5 やぐるう


皆さんは“特別養護老人ホーム”というものを

ご存じでしょうか?


実は、普段介護士として働いている作者からすれば聞きなれた単語ですが、

一般企業や介護・福祉に関わらない方からすると、初めて聞く言葉かもしれません。


特別養護老人ホームというのは

ざっくりと説明しますと、

介護を必要とされる高齢者の方々が

生活される場所のことです。


今回はそこで起きたお話。


体験者の意向を尊重し、匿名とさせて頂きます。




私は愛知県三河地方の特別養護老人ホームで働いています。

入社して数年経ち、

業務や介護にも慣れてきて、

馴染みの利用者さんとの関わりが

楽しくなってきていました。



同じ現場で新人の頃から働いていますので

利用者さんの性格や好み、ご病気などが

カルテを見ずとも頭に入っております。



だからこそ、その体験は

ただの気のせいで片づけられるものでは

なかったのです。



その日は

早番(体験者の施設では早朝から夕方までの勤務のこと)でした。

お昼の休憩から戻ったとき、

Aさんが落ち着きのない様子でいるのを

見かけました。


このAさんはお年を召されていて

物忘れは度々あるものの

基本はしっかりされた方でいらっしゃいます。



人生経験が豊富なためか

ちょっとやそっとのことでは動じない

肝のすわった性格です。



そんなAさんが車椅子でうろうろと

右往左往されているのだから

何事かとすぐに話しかけました。



「部屋に行かなきゃ。

 すぐにでも行かなきゃ。」



焦燥感に駆られており普段より早口で、

どこか子供らしく話されました。



「どうして行かないといけないのですか?」

と伺うと

「男の子がいるから。」

と答えます。



もちろんそんな子なんているはずありません。

そう説明しても、

こちらの制止も聞かずにタイヤを力強く回して、頑なに部屋に行こうとするのです。



普段ならこちらの話を少しでも聞いてくださるのに、全く聞き入れてもらえませんでした。



否定しては余計に混乱させるだけだと

Aさんと一緒にお部屋に行きました。

すると、不思議そうに見渡して

「本当ね。さっきはいたのだけれど。」

とすぐに納得されたのです。



お部屋から共同スペースに戻り

おやつを召し上がって頂いて

興味本意でその男の子のことを聞きました。



どんな子だったの?そんな具合です。

するとこう返されました。



「小学校低学年ぐらいの男の子だよ。

 私の部屋に入ってきてね

 寝ている私の側でやぐっていたの。」



やぐっていた。

それを聞いてゾッとしました。



“やぐっていた”の“やぐ”とは

もともとやぐるうという言葉です。



こちらの地方で

苦しみ悶えるという意味があります。


例えるなら背中の届かないところが痒くて身をよじらせるような、そんな様子です。


見知らぬ男の子が手足を滅茶苦茶に

ばたつかせる光景が頭に浮かび

鳥肌がゾワッと立ちました。



その男の子の詳細を語られたあと、

目つきが変わりました。

「早く行かなきゃ。

 男の子がいるの。早く行かなきゃ。

 お部屋に行きたい。行かなきゃ。」



男の子に呼ばれている。

何故かそう思って今度は必死に止め

しばらくその場で休んでいただきました。

すると数十分後には普段のAさんの

様子に戻られていたのです。




私が見たわけではないので

その子があの世のものとは限りませんし、

Aさんの思い違いかもしれませんが、

個人的にはとても恐ろしく不思議な体験でした。


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