信忠の野望~引退した弱小爺ヒーロー、世界を救う~

しろいるか

第1話 村への襲撃

 ――《死ぬために戦うな。生きるために、戦え。》


 くそ。分かってんだよ。

 俺は光に包まれながら、悪態をついていた。

 どいつもこいつも自分たちだけ先に逝きやがって。いっつも俺にばっか迷惑かけやがって。くそったれどもが。

 嫌でも力が湧き上がってくる。

 今までに、こんな感じはなかった。今なら、なんでも出来そうだ。

 だからこそ、訴えくるんだ。


「ああ、くそったれ」


 分かってる。


 俺は、そういう《ヒーロー》だったはずだ。

 正義も悪も矜持も尊厳も自己犠牲も自己満足も、全部、全部重たいから、かなぐり捨てた。


 だから、持つものはたった一つ。



 《死ぬために戦うな。生きるために、戦え。》



 この信念だけだ。

 それなのに、どこでそれを忘れちまったんだろうな?


 灼熱に枯れた土煙が舞う荒れた空気の中、俺はゆっくりと顔を上げた。




 そうだ。いつ、どこで忘れたんだろうか。どうして、こうなったんだっけか。




 ――《ヒーロー》の時代が、終わろうとしている。

 これも世界が選んだ運命なのだろう、と思えるくらいには歳を重ねた俺は、《ヴィラン》を倒すために握っていた剣と銃を置いて、畑を耕す鍬を持っていた。

 今日もまた、地面を耕す。

 斜面にそったでこぼこの畑。うっかりすればすぐに悪くなる、クセの強い土壌との付き合いにもようやく慣れてきた。


 それが、幸せだと今は思える。


 世界のために戦うのは悪くない。

 いつか、俺も一人前の《ヒーロー》として輝ける日が来るのだ、と、子供の頃はずっと思いこんでいたもんだ。

 あの日、この身に宿った《ヒーロー》がランクCの《織田信忠》で、仲間たちから戦力外通告されてからも諦められなかった。いつの日か、本当の《ヒーロー》になりたいって。なれるんだって、ずっと信じてた。


 けれども、それはあっさりと終わりを告げられた。


 あの日――英雄王たちの都と呼ばれた大都市が、たった一晩で火の海に沈んで消し飛んだ最悪の事件――【悪夢の火】によって。

 思い出すだけで、震えそうになる。

 俺は忘れるように頭を振って、腰にぶら下げていた革袋に入れた水を飲む。ああ、美味い。


「さて、もうひと踏ん張りすっかね」


 加齢のせいで負担に弱くなった腰をさすり、俺はまた鍬を振り下ろした。

 飯を食えなければ、《ヒーロー》であっても生きていけない。

 だから、俺は畑を耕す。

 辺鄙極まりないこの田舎で、ひたすらに。

 今もまだ、どこかで戦っている若者の《ヒーロー》たちの腹を満たすために。これも《ヒーロー》としての役目ではないかと思う。

 随分と前に引退したこの身では、もう勢いのある《ヴィラン》とは戦えないから。


「ノブさーん」


 どす、と土に鍬を叩きつけたところで、声が後ろからかけられた。

 振り返ると、麗しい金髪を短くまとめた、男装麗人がいた。今日も赤いマントが映える。


「ナポレオンか」

「久しぶりですね」

「凱旋か?」

「ええ、そんなところです」


 微笑みかけると、ナポレオンは気品の高い笑顔を向けてくれた。

 とはいえ、疲れは隠せていないのだが。

 彼女は《ヒーロー》だ。それも上級のAランク。《ヒーロー》側が劣勢のこの困難な状況にもめげず、立派に最前線で戦っている。彼女の功績は目覚ましく、ここ最近、この村の周囲の平和が特に保たれているのも、彼女の力が大きい。


 同時に、少し痛ましくも思ってしまう。


「少しは休めそうなのか?」

「ようやく騒動がなんとかなったので、大きな問題がなければ一日はゆっくりできるかなと思ってますよ」

「そうか……」


 俺はつい声を低くしてしまった。

 たった一日しか休めないのだ。

 もう、彼女は何年と休んでいないのに。


「すまないな」

「気にしないでください。これも《ヒーロー》の役目ですから」


 強がる彼女の笑顔が、心に刺さる。


 もっと時代が良ければ、彼女はもっと活躍出来ていただろうに。

 自分や、その少し上の世代がやらかしてしまったことを思うと、胸が痛い。


「後で差し入れを持っていくよ。何がいい?」

「それはありがたい。けど悩んじゃいますね。ノブさんの飯は何でも美味しいからなぁ」

「それなら好物を持っていくよ。ハンバーグだろ?」

「ああ、本当にうれしい。ありがとうございます」


 頭を下げるナポレオンに、俺は鷹揚に手を振った。


「構わない。気にしないでくれ。老人のおせっかいみたいなものだ」


 そういうと、またナポレオンは会釈して立ち去っていった。

 さて、それでは早速肉を焼くとするか。

 俺は鍬を片付けて、自宅のキッチンへ向かう。


 この世界は《ヒーロー》と《ヴィラン》に分かれている。


 異世界の偉人や英雄の力をその身に宿し者が、超能力や魔法を使えるこの世界は、その心によって《ヒーロー》か《ヴィラン》かに分かれ、世界の覇権を長年にわたって争う運命にあり、それで均衡を保っていた。

 それが、世界のあるべき形だった。


「よう、ノブ。起きているか?」


 キッチンで肉をこねていると、ドアがノックされるや否や、白髪の老人が入ってくる。

 片目に大きく傷が入ったその老人は、悪びれもせず笑った。


「ヤスか。またこっちが返事する前に入ってきやがって」

「いいだろ、俺とお前さんの仲じゃないか」

「親しき仲にも礼儀あり、だろうが」

「クソ固ぇこと言うなよ。墓へ入る前だってぇのに、岩になっちまうぞ」


 まったく。

 ため息をついて、俺はヤカンをコンロの火にかける。少し動かし辛そうな足を引きずり、ヤスはイスに腰掛ける。


「茶ぁくれ、茶」

「図々しいな、本当に。今淹れてるよ」


 悪態をつきつつも、俺は鉄製のカップに粉末の茶を入れる。

 渋茶でも出してやろうかと思ったが、さすがにやめておいた。今はナポレオンのためのハンバーグが優先だしな。


「さっきナポレオンと会ったぞ。ノブ、お前のとこにも来たか?」

「ああ、わざわざ挨拶にきたよ」

「偉い子だ。まだ若いのに、《ヒーロー》たちを牽引してるし、引退した老兵の俺たちにもずっと敬意を示してくれる。ちょっと戦闘のいろはを教えただけだってぇのにな」

「本当になぁ。俺たちが時代を悪くしたというのに、愚痴ひとつ零さない」


 ヤスは自嘲するように唸った。


 《ヒーロー》と《ヴィラン》の力関係が拮抗していたことで保っていた世界。

 だが、それはある時を境に崩壊した。


 《ヒーロー》側に、大英雄が現れたのだ。


 大英雄はその恵まれ過ぎた才能と人柄でもって、《ヴィラン》側を追い詰めた。その勢いに乗る形で《ヒーロー》たちは次々と台頭し、やがて誰が強い《ヒーロー》なのかを競うようになり、結果、個人主義に傾いていった。

 チームワークを忘れた頃、今度は《ヴィラン》に大英雄が生まれる。

 彼は瞬く間に散り散りになっていた《ヴィラン》を結集させ、一つの勢力に纏め上げてから力を蓄え、ある日逆襲に出た。


 狙いは、英雄王の都――当時、最前線でも特に力のある英雄たちが集まっていた都市だ。


 強靭な連携に、徹底的に練り込まれた作戦と、投入された超兵器。更に周到で狡猾な手段によって《ヒーロー》の寝返りも起こり、あっさりと都市は壊滅し、主だった《ヒーロー》たちも軒並み戦死した。


「あの戦いからは、本当に酷かったのぅ」


 ヤスが茶をすすりながら、ぽつりとこぼした。

 そうだ。

 本当に、あの戦いからが酷かった。もはや戦いともいえないような、蹂躙だった。


「ああ、思い出したくもないな」


 主戦力だった上級――A級以上の《ヒーロー》たちのほとんどを失い、一気に戦力を失った《ヒーロー》側は、突如として始まった《ヴィラン》の一斉猛攻に耐えられなかった。

 次々に主要な都市を失い、多大な犠牲を払っての壮絶な撤退戦を繰り返した。


 なし崩し的に戦力外通告されていた俺たちも狩り出され、毎日毎日、死ぬ思いをした。


 否、仲間の誰かが毎日死んでいった。

 そんな死線を潜り抜けに潜り抜けながら、勢力を失っていくばかりの《ヒーロー》側は、ほとんどの土地を捨てることで僅かな戦力を再結集し、大陸の端にある半島に籠もって防衛戦線を構築、ようやく《ヴィラン》側の苛烈な侵攻を食い止めることに成功する。

 その頃になると、生き残っていた俺たちが屈強の戦士になっていて、《ヴィラン》に対抗出来るようになっていたのも大きい。


「まぁ、思い出になったのなら、まだいいだろう」

「そうだな」


 そう、思い出でいい。思い出がいい。

 あんな死線はもうこりごりだ。

 今では《ヴィラン》側の侵攻も一時を比べればかなり少なくなっていて、小競り合い程度が突発的に発生している程度だ。

 北方――ここから三つ目にある街が前線基地となっていて、《ヒーロー》たちによってもう何十年と守り続けている。数日前から、ちょっと大きい規模での戦闘があったようだが、ナポレオンがなんとか退けたようだし。


 これが、現状だ。


 よみがえった血の臭いに顔をしかめつつ、俺はこねた肉を熱したフライパンに置く。

 じゅう、と焼ける良い音。

 忘れよう。

 野菜も獲れて、米も小麦も獲れて、肉も食える。

 この村は、そんな現状でも《ヒーロー》が勝ち取った平和な村なんだ。せめてここで、穏やかな余生を過ごしたい。


「……ん?」


 ヤスが何かを感じ取ったらしく、耳を傍立てる。続いて、俺の耳にも届いた。

 これは――爆発の振動?

 間違いない。忘れるはずがない。心が、身体が覚えた、あの音だ。

 互いに目を合わせてから、同時に外へ出る。

 この村は小高い丘にそって出来ていて、遠い隣の村でも天気が良ければ見下ろせる。


 ――赤い。


 間違いなく、炎の赤だ。

 いつもなら穏やかに見える村が、燃えている。


「これは、いったい……!」

「分かっているだろう、ヤス。これは《ヴィラン》の侵攻だ」


 ――また、爆発が起こった。

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