第13話 水色のワンピース




年齢や自分のスタイルに合わせたわけではない、ありふれた髪型。


大型スーパーの衣料品コーナーで店員に流されて買ったような着古したスーツ。


特段不幸とも幸福ともとれないぼんやりとした雰囲気を醸しながら、

巻き肩で歩くだらしない姿。



この佐藤という同僚を見ていると、

こいつはこのままでいいかという諦めの気持ちと、

自我を持たずに流されて生きていることに対し喝を入れたい気持ちとが入り混じって、

腹の底でくすぶる。



こんなどうしようもない男にもやもや《・・・・》とした気持ちを抱かされているということがしゃくに障るので、頼りない背中を見かけると決まって間髪入れずにはたいてやるのだ。




「うわ!びっくりしたなあ。」

「昼休憩?」



驚く佐藤をフォローもせずに、ぶっきらぼうに言い放つ。


狭い廊下だが、横にいって隣を歩いた。



「え、あ、うん。そうだよ。」



俺の目線より低い位置にある顔を見下ろす。



「何?」

「相変わらず冴えない顔してんのな。」

「木山君みたいに顔が良かったら良いんだけどね。君みたいに女遊びをしてないとこうなるんだよ。」




思わぬ反応にひるむ。


普段だったら、そうだよねえと間延びした声で相槌をうつだけなのに、噛みついてきたのだ。



何か変わったことでもあったのかと眺める。



顔つきはいつもの通り冴えない。

だが、どこか物憂げに暗い表情をしていた。


昇進にも家庭を持つことにも興味がなく

欲がないこいつが

何かに対して悩んでいるなんて珍しい。



「で?」

「で?って、え、何?」

「どうせくだらないことなんだろ。言うだけでもスッキリするんじゃねえの。」



胸ポケットに入れていた、ソフトタイプのタバコから1本抜き取って口に咥える。



「え、ちょ、ちょっと、禁煙だよ。」

「ふぐほこ(すぐそこ)」



角にある喫煙ルームをライターで指し示す。


タバコが苦手な佐藤に対して暗にそこに行くまでに話せ、と目で伝えた。



「あ、ああ。そうだね。えっと、信じてもらえないと思うんだけど。」



珍しく饒舌な佐藤を横目に話を聞いた。







軽く吸い込んで、換気扇に向かって煙を吐く。



その煙を眺めながら、今しがた聞いた話を頭の中で反芻する。



心霊やオカルトといったものは全く信じない俺だが、無駄に真面目な佐藤から聞くと嘘とは思えなかった。



(顔がない男、ね…。)



なんでも佐藤は、仕事終わりの帰り道に妙な男に出会って、家の前までつけられて話しかけられたんだとか。


『一瞬で現れたんだ!恥ずかしい話、気を失っちゃってさ。』


見間違えだろ!と言ってやりたかったが、額に脂汗をにじませながら怯えてるもんだから、気安く否定できなかった。



『その日以来、怖くて眠れなくてさ。ははは。』


いつもの調子でへらへらと笑う佐藤であったが、目の下のクマがことの深刻さを物語っていた。


喫煙ルームに着いてしまったから、元気づけることも出来ずただ聞くだけで終わってしまった。



『木山君はないの?変な体験。』


(変な体験…。一度だけあったかな。)



今度は深く吸い込んで、煙を吐き出す。

天井を隠す濃い煙を眺めて、俺はあの日の曇天と重ねた。





高校2年生の頃だった。


季節は忘れたが、冬でも夏でもない過ごしやすい気候だったことは覚えている。



荷物が増えるのは嫌だとわざわざ傘を持ってこなかったくせに、学校からの帰り道、雲がどんよりと重く空が暗くなってきたことに舌打ちをした。



田んぼの真ん中にぽつんとあるような商業科のある高校。

あぜ道を1人で歩く。



暗い空、1人しかいない道、今にも雨が降りそうな湿気で重くなった空気の圧が歩みを遅くする。



そして、とうとう雨が降り出した。

最初はぽつぽつと水滴が落ちる程度だったが、たった数分で本降りになった。



さっきより強めに舌打ちをして走り出す。


水はけの悪い道に溜まった水を靴のゴム底が掬い上げて飛び散らした。



全身がびしょぬれになってどうでもよくなり、ここまで濡れたら走る意味なんてないと歩く。


濡れて重くなった制服が体にまとわりついたのが不快だった。



(視界が…。くそ、雨で。)



髪から垂れたしずくが顔に流れる。

濡れた服でこすっても意味がない。



(ん?)



数メートル先の道の端に、誰かが座りこんでいるのが見えた。


その体の小ささから、幼稚園児ぐらいの子供だと分かる。



(なんで子供が?)



おかっぱ頭の水色のワンピースを着た女の子が、体育座りをして俯いている。


突然の雨に動けなくなってしまったのかもしれない。


近寄って正面にかがみ声を掛ける。




「おい、大丈夫か?動けなくなった?負ぶってやろうか?」



たしか、そんなことを言ったと思う。


それを言いながら、俺はその子に対して違和感を覚えた。


ここは高校から住宅街までの一本道、子供が1人でいるなんておかしい。


そして、もう一つ気づいて俺はぞっとした。


その子の髪が全く濡れていないのだ。




気づいたのが遅かった。

声を掛ける前に気づくべきだった。



俺の声にピクリと反応した女の子が顔を上げる。



眼前に突きだされたその顔は、目も鼻もないただの肌色。



口を押える間もなく「えっ。」と変な声が漏れてしまった。



その瞬間、何もない肌色の顔面にみちみちみちと歯が真ん中から左右に向かって湾曲を描いて生えそろった。


丁度、にたあっと笑ったような形で。




「―っ!!!」


声も出せないほど驚いた俺は、弾かれたようにその場から走り去った。








その時の顔を思い出してぶるっと身震いした。


すっかり煙は換気扇に吸い込まれて、灰色の天井があるばかり。

吸殻を灰皿に押し付けて喫煙ルームを後にする。



部署に向かって歩きながら、もう一度その体験を振り返った。


鮮明に思い出され、それが事実だということは分かる。

だけれど、手放しに心霊を信じる気にはならなかった。



あの雨の中、ぼやけた目で見れば人の顔がのっぺらぼうに見えてしまうこともありえなくはない。

今度会った時、この話をして気のせいだと元気づけてやるか。




「ふふふ。」




耳元で聞こえた女の笑い声に、俺は思わず振り返った。

突き当りの見える廊下、喫煙ルームの看板があるだけで、それ以外は何もない。


その笑い声と共に視界の端をすれ違っていった、水色のワンピースを着た女を確かにこの目で見たのに。


一瞬で隠れられるような場所なんてないのに。


そこには誰もいなかった。




(幽霊とかって、成長するのか?)

そんな間抜けなことを考えたがすぐに気のせいだと振りはらう。








信じているわけではないけれど、

佐藤にあの話をするという考えは取り消した。



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