第16話
「私のことは、気軽にマリカとお呼び下さい。人の姿をしているときは、そう名乗っております」
マリカウル…改めマリカが、スカートの裾を持って左右に広げ、ぺこりとお辞儀をする。
うん知ってる。たまに人間の町に繰り出して、豪遊してるよね貴女。あと、姉のヒメリアスとか、親しい者からもマリカと呼ばれていると思う。
「くっ…一撃も加えられなかった」
セラお姉さんがマリカの背後で、ガックリと膝をついて、ゼエゼエと息を切らしている。
…そりゃそうでしょうよ。相手は竜族の中でも、上位に位置する古代竜だ。しかも素早さに関しては、風竜神にも迫るトップクラスの実力者。おそらく、俺がシルヴァ全力融合した姿でも、捉えることはできないと思う。
そうなると、さっき戦いにならなくて良かったなぁ。まぁ、素早さは神クラスでも、攻撃力や防御力は紙クラスなんで、負けることはなかっただろうけど。普通の竜に比べれば、それなりに強いが、少なくとも、ランファルトの盾を上回る攻撃力を、マリカは持ち合わせていない。
「人間にしては、中々の切れの良さでしたが、まだまだですねー」
マリカが腰に手を当てて、フフンと得意げに胸を張る。自慢のもふもふ尻尾を、ゆっくりフリフリしてて、実に楽しそうだ。
セラお姉さんが悔しそうに拳をプルプルさせたが、ややあって諦めたように、ハァーっとため息を吐いた。
大人ですね。
「とにかく、話は分かりました。それで…これからどうするんですか? ウィルという人物を…父なる神の化身…ともいえる方なのですよね。その方を探してるとか言ってましたけど」
息を落ち着けたセラお姉さんが、ゆっくりとした歩調でベンチへと戻ってくる。俺の隣に腰かけ、ティーカップのお茶をゴクゴクと飲み干した。
「うん。当面は、それしかやることがないと思う。
…あ。あと、ロード協会に登録しようかと思ってるんだけど、手伝ってもらえないかな?」
「私がですか? ああ…なるほど。異世界から来たというなら、戸籍も身分証も何もないわけですね。保護者が必要と」
さすがセラお姉さん。話が分かる。
「セラお姉さんが身元を保証してくれれば、試験も受けれるでしょ。とりあえずS級を受けようと思ってるんだけど、大丈夫だよね?」
「S級? なんですかそれ?」セラお姉さんがパチクリと瞬きをした。
おっと。一般的にはA級までしか知られていないんだったか。A級に上がって初めて、それ以上の階級があることを知るって設定だった。
…マジ無駄な設定! 作ったとき何を考えてたんだ俺。何か理由があった気がするけど、何も覚えていない。
「マスターロードには、A級より上があるんだ。…基本的に、いきなり上の階級を受けても、構わない規定だったよね?」
「それは…そうですけど。その分だけ厳しい試験になりますよ。
…というか、シュウ君はS級の実力があるってことですか? 確かに…アレスフォースのグランドマスターである、アレスト・フォギー様と比べても、段違いの強さなのは分かりますけど。魔竜を一撃とか、非常識です」
アレスト・フォギーというのが、セラお姉さんの所属するギルド、アレスフォースの一番部隊隊長の名前のようだ。A級ロードらしい。
うん。知らない人。誰よそれ。
「ロードの試験を受けるのですか? それって、何か意味があるのですか?」
マリカが小首を傾げて、不思議そうな顔をした。
人間の世界のことにはあまり詳しくないもんね、君。お酒には詳しいけど。
「まぁね。何をするにしても、高位のロードだった方が、色々と便利なんだ。それが人間の世界だって思えばいいよ」
「そういうものですか。じゃあ、私も受けます!」
いやいや、あんたシィルスティング持ってないでしょうが。ていうかついて来る気満々か! まぁ構わないけれど…聖域放ったらかしといて大丈夫なんだろうか。
訊いてみると、マリカはニコッと笑って、
「ここに居たって何事も起きませんから。管理するといっても、実際やることは何もないんですよ」
せいぜい一人でお茶を飲んでるくらいですと、マリカは遠い目をして呟いた。ぴゅう〜っと背後から空っ風が吹いて来る。
…うん。ついて来て良し。ていうか断っても勝手について来そうだ。
「そうだ、マリカ…様。これから私達は、連峰を越えて東の平原に抜ける予定なのですが、馬車でも通れそうな抜け道か何かありませんか?」
「抜け道ですか。…というか呼び捨てでいいですよ。言い難ければ、さん付け程度で構いません」ニコニコと愛想のいいマリカ。
基本、良い子なんだよね。たまに黒くなるけど。
「では、マリカさんと呼びますね。それで、馬車の通れそうな道ですけど…」
「うーん。ないことはないですけど…魔物の使ってる山道なら」
魔物の使う道っておい。…獣道みたいなものかな?
とりあえず闇竜の一族には総じて翼があるから、道なんて必要ない。てか翼のない竜って、地竜くらいしかいないんだったか。
「魔物、ですか。強力な魔獣や神獣とかはいないんですか? 魔物レベルの相手だったら、私達だけでも遭遇しても、問題なさそうですが。というかシュウ君がいれば、なんでも大丈夫だろうけど」
「はい。魔物だけです。ここは竜族の聖域の一つなので、魔獣や神獣は全て駆逐してあります。入り込んで来ようものなら、タダじゃおきません。ていうか入り込んで来て欲しいです」
退屈だもんね。嬉々として退治しに行くんだろうね。
魔物クラスだったら見逃してるってことか。数も多いだろうから、いちいち相手するのも面倒くさいってのも、あるかも知れないけど。それにマリカは、弱者には優しいからね。子供達ともすぐ仲良くなれるんだろうな。
「所々に馬車じゃ通れそうにない場所もありますけど、そういう場所は、魔竜に運ばせます。皆さん、随分と打ち解けてるみたいですし」と、草原の一角で戯れる、魔竜と子供達を見下ろして微笑む。
あ! マーク君やトニー君まで、魔竜に乗って一緒になって遊んでる!! ずるい! 俺も行……こうとしたらセラお姉さんに、ガッシと腕を掴まれた。
はい。大人しくします。
「ありがとうございます。…良かった。聖域を抜けるって話になったときは、どうなることかと思いましたが、マリカさ…んが話のわかるお方で助かりました」笑顔で胸を撫で下ろす。
だからゆったでしょうが。マリカは良い子なんです。ただちょっとアホの子なだけなんです。
「さて。そうと決まれば、そろそろ戻ろうか。マリカ、また下まで運んで」
残っていたお茶を飲み干し、スックと立ち上がる。早く下に戻って子供達と遊ぶんだ。
「分かりました。と…シュウ様の靴ってそれ…」
と。マリカが不意に俺の履いている靴に興味を示し、ジッと視線を靴に向ける。
あー。この世界からしたら、ちょっと珍しい素材だもんね。形はこの世界にもよくある紐ぐつだけど。
服やジーンズはまだ似たようなものがあるから、そんなに違和感はないだろうけど。革製の靴ならともかく、アクリルやナイロンなどの合成繊維は、こっちの世界には存在していないはずだ。そんな設定は作っていなかった。
…ワンチャン、ないとは言い切れないけどね。人外の存在が扱う魔法や、人の扱う魔導、それにシィルスティングを応用すれば、科学を上回る技術力が存在しても不思議じゃない。
「すごいです…。それがあるから、私のところに導かれたのでしょうね。多分、セラお姉さんと出会えたのも、その靴を履いていたからだと思います」
…はい? 一足三千円の普通の靴ですが。
いや…? ちょっと待て。
こっちの世界に連れて来られたとき、ベランダにいた俺は、靴を履いていなかった。
服は着ていたし、持っていたものといえばタバコとジッポライターくらいで、財布も携帯も部屋に置いてきたままだ。
ちなみにタバコだけれど、落ち着いてから一本吸ったら、子供達にすごく嫌な顔をされたんで、それ以降は吸っていない。こっちの世界にもタバコはあるんだけどね。確かアルクフルトの南方でだけ栽培されていたはずだから、ノウティス領に住んでいた子供達には、馴染みのないものだっただろう。常発能力の影響からか、あまり吸いたいとも思わないし。
とにかく。靴の話だ。俺はなんでこの靴を履いているんだろう。あまりに普通のことすぎて、これまで全く気にも止めていなかった。
「ウィラルヴァ様の…加護がかかっています。強いて言うなら、導きの靴、とでも言いましょうか」マリカがほぉーっと感嘆の息を吐いた。
「ウィラルヴァの…創造神の加護? え? それって、俺自身にかかっているわけじゃないの?」
マリカには加護が見えるようだ。尋ねるとマリカは、ジッと俺の目を見たあと、フルフルと首を振った。
「シュウ様ご自身にはかかっていません。シュウ様は加護を受けれないお身体ですし……とにかく、ウィラルヴァ様の加護がかかっているのは、靴だけです」
なんですとぉー? てことは何か? この靴は、ウィラルヴァが与えてくれたウィラルヴァの創造物ってことか。シィルスティングと同じで。
…いや、文句はないけど。流石に裸足で荒野に放り出されるのは辛い。これくらいしてもらって当然だろう。できればそんなものより食べ物や金を、なんとかして欲しかったが。
しかし、まさかの加護付き。加護って普通、物ではなくて人や竜族に与えられるものだと思うけど。少なくとも三神の加護は、全て人間と竜族に与えられている。
てか、俺が加護を受けれない身体? あれか? 異世界人だからか? …まぁいいけど。
そうか。導きの靴ねぇ。なるほどねぇ。ふーん。
それならば…これからのことは、そんなに深く考えないで行動しても、いいのかも知れないな。
勝手に導いてくれる。まぁ、基本的な方針は持つこととしても、ある程度は自由に動いても大丈夫なのだろう。
なんだ。ウィラルヴァ、結構考えてたんだな。流石です。尊敬します。ちょっとだけ。
とりあえず、貴重な情報を一つ得ることができた。これは大きな収穫だ。
「また一人で考え込んでますね?」
セラお姉さんが俺の顔を覗き込んで、ニヤニヤしていた。分かりましたから、そろそろ掴んだ腕を、離してもらえませんかね。赤い手形が残ってそうなんですが。
「…試験に合格できても、マスターロードであることは、公表しない方がいいよね?」
マーク君達が黙っていてくれることが前提だけど、その方が、余計な厄介ごとには巻き込まれないだろう。取り入ろうとしてくる奴や、利用しようと企む奴、ロードだけならまだしも、貴族や王族などの権力者、または商人や豪族など、いちいち相手をするのは面倒だ。と、続けて説明する。
セラお姉さんなら、そういう輩がいることを熟知しているはず。異論はないはず…と思ったのだが、意外なことにセラお姉さんは「えっ…」と一瞬、呆けた顔を見せた。
え。ダメなの?
「そ、そうですね。まぁ、そういうことは、私が防波堤になってブロックしてもいいですけど…」言って頰を掻きながら視線を逸らす。
いやいや貴女、アレスフォースの第三番部隊隊長、という肩書きを持ってるでしょう。必要以上に俺に肩入れしてたら、アレスト…プーギーだっけ? とにかく、グランドマスターである、一番隊の隊長さんが黙ってないはずだ。
「…それでも私は、シュウ君の保護者になるんですから」と、セラお姉さんは俯いた。
いや、そんな顔をされても…。立場ってものは大事だと思うけど。
…大丈夫だろうか。最悪、セラお姉さんがアレスフォースから除隊されてしまっても、おかしくないと思う。
まぁ、そうなったらそうなっただ。なぁに、そんなに悩むこともないさ。何しろ俺には、ウィラルヴァ様の導きの靴があるのだからね。
成るように成る!
……そう思っていた時期が、私にもありました。
なんてことにはならないはず。多分…。
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