第19話 大叫喚


スタジオセットを囲むまばゆいライトが

出演者達を照らしている。



背景の黄色い壁紙が反射して温かな光が注ぐ中、

女子アナが両手に持った本に視線を落とし、

柔らかな声で詩を読んでいた。



「君はバルドル。皆が求めた光。

 対して、僕はロキであろう。

 笑顔と、称賛を浴び腕の中で眠る君を、

 しっぽを揺らして睨む…。」



そこまで読み本を閉じると、出演者やスタッフから拍手が沸き上がる。


向かって左に座っている司会者の男性アナウンサーが、頬をほころばせて笑う。



「ほんと、素晴らしい詩ですね。

工藤久仁子さんは、まさしく日本の桂冠詩人でいらっしゃる!」



彼はそう言うと中央に座る女性、工藤に向かって両の手の平を差し伸べて揺らし、

持ち上げるような動作をした。



点々と宙に浮かんでいるカメラの液晶モニターに、彼女の顔がアップで映る。



目尻に濃いアイシャドウをのせピンクの口紅をひき、

体型で型が崩れたブランド物のワンピースで着飾った須藤は、

唇にきゅっとしわを寄せて身をよじると、

「とんでもないお言葉ですわ。ふふふ。」と謙遜した。



文学作品を紹介する格式高いこの番組。


レギュラー陣の1人である文学者が前のめりになって言う。



「K大学の文学部で首位の成績を収め、今ではその文才を活かして日本全国の人々を感動させている、素晴らしい女流詩人なのですよっ!須藤さんはっ!」

「先生、そんな持ち上げないでくださいな。ふふふ。」



朗読をした女子アナも、文学者の勢いに続くようにして、須藤の作品への愛を語る。



「今、朗読せて頂きました、“拾われ猫のミディ”。本当に大好きな詩で、まさか自分が読める日が来るなんてと本当に嬉しくて…。この詩を読んだ時の感動で今も胸が震えているんです。」

女子アナは胸に手を当てて瞳を潤ませながら須藤の方へと体を傾ける。



須藤は満足げな笑みを浮かべて

「ええ、あれは私の一番の作品ですから…。」と返した。



女子アナは俯きながら「ほんと…。」と小さく呟いて、顔を上げて須藤を見た。




「人のもので褒められる気分はいかがですか?」




その顔は先程のうっとりとした表情とは打って変わって、目に生気が宿っていない冷たい無表情である。



「…え?」



須藤が呆気にとられ素っ頓狂な声を出すと、女子アナも「えっ。」と驚いた。


それを見ていた司会者が笑う。


「さすが先生、お忙しくてお疲れのようですね。」


それにつられて女子アナも笑う。


「ごめんなさい、先生。無遠慮に制作秘話を教えてくださいだなんて聞いてしまって。うふふ。」

「あ、ああ、すみません。ぼーっとしてましたわ!ふふふ。」


笑ってごまかす須藤だったが、聞き間違えにしてはあまりにも明瞭に聞こえた言葉に胸をざわつかせていた。








収録が終わり、豪奢なコートに身を包んでテレビ局から出て、停まっていたタクシーに乗る。



彼女は行先を気だるそうに伝えると、

暖房の温かさに身をほぐし、座席のシートに疲れた体をぐっと沈めた。




須藤久仁子は国民的人気を博す詩人である。


37歳という若さで詩人としての地位を確立した彼女は、発売した詩集がベストセラーとなり、今ではこうしてテレビ番組のゲストとして呼ばれるほどになった。



もうテレビの収録には慣れっこなのだが、今日は妙な出来事のせいかどっと疲れが溜まってしまっていたらしい。



飲み屋が掲げる派手なライティングをした看板と、酔っ払いや夜の蝶がゴミの散乱する道を闊歩する姿を、

窓枠に額を押し当てて力なく眺めていた。



窓から見える景色は、2つの交差点を曲がってから大人しくなり、人が減って街灯がまばらになったかと思えば、とうとう見慣れた住宅街に到着した。



「ここで良いです。」



自宅から少し離れた場所で言ったのは、運転手に住所を知られないようにするための工夫だった。



「3380円です。」



運転手の静かな声を聞いて財布を開け、カードを引っ張り出して突き出す。


いつもならこれで会計が出来るのだが、そうはいかなかった。



「あー、使えないですね。」

「はあ!?そんなわけないでしょう?」



思わぬ返答に困惑し強い口調で言うが、

運転手は冷静に返す。



「現金でお願いします。」



カーッと血が上るのに任せて荒々しく札入れを開くと4枚だけの1000円札が空気を含んで広がる。


小銭入れには少しばかりの1円玉があり、チャリっと軽い音を立てた。



須藤はそれを見て顔をしかめて太い指でお札を掴みだし、トレーに置かず運転席に向かって突き出した。


運転手はそれを見て少し間をおいてから受け取り、トレーにレシートとお釣りを乗せて彼女に差し出す。



「おつりの620円です。ありがとうございました。」



扉がひとりでに開き、風が入ってストキングに包まれた足を冷たく擦る。


須藤はミラー越しに運転手を睨むと小銭だけを掴んで財布に投げ入れて、何も言わずに降りた。




電柱がずらっと両脇に立ち並ぶ坂道をコツコツとヒールを鳴らしながら登る。



冬の訪れを感じる寒い夜、いつもなら早く家に帰ろうと速足になるが、今日は違う。




女子アナが無表情で言い放った言葉を聞いた時から、あることが頭の中を支配しているせいで足取りは重かった。



そのあることとは、同じ学部で共に学び卒業後も関わりがあった、清子という女の存在だった。



彼女は今から丁度2年前に自殺して、もうこの世にはいない。



友人の訃報とはいつまでも心に重くのしかかるものだが、須藤が清子のことで足取りを重くしたのは、悲しみからではなかった。




卒業後も関わりがあったと言ったが、それは友好的なものではない。

金銭のやり取りを含む主従関係のもと成り立っていた。



清子は、須藤のゴーストライターだった。



先程、番組で称えられていた詩も、ベストセラーになった詩集に載っている詩も、全ては須藤本人がではなく、清子が生み出したもの。



大学時代、須藤が清子の詩に目をつけて、

度々盗んではコンクールに応募して受賞した。


清子が抗議すると、須藤は味方につけた教授の力を使って黙らせた。


卒業してからも須藤は清子から詩をせびり、代わりに金を渡すようになった。



その関係は10数年続くことになる。



清子は何も言わず詩を書きつらねていたが、どんなに苦労して生み出した最高傑作も、

結局は須藤の栄光となるばかりの理不尽な関係に、鬱憤が溜まらぬはずがない。



とうとう自室にて孤独に首を吊った。



ということは、須藤は自殺した清子に対する罪悪感にさいなまれているのか、と思うだろう。


しかし、彼女の心の内はこうだった。




(あんな空耳を聞くなんて、よほど疲れているんだわ。

人のものって…聞き間違えにしてはおかしすぎる。私は表に出るのが苦手な彼女の代わりに詩を世に出してあげただけ。盗んだわけじゃないもの。

そんなことより、清子の両親に頼んで貰った、彼女が詩を書いていた3冊のノートも最後の1冊…。新作の依頼が来ているけれど、どうしようかしら…。)









「あっ!」



メキっという妙な音の後、須藤は突然バランスを崩し、左に体を傾けてよろけた。



電柱に手をつき何とか体を支えて、違和感がある左足を見ると、

ご自慢の赤いハイヒールの踵が根元から折れていたのである。



「やだぁ、ついてない…。」



靴を脱ぎ、ぶらぶらと垂れ下がるそれを引きちぎる。

ふと、自分の手を見た。


なぜか電柱についた方の手に、黒い煤のような汚れがついている。



(え、やだ、汚れてたの!?最悪!何がついたのよ…。)



確認しようと電柱を見て、一瞬彼女は固まった。



コンクリートで出来た電柱の灰色の肌、そこに黒いインクで『覚えてる?』と書かれている。



インクが手に着いたということは、つい最近書かれたものなのだろう。



ただ、そこに書かれた文字はとても見慣れたもの、件のノートに書かれている癖のある清子の文字、そのものだった。



(ただそっくりなだけ…?それにしては似すぎてる…。)



じろじろと見て、考えすぎだと鼻ではっと笑い歩き出す。



高さの違う靴のせいで一歩進もうとするたびに体が傾くが、

家も近いし薄いストッキング1枚まとっただけの足で歩きたくないと、ぶかっこうなまま進む。



(ほんっと、今日はなんなの?

疲れてヒールも折れて。早く家に帰ってお風呂入りたい…。)



家でくつろぐ至福の時間を思い浮かべたその瞬間、地面に降ろされたはずの右足が空を蹴る。



「え?」



本来なら歩くことに不自由のない道、

何故かマンホールの蓋が外されており、

人が1人入れるほどの穴がぽっかりと口を開けていた。



すでに足を踏み入れていた彼女はそのまま中へと吸い込まれていく。




「い、いやあああ!」




甲高い声を上げながら落ちて数分後、お尻に衝撃を感じた。


底に着いたのかと顔を上げ、目に飛び込んできた光景に理解が追い付かなかった。



そこは収録を終えたはずのテレビスタジオで、自分は先程と同じように、白い机の中央に座っている。




無数のカメラが向けられて、今まさに本番中のようだった。



困惑する彼女の左右には司会者と女子アナ、そして文学者。


彼らはトークを展開し軽快な笑い声をあげている。



(やだ、一瞬寝てしまっていたのかしら…。)

冷静になろうと前髪をかきあげる。



「須藤さん?」



彼女を心配するような声にはっと正気に返り、ぱっと笑顔をつくる。



「ご、ごめんなさい!ちょっとぼーっとしてましたわっ。」



周りの顔色を伺おうと見渡して目を見開く。



自分の方を向く出演者の顔は、まるで誰かが皮膚を掴んで引き延ばし捻じったかのように、中心でぐるっと渦を巻いている。


目や鼻や口は本来ある場所から大きく外れた場所にあり、異形であった。




「工藤さん?どうされました?」



司会者は顎先の目で見つめ、額にある口を動かす。



「ははは。お疲れなのでしょうな。」



文学者の耳の穴にある歯がかちかちと鳴る。



「ご多忙ですものね。」



女子アナは鼻の横にある口を手で押さえて笑った。



出演者の重なった笑い声が反響しながら増幅し、須藤の頭の先から降り注いでまとわりつく。



よく見ればスタッフなんて一人もおらず、スタジオに嫌な空気が充満していた。



(ち、違う、ここ、ただのスタジオじゃない!逃げなきゃ!)



恐怖に駆られた彼女はばっと立ち上がった。



「えっ先生!?ちょっと!」


周囲が止めるのも聞かずに人々の合間をぬってスタジオから飛び出す。



楽屋にも寄らず、立派なコートと荷物を置き去りにしてつまずきながらテレビ局を出ると、

目の前の路上に黒い車が停まっていた。



側にはドアを開けて立っている男の姿。



息を切らせながら転がるようにしてその男にしがみつくと「乗せて!早く!」と金切り声を上げた。



帽子を目深にかぶった男はゆっくりと首を傾けて言った。



「金は?」

「あ、あるわよ!ここに…。」



そこで冷静になって気づく。


財布は楽屋に置いてきた鞄の中だ。




(も、戻らなきゃ…。え、戻るって、あそこに?)



自分がたった今逃げてきたビルを見上げる。

何も言えずに固まる須藤。


藁にもすがる思いでポケットを探り取り出したのは、たまたま入っていた100円玉。


男は鼻を鳴らして首を振り100円玉を掴み取ると、「乗れ。」と一言だけ言い放った。


口の悪さと態度にカチンとくるも、100円で乗せてくれるなら良心的だと車に乗り込む。



すさまじい速さで街を走り抜け、車はあっという間に住宅街へ。


電柱が立ち並ぶ坂道に着くと、ぶわんとドアが開かれた。



「ありがとうっ悪いわねっ!ははは。」



心からの安堵で変な笑いをして車から軽やかな足取りで降りる。


さあ、家に帰ろうと一歩足を出し、違和感を覚えた。


同時に身体が傾いて、電柱に寄りかかった。


恐る恐る見下ろせば、ボロボロになった赤いハイヒールを履いた足がある。



左足を地面からゆっくりと離して裏を見ると、そこにはあるはずのヒールが根元からなくなっていた。



まさか、と電柱を見ると、ついた手の下に何か黒いものが見きれた。


手を離すと、にじんだ黒いインクで、これまた同じ癖のある文字で文章が書いてある。



『須藤久仁子はピノッキオ。鼻ばっかり長くした。』



見間違いではない。

はっきりとそこに書いてある。



そして、この独特の文章の書き方は、まさしく清子の詩そのものであった。



おののきあとずさりすると、今度は右のヒールがボキリと折れて外れた。

よろけてバランスを崩すと、何かに背中がぶつかる。



慌てて振り向けばまた電柱が立っていた。

目線の先には同じ文字でまた文章が書かれている。





『せっかく鏡を覗かせたのに、

 嘘つきは罪を認めない。

 閻魔様はどうするかしら。』





その文章を、久しく聞いていない清子の声が読み上げる。


思い出された声色ではない。


たった今、耳から聞こえたのだ。


冷たく深い声が、梵鐘の音のように耳の中を鈍く響き渡る。





須藤は脱兎のように駆けだした。



(い、今のは確かに清子の声だった!嘘よ!だってあの子はもう自殺して…!)



誰もいない背後を振り向きながら駆け足で家を目指す。




「あ、い、いやっ!」



いくら後ろを見ていたからと言って、前方確認をおろそかにしたわけではない。


なのに、足はまた、あの穴に突っ込んでいた。


体が吸い込まれるように落ちる。




「い、いやあああああ!」



お尻に強い衝撃を感じて目を開けると、そこはまたテレビのスタジオ。



歪んだ笑い声と眩しすぎる光のせいで意識がもうろうとする。


だらだらと蝦蟇のように脂を流して喘ぐように呼吸をする須藤。



その肩を誰かが掴んだ。



振り向くとそこには、肉が腐って剥がれ落ちた男が、はっはと生臭い息を吐きながらニタニタと笑っていた。


四方から伸びてくる血だらけの腕が須藤を掴む。



「や、やめて…!」



服が破れるのも気にせずに振り払いながら必死に逃げる。



建物から飛び出して夢中で走り、気がつくと電柱のある坂道。



後ろから笑い声が迫ってくる。


足をもたつかせながら走る須藤の頭の中で、清子の声がつんざくような悲鳴を上げて叫んだ。




『私のものなのに!』





その声で思考が停止した須藤の足が空をきる。




「あ…。」




足元にはまたあの穴。


そこに倒れこむように落ちていく。


内臓がぐっと押し上げられるような圧迫感と、頭に上った血で破裂しそうな感覚に顔を歪ませながら、須藤は叫んだ。







「許してえ!」












ドンッドンッと鈍く叩きつける音を立てて白いベッドがきしみ、揺れている。



ベッドの上で拘束帯を着けられて白目になって暴れる女性を、2人の看護師が顔を引きつらせながら見ていた。




ベッドの枕元に下げられたネームプレートには『須藤久仁子』と女性の名が書かれてある。




「先輩…。これが発作、ですか?」



先輩と呼ばれた看護師は静かに頷く。



「急にこうなるの。ひどい時には自分で舌を引っ張り出して噛み切ろうとするの。薬も効かなくて…。」


「…テレビ番組の収録中に発狂して倒れたって聞いて、看護師として何か力になりたいと思ってたけれど…。その…。私、須藤先生の詩が、大好きで、だから、だから…。」



若い看護師は胸に両手を引き寄せてぐっと歯を食いしばった。


先輩看護師が彼女の両肩にそっと手を置く。




「とりあえず、今はそっとしておきましょう。」

「はい…。…あれ?」

「どうしたの?」

「先輩、あれ、どこの椅子ですか?」



彼女が指さした先には、ビロードの生地を張った背もたれのない苔色の丸椅子がぽつんとあった。



「ああ、誰か面会に来た時に持ってきたのね。…丈夫で固い生地なのに、座面だけ柔らかくなってる。きっと、頻繁に面会者が来てるんだわ。」

「ファンの方でしょうね。やっぱり、愛されてるんだなあ…。」



しみじみと話し、2人はもがく須藤を病室に1人残して立ち去ってしまった。



揺れるベッドのわきに置かれた椅子が、キイィイイと金属音を鳴らす。





その音はまるで、誰かの引き笑いのようだった。



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