第21話 未来を予言
その不思議な偶然の一致は、
3月のある日曜日から始まった。
春の麗らかな日の光が大窓から店内に差し込んでいる。
北欧スタイルで一貫した店内装飾と
白を基調とした家具がすっきりとした清潔感を感じさせ、
そこにバランスよく置かれた観葉植物が心地よい空間を作り出している。
壁に直接書かれたような線画のイラストは
ユニークで可愛らしい。
都会の真ん中にあるこのカフェだが、
ヨーロッパ調の外観とセンスの良い内装のおかげで、日常をかけ離れた特別な時間が流れていた。
足の高い丸テーブルを、ガーリッシュな服装をした4人の女性が囲んで座っている。
机の中央にはこの店名物のアフタヌーンティーセットが置かれていた。
ハイティースタンドの上段はすでに空になっているが、下段にあるサンドイッチは手つかずのままでパサついてしまっている。
華やかなスイーツの写真撮影という目的を果たした彼女達は、
それらの料理を気にすることなく、
スマートフォンを片手に話に花を咲かせていた。
「で、大好きなモデルのMICO《ミコ》が着けてたの。思わず買っちゃったんだ。」
「え~!めっちゃ可愛い!」
「インステグラムで見た!私も欲しかったんだよね~。」
「ね、
積極的に話していた3人は静かに聞いていた1人の女性、
すっかり冷え切ったスコーンを見ていた視線をはっと上げて穏やかな笑みを浮かべると、
「ほんとだー。可愛い~。」と、
提示されたアクセサリーの写真を前のめりになって見た。
「やっぱり!優美、こういうの好きだもんね!」
「好きだよー。可愛い~。」
優美は愛想よく笑顔で返答したが、彼女が身に着けているアクセサリーと写真のネックレスは、あまりにも趣向が違っている。
彼女の反応は第三者からすれば、いくら愛想がよく肯定的な返事をしていたとしても、
内心は異なる意見を持ち合わせているとしか思えないものだった。
「あーあ。本当は自分で買うより誰かからプレゼントされたいな~。」
「分かる~。出来ればただのアクセサリーより指輪だよね。」
「結婚したいな~、お金持ちでかっこいい人と。そしたら仕事さっさと辞めて主婦になるのに。」
「優美はいいよね。信也さんいるもん。」
信也とは2年付き合っている彼氏のことだ。
「いるけど、結婚の話は出てないよ~。ダメダメ。」
「でもかっこよくて大企業に勤めてるじゃんかあ。いいな~。」
「予定もないのに式場探してるんだけど、こことか良くない?シャンデリアが超綺麗~。」
「ほんとだ~!」
「あ、私、ちょっとトイレ行ってくる。」
「私も~。」
「私も行こうかな。」
3人は立ち上がって顔を見合わせると、申し訳なさそうに優美を見た。
視線に気づいた彼女は笑顔で手を振る。
「大丈夫だよ~。荷物見ておくね。」
「ごめんね、優美!すぐ戻るから!」
「ごめんね~。」
ほっとした表情を浮かべて3人は隅にあるトイレへと向かっていった。
優美はふーっと息を吐くと背もたれに背中を預ける。
入社して知り合った彼女達と無理をして付き合っているわけではないが、
放置された料理をもったいないとも言えないような、自分を出せない関係に疲れを覚えているようだった。
ティーカップを持ち上げてぬるくなった紅茶を一口飲む。
じっくり味わってカップを口から離し、ソーサーに置こうとしたのだが、
彼女はぴたっとその手の動きを止めた。
誰もいないはずの前の席に
ピンクのワンピースを着た4歳くらいの女の子が座っているのだ。
薄茶色の髪は肩まであり、ゆるくウェーブがかかっている。
その子は両手で頬杖をつき、ほっぺたをくっと持ち上げて大きく綺麗な瞳でこちらを見ながら、にこにこと笑みを浮かべていた。
(え、誰?)
少女は困惑している優美を視線でとらえながら、首をかしげて口を開く。
「ねえっ!いつリボン着けるの?早く着けようよ!」
「え?リボン?なんのこと?ねえ、お母さんは?」
今度は椅子の上で立ち上がり、飛び跳ねながら言う。
「ねえ!リボン着けてよ!早く早く!」
「え、え、ちょっと、しー!困ったなあ…。」
母親がいないかと周りを見渡すがそれらしき人はいない。
それどころか、
店の真ん中のこの席で大騒ぎする子供がいるというのに、誰一人として気に掛けることなく、談笑や食事を楽しんでいた。
「優美?」
「えっ。」
呼ばれて顔を上げると、そこにはトイレから戻ってきた3人の姿。
女の子はどこにもいない。
不思議に思ってきょろきょろと探すが影も形もなかった。
「誰か探してたの?店員さん?」
「そろそろ帰ろうと思うんだけど、物でもなくした?」
「う、ううん。なんでもない。帰ろっか。」
優美は深く考えないようにしようと、
椅子に掛けていた鞄を手早く肩にかけて立ち上がった。
カフェで友人達と別れた優美はその足でデパートの中にあるコスメ売り場に向かった。
丁度お気に入りの口紅を使い切っていたのである。
美容部員が勧めてきた商品を持って彼女はレジに進んだ。
会計を済ませて商品が渡されるのを待つ。
「お客様。実は今、キャンペーンをしていまして、本日商品を買われた方にプレゼントをお渡ししています。」
店員は屈んで引き出しから何かを取り出し両手を添えてそれを優美に見せてきた。
それを見てあっと声を漏らす。
店員が見せてきたのは大きなリボンのついたヘアバンドだった。
「リボンだ…。」
「そうです。可愛いですよね!マニーちゃんとのコラボです。よろしかったらお使いくださいませ。」
マニーちゃんというのは、大きな赤いリボンを頭に着けた猫のキャラクターだ。
そのリボンを忠実に再現した赤い飾りが、
ピンク色のヘアバンドにしっかりと縫い付けてある。
優美は戸惑いつつも「ありがとうございます。」と受け取った。
見知らぬ女の子が突然現れてリボンを着けろと言った日に、リボンのついたヘアバンドを手に入れたのは果たして偶然なのだろうか。
優美は手にしたヘアバンドについている赤いリボンをしばらく眺めていた。
妙な出来事があったものの、ゆっくりと過ごせた日曜日。
一夜明けて月曜日が来ると、
キーボードをたたく音や上司の歩く足音が忙しない仕事が始まる。
「羽賀野さん、これ総務に持って行ってくれるかしら?」
「分かりました。」
優美はキーボードを打つ手を止めて書類を受け取った。
部署を出て蛍光灯が照らす廊下を歩く。
普段頼まれる書類の量より倍ぐらい多いので、一体なんの資料なのだろうと視線を落とした。
細かい字を見てすぐに解読を諦め顔を上げる。
前方を見て、交互に動いていた彼女の足が止まった。
昨日と同じ、ピンク色のワンピースを着た女の子が立っている。
にこにこと笑みを浮かべてこちらを見上げていた。
(嘘!なんで会社にいるの?)
驚いて声が出せずにいる優美に女の子は話しかけた。
「ねえ!いつかみのけくるくるするの?」
「へ、は?」
「ねえ!くるくるしようよ!はやくしようよ!」
「え、え、何?どこの子なの?」
女の子はそれには答えず、ひたすら髪の毛を“くるくる”しろとはやし立てる。
(誰か、誰かいないかな?)
すると遠くの方から革靴特有の足音が聞こえてきた。
それは徐々に近づいてくる。
音のする方を見ると、曲がり角から男性社員が現れてこちらに向かってきた。
(良かった!いいところに来てくれた。この子をどうしたらいいか相談を…あれ?)
頼りになりそうな人が来たというのに、
肝心の悩みの種であった女の子が忽然と姿を消している。
後ろを振り返るが誰もいない。
男性社員はきょろきょろする優美のことを少し不審げに見ながらそばを通り過ぎた。
帰路につく人々の波の中を優美はもやもやとした気持ちを抱えながら歩く。
(またあの子…。一体何なんだろう。疲れてるのかな。)
少し足を速めようとしたその時だ。
「すみません。お姉さん、お姉さん!」
話しかけてきたのは長身ですらっとした、ハットを被った男。
短く整えた髭がなんともおしゃれである。
「突然ごめんなさい。これからお出かけですか?」
「え、違います。」
「い、いや、ナンパじゃないよ!実はこういうもので…。」
怪訝な顔をする優美に男は名刺を差し出す。
そこにはモノクロの男性の写真と、『ヘア&メイクアップディレクター 椎名』と書かれていた。
「へああんど…?」
「そそ、ヘア&メイクアップディレクター。
そこの美容院で美容師やってます。
もし時間があったらなんですけど、カットモデルになってくれませんか?」
椎名が手で指し示したのは、2階建ての立派な美容院だった。
「ヘアカット、カラー…ほんとだ、美容院だ。」
「あ、興味ありそうですね。行きましょうよ。ご案内します。」
椎名に流されるまま、優美は美容院に入りスタイリングチェアに座る。
白いクロスを掛けて、毛先を2、3センチ切ると椎名はヘアアイロンを取り出した。
見事なコテさばきでみるみるうちに髪が巻かれていく。
「出来ました。いかがですか?」
「わあ、すごい…。」
鏡に映っている見事なカールがついた髪を優美は食い入るように見た。
「気に入ってもらえて良かったです!ありがとうございました。」
家に着いてからも感動が冷めないのか、優美は鏡を見ながら自分の髪の毛を触る。
ふと、脳裏をよぎった女の子の顔。
(また、あの子が言ったことが現実になった…。)
さーっと血の気が引き、彼女は折角巻いてもらった髪が乱れるのも気にせず、慌ててシャワーを浴びた。
日にちを開けて土曜日。
仕事が休みの優美とその恋人の信也は、
夜のライトアップされた花園に来ていた。
黄色の可愛らしいフリージアや香りのよいゼラニウム、
蛍光ピンクが鮮やかなアネモネの花が咲き誇るのを花壇に設置されたライトが穏やかに照らしている。
「そういえば、付き合ってもう2年だね。」
「そうだね。あっという間だね。」
優美の手を握る信也の手が少し汗ばんだ。
「最初、デートどこ行ったっけ?」
「ん~。遊園地じゃなかったけ?」
「あ、そ、そうだね。そうだった。」
「ねえ、今日なんかおかしいよ?どうしたの?」
「そうでもないよ。変じゃないって。」
らしくない会話を必死にする信也にばれないように顔を背けて笑った。
(あれ?)
少し暗く見えずらいが、目線の先にある花畑に、誰かが立っているのが見える。
目を少し細めて、あっと驚く。
(ま、またあの子だ!)
ライトに照らされた花壇の中で、フリージアを踏みつけながら、くるくると女の子が踊っていた。
その子は優美と目が合うと踊りをやめて、あのにこやかな微笑みを向ける。
「ねえ、いつおひめさまになるの?はやくしてよ。」
その子は黄色い花びらを散らせながらスキップをして去っていく。
「優美?」
「あ、あ、ごめん。」
「ううん。あそこ、気になるんだね。」
「え?」
優美はただ女の子を目で追っただけなのだが、信也はその先にある撮影スポットよろしく花に囲まれてライトアップされたベンチに行きたいと思ったらしい。
手を強く引いてベンチにエスコートする。
さて、女の子はというと例のごとく、とっくに姿を消していた。
信也は優美をベンチに座らせる。
見上げれば木から下がるライラック、足元には色とりどりのヒヤシンスが咲いている。
花を眺める彼女の前で、信也は片膝をつき、胸ポケットから白い小さな箱を取り出した。
優美の目が見開かれる。
「優美、僕と結婚してください。」
「…え、え!嘘!本当に?」
「うん。ほんと。」
信也は箱を開き、ダイヤの輝くプラチナリングを取り出して細い薬指にはめた。
「嘘、うそ…。夢みたい。まるで…。」
そこまで言って優美は黙る。
『まるで、お姫様みたい。』と頭に浮かんだ言葉に、踊る女の子が想起され絶句してしまったのだ。
それを、健気な恋人の感動する様と受け止めた信也は、彼女をそっと抱きしめた。
余韻に浸る信也の腕の中で優美は、
(偶然じゃない。あの子のいうことは現実になるんだ…。でも、なんで?何がしたくて、なぜ私なの?)
と答えの出ない問いに考えを巡らせていた。
翌日、結婚の報告のため帰省した実家で、優美は自分が使っていた部屋の物色をしていた。
人生の門出を迎え、自分の人生を振り返りたくなったのである。
子供の頃使っていた4畳半ほどの狭い部屋。
勉強机の中にあるシール帳やきらきらとしたインクの入ったペンを見て懐かしんでいると、ふとクローゼットが目についた。
(たしか、中にアルバムがあったっけ。)
そっと手を伸ばし折れ戸を手前に引く。
ガタガタっと音を立てて戸が二つ折りになった。
アルバムの白い背表紙を探していると、ふとA3サイズの落書き帳が目についた。
動物のポップなイラストが描かれた表紙、裏には母親の字で“はがのゆみ”と記名してあった。
ページをめくると、いかにも子供らしい味のある動物や人の絵が描かれている。
(あ、懐かしい。この頃から絵心なかったなあ。)
すると、今までと違う雰囲気のページにたどり着く。
そこには黒いクレヨンで“しょうらいのゆめ”と文字だけが書かれていた。
ページを捲り上げ、優美は目を見開いた。
そこには、恐らく大人になった自分であろう女性の絵があるのだが、絵の中の自分は赤いリボンを頭につけ、豊かな髪を巻き、白いドレスを着て胸元に赤い花束を抱き笑っている。
周りを黄色いひし形の模様が囲み、
まるで宝石のように輝いていた。
(赤いリボンのついたヘアバンドをもらって、カットモデルで髪の毛を巻いてもらった。そして、昨日はプロポーズされて、お姫様になった…。)
そう思った瞬間、クローゼットの中からどさっという音がした。
見るとそこに何かが落ちている。
「これは…。人形?」
手を伸ばして取り上げ、顔を上に向かせて驚いた。
ピンク色のワンピース、肩まであるウェーブのかかった薄茶色の髪、大きな目…。
手の中の人形は、カフェやオフィス、花畑で出会った女の子と瓜二つだったのである。
「優美?どうしたの?」
「お母さん…。」
部屋に行ったきり戻ってこない娘を心配して母親が入ってきた。
彼女は人形を見るなり、あっと驚いて近寄る。
「あらあ!懐かしい!覚えてる?幼稚園の頃、ずっと手放さずに持ってて…。」
「そういえば…そうだった…。」
「大人になってもずっと一緒にいるんだ!って。捨てたかと思ったけど、ちゃんととってあったのね…。」
優美は、幼い頃友達だった人形が自分の思い描いていた夢を叶えてくれたのだと思い、
いとおしさがこみあげて、手の中の人形の頭を優しく撫でた。
月日は経ち、6月の吉日。
結婚式場の扉の前で優美は白いバラのブーケを持ち、純白のドレスに身を包んでいた。
隣には、タキシードを着こなす愛しい人。
「綺麗だよ、優美。」
「信也君もかっこいいよ。」
2人は見つめ合って照れ笑いした。
会場から漏れる司会の声が新郎新婦の入場を伝える。
ガッチャンと重い音を立てて扉が開いた。
優美の耳に、幼い声が話しかける。
「ねえ。いつきらきらするの?」
優美は静かに答えた。
「あと、少しだよ。」
スポットライトに照らされた2人。
会場が割れんばかりの拍手が鳴り響き、祝福する。
「おめでとう!」
「ゆみ~!綺麗だよ!」
投げかけられる言葉に微笑みで返す優美。
(ああ、幸せ…。)
と幸福感に浸る優美が歩調を乱し、信也より数歩先を歩く。
うっとりとした気分の彼女の頭の中に、低く淀んだ少女の囁きが反響した。
「ずっとともだちっていったもんね。」
「え?」
一瞬、全ての音が遮断した。
影を感じて見上げると、優美の頭上で傾くシャンデリアから飾りが剥がれ落ちてきていた。
まるでスローモーションのようにガラス玉が降り注ぐ。
「優美!!!」
信也が腕を伸ばした。
ガッシャアアアン
歓声が悲鳴に変わる。
信也の腕の中、優美はぐったりとうなだれていた。
「優美!優美!」
「う、ううん…。あれ?」
すんでのところで体を引かれたのが幸いし、大怪我には至らなかった。
が、無傷ではない。
優美は額に生温かいものを感じて手を伸ばす。
どうやら、顔面にガラスが当たり、額を切ってしまったようだった。
ガラスが落ちてきたとき、咄嗟にブーケを持つ手でかばったのだが遅かったらしい。
白いバラは鮮血でまだらに染まっていた。
「優美様、立てますか?手当をさせていただきますので、どうかこちらへ。」
「は、はい。立てます。大丈夫です。
…ひっ…。」
声を掛けられ、ブライダルスタッフの方を向き硬直した優美。
スタッフの肩から、あの女の子、いや人形が目から上だけを出してこちらをじーっと見ている。
それは大きな無機質な目を見開いたまま、
「あーあ。失敗しちゃった。」と呟いて
ふっと姿を消した。
額から血を流したまま、呆然とする優美を囲むように大量のガラス片が散らばっている。
それらはライトに照らされて、きらきらと輝いていた。
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