お忍び日和(2019年コルテ誕)

 二部作目第三話第六十六節閲覧後推奨
















 その日は秋風が冷たく、肌を刺すような寒い日だった。ルヴェルからの資金援助のおかげで、壊滅的だったカーサの組織も軌道に乗ろうとしていた。臨時に拵えたアジトの一つで、カーサ四天王の一人であるシャサール・ソンブラは作業をしていたコルテ・ルネに一日休むように、と伝える。彼女のその言葉に若干混乱しつつ、最高幹部の一人がこの大事な時期に休むわけにはいかない、と反論する。その言葉は想定済みだったのか、彼女はこう伝えた。


「あと残ってる作業は、無理にアンタがやらなくてもいい案件なの。四天王のアタシとリエレンでやっとくから、一日くらい休みなさい」

「ですが、やはり僕も……」

「あーもーまどろっこしいわね!」


 言うが早いか、シャサールがコルテの手を掴みぐい、と引っ張って歩き始めた。反論する間もなく連れていかれた場所は、もう一人の最高幹部であるヴァダースの仕事部屋だ。まさかヴァダースに休みを直訴するのではないか、と焦るコルテ。


 有無を言わさないままに部屋の前まで辿り着いたシャサールはまず、扉を三回ノックする。中からヴァダースの返事が返ってきたので、勝手知ったる場所かの如く部屋の中に入った彼女。手を掴まれたままの自分も部屋の中に入ることとなり、さすがに一言言わねばならないと顔を上げる。顔を上げた先では、そこにはいつもの仕事服の姿とは違う、外行きの格好をしているヴァダースがいた。

 ポークパイハットを被り、いつもは毛先に近い部分で三つ編みにしている濃い群青の髪は肩下辺りで緩く一つに縛っている。ジャケットにジレ、ストールで堅くなりすぎないカジュアルな雰囲気を醸し出していることもあり、一目であのカーサの最高幹部だとは気付けないようなスタイルをしていた。

 そんな、めったに見ない姿の彼を前に思わず言葉を失う。シャサールは感心したように彼に感想を述べていた。彼の隣にはもう一人の四天王、リエレン・クリーガーもいる。


「あら、よく似合ってるじゃない」

「ありがとうございます。貴女のセンスが良い証拠ですね」

「当然よ、伊達に女してないわ。それに、その恰好なら街に出ても一目でヴァダース・ダクターだとはバレないでしょ」

「まぁ、髪型まで変えろと言われたときは驚きましたがね」

「幹部。バレないこと、今回の任務、必須」

「任務って、アンタねぇ……」


 自分をよそに会話しているヴァダースたち。どう答えればいいのか。何も言えずに呆然としていると、そのヴァダースから声を掛けられる。


「コルテ、どうかしましたか?」

「あ、いえ!よくお似合いです!今日は何か特別な任務なのですか、ヴァダース様?」

「おや、聞いていないのですか?」

「え?」


 話の意図が分からない。聞いていないも何も、何も知らないのだから答えようがない。首をかしげていると、シャサールがヴァダースに説明し始めた。


「あー、ヴァダース。コルテったら今日一日休めって言っても聞かないのよ。だからアンタから言ってやってくれない?」

「なるほど、そういうことですか」


 彼女の説明に合点がいったのか、ヴァダースがコルテに向き直る。


「コルテ、今日一日私に付き合ってください。久々に街に出たくなりましてね」

「それは、任務としてですか?」

「いいえ。今日は最高幹部の私ではなく、ヴァダース・ダクターとして、一人の男性として貴方に依頼します。残りの仕事はシャサールとリエレンがいれば回りますからね。いかがです?」

「それは……願ってもないことですが、こんな大事な時期に最高幹部がどちらもいなくなるなんて、また組織が割れないか……」


 これでも渋るか、とシャサールはため息を吐く。ヴァダースは少し考える仕草を見せてから、それならばと提案の方法を変えた。


「そんなに心配しなくても、カーサはもう十分に回復しました。いつでも動けますし、すぐ軌道にも乗れます。そういうわけですから貴方には、今日一日の完全オフを命じます。これならばどうです?」

「わ、わかりました……。でもその僕、何も用意できていませんが」

「安心なさいな、アンタの用意はこっちでもう準備できてるから」


 シャサールがリエレンに目配せすると、彼は紙袋をコルテに渡す。渡された紙袋の中を見れば、新品同然の服が入っていた。


「若幹部、これ、着替える」

「え?あ、ありがとうございます……?」

「ほらほら、さっさと準備してきなさいな。ヴァダース、仮眠室使わせて」

「ええ、構いませんよ」

「若幹部、仮眠室行く」

「わわ、待ってくださいリエレン!?」


 あれよあれよとリエレンに仮眠室へと連れていかれたコルテ。扉が閉まると、シャサールとヴァダースが言葉を交わす。


「はぁ、助かったわヴァダース」

「立場を利用して彼に休みを与えるのは正直気が引けましたが、ようやく折れてくれましたね」

「あの子、アンタの言うことには従順すぎるから。でもこうでもしないとあの子、絶対に休まないでしょ?」

「それは言えてますね。それが彼の良いところではあるのですが」

「ガス抜きも必要よ。アンタにとっても、あの子にとってもね」


 そうですね、とヴァダースが小さく笑う。

 数分ののちに仮眠室から出てきたコルテも、いつもとは装いが変わっていた。用意されていた紺のオーバーコートに色を合わせたキャスケット、全体的に暗めになりすぎないようにとチェック柄のスキニーパンツといったカジュアルなスタイル。自分では絶対に考え付かないファッションであるのと、何よりそれをヴァダースたちに見せることに、若干の気恥ずかしさを感じているコルテである。


「どう、でしょうか?」

「ええ、よく似合っていますよコルテ」

「いいじゃない。胸張りなさいなって」

「若幹部、とて良い」


 絶賛するヴァダースたちを前に、思わず赤面してしまうコルテ。


「さて、コルテの準備もできたようですし、行きましょうか」

「は、はい!」

「そんなに緊張しなくてもいいのに。ではシャサール、リエレン。あとは頼みましたよ」

「ええ、存分に羽伸ばしてきなさいな」

「いってらっしゃい」


 ヴァダースに呼ばれ彼の隣まで近寄る。するとヴァダースがその場で使い捨ての空間転移の陣が刻まれてる輝石を使い、離脱する。


 気付くとそこは何処かの街の裏路地であり、目立たないようにそこに転移したのだとヴァダースから伝えられる。聞けば場所は北ミズガルーズにある玄関口、港町フルーアであるとのこと。今日一日はそこで休暇を楽しもうということに。


「ああそうです。言い忘れていましたが、確かに変装はしていますが私はカーサとして名前が割れています。なので今日一日は偽名で呼んでください」

「わかりました。それでは、何と呼べばいいですか?」

「そうですねぇ……では"ツクヨ"と」

「承知しました、ツクヨ様」


 いつもの癖で様付けで呼べば、ヴァダースは苦笑する。


「様付けも禁止です。今日は友人同士ですよ」

「そんな、それではあまりにも申し訳がないですよ」

「では貴方は私の休日を、一分と持たずに終わらせるつもりですか?」

「そんなことはありません!」

「なら、お願いできますね?」


 そんな風に言われてしまっては、自分に拒否権はない。


「うう、わかりました。……ツクヨさん」

「呼び捨てでいいのに。ですがまぁ、及第点ですね。では行きましょうか」

「あの、そういえば僕お金持ってきてないんですが……!!」

「安心してください。私のおごりですよ」


 それだけ言うと、コルテに反論される前にヴァダースは歩き始めた。そんな彼の行動に、見失わないようにと慌てて追いかける。


「もう……ズルいです、ツクヨさん」

「誉め言葉として受け取っておきますね」

「それで、何処に用事があるのですか?」

「この街に新しく出来たカフェがあるそうなので、そこへ。そこでは珈琲もさることながら、スコーンが美味しいと評判があるのですよ」


 その言葉に、コルテの胸は高鳴る。スコーンは彼の好物である。特に紅茶とセットであるクリームティは大好物であり、時々食べたくなっては自分でスコーンを作るほど。


「ふふ、楽しみですか?」


 余程感情が顔に出ていたのか、くすくす、と笑うヴァダースの声で我に返る。


「あっ、すみません僕ったら……!」

「謝らないでください、気にしてませんよ。寧ろそれほど楽しみにしてくれているほうが私も嬉しいですから」

「……!はい!」


 しばらく談笑しながら目的のカフェまで向かう。変装効果か、カーサの最高幹部である二人が歩いていても、通り過ぎる街の人は彼らに気を取られることなく歩いていた。見た目が少し変わるだけでこうも効果が表れるのかと、内心驚いていた。


 やがて件のカフェに到着した二人。オープンカフェでもあるそこは活気に満ち溢れていて、暗めの木材を利用して作られた外装は、とても心落ち着く雰囲気を感じさせた。

 店内に入ると店員から席を尋ねられ、今日は天候も良いということで外の座席を指定した。秋の木漏れ日に照らされたオープンスペースは開放感もあり、気分も上がるというものだ。着席してメニュー表を吟味する。自分は注文が決まっている。ヴァダースに尋ねると決まっているとのことで、お冷を用意してくれた店員を呼びオーダーした。自分はクリームティを、ヴァダースはスコーンとブレンドコーヒーのセットを。

 店員が注文を受け取り、厨房へと向かう。コルテはカフェを一瞥し、ヴァダースに声をかけた。


「とてもいい雰囲気のカフェですね」

「ええ、そうですね。騒がしくなくてとても良いです」

「このカフェのこと、ヴァ……ツクヨさんは知っていたんですか?」

「知ったのはつい最近ですよ。目新しいものは、興味が惹かれるでしょう?」

「ああ、それわかります。ついつい目が行きますよね」


 カーサにいる時とは全く違う会話でも、ヴァダースとの会話はコルテにとって至福な時間に他ならない。カーサに入りヴァダースと出会ってからもう数年経つ。同じ最高幹部という立ち位置ではあるが、カーサにいる時間はヴァダースの方が何年も上ということで、コルテにとっては先輩でもある。当初から最高幹部として様々なことを教えてくれたヴァダースに、コルテは恋心を抱いていた。決して口にはしないと心に誓ってはいるが。しばし談笑していると、目的のものが届いた。

 淹れたてのブラックコーヒーの香り、ティーポットとカップが用意されたクリームティ。スコーンは焼き立てだろうか、湯気も立ち上っている。目の前に置かれたそれらに、思わず目を輝かせる。


「美味しそう……!」

「では、いただきましょうか」

「はい。いただきます!」


 ティーポットの中の紅茶をカップに注ぐ。アールグレイの茶葉の香りがふわりと広がり、鼻腔を擽る。注いだ紅茶をそばに置き、スコーンを食べる準備をすることにする。スコーンの割れ目の部分で二つに割ると、湯気とともにバターの香りが優しく広がる。焼き立てのスコーンは一番美味しいので、最高に気分が上がる。

 皿に乗せたスコーンの上に、付け合わせの木苺のジャムとクロテッドクリームをこれでもかと乗せる。これで食べる準備が整った。早速いただくことにしよう。

 まずは一口。焼き立てであるスコーンは外側はさっくりとしているのに、中はしっとりと柔らかい。このまま楽しむのもいいが、すぐに紅茶を飲む。すると中のスコーンはしゅわりと溶けて、コクのあるクロテッドクリームの風味が咥内に行きわたる。バターよりはあっさりとしているのに生クリームよりは濃厚な味わい。本物のクロテッドクリームはこうでなくては。

 久しぶりの好物に自然と顔が綻んでしまう。一人楽しんでいると、目の前のヴァダースがクスリと笑う。


「本当に美味しそうに食べますね」

「す、すみません……!」

「謝る必要なんてありません。貴方が気に入ったのなら、私も安心しました」

「ツクヨさんの口にも合いましたか……?」

「ええ。久し振りに美味しいスコーンを頂いたような気がします」

「よかったです……!」


 その後も各々スコーンや紅茶などを楽しみながら、穏やかな時間を過ごす。落ち着いたところでコルテは、気になったことを訊ねることにした。


「あの、一つよろしいですか?」

「なんでしょう?」

「今日はその、どうして僕を連れ出してくださったのですか?休暇についても突然言い渡されましたし、この服も……準備が良すぎると思いまして」

「ああ、そのことですか。そうですね、そろそろ種明かししてもいいでしょう」


 カップをソーサーに置いたヴァダースは、にっこりと笑って話し始める。


「今日貴方に休暇を言い渡したのは、貴方が誕生日だからですよ。ここ最近組織も軌道に乗りつつある。それはひとえに、貴方の働きもあったからです。そんな貴方にたまには羽を伸ばしてほしいと思うのは、同僚として当然でしょう?」

「そう、か……そういえば僕、誕生日でしたっけ」

「その様子ですとすっかり忘れていましたね?そんな貴方のことを見越して、シャサールたちと前から計画は練っていたのですよ。誕生日の日はせめて、ゆっくりさせたいと」


 ヴァダースの説明に、コルテは胸が熱くなるのを感じた。自分は思った以上に周りの仲間から、大切に思われていると。そして何よりも、自分が慕っているヴァダースからそんな風に思われていたことが、嬉しくて。


「貴方一人でオフを命じても、仕事をしそうでしたので。私はある意味のお目付け役でしたが、貴方とこういう風に普通に過ごしてみたいとも思っていたのでね」

「そうだったんですね。その、僕とても嬉しいです!」

「それはよかった。……誕生日おめでとうございます、コルテ」

「……!はい、ありがとうございますツクヨさん!」


 紅茶もコーヒーもなくなる。さて、とヴァダースは立ち上がりコルテに手を差し出す。


「今日はまだ始まったばかりです。十二分に楽しみましょう?」

「もちろんです!エスコート、よろしくお願いします!」

「ええ、お任せください」


 自分たちはカーサであり、世界の敵であることに変わりはない。それでも今日一日だけは、そんなことを忘れさせてくれるこの人と、有限の時を目一杯楽しもう。そう思ったコルテである。

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