28 古時計は鳴った
「すみません。これを飾ってほしいのですが…。大丈夫でしょうか?」
老人ホームで働いている作者が、新規入所の対応をした時のことです。
ご家族様が差し出された物を見て、一瞬思考が停止してしまいました。
それは年季の入った、大きさ30cm程の壁掛けの古時計でした。
今まで、新規入所される方が、
亡くなられた伴侶の遺影でしたり、思い出の写真や好きな置物を持ってみえることはありましたが、
時計は初めてのことでしたので、内心驚いてしまったのです。
「これ、振り子が揺れてカチカチ音がするんですけれど、あの人、この音がないと寝れないんです。」
「あ、そうなんですね!大丈夫ですよ。ぜひ飾ってください。
壁にフックをつけていただいてもかまいませんので…。お手伝いしましょうか?」
「いえ、大丈夫です!ちょっと、操作をしないといけなくて…。これ、時報が鳴るんですけど、消した方が良いかしら。結構大きな音なんです。」
お嫁様はそう仰って、壁に時計を掛けて文字盤にあるネジ穴に巻き鍵を差し込み締め始めました。
時計針が動き始め、振り子が動きカチカチと音を立てます。
彼女はそのまま針を回して、12時ちょうどに針を合わせました。
すると、その小ささからは想像も出来なかったほど大きな音でボォーンボォーンと古時計が鳴ったのです。
「あら、やっぱり大きいですね。鳴らないようにしますね。」
「…あっ!そうですね。すみませんがお願いします。」
ご家族様が総出で時計の音を止め、壁に掛ける作業をしている側で、
私は一人、古時計の音によって想起されたある思い出の中にいました。
私の実家の玄関には、背丈が120cm程の大きな古時計が飾られています。
私が生まれた時からあり、今でも実家にある、とても思入れのある時計です。
ビジュアルは一般的な古時計で、ローマ数字が書かれた文字盤と繊細な細工が施された針、
大きな振り子が特徴の古時計であります。
振り子をゆらゆらと揺らし、カチカチと音を立てながら時を刻む姿は、悠然としていて恰好が良く、とても気に入っていました。
その古時計が鳴る音を、私は一度だけ聞いたことがあります。
ただ、その体験は、あまりにも不可思議なものでした。
それは、私がまだ中学校2年生の頃、
蒸し暑いお盆の夜のことでした。
寝る時間ぎりぎりまでエアコンが効いた涼しいリビングに居たかった私は、
夜中の11時半までそこにおりました。
つけっぱなしにしていたテレビは、番組がだんだんと大人向けになり退屈なものへと変わっていきます。
(そろそろ寝ようかな。)
そう思ってリビングの電気を消し、扉を開けました。
リビング外で待機していた、むわあっとした湿度の高い空気の不快さに、思わず顔をゆがめます。
(さっさと自分の部屋に行ってエアコンつけて寝よう。)
そう思って右手前にある階段をそそくさと登り、3,4段上がった…
その時でした。
ブィィィィイ…
扇風機の羽が回転するかのような、
モーターの回転音に近い激しい音が背後から聞こえてきたのです。
驚き、何の音かと慌てて振り返りました。
振り返った先には玄関があり、防犯のために着けた豆電球が、弱弱しく天井に照っています。
光に照らされ、ぼんやりといる大きな古時計から、音が聞こえてきていました。
(え、どういうこと?)
私は古時計を見て、唖然としました。
古時計の文字盤の針が、今まで見たことがない勢いで回転しているのです。
音の正体は、その針の回転音でした。
ブィィィという音に混じって、カチカチカチカチという針の進む音が聞こえ、時計が焦っているように感じられ、つられて私の鼓動も早まります。
いつもはゆったりと時を刻むその古時計の異様な動きに、目が釘付けになりました。
そのままの勢いで、時計の針は1周すると、少しずつ動きを遅くして、
まず短針が、その次に長針が、
短針より少し行った先で止まりました。
静止した2本の針が示したのは、4時40分という時刻でした。
状況についていけず呆気にとられた、その次の瞬間。
ボオーン!ボオーン!
耳が割れるような大きな音で、時計が鳴りだしました。
その音の大きさは、ただうるさく聞こえるだけではなく、振動を伴うほどで、一瞬、地震が起きたかと錯覚したほどでした。
立っていられず、膝から折れてその場に座り込み、階段の手すりに必死に掴まります。
でも、そのままその場にいるのはあまりにも恐ろしいことでした。
その時計はもちろんですが、時計の側には祖父母の部屋があり、この大きな音を聞いて彼らが起きてきたら、
「お前、勝手に触ったな!?」と
怒られてしまうと思い、それが何よりもおっかなかったのです。
私は鳴り続ける時計に背を向けて、足をもつれさせながら階段を駆け上り、部屋へと逃げ込んだのでした。
翌朝、恐る恐る時計を見ましたが、昨晩何もなかったかのように、古時計は平然とした顔で、カチカチといつものように正確に時を刻んでおりました。
不思議なことに、時計があんなにも大きな音を立てていたにも関わらず、祖父母はそのことを全く知らなかったのです。
(そういえば、そんなことがあったな…。)
と空を見つめておりましたら、突然、ガシャン!という音がお部屋に響き渡りました。
ついさっき、壁にかけた古時計が、派手な音を立てて落ちてしまったのです。
床に落ちた時計は、がーっという音を立てながら激しく針を回転させ、痙攣しております。
そして、徐々に回転が弱まり針が止まって、それから一切動かなくなってしまいました。
「あ!やだ、すみません。フックがちゃんと刺さっていなかったのかしら…。」
そういうと、お嫁様は慌てて、壊れてしまった古時計を回収されました。
実家の古時計のことを思い出したタイミングで、時計が落ち壊れてしまったのが違和感に胸をざわつかせつつ、私は新規入所対応を終わらせたのでした。
あれから時計のことが気になった私は、祖母に時計について聞こうと、実家を訪れました。
そこで祖母から、時計がこの家に来た経緯を教えてもらったのです。
今から24、5年前のこと。
当時、実家のあるA町では、道路を直し道を整えるという大規模な区画整理を行っておりました。
実家はその区画内で、町内会より協力するようにとのお達しがあったそうです。
同年の3月8日の夜9時。
祖父母がいる家に、配達業者がやってきました。
彼らは、縦に長い大きな荷物を2人がかりで、端と端を抱えながら持って来たのです。
時刻が夜であったこと、そして、縦に長い荷物とその持ち方から、祖母はその荷物が棺桶に見えたと言います。
慌てた祖母は、その配達業者に必死に「そんなもの、この家に入れないで頂戴!」と懇願したそうです
困ってしまったのは配達業者です。
運べと言われて運んだのに、受け取り拒否されてしまったので、玄関先で3人は膠着状態に。
そこに休んでいた祖父が介入しまして、ようやく両者の行き違いが解消されました。
前述した通り、区画整理の協力を頼まれていたのですが、それが無事に終わったのでそのお礼にと、町内会から届けられた荷物とのことでした。
事前に知らされており、祖母は共働きだから夜に届けてほしいと町内会には伝えていましたが、荷物が届く頃にはそんなこと忘れてしまっていたのです。
安堵した祖母はそれを喜んで迎え入れ、包みを開きました。
その中にあったのが、件の古時計でありました。
祖母は大変喜びました。
なぜなら、当時、アンティーク調の置時計が大層流行っておりまして、その人気は新聞の広告に載るほどでありましたから。
一度、広告を見た時から気になっていた祖母は、町内会から届けられた時計に小躍りしたわけです。
古い物だと知っていましたが、二十数年前からあるとは思ってもみませんでした。
祖父亡き今、思入れがいっとう強いであろう祖母に、失礼を承知で私は古時計を調べさせてほしいと頼みました。
それは、あの日古時計が鳴った理由を知るために必要なことでした。
別に構わない、と快く許可をもらえたので、私は早速作業に入りました。
実はあの妙な体験を思い出したその日に、私は古時計が突然鳴る原因が気になり、ネットサーフィンをして理由を調べていたのです。
すると、時計の修理を専門としているお店のサイトがヒットし、そこに古時計の仕組みについて詳しく書かれておりました。
そのサイトの文章から、突然古時計が鳴ってしまった原因が以下のようなもであることが判明しました。
古時計が鳴らないようにするための処置の一つとして、時報を告げる鐘を打ち付ける槌に綿などを巻き付けることがあります。
そうすることで、鐘に槌が当たっても音が鳴らないのですが、年月が経つと、クッション材が劣化により槌から剥がれてしまい、裸になった槌と鐘がぶつかって突然音が鳴ってしまうのだそう。
何も不思議な現象でなかったことにがっかりしましたが、真相が判明しとてもスッキリしました。
ですが、このままでは机上の空論であります。
私はぜひとも剥がれ落ちたクッション材をこの目で確認し、自分の調べたことが正しかったと誇りたくなりました。
繊細な機械ですので、素人の誤った動作で壊すなんてことが無いように、専門サイトと照らし合わせながら、古時計を調べます。
サイトによりますと、文字盤を開けば中は空洞になっており、そこに鐘と槌があるのだとか。
ガラスケースを開き、私は文字盤に恐る恐る手を触れました。
驚くほどすんなりと文字盤は本体から離れ、片開きのドアのように開いていきました。
(さて、どんな風になっているのかな…。)
露になった空洞を、ワクワクして覗き込みます。
が、そこには何もありません。
鐘も槌もないのです。
(え?どういうことだろう?)
と、文字盤の裏側に目をやりました。
そこには、英語表記がされた3つのスイッチがついております。
しばらく何のための機構か分からず考えていると、ある一つの考えが頭に浮かびました。
(いやいや、そんな、まさか。)
私はすぐに祖母の元へと向かいました。
ある質問をするために。
その質問をすることによって得られる祖母の返答に、私の中に浮かんだ考えを否定してもらいたかったのです。
「おばあちゃん。時計っていつから鳴らないように設定していたの?」
祖母は呆れたように笑いました。
「あの時計が届いた時に、おじいちゃんが鳴らないようにしてしまったよ。」
「途中で鳴るようにしたりとかは?」
「してないしてない!一度もいじってないよ。
この家に来た時から、鳴らないようになってるんだ。
だから、あの時計、
うちに来た時から一度も鳴ったことが無いんだよ。」
古時計の元に戻り、私は古時計の文字盤の裏側を改めて眺めました。
横にスライドして操作する小さなスイッチが3つ縦並びについていて、それぞれのスイッチの下には、英単語で何のためのスイッチか示されていました。
一番上は“CHIME”、どんな音が鳴るかを設定できるスイッチで、4種類の音から選べるようになっていました。
一番下は“VOLUME”時報の音の大きさを選べるようになっていました。
さて、真ん中のスイッチ。
これは、“SELECT”とありました。
どんな風に時報を鳴らすか選べるスイッチです。
常に鳴らす、夜だけ鳴らさないといった項目がある中、そのスイッチは一番左に寄せられておりました。
一番左。
2番目のスイッチは、OFFに寄せられていたのです。
“時計はここに届いた時から、鳴らないようにしていた。”
我が家の時計に施された処置、
それは、私が想定していたような槌に綿を巻くといった、
いずれ劣化してしまう恐れを含んだ不確実なものではありませんでした。
スイッチの切り替えによって時報を鳴らすか設定できる我が家の古時計は、
SELECTスイッチがOFFにされており、決して鳴らないようにされていたのです。
時間がどれだけ経過していようが、その時計が鳴らないことには変わりありません。
では、あの夜、私が聞いた時計の音は何だったのでしょうか。
真相を解明するどころか、余計に謎が深まってしまいました。
大きな古時計は今も、玄関に飾られて時を刻んでいます。
時報を鳴らすことなく、静かに、針の音だけを立てながら。
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