第2話 老人の覚悟

「バカな……前線基地は三つ北だろう?」

「だが、間違いない」


 冷静を装っているが、俺も動揺を殺せない。

 一気に村が三つ、《ヴィラン》側に陥落されたことになるからだ。かつてのあの日を思い出させせるような、電光石火の攻撃だ。


「すみません、相手にやられました」


 後ろからの声は、ナポレオンだった。すっかり焦燥に顔色が満ちている。


「ナポレオン。何があった」


 思わず訊ねると、ナポレオンの顔が曇る。


「長期的に展開された罠でした。いつものように防衛戦が終わって、いつものように相手が完全にいなくなったのを見て、こちらも疲労の溜まっていた《ヒーロー》たちから休息を与えていたのですが、そこを狙って控えていた《ヴィラン》の大軍が押し寄せてきたんです。その数にして、六〇〇以上」


 俺は思わず唸りそうになった。

 単純にして明解。しかし、数の圧倒的優位があるからこその戦術だ。

 こちらは常に戦力が足りていない。本当にギリギリで回転させている。故に、どうしても警備が薄くなる瞬間が生まれてしまう。だが、今回はそれを長い期間をかけて誘発させられて、そこを狙われたのだ。


「なんとか村の住民たちは避難させましたが、犠牲も多く……一気に三つ目の村も抜かれました。ここも直に戦場になります。お二人も撤退を!」

「お前はどうするんだ?」

「……最低限の手勢を集めました。でも、ここもいずれ放棄することになるでしょう。戦力を結集させて本土決戦による防衛戦を展開します。私は、その防衛戦線を展開するための時間を稼がねばなりません。ですから……ここで死に戦でしょうかね」


 半ばやけになったかのような返事だが、その眼は本気だった。


「何を言ってる! お前はもう《ヒーロー》側の中心だろう! お前が指揮をしていたから、なんとか保っていた部分も大きいんだぞ!」

「ですが、他に方法はありません」


 ナポレオンは毅然と言い返してくる。もう、覚悟は決めている表情だった。

 俺は思わず歯を食い縛りながら、考える。

 本土――半島の中枢。

 万が一のことを思って、あそこは防衛設備が固い。そこに戦力をありったけ結集させれば、迎撃することは可能だろうが、そのためには時間がやはりかかる。電撃的に街と村を陥落させた手腕を思えば、ここで時間を稼ぐことがどれだけ大きい意味を持つか、すぐに分かる。

 そう。分かる。分かってる。けどな。

 そのために、俺の半分もまだ生きていないような子を、若者を失うのか?

 俺は、俺たちはまた、生き残るのか?


「ノブさん。ヤスさん。貴方たちは最悪を乗り切った生き証人です。猛者なんです。これから生まれてくる《ヒーロー》たちにとっても、貴方たちの教えは絶対に必要なんです。こうして、私がいられるのも、貴方たちが教え込んでくれたことが、全部活きているからです」


 そっと、胸に手をあてられた。


「大丈夫です。教えは忘れていません。《死ぬために戦うな。生きるために戦え》」

「だが、ナポレオン。お前の能力は……」

「問題ありません。一つの能力に固執するなと教えてくれたのは、ノブさんとヤスさんですよ?」


 微笑まれて、俺は何も言えなくなった。

 この子は――ナポレオンは、間違いなく《ヒーロー》だ。

 老いて衰えた俺たちを、戦えない子供や住民たちを助けるために、己を犠牲にする。最も高潔な志である《自己犠牲》の塊だ。痛いくらい、気持ちは分かった。

 彼女は今、最大の使命を背負っている。

 まだ小さくも見えるような肩を、精一杯はって。この強がりも、そうだ。俺たちが教えたんだっけか。


「では、そろそろ行きます。ご武運を。生きてまた」


 それは、別れの言葉だった。

 死を覚悟したものだけが言い放てる言葉と、浮かべられる表情。

 走って坂を駆け下りていくナポレオンに、まだデビューして日も浅い若者たちが次々と集まってくる。誰もが、決死の表情だった。


 彼らはこれから死んでいく。


 他でもない、自分たち以外のみんなを守るために。

 それを、そんな悲しい様を、俺は観ることしかできないのか?

 ふざけんな。

 俺はまだ過去の存在でもないし、こんなバカげたことを認められるほど、落ちてもいない。俺は覚悟を決めた。


「……なぁ、ヤスよ」

「あぁ?」

「俺は血が滾った。ものすごく滾っている。押さえられそうにないんだがな」

「奇遇だなぁ、俺もだ」


 隻眼を細くゆがめて、ヤスは好戦的に笑う。

 もうやることは決まっている。

 道の先、避難してきた住民たちがやってきていた。おそらく休む間もなくもっと奥地へと強行避難させられることだろう。本来は休ませてやりたいが、その時間がない。


「なぁ、どうやら、俺たちにもまだ出来ることはあるようだ」

「この血が、魂が、叫んでいる」

「俺たちは性根から《ヒーロー》だからな」

「ようし。老人会を集めるぞ。集合場所はノブ、お前の家で構わないな?」

「ああ」


 頷いて、俺は踵を返して家に戻る。

 キッチンでは、ちょうど良く焼けたハンバーグの匂いが漂っていた。俺はそれをたっぷりのマヨネーズと照り焼きソースを縫って、パンで挟んでから紙に包む。ナポレオンと約束したからだ。好物を差し入れする、と。

 それから、準備を始める。

 床板を抜いて、とっくに役目を終えたはずの、傷だらけの鎧と、剣。そして銃。


 定期的にメンテナンスはしていた。


 戦うことはないだろうとどこかで思いながらも、手が、自然と。

 もう習慣みたいなものだ。

 俺は入念に感触を確かめる。何十年ぶりかの実戦だ。しっかりと整備しておこう。

 確認していくと、気配が次々と生まれた。

 表に出ると、すっかりと見慣れた――そして老け切った連中が集まっていた。腰や背中が曲がっていたり、身体が縮んで武装とサイズがあっていないなど、かなり頼りない。

 総勢、一三二名の大馬鹿者どもだ。

 俺を含め、DランクとCランクだけで構成された、取るに足らない集団。敵側はCからBランクを中心としている上に、数も五倍近いという絶望的な戦いになるのに、誰もが朗らかに笑っていた。

 だからこそ、頼りになる。

 ランクは低くても、決死の戦場を幾度となく駆け抜けてきた、戦友であり、歴戦のつわものどもだ。


「よう、集まったか」

「聞いたぜ、ノブ。お前さんのバカ弟子がなんかアホやらかしそうなんだって?」

「ああ、そうなんだ。教えを守る、大事なバカ弟子だ」


 そう。バカ弟子だ。

 だから、止めに行く。師匠に死なないなんて死ぬつもりで言ったバカ弟子を。


「なぁ、俺たちは十分に生きたよな」

「ああ。充分だ。充分に、平和で穏やかに、豊かに生きさせてもらったよ」

「未練は?」

「あるわけないだろ。毎日錆びついていく身体がむしろ鬱陶しいくらいじゃ」

「そうか。だったら、やることは一つだ」


 死ぬのは、若者ではない。

 俺たちが唯一持っていた志はもう、次世代の《ヒーロー》に充分引き継げた。俺たちはそろそろ、自分たちで幕を下ろしていいはずだ。

 当然、死ぬために戦うつもりはないが、俺たちからすれば、あの日の続きをするだけだ。


「悪いが、敵の情報はほとんどないに等しい。ただ、村と街を三つ、立て続けに陥落させたことから、かなりの攻撃力のある連中を揃えていると予測がたつ。きっとも何も、俺たちでは迎撃を完遂させることは不可能だ」

「だろうな。俺たちは負けに負けを重ねて生き残った敗残兵だ。無様に生き残っちまった」

「そう。だから、最期まで無様に負けよう」


 俺は剣を抜く。錆び一つついていない、光沢。


「ナポレオンたちは正面から迎え撃つ様子だ。おそらくも何も、戦線の後退を少しでも遅らせるために、じわじわと退避しつつの抵抗戦を展開するだろう」


 ここは坂道になった小高い丘だ。常に上を取りながら戦うのは定石だ。

 それに、このあたりの畑は湿度が高く、足を取られやすい。拓けているが、戦える場所となると限定される。そういう作りにしてある。必然的に主戦場は道と道が重なる交差点や、住宅街になるだろう。

 村の地図は足が覚えている。どこがどうなるかも、予測はついた。


「よし、ならば老人は老練らしく立ち回るとしようかの。班を三つに分ける」

「同時多角襲撃だな。分かった。合図を間違えるなよ」

「そこまでまだボケちゃいねぇよ! たぶんな!」

「その多分が恐ろしく怖いな」


 互いに茶化しあいながら、あっさりと班分けが決まる。

 どこを選んでも結果は同じなのだから、迷うことはない。

 そう遠くないどこかで、爆発。振動。


「戦闘が始まったか」

「ナポレオンたちはすぐにヘコたれるようなタマは持ってねぇからな。安心しろ。飛び出したいところだろうが、ここはガマンだ。充分に引き付けるぞ」

「おーおー。ヒーローは遅れてやってくるってやつかぁ?」

「ロイ・エルメスの名言だな。地獄であえるといいがなぁ」


 一瞬の緊張も解れ、各々が配置についていく。

 陣形は鶴翼に近い。中心の部隊が相手を受け止め、左右から挟撃する。一時的にだろうが、相手は混乱するはずだ。その間にナポレオンたちを撤退させ、時間稼ぎを引き継ぐ。


「生きることを諦めた老人ってのはなぁ、案外しつこいもんだ」


 俺とヤスもそれぞれ配置についた。

 丘の中腹、おそらく最期の戦線構築に使われるであろう小さな雑木林に挟まれた広場の近く。ここなら左右からの挟撃に適した地形だし、身も隠せる。

 俺とヤスは、広場の近くの小屋に隠れた。

 しばらく待っていると、爆発も悲鳴も近くなってくる。そっと窓から覗き込むか。


「どうだ」

「ああ、こりゃひでぇな」


 俺は一言で断じた。

 壮絶な撤退戦なのが良く分かる状態だ。僅かな数十名という戦力で、無事なものはいない。指揮をしているナポレオンのおかげで死者はいない様子だが、もう気力で動いているようにしか見えない。誰もが肩を貸しあって、一塊になって逃げてきた。

 ようやく広場につくや否や、崩れるようにみんな座り込む。

 そんな彼らを追いかけるように、戦線を放棄した際に発動させた罠に足止めされつつも、《ヴィラン》が迫ってきていた。

 彼らに与えられた時間は、もう少ない。


「水を飲め、呼吸を整えながらでいい。聞いてくれ。いよいよ、ここが最後の防衛ラインになる。みんな、覚悟はいいな」


 喉がほとんど潰れたしゃがれ声で、ナポレオンは語り掛ける。汗と汚れで頬に綺麗な金髪がくっついてしまっているが、もはや気に掛ける余裕もないのだろう。

 返事はほとんどやってこなかった。

 ただ、黙ってゆっくりと立ち上がり、汗を腕で拭う。


「我らにこれ以上の撤退はない。……最後まで時間を稼がないといけないんだ。本国を、みんなを守るために。すまないが、お前たちの命をくれ」


 ナポレオンも傷だらけの状態だ。

 戦う時は誰よりも先頭で、撤退する時は誰よりも最後にいなければ負えないような傷だ。


「分かってますよ……任せてください」

「覚悟は、決めてますから」

「……すまない」


 阿呆が。

 敵が迫ってくる。有象無象の、異形の魔物にしか見えない集団――《ヴィラン》だ。


「いくぞ、全員、構えろっ!」

「「「応っ!!」」」

「「「死ね、《ヒーロー》どもがぁあああ――――っ!」」」


 衝突が始まる。

 同時に、俺たちは合図を待たずして一斉に飛び出した。チャンスは、今しかない!


「はああああっ! 《魔王炎》っ!」


 俺は炎を纏った剣を振るいながら突っ込んでいく。

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