第9話 怪異

 少し前。ワゴンの方でも鈴木達也が腕を押さえてガタガタ震えながら、

「ヤバイ、やっぱヤバイよ、これ。すげえ怒ってるよ。早く逃げなきゃたいへんなことになるぞ?」

 と、しきりに、ヤバイ、ヤバイ、を繰り返していた。丹羽は、

「前の車が動くまでは動けない」

 となだめた。ガタガタ震えながら病的に目をぎょろぎょろさせた鈴木は、急にビクッとし、後ろを振り返った。後ろの席で鈴木をハンディで撮影していたADは思わずギクッとカメラを揺らした。鈴木は彼を邪魔にするように体を左右に動かしてバックドアの窓から後ろを覗いた。

 後ろにもここまで通ってきたトンネルが蛍光灯のかまぼこ型を連ねて伸びている。

 鈴木はギョッと目を見開いた。となりの席の丹羽はその様子に自分も後ろを覗いた。

「どうしました?」

 鈴木は目をしばたたかせて凝らし、やっぱりだと確信して恐怖の表情を浮かべた。

「何か黒い奴が迫ってくる! ほら、遠くから灯りがどんどん消えて行くじゃないか!」

 ええっ!?と丹羽は目を凝らした。じいっと見ると、確かに奥の方から白い輪が消えて行き、こちらに向かって徐々に暗くなってきている。

「ヤバい! ヤバいぞ! 逃げろ! 逃げるんだ!」

 鈴木は席から立ち上がり、強引に運転席に体を割り込ませ、ハンドルのクラクションを思い切り押した。

 ブーーーーッ、とトンネルに響き渡る。

「早く! 早く前の車に発進させろ!」

 運転手は鈴木に耳元で怒鳴られ、丹羽も

「分かった。エンジンをかけて。それで前も動くだろう」

 と指示し、運転手はエンジンをかけた。前のセダンもエンジンがかかった。

「早く! 早く!」

 鈴木が恐怖に駆られて喚き立てる。運転手はハンドルを握り、自分もセダンに早く行ってくれと思った。丹羽の顔も青ざめていた。まさか本当に怪奇現象が起こるなんて思っていなかったのだろう。

 セダンが動き出し、ワゴンも発進した。

「駄目だ、急がせろ!」

 鈴木がわめき、運転手も目の前の蛍光灯が消え、次々前方の白い輪が消えて行くのに恐怖し、自分からクラクションを鳴らした。

 セダンがスピードを上げ、ワゴンも追い立てるように更にスピードを上げた。

「もっとだ! 早く脱出するんだ!」

 鈴木がすっかりパニックになって運転手の肩をつかんで揺さぶった。「やめろ!」と運転手も怒鳴り返す。先の道はもうすっかり蛍光灯が消えて真っ暗になっている。2台の車のライトが道路と壁を照らしているが、先の分からない狭い道でスピードを上げるのは危険で、恐怖を与えた。

「落ち着け」

 丹羽が鈴木を座席へ引っ張り戻した。

「たったの200メートルだ、すぐに外に出られる」

 鈴木は震えを止めるように親指の爪を噛んだ。

 暗がりの先に白くかまぼこ型が見え、出口だと思った。スピードを上げたせいか、白いぼんやりした光は急速に大きく迫ってきた。

 おかしいと感じた。向こうの道路には照明があるのだろうか?

 ぶわっとフロントガラスいっぱいに白い色が広がった。白い光は、それ自体奥へ厚みを持っていた。

 これは外の明かりではない、霧だ。

 しかし、闇の中で霧がこんなに白く見えるものだろうか?

 一瞬真っ白になったフロントガラスに視界が戻ってくると、辺りは妙に白々していた。霧の粒が充満して、トンネル中にライトが拡散したからだろうか?

 セダンがバウンドし、ワゴンも大きく揺れた。ゴツ、ゴツ、ゴツ、と、やたらと道が荒れている。

 窓に顔をすり寄せて道路を見たスタッフたちは、わあっ、と、恐怖の悲鳴を上げた。

 骸骨だ。

 道路には白い骸骨、人骨が、いっぱいに敷き詰められ、2台の車はその上を、ゴツ、ゴツ、と走っているのだった。

「なんだ? なんなんだこれは!?」

 全員がパニックに陥った。かろうじて丹羽が、

「カメラで写せ」

 と命じたが、

「そんなこと言ってる場合じゃねえだろう!」

 と怒鳴り返された。皆自分の身に迫った危険に必死の形相になっている。

「まだか!? 出口はまだなのか!?」

 焦りがカアッと脳を熱くしていた。わずか200メートル、もうとっくに外に出ていておかしくない頃だ。

 しかし、車のライトは確かにトンネルの白いコンクリートの壁を照らし出している。一方の壁の上部には大小2本のパイプが走っているのも見えた。

 俺たちはいったいどこを走っているんだ?

 ここは本当にあのトンネルなのか? 別の、

 この世の物ではないトンネルに入り込んでしまったのではないか?

 運転手が気弱に言った。

「な、なあ。引き返した方がよくないか?」

「駄目だあっ!」

 即座に鈴木が断固と怒鳴り返した。

「もっとスピードを上げるんだ! 俺たちには、そうするしかないんだ!」

「何故?」

「後ろから、集団で追いかけてくる」

「ええっ!?」

 丹羽は身を乗り出して車の背後を覗いた。

 車の走行で気流が乱れ、霧が渦を巻いて後方へ流れて行っている。

 その霧が、変な風に丸く、いくつも、何かに押し分けられるようにして流れている。

 なんだろうと目を凝らして、丹羽も戦慄した。

 人だ! 確かに人が何人も! この車を追って走っている。

 老若男女の区別はつかない、白く乱れる霧によって、黒い実体が感じられるだけだ。

 こちらは自動車だと言うのに、もうけっこうなスピードを出していると言うのに、生身で走っている彼らが、10メートル後ろから、8メートル、6メートル、4メートルと、ぐんぐん近づいてくる。

 ついに口を開けてわめいている顔が見えて、

「うわああああっ」

 と丹羽も後ろにひっくり返りそうに飛び上がった。

「逃げろ! 亡者の群れが追いかけてくる! 捕まったら、俺たちも仲間にされてしまうぞ!」

 ワゴンがグンとスピードを上げ、セダンのトランクルームが運転手の視界から下に消えた。危うく追突されそうになってセダンもスピードを上げた。鬼の形相の運転手を、後部座席で美羽が悲鳴を上げながら見上げていた。

 タン、と、ボディーの後部を叩くかすかな音がした。タン、タン、と続いて、バン、と横から叩かれ、ひゃあっ、と鈴木たちは飛び上がった。

「追いつかれたぞ! 飛ばせ!」

 ワゴンは跳ね上げた骸骨を床下にガンガンぶつけながら猛スピードを出し、ついにセダンの尻を突いた。急げ!と激しくクラクションを鳴らした。セダンも恐怖に駆られて猛スピードを出した。

 先には白い闇しかない。

 自分たちがまともなトンネルを走っているのではないのはもはや疑い様もない。

 皆、泣き出したい気分で、現世に帰還できることを願った。

 ゴオオオッ、と猛スピードで駆け、ようやく背後の亡者どもに距離を空けることが出来た。しかし彼らも諦めずにこの無限と思えるトンネルを追いすがってくる。

 一同は後ろを振り返ることをやめて、ひたすら先へ、スピードを緩めることなく意識を集中した。

「うん?」

 運転手がハンドルを両腕でしっかり固定しながら、ちらりと何かの映ったバックミラーに視線をやった。

 もやもやした霧の白を凌駕して、星のきらめきのように強い光が映っている。

 新手の化け物かと思っていると、光は更に強烈に、大きくなって、運転手は視線を前に戻して、来るな、来るな、と祈りながら必死に運転に集中した。敷き詰められた骸骨にタイヤを滑らせたら、一瞬で壁に激突して大事故になってしまうだろう。

 迫る光は大きく眩しくなり、

「わあああっ」

 ワゴンの中を駆け抜けて行った。

「なんなんだあっ!?」

 ワゴンのフロントパネルから飛び出した光は、セダンの、後ろを向いて驚いた顔をした美羽に、取り憑いた。



「きゃあああっ!」

 美羽は悲鳴を上げて頭を抱え込んだ。

「だ、だいじょうぶか?」

 光に体の中に入り込まれ、頭を抱えて丸くなった美羽に、背もたれにしがみつきながら撮影を続けるカメラマンがおそるおそる訊いた。

 じいっと座席に丸くなっていた美羽が、手を頭から下ろし、長い黒髪と共にゆっくり顔を上げた。

 ・・・・・・

 カメラマンは息をのみ、運転に必死になっている運転手も、ちら、ちら、と視線をルームミラーに上げ、ひいっと恐怖の表情になった。

「うあああ・・・・」

 美羽があえぐような声を出し、目を開けた。

 瞳が真っ赤に濡れ光り、頬にだらあっと血の涙を流していた。

 恐れおののく男二人に美羽は言った。

「車を、車を、止めろおおお・・・」

 猛禽類が獲物を掴むように爪を立てた手を伸ばされ、

「ひいいっ」

 とおののいた運転手はかえってアクセルを踏み込んだ。

 赤い目の美羽がカアッと怒気を放った。

「車を、止めろおっ!!」

「ひいいいっ」

 運転手は限界までアクセルを踏み込んだ。

「お、おいっ」

 カメラマンは危険を感じて呼びかけたが、運転手はもう恐怖ですっかりキレてしまっていた。

「車を・・」

 ふっ、と、美羽の意識が飛んで、ガクンと横に倒れ込んだ。

「おいっ! スピードを緩めろ! いくらなんでも危険だ!」

 カメラマンが大声で怒鳴り、運転手もようやく我に返り、べそをかきそうに情けない顔になった。

 今度はガクンとスピードが落ち、カメラマンはリアウインドウに身を乗り出し、ワゴンを、

「来るな! 危ない!」

 と、手と一緒に必死に押しとどめた。

「わあっ!!」

 運転手が大声を上げて、今度はなんだ!? と、カメラマンは前を向いた。

 ヘッドライトに白い女が立っているのが映し出され、運転手は思い切り急ブレーキを踏んだ。

 急激にものすごい形相で睨む女の顔が迫り、カメラマンはわあっと恐怖に口を開いた。

 ガン、と、衝撃があり、やってしまった、と、カメラマンと運転手は視界が一瞬で真っ暗になった。

 ワゴンの急ブレーキが甲高く重なった。こちらも止まり切れず、ガン、とセダンの尻にぶつけてしまった。セダンの男二人はガックンと上半身を泳がせたが、とにかく、人を轢いてしまったというショックで気付いてもいない有様だった。

 辺りが暗い。

 急ブレーキが相次いで鳴り響いた後は、冷ややかな静寂が下りていた。

「あん?」

 カメラマンは現状に気付き、運転手の肩を無言で揺さぶった。運転手はガクンガクンと揺れて、ようやく目の前の事態に気付き、えっ?と目を見張った。

 目の前に、一台の車があった。グレーの軽自動車で、道路に横向きになって道を塞ぎ、セダンにドアに追突されている。

 中に人影があった。運転席と助手席と後部座席に、3人の若い男が、ぐったりと気を失っているようだ。

 いったいどういうことなのか? セダンの男二人は呆然とし、後ろでガラガラとワゴンのサイドドアが開く音がした。

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