第4話 峠道
中央高速に乗ると、普通なら1時間で楽々行けるところ、紅倉に合わせて一々サービスエリア、パーキングエリアに止まり、一々たっぷり休憩を取るものだから、みんなうんざりしてストレスが溜まってしまった。
その紅倉はと言うと、みんなが休んでいる建物内の休憩所には入らないで、建物横手のベンチや裏手の何も無い所に芙蓉と二人で行って、ひたすら具合悪そうにしているのだから、
『あの先生、大丈夫なのか?』
と、ますます気がめいってしまう。
紅倉は目が悪い。見えないふりをしているが、人の醸し出す感情には人の何十倍も敏感だ。自分の得意分野(心霊)に関してはやたら自信満々だが、生きている人間に対してはひどく臆病で、いじけやすく、すぐに内に引きこもってしまう。
「先生」
見かねて芙蓉が、次は高速を降りるという最後のパーキングエリアで紅倉に話しかけた。二人は外の休憩所の木の椅子に座っているが、スナックコーナーの営業も終わってしまって自動販売機しかなくスタッフたちはますます手持ち無沙汰でいる。
「お車が苦手なのは分かりますけど、わたし相手にはもっとリラックスしてくださっていいですよ? わたし、先生のことが絶対的に大好きですから。どうぞ、全面的に信じてください」
熱烈なラブコールを送る芙蓉からも目をそらしたまま紅倉は弱った声で訊いた。
「ちょうど2ヶ月くらい?」
「そうなりますね」
芙蓉が紅倉の弟子になって、紅倉の家でいっしょに暮らすようになってからだ。芙蓉はそこに下宿し、大学に通っている。
「やっぱりわたしのアシスタントなんて嫌だって思わない?」
「思いませんよ」
芙蓉は笑って、手を伸ばすと、お行儀よく膝の上に乗せている紅倉の手に触れた。
「わたしは絶対に先生を裏切りませんから、先生もわたしを捨てないでくださいよ?」
「なんだか美貴ちゃん、ストーカーっぽいなあ」
「ええ。わたしは思いっきり思い込みが激しくて、しつこいですから、もう覚悟しちゃってくださいね?」
「怖い子に捕まっちゃったなあ」
紅倉は掴まれた手を見て、嬉しそうに笑った。
高速を下りると住宅街を走ったが、時刻は既に11時を回り、家々は灯りが消えて寝静まっていた。
これから山道に入るという手前に早朝まで営業しているファミリーレストランがあり、ここで食事をとることにした。
「俺のおごりだ、焼き肉でもハンバーグでも好きな物を食べてくれ。いつもお仕事ご苦労さん。しっかり栄養つけてくれ」
元気に言う三津木に、これから深夜の心霊スポットに行くって言うのに、なんて無神経なおっさんだ、と、スタッフたちは食べる前から胸焼けしたようにため息をついた。
ここでも紅倉は入店せず、芙蓉と車に残っていた。
自分のタレントが同乗を断られたマネージャー小沢はスタッフたちの雰囲気もあってつい不満を口にした。
「どうして紅倉先生はみんなと一緒に過ごさないんです? 一人静かに霊感を研ぎすまされているんでしょうかねえ?」
つい批判的になるセリフを、三津木は静かに笑ってなだめた。
「まあそう言わずに、許してやってくださいよ。あの人はかわいそうな人でね、人に嫌われるのをひどく恐れているんですよ。人に対して、ひどく臆病なんです。温かい目で見守ってやってくださいよ?」
「かわいそう?」
あれだけ恵まれた容姿をして、人からチヤホヤされて、目が悪いのは気の毒だがそれにしても、どうしてかわいそうなんて同情されるのか、一生懸命自分の担当するアイドルを売り出したい小沢には理解できなかった。
三津木も、まあなかなか理解はされないだろうな、と、それ以上は言わなかった。
0時になって、そろそろ行くかと、三津木は駐車場へ紅倉の様子を見に出た。
紅倉は外に出て、山の方を眺めていた。
三津木が山の上空を見ると、照明がちと邪魔だが、見慣れた空よりずっと多くの星が光っていた。
「何か感じますか?」
「悪い予感がする。と言うのは、あなたにとっては嬉しい兆候かしら?」
「正直言って、ありがたいですね」
三津木はニヤニヤした。
「ここから山道で、かなりきついですよ? 行けますか?」
「わたしは美貴ちゃんにお任せです」
「任せてください」
三津木は二人を見て、
(ちょっと変わったかな?)
と思った。
「では行きましょう。みんなを呼んできます」
旧御山トンネルは「旧」と言うくらいだから「新」がある。
新御山トンネルは広い道路がまっすぐ山の中腹に入っていき、そのまま2800メートル、向こう側へ突き抜ける。
旧トンネルの旧道は、新トンネル入り口手前で枝分かれし、ぐるーっと山を巡っていき、新トンネルより300メートル高い位置で、400メートル、尾根を貫通して、またぐるーっと巡っていき、新道と合流する。
山の斜面に沿って巡っていく旧道は、うねうねと曲がりくねり、ほとんど180度折り返しのヘアピンカーブもある。道路照明もなく、運転するのにまったく気が抜けない。
三津木は、やはり先生には気の毒だったか、と心配した。
ぐうっと斜め横にGを受けながら芙蓉はハンドルを切った。思わずルームミラーに目をやり後部座席を見た。山を登り出してから紅倉がずっと頑張って耐えているのが分かったが、これは限界を超えたかと思った。
「車を」
止めます、と言おうとすると、紅倉が切羽詰まった様子で、
「美貴ちゃん、ごめん」
と早口に言った。
その途端、芙蓉は強烈な頭痛と、胸のむかつきを感じた。
(なに?)
と芙蓉は驚いた。芙蓉は子供の頃から一度も車酔いしたことがなかった。だからそれは初めて体験する感覚だった。
自分の体に何が起こったのか困惑していると、申し訳なさそうに紅倉が言った。
「ごめんなさい。やっぱり車を止めてちょうだい」
紅倉の声を聞いて芙蓉は直感的に理解した。
「いえ。もう少し頑張りましょう。そう長い道ではないはずですから」
「うん……」
「先生、かまわないからリラックスしてください」
紅倉がこらえ切れずに自分の感覚を解放したのだ。それが芙蓉に感染したのだが。
感覚がつながることによって、芙蓉の感覚もまた紅倉につながり、それが紅倉の神経を正常に保とうとするアシストになっているのだ。
先生の苦しみをいくらかでも引き受けることが出来て、芙蓉はかえって嬉しく思った。それに、運転手は運転中自分が酔うことはないと言う。それは道の先を見て、あらかじめ加圧の変化に備えることが出来るからなのだろうが、上手く行けば、紅倉にもその情報を伝えることが出来るのではないかと思った。
『次は右に曲がります』
芙蓉は意識的に強く思ってみた。
カーブを曲がる。
カーブに合わせて右に重心を傾ける。
頭痛と胃のむかつきが増したが、このカーブでこの程度なら大したことはない。
芙蓉は二人のシンクロに自信を持った。
『しばらくはまっすぐ上りですよ』
先行の2台からはだいぶ遅れているが、ゆっくりながら二人の車も順調に進んでいった。
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