月光ドリップで一杯(2020年ヴァダース誕)
※「お忍び日和」や「チョコ菓子よりも欲しいのは」ネタも少し入ってますが、単品でも楽しめます。
※一応二部作目第三話第六十六節閲覧後推奨
それは12の月の、だいぶ冷え込んだある日のことだった。カーサ臨時アジト、幹部執務室にて。
「はいこれ。偶然手に入ったけど使う機会ないから、アンタにあげるわ」
そう言ったカーサ四天王の一人、シャサール・ソンブラから手渡されたのは、ムスペルースにある温泉宿のペア宿泊券。
彼女の突然の行動に、その日の仕事の書類に目を通していたヴァダースは、少々呆気にとられた。
「これはまた、急ですね……」
「そこは謝るわよ。けど、アタシが持ってたって宝の持ち腐れなんだし。使わないでゴミになるより、アンタに使ってもらった方がその券も無駄にならないでしょ」
「折角貴女が手に入れたのですから、貴女が使えばいいでしょうに」
「よく見なさい。それ、ペアの宿泊券よ?」
「それが何か問題が?」
「察しなさいよ」
ぴく、と眉を吊り上げたシャサールに一言詫びる。そのまま押し切られる形で宿泊券を渡されたヴァダース。
「しかしそう言われましても、私にも相手は……」
「なんだったらコルテと一緒に行ったらどう?どうせアンタ達、碌に有休も使ってないんでしょうし」
「はぁ……」
「これから大きな仕事もあるんだから、その前に息抜きでもしてきなさいな」
お土産期待しているから、と。シャサールはヴァダースの反論を聞く前に、執務室から出て行ってしまったのである。
******
「──と、いう事情だったのですよ。急にこんなことに巻き込んでしまって申し訳ありませんね、コルテ」
月日は流れ、1の月15の日。ムスペルース温泉宿、スイートルームにて。
ヴァダースは宿に来ることになった事情を、同行していたコルテに説明した。ヴァダースから事情を聴いたコルテは、にっこりと笑いながら返事を返す。
「巻き込んだなんて、とんでもありません。僕は嬉しかったですよ。ヴァダース様からお誘いいただけるなんてって」
「そう言っていただけると有難いです」
ヴァダースは苦笑しながら、荷物を整理していく。コルテもハンガーにコートをかける。ちなみに今回、二人は変装して宿屋まで来ている。旅の途中でカーサだとバレないためにだ。ヴァダースは"ツクヨ"と、偽名も使っていた。
「はい。ですから二泊三日の旅行、目一杯楽しみましょう?」
「そうですね。しかし今日はもう夕方ですし……温泉にでも入って、ゆっくりしませんか?」
「ああ、いいですね。ちなみに、この部屋は露天風呂付きだそうですよ。なんでもムスペルースのビーチを一望できるとか」
「ほう、それは興味をそそられますね。ご一緒します?」
「はい、是非!」
コルテ笑い、風呂に入るための準備をする。それにしても、とヴァダースはコルテの背を一瞥する。二泊三日の旅行にしては、荷物が多すぎると感じていた。
「それにしてもコルテ。随分と大荷物ですね?」
「あっはは……楽しみで、つい色々持ってきてしまいました」
「ふふ、若いですねぇ」
「お恥ずかしい限りです……」
そんな談笑もそこそこに、二人は部屋のバルコニーに設置されている露天風呂へと移動する。衣服も脱衣所で脱ぎ、入浴の準備も整えた二人。仕切りの窓を開いた先に現れた雄大な景色に、思わず二人からは感嘆の息が漏れる。
夕日に照らされてキラキラと光るスズリ地方の海。まるで宝石のガーネットが敷き詰められているかのような、美しい光景。ムスペルースは白夜が多い。その時間帯は夜に近いが、太陽は沈まないまま。しかし夜を表す月が、浮かんでいた。
そんな景色を眺めながら入る露天風呂はもちろん格別であり、日頃の疲れが解けて消えていくようだ。露天風呂はヴァダースとコルテが並んで入っても、まだ余裕があるほど広い。足を延ばしても余裕があるようだ。湯に入ったコルテは手を組み腕をぐいっと伸ばしながら、幸せそうに呟く。
「んん~、気持ちいいですねぇ」
「ええ、これは確かに。いい湯ですねぇ」
「景色も絶景ですし、こんなにゆっくりできるなんて……幸せです」
「泉質もいいようです。湯加減も程良くて、本当に心地いいですね」
激務に追われている毎日では、シャワーを浴びるのがやっとである。今はそんな日常から解放されている二人は、心行くまで露天風呂を楽しんだ。
その後部屋に用意されていた懐石料理も、見た目もさることながらどの料理も美味だった。特に、ムスペルースの特産物である温泉卵を乗せた鶏そぼろ丼は絶品であり、二人の舌を楽しませていた。
そして夜も更けたころ。唐突にコルテから散歩に誘われた。食後の散歩だ、と。
ここの宿から近い、シュテルンビーチまで行こうと。特段断る理由もないが、その前に聞きたいことがあった。
「それは構いませんが……ちゃんと説明していただけますね?」
自分の言葉に彼は一瞬息を飲んだが、一つ頷く。ただしコルテは、
「ビーチに着いたら、ちゃんと説明します。だから、今はまだ駄目です」
と、悪戯っぽく笑う。今言えない秘密があるのだろうか。しかし説明すると約束してくれたのだから、無理に聞く必要性もないか。
「わかりました。では、向かいましょうか」
「はい!」
そしてコルテは大荷物の中の一つを持ち、シュテルンビーチまでヴァダースを案内したのであった。シュテルンビーチ。そこの砂浜の砂は特徴的であり、星みたいな形をしていることから、星の砂と呼ばれている。洗浄して瓶詰めにした物は、お土産にも人気だとか。
コルテは荷物を開き、まず座れるだけの椅子を用意する。そこにヴァダースを座らせ、簡易テーブルを用意。キャンプ用に使われるであろう、小さめのシングルバーナーを置き、隣にマグカップとドリッパーセットを準備。
そしてバーナーで火をつけた彼は、用意していたケトルをセットして、お湯を沸かし始める。その間に彼はミルを使い、コーヒー豆を挽く。焙煎された豆の香りが広がっていく。今まで嗅いだことのない香りだ。どこで栽培された豆だろうかと考えていると、ふいにコルテから声を掛けられる。
「僕たちが何か企んでいたこと、気付いていたのですか?」
観念したかのように問いかけてくるコルテに、確信したのは先程だと答える。
「シャサールから宿泊券を渡された時からおかしい、とは思っていたのです。そして私が貴方を誘ったとき、日付の指定について任せてほしいと言われた時に感じ始めました。なにか、あるのではと」
「そんな前から……!?」
「それと貴方の態度にも。いつもなら仕事を優先しようとする貴方が、私からの誘いを受けたとき、二つ返事で返したじゃないですか。それで少し、おかしいなと」
「あっちゃあ……」
やってしまった、と言わんばかりにため息をつくコルテ。肩を落としながらも、彼は挽き終わった豆をフィルターに入れていく。
「そして決定的だったのが、案内された宿屋の部屋です。こんな繁忙期にスイートルーム。宿泊券を貰ったとはいえ、いかにも用意された感じではないですか。それで確信したんです。貴方方はグルになって、何かを企んでいるとね」
「ということは、全部お見通しだった、ということなんですね……」
「まぁ、その何かまではわかりませんがね」
「……それは、この日が大切な日だからです」
「この日?」
持っていた懐中時計を見れば、時計の針は12を過ぎていた。日付が変わり、1の月16の日になっている。この日が、なんだというのだろうか。
お湯は沸きそうになっている。
コルテはケトルを見ながら、白状するように言葉を紡いだ。
「僕たちを導いてくれる、大切な人。いつも忙しくしているその人に、今日この日はゆっくりしてほしい……そう思ったんです」
お湯が沸く。コルテはバーナーの火を止め、ケトルを持つとコーヒー粉をセットしたフィルターに、ゆっくり時間をかけてお湯を注ぐ。粉全体にお湯が浸かる程度で一度止め、少し蒸らしの時間を入れた。辺りにコーヒーの香りが漂い始める。
「今日はその人が、生まれた日だから。お祝いしたいと、思ったんです」
「生まれた日……?」
「そうですよヴァダース様」
30秒程経ってから、コルテは再びお湯を注ぎ始める。粉の中心付近に円を描くようにして注ぐと、ポタポタとコーヒーがドリップされていく。一杯分のコーヒーを淹れ終わるとフィルターを取り除き、コルテがヴァダースのマグカップを渡す。
「1の月16の日。今日は貴方の誕生日ですよ、ヴァダース様。だから、誕生日おめでとうございます」
その言葉で、今日が誕生日だったということを思い出したヴァダース。差し出されたマグカップを受け取りながら、コルテに告げる。
「ふふ……誕生日だったなんて。そんなこと、すっかり忘れていましたよ」
「シャサールもおんなじこと言ってました。きっと自分の誕生日なんて、すっかり忘れてるだろうって」
「ではこの旅行は、私のために……?」
「はい。僕とシャサール、リエレンも協力して。念入りに計画を練っていたんですが……まさか勘付かれていただなんて。まだまだ甘いですね、僕たち」
自らの分のコーヒーを用意しながら、コルテは苦笑する。
そんな彼と手渡されたマグカップを交互に見ながら、ヴァダースは胸に温かいものが灯る感覚を、確かに覚えた。小さく笑う。
少年時代からカーサに入り、戦闘や侵略の日々を送っていた自分。今の地位に至るまで様々なことがあって、今の部下たちや仲間たちに出会えた。そんな彼らに、自分はここまで想われていたのかと。カーサにいてよかったと、今ほど強く感じたことはない。
「……私は、幸せ者だな」
ぽつりと呟く。あまりにも小さい声だったためか、コルテにはヴァダースが何を言ったのかは、理解できなかったようだ。どうかしたのかと尋ねてきた彼に、なんでもないと返事を返す。
「ありがとうございます、コルテ。最高の誕生日プレゼントですよ」
「本当ですか?」
「ええ。こんな頂き物を貰ったことは、今までありませんよ」
「そうですか……よかった……!」
いかにも安心しきった、というコルテの表情に、思わず笑ってしまう。
「そんなに不安だったんですか?」
「焦ったんです!ヴァダース様が、まさか僕たちのたくらみに気付かれていたなんて、思ってもいなかったので!」
「それは申し訳ないことをしましたかね」
「生きた心地がしませんでしたよ……」
若干涙目になったコルテに、さすがにいじめすぎたかと苦笑する。
「ふふ、すみません。コーヒー、いただきますね」
「はい、どうぞ!限定品の希少な豆だそうです。お口に合えばいいのですが……」
「貴方の目利きは信頼できるものです。心配はしていませんよ」
そう言って一口。やはり、格別で優しい味わいだ。
ヴァダースはそう感じながら、この味は一生忘れないだろうと思うのであった。
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