第9話 番外編 マーク&トニー

番外編 マーク&トニー

 

 シュウさんに出会えたことで、その恩恵を一番多く受けているのは、自分じゃないかと思う。


 マークはマークで、後先考えずに使い切った簡易魔法のチャージをしてもらえて、すごく喜んでいた。


 バルートは初見で命を救われた。あのときシュウさんが、魔境の支配者ケラブスコーピオンとの間に割って入ってくれなかったら、強靭な毒尾の一撃で、絶命してしまっていただろう。多分シュウさんは、そんなことまるで気づいてもいないんだろうけれど。


 難民を引き連れて魔境を抜けるという、絶望的な状況に、めっきり口数の少なくなっていた姉御も、予期せぬ救世主の登場に、幾分か肩の荷が降りたような顔つきをしていた。


普段は俺達が相手でも丁寧な話し方をするくせに、シュウさんに対してはすごくフレンドリーな口調で、余計な気を使わせないようにしている辺りは、心遣いのできる本来の姉御の気質を、取り戻したという感じだ。実際、姉御がそうやって親しげな態度をとることで、俺達はともかく難民のみんなも、突然現れた正体不明のロードに、多少は親近感を覚えられたと思う。


 それだけ俺達は、厳しい状況に追い込まれていた。俺もマークと喧嘩して、数日間も全く口を聞いていなかったけれど、シュウさんが現れてからは、今まで通りに冗談も言い合える関係に戻っていった。


 一気に旅も順調になる。シュウさんが合流してからは、魔物の遭遇率も驚くほどに下がった。もしかしたら、遭遇率を下げる何かしら特殊な能力でも、持っているのかも知れない。マスターロードというのは、俺たちのような並のロードとは、かけ離れた存在だ。


 この分だと、レインティア領の最西端、山村のリト村に辿り着くのも、思ったより早くなりそうだ。

 


 

 守護国ビズニスの北西部の小さな町、ラアルト領の片田舎で生まれた俺は、物心ついたときには両親も居らず、町の教会の孤児院に、妹と二人預けられていた。


 おそらくラアルト領のどこかには、俺と妹の両親も健在していたのだとは思う。ラアルト領は戦火も遠く、戦争のせの字も感じさせない長閑な土地だったし、捨てられた理由は、単に食うに困って子供を育てられなくなった、という単純なものだっただろうからだ。


 それでも、成人して孤児院を出ることになった十五のときまでに、両親と名乗る者が一度も現れなかったのは、俺には親などいないんだということを実感させるに、十分なものだった。


 今では妹も孤児院を出て、ラアルト領のとある町で仕立て屋を営み、お互いに安定した生活を送れているけれど、そこに至るまでずっと平坦な道のりを歩いてきたわけではなかった。


 もっとも、孤児院を出てすぐにビズニス軍に志願し、適正と判断され支給された弓型のシィルスティング一枚を要に、傭兵ロードとしての道を歩み始めた俺には、どう生き残るかを考えるに必死で、自身がどんな道程を歩んでいるのか、実感できるだけの余裕はなかったけれど。


 支給されたシィルスティングを自分のものとできる、五年の兵役を勤め上げた俺は、その後にビズニス軍より提示された上級兵への待遇と、十分な額の給金を蹴って、傭兵ロードを退役し、賞金稼ぎロードとして挑戦すべく、ビズニスを去り、レインティアへと拠点を移した。


 傭兵ロードとして、守護国ビズニスでの実績のあった俺は、すんなりと中級ロードである、E級として登録を許された。


 傭兵ロードは俺のように、軍から配布される武具カードが狙いで入隊する、一般の若者が多い。その時点ではロード協会に登録されてはおらず、まずは軍人としての兵役を全うしなければならない。その後、上級兵として軍にとどまるか、退役して賞金稼ぎロードになるかは、個人の意思が尊重される。


 五年の兵役の間に稼いだ金は、妹が起業するための資金や、世話になった孤児院への寄付で、ほとんど使ってしまっていたけれど、幸運にも面倒見の良い姉御に出会えたこともあって、自身の能力を高めるためのシィルスティングを購入できたり、マークという相棒に出会うことができたりと、賞金稼ぎロードとして、上々の滑り出しをはかることができたと思う。


 自分が女にモテるのだと気づいたのも、この頃のことだった。


 傭兵ロードと賞金稼ぎロードとでは、取り巻く環境が全く別物だった。


 傭兵ロードは、そのほとんどを戦場や野営地で過ごし、ある意味、世間に疎い連中の集まりと言えた。女っ気なんてほとんどないし、休暇中には仲間と酒を飲みに出ることも多々あったけれど、女遊びをすることなどほとんどなかったし、あったとしても、男を金づるとしか見ていない、娼婦のような連中ばかりが相手だった。


 賞金稼ぎロードとしてレインティアの首都、ティアスに移ってからは、下級ロードの女の子達に纏わりつかれることが多くなった。


 東大陸で随一の軍事国家、守護国ビズニスの傭兵ロードであったことも、大きく影響していたのだろう。まだ中級としては下位のE級でしかなく、一端のロードとしてはギリギリのランクではあったが、周りからは将来有望と見られていたし、将来の出世を見越して、上位のロードから何かと飲みに誘われることも多かった。


 自分としては、特別対偶されることには慣れていなかったし、正直言うと少し煩わしくもあった。それでも男である以上、女の子からチヤホヤされることには悪い気はしていなかったし、実際、何人かと関係を持ったことも、正直あった。


 それでも特定の子と付き合うこともなく、それ以上の関係に発展しなかったのは、そういうことに対して俺が、無意識にどこか一線を引いていたからなのだろう。


 それは、幼い頃に両親に捨てられたことが、関係していたのだと思う。そういう、責任、というものにどう対処すればいいのか、よく理解していなかったし、いざそういうことになったときに、自分もまた同じ道を歩んでしまうんじゃないかという、不安もあったからだ。


 自分を信じ切れていなかったのかも知れない。


 マークはマークで、歳の割には幼いその風貌からか、俺と同じで女の子からの人気は高かった。


 俺よりも先にD級という地位に上がっていったし、そのうち上級ロード入りするのも確実と噂されていた。


 十種類以上の魔法を所持し、状況に合わせて的確に使い熟せるマークは、アレスフォースの中でも、貴重な存在だった。身分もアルクフルトの貴族の出で、本来であれば一番隊所属であっても、おかしくはない人材だと思う。


 それでも俺と同じ、雑務隊と呼ばれる四番隊に所属するマークは、誰に媚びることもなく、いつも明るく健気な性格で、それまで戦場に身を置いて生き、スレて歪んだ俺と、不思議とすごくウマが合った。誰に対しても一線を引くようにして接していた俺にも、ズカズカと遠慮なく、土足で上がり込んでくるような奴だったからだろう。空気が読めないと言えば、それまでなのだが。


 無論、たまにそれを煩わしく感じることもあったけれど、俺が機嫌を悪くしても、いつもマークは隣で笑顔でいてくれた。…それが、どれだけ有り難かったことか。


 そんなマークが、普段は絶対に見せることのない、怒気の含んだ、荒んだ表情を見せるようになっていたのも、環境のせいだった。そのせいで俺とマークが不仲になってしまうなんて、俺だけじゃなく、当のマークも予想だにしていなかったに違いない。


 かつてない規模で編成された、アレスフォースの討伐隊は、仮にそのまま戦場の最前線に出向いても、ビズニス軍やエストランド軍にも、引けを取ることがなく戦えそうなほど、壮大な規模だった。誰もが任務の成功を確信していたし、壊滅して這々の体で逃げ帰ってくることになるなんて、思いもしていなかった。


 難民を引き連れての逃避行に、共に戦っていた仲間達が次々と倒れてゆく。


 魔物の餌食となり喰われた者。受けた傷が元に命を落とした者。帝国軍の追撃隊を振り切るために、足止めをして犠牲となってくれた者もいた。


 みんなボロボロで、特に最前列で体を張る役目のバルートなんかは、生傷が絶えることがなかった。


 ケラブスコーピオンの魔境に入る頃には、姉御とバルート、俺とマークの四人だけしか生き残れてはいなかった。


 マークも簡易魔法をほとんど使い切ってしまっていて、魔法の数が少なくなるにつれ、段々と機嫌が悪くなっていった。


 魔法が切れてしまえば、ただの足手まといになってしまうことを、恐れていたのだろう。せめてケラブスコーピオンに効果の高い、火弾と雷撃波の二種類だけでも残っていればと、何度も口に出して嘆いていた。


 俺の冗談にも付き合ってくれなくなり、日を追うごとに無口になってゆく。しまいには、場を和ませようと口にした俺の軽口に、面と向かって怒りの声を上げたほどだ。


 こんな状況で、タチの悪い冗談なんかよく言えるな、と。


 俺だって好き好んで、冗談を言っていたわけではない。それはきっと、マークも分かってはいたんだと思う。それでもこのどうしようもない暗鬱さと、自分の無力さを突きつけられた、現実の遣る瀬無さに、大声の一つでも上げなければ、どうにかなってしまいそうだったんだと思う。


 その後しばらく、マークとは口も聞かなくなった。


 姉御も精一杯の空元気で、そんな俺らの仲を取り持とうとしてくれていたが、見るからに無理をした笑顔に、俺自身もいたたまれない気持ちにさせられた。


 悪いことは続く。


 遭遇したケラブスコーピオンから、逃亡することを選択したのは、誰だっただろうか。


 四人でしっかり戦略を立ててかかれば、苦戦はすれども、決して負けるような敵ではなかった。


 それでも逃亡を選択したのは、皆がそれぞれに参ってしまっていたからであり、もしかしたら、そのとき戦うことを選択していたら、シュウさんに出会うこともなく、全滅してしまっていたのかも知れない。


 全力で馬車を走らせ、一度は振り切ったかに思えたが、さらに前方から新手が現れた。ここで倒すのに手間取ってしまうと、振り切った魔物に追いつかれ、挟み撃ちにされてしまう。逃げの一手しか、選択肢は残されていなかった。


 しかし数分と経たずに、さらに新しい魔物が行く手を塞ぎ、さらにその次が現れたときには、四方をケラブスコーピオンに囲まれてしまっていた。絶体絶命の状況だ。


 誰もが、死を覚悟した。


 そこに現れて、次々と魔物をなぎ倒したのが、シュウさんだった。


 こんな奇跡があるのかと思った。夢じゃないのかと疑った。自分はすでに死んでいて、今際の際に都合のいい夢を見ているんじゃないかと思った。


 ケラブスコーピオンは魔物と位置付けられてはいるが、それは知性に乏しいからとの理由で、優に魔獣クラスの力のある魔物だ。単独で撃破するなど、マスタークラスの実力者でなければ不可能な芸当だった。


 空腹のあまり気絶したシュウさんを馬車に乗せて、街道をひた走る。


 なぜマスターロードが、食糧も何も持たずにこんなところに一人でいたのか。シュウさんが寝ている間に、皆で話し合った結果、ケラブスコーピオンの討伐任務の途中ではないかという話になった。


 だが、たとえそうだとしても、単独でというのは不自然だ。何かしらの事情があるのではと、姉御がしきりに心配していた。


 それこそ、仲間に裏切られでもして、単独で放り出されてしまったのではないか、あるいは自分たちと同じように、討伐隊が壊滅してしまったのではないか、などと杞憂したのだ。今思えば、なぜそこまで深読みしなければいけなかったのかと笑いたくなる。


 とにかく、皆がまともな精神状態ではなかったし、シュウさんの人となりも分からなかった。アレスフォースの一番隊長のアレスト様はともかく、マスターロードとは、気難しい連中ばかりだと思っていた。


 機嫌を損ねたら、サソリの魔物以上に、厄介な存在になり兼ねない。…相手がシュウさんでなければ、実際にそういう可能性もあったと思う。


 シュウさんを見ていると、自分の悩みとはなんだったのかと、逆に大きく悩まされた。


 あの人はとにかく奔放で、グダグダとつまらないことに悩まされるのを、馬鹿らしく感じさせられた。そんなことで悩まなくてもいいんだよと、行動で見せつけられた。


 常識外れと言ってしまえば、その一言で片付いてはしまう。だが、それだけではない深い考えがあるのではないかと、考えさせられもした。


 子供達と鬼ごっこを始めたシュウさんは、どっちが子供なのか分からないくらい、全力で楽しんでいた。釣られるようにして、いつもビクビクした態度しか取らなかった子供達も、徐々に笑顔を見せ始める。


 その途中にすばしっこさが厄介な魔物、リザードランナーが出現したときには、瞬間的に背筋が凍りつき、思わず弓を握りしめて身構えた。


 が、シュウさんは、魔物の背中にヒョイと飛び乗ると、笑いながら鬼ごっこを続行した。よくよく見ると、魔物の表情も、どこか楽しそうに見えた。…錯覚かも知れないが。


「こいつも混ぜて欲しくて出て来たんだよ」


 そう言って笑いながら、魔物の首を掴んで方向転換させて、子供達を追いかけ回すシュウさんに、この人はモノの価値観からして自分たちと違うのだと、感嘆させられた。


 結局は、姉御にフライパンでしばかれて、スゴスゴと引き下がっていたけれど。


 マークと久し振りに笑いながら会話できたのは、シュウさんに簡易魔法のチャージをしてもらったあとだった。


「あの人マジ凄いよ! あれだけ強いのに全然偉ぶらないし、いっつも面白いことを考えて、皆んなを笑わせてくれる。この魔法だって、タダであっという間にチャージしちゃんたんだ」


 そう言って大事そうに、魔法カードを握りしめていた。


 サソリの魔境はもう抜けてしまったというのに、今さら火弾と雷撃波をチャージしてもらっても…とは思ったが、何も言わずにおいた。どの道早めにチャージしてもらっていても、どんな魔物が出たってシュウさん一人で瞬殺してしまうのだし、使い道はなかっただろう。


 …そういうことではないのだ。魔法を使い切ってしまっていたことで、俺と喧嘩するまでになってしまっていたんだ。マークにとっては、どうしても譲れない部分だったんだろう。


 その後も久し振りに笑顔で、マークとの会話に花が咲いた。失いかけていたものを、全て取り戻したような気分だった。


 あの人のやることには、必ず何か理由がある。たとえそれがどんなに常識外れで、馬鹿馬鹿しいことだったとしても。


 魔物に乗って子供達を追いかけ回すなど、どんな悪人だよという話だ。普通なら。


 それでも子供達は笑顔だった。笑顔だったんだ。




 きっと、それが全てなんだと思う。




「なぁマーク…」


「ん? なんだよ?」


「…ティアスに着いたらさ。俺達…アレスフォースを抜けないか?」


 シュウさんが魔法で体力を回復させた馬を、馬車に繋ぎながら、何とは無しに、思ったことを口にする。


 マークは一瞬キョトンとしたあと、やおらニッコリと微笑んだ。


「いいね、それ。あの人と一緒だったら、どこへでも行ってみたいよ」


「…だろ? 楽しいぜ、きっと。今以上にな」


 そうして俺達は、シュウさんについてゆくことを決めたのだ。

 



 シュウさんに出会えたことで、その恩恵を一番多く受けたのは、間違いなく俺だと思う。


 いや、少しだけ訂正する。


 マーク&トニー。


 俺達二人だ。


 俺達はもう、

 



 笑顔を失わない。

 

 

 

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