思う。


 マリカはそうだと認めることはないだろうけど、こうして俺について旅立ったのは、ラグデュアルを捜し出す…という思いもあったのだろうな。


「とりあえず、いつレインティアが滅ぶのか分からなければ、対処のしようがありませんね」


 俺の腰に腕を回して抱きつくようにして、マリカがゴロゴロと喉を鳴らす。


 鳴るんだ喉。さすが猫竜。


「そうだなぁ。一年後なのか十年後なのか。もしかしたら、百年後とかかも知れないしな」


 百年後とかなったらもう、完全にお手上げだ。せめていつなのか分かればいいんだけど。


 暗黒竜、とやらがこの国で暴れて、ガタガタになったところをノウティス軍に侵略される。


これがレインティア滅亡の流れだ。


 侵略されたのちは、取り戻そうと進軍してきたビズニス軍と、激しい攻防が繰り広げられ、最終的には、維持するのが困難と判断したノウティス軍は、占領したレインティアの各都市を尽く壊滅させ、撤退した。


 その後レインティアは、人の住まない土地と化し、主に戦場としてしか利用されなくなる。


 せめて王族の一人でも生き残っていれば、復興の道もあったのかも知れないが、生憎と王族は、一人残らず処刑されてしまっていて…………いや? 待て待て!


 いた! 一人生き残っていた!


 レインティアが滅びる直前に、商業都市アクロティアへと落ち延びた、レイン家傍系の一家が。


 落ち延びた先で、野盗の襲撃に遇うなどの不幸が重なったが、幼い娘一人が生き残り、のちにロードとして活躍することになる。


 ファルナ・レイン。


 ロスト・ミレニアムのヒロイン的立ち位置にいる女性で、英雄アレク・ファインの恋人。


 母なる神レーラ・クルーの転生した姿だ。


 母なる神レーラは、人間として何度も転生を繰り返すが、そのほとんどで、母なる神としての、記憶や力を覚醒させることはない。…色々と複雑な条件があってね。長くなるんで語らないけど。


 レーラの転生した姿の中で、ファルナは物語に一番深く関わる女性であり、ウィルの力を継承して父なる神となったアレクは、その後数千、数万年に渡り、生まれ変わったファルナを探し続けることになる。


 再会と別れを繰り返し、結ばれて幸せを手にしたり、自らの手で殺すことになったり、見つけ出したときにはすでに誰かと結婚していて、人知れず見守ったり………おっと、この辺りのことは今はどうでもいいな。


 とにかく、ファルナ・レインだ。ファルナはレインティアの王家、レイン家の傍系の令嬢として生を受け、五歳のときに、アクロティアへと落ち延びている。


 つまり、レインティアが滅びるのは、ファルナが五歳のときだ。


 ファルナを見つけ出すことができれば、レインティア滅亡の年が分かる。


 今生まれているのかは分からないが、生まれてなくとも、レイン家の傍系に生まれた女の子を定期的にチェックしていれば、いつかはヒットするだろう。そんなに難しいことじゃない。上級ロードであるセラお姉さんなら、王族の知り合いもいると思う。


 よしよし。そうなるとあとは、暗黒竜とやら、そしてノウティス軍に対して、どう対処するかを考えておけばいい話だ。


 うん。今ざっと考えただけでも、いくつか案が出てくる。先行きが見えてきたぞ。


「その顔だと、何か思いついたみたいですね」


 不意にマリカに言われて、膝枕したマリカの顔を見下ろした。無意識に頭を撫でていたらしく、嬉しそうな顔でピコピコと猫耳を動かしている。


 …うん。見た目的に問題あるなこれ。セラお姉さんに見られでもしたら、間違いなくフライパンが飛んできそうだ。


「マリカ。普通の猫くらいのサイズで、竜化できたよな? それになって、膝の上においで」


 言われてマリカがぱぁっと笑顔になって、足元からグルグルと立ち昇る黒い煙に包まれた。


 通常の猫くらいの大きさになった斑天竜マリカウルが、ピョンっと膝の上に飛び乗り、身体と翼を丸めて、コロンと寝転がる。


 うんうん。これならなんの問題もない。


 幸せそうにゴロゴロ喉を鳴らすマリカを、撫で撫でモフモフする。


 かわいいねー。いい子だねー。


 窓の外はすっかり明るくなり、まだ太陽は登っていないものの、路地を行き交う人々の姿も、ちらほらと見られるようになってきた。


 今日が始まる。今日はロードの試験を受けることになっているし、朝のうちに迎えにくると言っていたから、それまでに朝食もとっておかなければならないな。


 試験内容はおそらく、神力量の測定、リングレベルのチェック…つまり所持したシィルスティングの総合力のチェックだ。


 どちらも、専用の魔導具で測定する。そういうロード関連の魔導具は、ウィル・アルヴァが自ら開発したものだ。


 他の文化レベルと比べて、そこだけ突出しているのは、ウィルが関わっているからに他ならない。


 あとは、試験官となるロードとの模擬戦。S級を受けるならば、S級相当のロードが相手となるだろう。


 …ん? レインティアにはS級ロードはいないとか話してたけど、その辺り大丈夫なんだろうか? まぁ、受けるのは別にA級でも構わないんだけど。


 とにかく……もうちょっとだけゆっくりしてても構わないな。


 マリカの頭を撫でながら、窓の外の風景をを眺める。


 所狭しと建ち並ぶ建物。水路の張り巡らされた、発展した街並み。水の都ティアス。


 かつては湿地帯でしかなかったこの場所を、街の名の語源となった、とある竜族の加護を受けた人々が、一から切り開き、つくりあげた、歴史ある街だ。


 俺が何もしなければ、やがてこの景色が跡形もなく消滅し、人の立ち入らない、湿地帯の魔境へと変貌することになる。


 …そうはさせない。考えはある。簡単に滅ぼせると思うなよ、ルイス・ノウティス!




 …まぁ、それが百年後とかだったら、どうしようもないんだけどね。そうではないことを祈ろう。


 

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