第6話


 それは、辺りが真っ暗になって、そろそろ寝る場所を決めようかと、手頃な岩場を探しているときだった。


 ドガッ…キィン……ゴゥゥゥ……。


「おお?」


 どこかから、何やら金属がぶつかるような音と、微かな爆発音のような音が、風に乗って聞こえてきた。


 続けて、何か人が叫ぶような声、加えて悲鳴のような声が、日が落ちて強くなってきた風に紛れ、途切れ途切れに聞こえてくる。


 これは……人がいる!


 どこだろう、そんなに離れた場所じゃないはずだ。風の吹いてくる方向か?


 金属音は、もしかしたら剣と剣のぶつかる音か? あるいは、巨大サソリの爪と剣の音かも知れない。この辺サソリだらけだもんね。爆発音は…何かしらの魔法か。


 戦っているのだろうか。不用意に近づくと危ないかも知れない。しかし、確かなことがある。


 人がいる=食べ物がある。


 間違いない!


 気づいた瞬間には走り出していた。


 ようやくだ。ようやく希望が見えてきた。人がいる。ごはんがある。僕は独りぼっちじゃなかった。なんでもいいから食べ物を下さい。荒野を彷徨う哀れな子羊にどうか愛の手を。


 しばらく走ると、明らかに踏み固められた平坦な地面が、左右に長く延びていた。


 これは街道だ。人の通る道だ。よく見ると、車輪の跡のような細長い筋も見える。


 この世界に来てからの、初めての人の気配。こんなに嬉しいことはない。


 月明かりの下、全力で駆け抜ける。


 前方に、サソリの魔物の群れが見えてきた。


 時折ボワっと炎が弾け、振り下ろされたサソリの爪を剣で受け止める戦士の姿や、シィルスティングらしき炎の槍を持った女性や、離れたところから弓を射る男の姿が目についた。


 その向こうには、数台の荷馬車。隊商かな? いや、乗っているのは、非力な老人や女子供達だ。戦っているのは護衛のロードだろうか。


「シルヴァ召喚融合、全力全身!」


 全身に、シルヴァの力を纏う。


 完全に狼男だ。全身毛むくじゃらの魔狼人間の姿になり、一気に加速してサソリの魔物に突っ込む。守護騎士の物語で主人公が得意としていたスタイルだ。戦い方は心得ている。


「なっ! 新手の魔物か!?」


 戦士風の男が、驚愕に目を見開く。


「違います。人間です!」


 人間ですが、狼に似ているんで、よく間違われるのです。本当にごめんなさい。


 男を狙っていた一匹目の巨大サソリの尻尾を掴み、強引に引き千切る。千切った尻尾を投槍のように胴体に投げつけると、貫通して地面に縫い止めた。ビクビクと痙攣した巨大サソリが、しな垂れて動かなくなる。


 まずは一匹。


「つ、強い!」


 炎の槍を持った女性が、驚きの声を上げた。


 もっと褒めて褒めて。


 二匹目の巨大サソリに飛びかかる。巨大サソリがシュルルと気味の悪い音を発した瞬間、毒針の尻尾が、ビシュッと目の前に突き出された。


 ドガっ!


 右手で殴りつけ、毒針ごと粉砕する。


 てか、毒を受けても平気だと思う。再生スライム持ってたから、常発能力で無効化できたはずだ。常発能力だけはとっても便利な奴です。召喚したら弱いけど。


 巨大サソリの懐に潜り込み、ジャンプと共に魔狼の爪を振り上げる。この三日間で何十体も倒したので、頭を潰せば簡単に倒せることは学習している。


 これで二匹目。あと二匹、か。


「うわぁっ」「きゃあぁっ!」


 一匹が、荷馬車に乗った老人や子供達に向かって、巨大な爪を振り上げるのが見えた。


 危ない、おじいちゃん!


 強く地面を蹴り、一瞬で巨大サソリの元に跳躍する。振り下ろされた爪を蹴り飛ばし、勢い余って通り過ぎそうになったが、空中でサソリの腕をはっしと掴み、思い切り投げ飛ばした。


 その反動でクルンと宙返りして、体勢を整え、その場に留まり着地する。


 チラリと馬車の方に目を向ける。どうやら怪我をした者はいないようだ。呆然とした女の子が、口も半開きで俺の目を見つめていた。


 サソリは数十メートルは飛んで行った。こっちはとりあえず後回しにして、近くにいるもう一匹に狙いを定める。


 さっさと倒してごはんを貰うんだ。私もう決めたの。


 残った一匹は、動揺したようにまごまごしていた。あっという間に自分だけになり、混乱しているのだろう。てっきり狂暴な本能しか持ってないと思ってたけど、それくらいの知性はあるのね。ていうか、群れてるのすら初めて見たけど。


「風よ集まれ!」


 シルヴァの特殊能力を使う。風の魔狼の一種であるシルヴァは、風魔法を使うことができる。簡易魔法も永続魔法も必要ない。


 ウィンドカッター…と叫びそうになって、咄嗟に念じるだけにした。危ない。厨二を疑われるところだった。もう手遅れっぽいけど。


 寄り集まった風の塊が、鋭い刃となって衝撃波のように巨大サソリに飛んでゆく。一瞬で巨大サソリが真っ二つになった。


 さて、残りはさっき投げ飛ばした一匹……は、地面に潜って逃げて行く真っ最中だった。


 甘いよ君。


「アースクェイク」


 三つ星地魔法を一点集中で発動し、巨大サソリを磨り潰す。ミキサー状態だ。手応えありだ。グチャグチャだ。地面の中で良かった。地面の上では見たくない。子供達もいるんだ。トラウマになったら申し訳ない。決して俺が見たくないってだけじゃない。本当だよ?


「ふう。とりあえずこれでオッケーかな」


 一息つき、召喚融合を解除した。


 うう…お腹が空いて気分が悪い。一気に動きすぎたか。本格的にマズイかも知れない。


「ありがとう、君。名前を聞いていいかい?」


 肩口まで伸びた赤髪の、ボーイッシュな女性が話しかけてきた。先ほど炎の槍を持っていたロードだ。結構美人だ。姉御肌というのがピッタリなお姉さん。どうやら、この護衛部隊の隊長らしかった。


「ご…」


「ご?」


「ごはんを……ください……」


「……はい?」


 次の瞬間には、俺は気絶してぶっ倒れていた。



 

 

 ガタガタ…ゴトゴト……。地面が揺れる。


 いや、地面じゃないなこれ。荷馬車だ。ドナドナだ。運ばれてるのは腹ペコの子羊だ。断じて狼ではない。


 目を開けると、真っ白な太腿が見えた。あのお姉さんだ。あちこちに傷痕が見える。履いている丈夫な素材のハーパンは土に汚れていて、所々破けていた。肩を露出させた短い半袖のシャツも、同様に何ヶ所か破けている。相当戦っていたのだろう。


「気づいたかい? 大丈夫?」


 茶褐色の優しそうな瞳が覗き込んでくる。


 いつの間にか、夜が明けていた。太陽はまだそんなに高くはない。その太陽の方向に進んでいるということは、東に向かっているようだ。


「ごはん…ください…」


 起き上がって、開口一番にそう告げる。荷馬車の隅にちょこんと正座して、ペコリと頭を下げた。


 なんでもいいんだ。カピカピのおにぎりでも、お湯のないインスタントラーメンでも、最悪トカゲの丸焼きでもいい。食べられれば文句は言わないから。


「ト、トカゲの丸焼きはないけれど、食べ物なら少しはあるよ。ちょっと待ってて」


 お姉さんは困ったように苦笑しながらも、近くにあった袋をゴソゴソと探った。


 荷馬車には、お姉さんの他に三人の男が乗っていた。巨大サソリと戦っていた面々だ。


 ゴツい強面のおじさんに、俺と同い年くらいの男が二人。お姉さんも含めて、四人とも左腕にリングをしている。ロードだ。ランクは分からないが、巨大サソリ四匹を相手に立ち回っていたのだから、それなりだろう。少なくとも中級。下級ってことはないはずだ。


 この荷馬車が、一団の最後尾らしい。前方には、一定間隔で一列に並んだ四台の荷馬車。ホロもない簡素な造りだが、結構沢山の人が乗っている。老人や子供、女の人。成人男性の姿が少ないが…これはどういう一団なのだろうか。あとで聞いてみるか。


「はい。こんなものしかないけど」


 お姉さんが申し訳なさそうに、手にした茶色い平べったい塊を渡してきた。


 おお。これはビーフジャーキーではありませんか! 好きなんだよなぁこれ。


 重厚感が凄い。コンビニで売ってるやつより、数倍は分厚い。


 夢中でむしゃぶりついた。


 うーん。薄い塩味が絶妙だ。固いなこれ。俺の知ってるジャーキーとはちょっと違う。噛み切るのに一苦労だ。それでもなんとか一口分噛み切って、モッチュモッチュと咀嚼する。


 慌てて飲み込んではいけない。それは素人のやることだ。できるだけ噛んで、噛んで、噛んで、味わうのがツウの食べ方なのだよ。


 う……美味い。美味いよおっかつぁん。オラこんな美味いジャーキー初めて食っただよ。


「な、なんかごめんね。こんな干し肉しかなくて…。でも君、すごく美味しそうに食べるね」


「んぐ? おぐひむぐぐ…」


「えっと…食べるか、喋るか、どっちかにしてくれるかな」


 モッチュモッチュ……。


 おりこうさんに正座したまま、両手でジャーキーを握り締めて、モグモグと口を動かす。


「……………」


「…………?」


 あれ? なんか残念な子を見るような目で見られてる気がする。


 変だな。言われた通り、食べるだけにしたのに…。


 たっぷり三十分はかけてジャーキーを味わった。たいへん美味しゅうございました。


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