第10話 戦い

 再び時と場所を戻って、

 山向こうとトンネルから霧の溢れてきた、入り口側。

「ひ、人だ! 人がいるぞ! ほ、ほらっ! あそこにも! あそこにも! 何人も! 集団でいるぞ!!」

 小沢が喚き立て、三津木はうごめく霧の帯に恐く目を凝らした。

 確かに霧は不自然な動きをしている。しかし三津木には小沢のわめくような「人」は見えない。

「重永君、人がいるのが見えるか?」

 訊くと、

「はい!見えます。確かに、霧の中に人が何人もふらふら立っています。あれ、幽霊ですよお!」

 と、女性AD重永も興奮した声で答えた。チッと三津木は舌打ちした。

『ちくしょう、俺は見えねえぞ』

 そうなのだ、三津木は長年幽霊を追い求め、出そうだ、と経験から分かるのだが、霊感と言う物には恵まれていないらしく、実際に自身が心霊体験することは滅多になかった。

(俺に見えなくてこいつに見えるのかよ?)

 と、怯えて大騒ぎしている小沢マネージャーが憎たらしい。

「来ます! こっちに来ますよ、三津木さん! どうします!?」

 重永まで小沢につられて大騒ぎした。

「こらっ、おまえは紅倉さんを撮ってろ!」

 三津木は叱って、紅倉と、あちこちでゆらゆら揺らめきながら道路を徐々に迫ってくる霧とを見比べた。

 紅倉は芙蓉に抱かれてぐったりしたままだ。

「芙蓉君」

 芙蓉が強い視線で三津木を見た。三津木はおちゃらけ抜きで言った。

「紅倉さんは魂が抜けているようだ。おそらくトンネルの中へ飛んで行ったんだろう。向こうの状況は分からないが、こっちも危険なようだ。かと言ってこの状態の紅倉さんを動かすわけにもいかないだろうし、芙蓉君、紅倉さんを、守れるか?」

「もちろんです」

 芙蓉は使命感に燃える顔で言った。

「先生がわたしに頼んだからにはわたしに出来ると考えたはずです。それなら、わたしには出来るはずです」

 三津木は芙蓉の紅倉への絶対的な信頼に改めて感心した。

「重永さん」

「はいっ!?」

「先生をお願いします」

「え、ええ?」

 芙蓉は抱きかかえていた紅倉を重永に託した。重永は芙蓉のように立ったまま抱きとめていられないで、しゃがみ込んで、紅倉を抱えたままカメラも構えた。

 三津木も三脚からHDVを取り外して構えた。霧が迫ってくる。三津木は後退し、横へ、ライトボックスのある食堂とは反対、展望所側へ移動して、霧と、紅倉を守って立ちはだかる芙蓉との対決へカメラを向けた。


 三津木にああは言ったものの、芙蓉も形があるんだかないんだか判然としない霊たち相手にどうしたらいいものか、戸惑いがあった。

 芙蓉にも霧の中にいるという幽霊の姿は見えなかった。なんとなくあそことあそことあそこに、

(いる)

 と感じる程度だ。こんなんで先生の助手なんて勤まるのかしら?と自分にがっかりしたが、

(やる!)

 と強く思った。

 芙蓉は、自分で言うのもなんだが、合気道の天才だった。

 芙蓉の天才ぶりは、ちょっと卑怯なレベルだった。

「芙蓉さん!」

 重永が実景とカメラの液晶ファインダーを半分ずつ見ながら叫んだ。霧の一部がぬうっと丸く前に飛び出して邪魔な芙蓉に向かってきた。

「・・・」

 芙蓉は腰を落としながら両腕をくるんと回した。

 白く丸い塊が、道路に叩き付けられて、散り散りに砕けた。

「わ、すごい」

 重永が思わず声に出して感心した。芙蓉は幽霊を縦に投げ回して、脳天から叩き落としたのだ。

「ふん」

 と芙蓉は鋭い目つきで霧を睨みつけた。

「幽霊だろうとなんだろうと、先生に危害を加えようというものは容赦しないわよ」

 カアッとした霧がまた襲ってきた。

「分かりやすい」

 芙蓉は冷たい顔で言い、舞踏のように体を引きつつ腕を回転させ、また塊をアスファルトに叩き付けた。

「芙蓉さん、かっこいい!」

 重永は興奮して夢中で芙蓉の動きをカメラで追った。

 三津木も引きで撮りながら、幽霊を掴んで投げる人間なんて初めて見た、と感心した。

 実のところ、

 芙蓉は自分がどうやって霊をやっつけているのか、理解してやっているわけではなかった。

 芙蓉が得意とする合気道は、空手のように攻撃で相手を倒す武術ではなく、相手の攻撃のエネルギーを利用し、投げる、押さえる、といった方法で相手の動きを止めてしまう武術だ。会派にもよるが、あくまで受けの武術で、自分から仕掛けることはない。

 芙蓉が合気道の天才たる理由、それは非常に高い身体能力ももちろんだが、達人でしか持ち得ない、生体のエネルギーその物をとらえ、コントロールするセンスを、習う前から持っていたのだ。

 芙蓉は今、実に感覚的に、エネルギー体である霊の動きをとらえ、その流れを、自分のいいように導いているのだ。

 気を操るという合気道の神髄が、幽霊相手に遺憾なく炸裂している。

 芙蓉は次々に襲い来る霧を、くるくると踊りながら、バッタバッタと地面に叩き落として行く。

 動きその物は大きいが、まるで力を使っていないので、ほとんど体力は落ちていない。

 強い。

 このまま芙蓉の圧勝かと思われたが。

 相手の力を知った霧はいったん大人しくなると、後ろから新手が出てきて、新たな攻撃を仕掛けてきた。

 おんおんおん、と、読経らしき合唱が聞こえてきた。

 すると、芙蓉がさんざん霊たちを叩き付けたアスファルトから、もやもやと、白い冷気がわき上がってきて芙蓉の足を覆ってきた。

「うっ!」

 冷たい水気が、内部で鋭い痛みとなって突き上げてきた。やはり経験のない芙蓉は足下から霊の体内への侵入を許してしまったのだ。

「くそっ」

 足が固まり、思い通りに動かない。読経の声が高くなり芙蓉の耳を悩ませた。

 霧が活気づき、芙蓉を回り込んで、背後の紅倉へ向かおうとした。

「えっ、こっち? ひいいいー」

 重永が紅倉を引きずって後退した。

「くそ、待て!・・」

 芙蓉は腕を伸ばしたが、足が棒のようになってよろめき、霧はもはや敵ではないと無視して通り過ぎて行った。

「ひいいいいい」

 霧が重永と紅倉に迫る。

「おのれええ」

 芙蓉の内にカアッと怒りが燃え上がった。

「先生に触れることは許さん!」

 カアッと、芙蓉の体から金色の光が溢れ出した。芙蓉のオーラだ。

 紅倉に向かっていた霧がぎょっと動きを止めた。

「・・・・」

 芙蓉がぎゅっと拳を握ると、金色のオーラが凶暴に膨れ上がった。

 霧が、怯えた。

 ヒュン、と、

 銀色の光が芙蓉の背後から通り過ぎて行った。

 紅倉がパチッと目を開け、

「どっこらしょ」

 と、お尻をついてあわあわしている重永から立ち上がった。

「はいはい、霊の皆さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。中の騒ぎも治まりましたので、どうぞご寝所にお戻りください」

 紅倉が手を脇に揃えてお辞儀すると、霧はすーっと、芙蓉を避けて分かれ、後退して行った。

 トンネルの奥へ消えて行き、山の上から斜面を下ってきた霧もいつの間にか消えていた。

「先生」

 芙蓉はほっとして笑顔を見せたが。

「すみません。先生に守れと言われたのに、危うくやられてしまうところでした」

 申し訳なさそうに頭を下げた。

「いえいえ、ぜーんぜん。わたしはただ体を守っていてもらえばよかったんだけど、それ以上の大活躍だったわね? かっこよかった?」

 紅倉は芙蓉を指差し、いたずらっぽい笑顔で重永に訊いた。

「はい! そりゃあもう、女のわたしが惚れ惚れしちゃうかっこよさでしたよ!」

 紅倉にニッと白い歯を見せられ、芙蓉は

「はあ」

 と、半信半疑に受け取った。先生はどうすることを期待していたのだろう? と、考えの行き違いがあったのが少しショックだった。

「どれどれ、脚は大丈夫?」

 紅倉はしゃがんで芙蓉の膝から下を調べた。

「ごめんなさいね、こんなことになって。あなたは決して霊媒体質じゃないものね。ごめんなさい。もう決してこんなことのないように気をつけます」

 紅倉は立ち上がると、丁寧に頭を下げた。

「いえ、そんな。わたしなんかの為に……」

 やっぱり自分は先生の役には立てず、足手まといなのだろうか、と芙蓉は自信をなくした。

「紅倉先生」

 三津木が笑顔でやってきた。

「ご苦労様でした。で?何してきたんです?」

 紅倉は三津木には呆れた目を向けた。

「あなたはいいですねえ、のんきで。少しはしっぺ返しを食らえばいいんです。

 あっちのグループもその内帰ってくるでしょう。トンネルも帰りは無事通れるでしょう……余計なことさえしなければね。

 みんなが帰ってきたら、解説してあげます」

「はいはい。楽しみにしています」

 霧の幽霊対芙蓉のアクションを撮影できた三津木は上機嫌だった。

 ところで、

 小沢マネージャーの姿が見当たらなかった。

 どうやら一人で逃げて行ってしまったらしい。

 美羽が帰ってきたら報告してやろうと、自分は幽霊が見えない嫉妬で三津木は意地悪に思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る