取材四

 同級生のさくらももこさんが亡くなったことで、自分のブログへ取材依頼が来ていた。でもぼくは避けた。亡くなってすぐにはムリだった。

有名人が亡くなった翌日に、友人知人がコメントするのは、このように取材陣がものすごく探し回ることをここで知った。ただ、よくそんな状況で答えることが出来ると。

ぼくは声明をブログで発表し、翌日はさくらさんへの思いも掲載した。

市役所やまる子ちゃんランドでは、さくらへの献花とお悔やみ帳が置かれた。それはそれはたくさんの花束など集まったことだ。

ただ同級生たちや友人の言葉がないではないか、とそう思っていた。それならぼくが同級生の寄せ書きを集めようではないか。

学校を転校する前など、クラスメートの寄せ書きがある、あれだ。

色紙を買い、まずもらえそうな同級生をあたった。メッセージはもらえる。ただ、一件ずつ自転車で回るのも途方な行動だ。

ぼくのブログからも寄せ書きメッセージをほしいと掲載し、待ち合わせ場所を決めて、今週末の日曜に四時間ほど待っていると発信した。

どれほどの同級生がぼくのブログを見ているのかは不明だがとりあえず載せた。

かよちゃんのモデルからもらった時、そんな話をしたら彼女は機転を利かし、同窓会主宰の同級生へメールをしてくれた。

 そして週末は、ぼちぼちと忙しい中を同級生たちが来てくれた。

ただ、みんな同窓会のメールからで、ぼくのブログからはだれもいない。よかったー、と。ブログの知名度をここで知らされた。でも同級生がぼくのブログを見られるのも恥ずかしい。だが、なんとなく集まってくれたみんなに教えてしまった。

 さくらさんが亡くなって、そのような寄せ書き集めを、自分のやることリストとなったのだ。

十月中旬、さくらプロダクションから一通のメールを受信。それは十一月十六日にさくらももこさんのありがとう会を青山で行うという知らせだった。

さくらの友人、かよちゃんにもメールを受信したという。彼女は即行くという判断だった。ぼくは同級生が気になった。なぜならちびまる子ちゃんの舞台は清水、それに入江小学校である。アニメに出ていなくても、さくらと過ごした同級生も多くいるし、それならみんなでありがとう会へ行こうではないか、と勝手な想像をした。そのことをさくらプロダクションへメールで伝えた。こうしてはいられないと、受信した案内をパソコンへつなぎ、A四用紙へプリントアウトをしていた。

 そして何枚かプリントしているとメールを受信した。それはさくらプロさんで、内容が今回はお仕事関係ということで関係者のみという内容だった。

 がっかりとした。なぜ同級生はダメなのか、同級生たちとの舞台ではないかと。印刷を中止し、それなら自分は行かないと、かよちゃんへ伝えた。

 初めは受けとめた彼女だったが、途中からぼくを説得してきた。

 たぶん一人で行きたくなかったのではないか。でも彼女へ一人の男子同級生がどうしても行きたいと願い出て、かよちゃんがさくらプロへ懇願したところ許された。それならその同級生と行けばいいなと。

 寄せ書きをもう一枚用意していたので、同級生のお寿司屋さんも同窓会の主要メンバーなのであずけた。

 さくらプロからさくらさんのありがとう会の知らせをもらった近日に、ブログへ取材の申し込みがあった。それはフジテレビの情報番組「グッディ」。そのディレクターさんがちょっと早とちりしていた。

「……あの、明後日の金曜にお別れ会がありまして、そのことでお電話しました……」

 ぼくは明後日? と疑問を浮かべて聞いていた。どうも間違えているようだ。一カ月後ですよ、と伝えたら調べてみますといい、電話を切った。

 日々、同級生と会えば寄せ書きをもらったりと、それなりの使命を果たしている。さくらの偲ぶ会も近づいている。なんとなくプレッシャーを感じていた。

 そしてかよちゃんから急に、「やっぱはまじも一緒に行こうよ~」と突然のメール説得をしてきた。

「……ももちゃんだって少しでも同級生に会いたいし、あんたはまじでしょ、最後の別れに行きましょう」

と。

 かよちゃんへはみんなが青山へ行けないことを伝え、ぼくも行かないことを強くいったのに、彼女は説得してきた。わかるけど、行きたいと思う同級生がかわいそうではないかと。自分らだけが公の場で得をしているみたいではないかと、そんな考えが宙を舞っていた。

「……ごめんよ、かよさんは友人だから行ったほうがいい。でもぼくは友人までとは行かないクラスメートの同級生だ。おれがさくらと一度も遊んだことがあるか、答えはノーだ。アニメとは違うし、同級生と同じ立場だからね……」

 そんなメールのやりとりをして、かよちゃんを納得させていた。

 彼女は、はまじとしてのことをいっていたみたいだ。そんなこといわれても、クラスメートの同級生と一緒にさくらへ拝みたかった。

 ただぼくの使命は、寄せ書きをもらうこと、これを遂行することだった。それを親せきのおばさんへ渡し、母のすみれさんと父のヒロシさん、息子さんへ渡して読んでもらう。そして仏壇へ飾ってほしいと思っている。これが使命だ。こんなこと出来るのは、未婚の浮浪者しか出来ないはずだ。見えない力がぼくの背中を押す。

前もこんなことがあった。それは映画俳優のオーディションだった。こちらも行けと背中をずっと押された。過去の記事にも挙げているので、そちらを読んでほしい。とにかく、見えない力がぼくをなんだかんだと左右している、これって幽霊?

 なにさ、この力って。たまに出現して押すんだ。なんなんだよー、おれって!

 一カ月後。

 すっかり忘れていた情報番組「グッディ」からの電話だ。

 ああ、そうだったと取材のことだけど、自分は青山葬儀所へ行かない主旨を伝えた。ところがこの人、頭に構想が出来ていたようで、ぼくを説得する。行かないと決めたのに説得だ。それもかよちゃんではなく、ぼくからでは他人。行きません、行きましょう、行かないって、行きましょうを長々と電話だ。

 グッディディレクターも根気が必要なのか。なんといっても構想が出来ているので、これがおじゃんでは。

これはぼくも物語を書くので構想や妄想を少し立てる。それが覆されたら、やはりたまったものではない。それでしつこいのか。

ただ、ふと交通費を出す、というではないか。東京まで新幹線で七千円近い。往復では一万四千円だ。ぼくの生活何日分かと。

 ではディレクターへどんな構想かを聞いてみた。

それは清水のロケと青山でのコメント取材の感じだった。

ということは、前日に清水で取材、翌日は葬儀場で取材となる。

ちなみに受けてもギャラはないけど、交通費は出るとのこと。

突っぱねるつもりだったが悩んだ。ただ清水の取材は受けてもいいと思った。それなら青山へ行かないわけだ。

 そこを伝えると、それはおかしくなるのでとお願いされた。

 清水の取材をし、翌日は早朝に新幹線を乗るわけだ。

 ちょっと考え、それだと大変なので前日入りは可能かと聞いた。

 するともちろん可能だと。再度悩んだ。交通費も出るのなら帰りは鈍行で帰れば、少しは浮くと悪心も思ったりもした。彼はお願いし、ぼくは突っぱねている。そんな会話から気持ちは彼へ徐々に移ってもいた。

 なぜなら、とても誠実に話していて、かなりの下調べもしている。

これでは取材を受けないと、ディレクターさんの無駄さもいろいろ思った。以前から、ぼくへの取材ディレクターさんはとても大変をし、取材に取り掛かる。そんな十年前以上前の取材をよみがえらせていた。

あの時は野口に強く断られたな、あの時はいつものように追分ようかんをアポなしだったな、あの時はさくらの親せきにも断られたな、と失敗続きでも、ディレクターが編集でまとめて出来たのがオンエアーとなった。それを見た時、プロだなと感銘も受けていた。

 でもグッディという番組は、その日にオンエアーだ。かなりのスピーディーな編集能力を求められるだろう。いままでそんなディレクターさんはいない。一体どんなやつだ? と少しは会いたくなっていた。

 そして二時間の押し問答の結果、前日入りでオッケーをした。

押しの強いディレクターなら、うまく撮影をするやり手だろうと。自分もそんなディレクターを見てみたいのが本望だった。

寄せ書きをもらった同級生のみんなに悪いけど取材でばれる。ここは謝る。さくらへのありがとう会への出席を許してくれ。

 木曜の午後、彼は貸し切りのタクシーで現れた。なんと真面目そうな大学生風の彼。三十を過ぎているというが若く見える。

名前を何度も間違えてわるかったGさん。そんな聞きなれない苗字だったので、そこはごめんなさい。

 ぼくは取材となると、とても相手の立場となる。それでいつものように取材する側へ配慮してしまう。なぜかわからないけど、わざわざ来てくれたこと、オッケーしてしまったことを踏まえ、こっちも動くのだった。そんなことで、いくつもの清水の取材が終わった。そしてそのまま東京へ。もちろん交通費は出たのでよかった。ただ旅館の問題が発生。青山近隣が埋まっていた。新橋ならあるという。

新橋からだと遠く、どんなホテルでもいい。ただ安いところを伝えたら、カプセルホテルというではないか。あ、泊ったことがなく経験出来るからそこでいいとなり、カプセルホテルとなった。あまり眠れなかったけど。

 翌朝はグッディのクルーと待ち合わせた。ワンボックスカーへ乗るとそのまま青山葬儀場へ向かった。行かないつもりが来てしまった。さくらはどう思うのか。やっぱ同級生がたくさん来て欲しかったのではないだろうか。ちびまる子ちゃんが学校だったし、ファン目線も同級生がたくさんならよかったと納得しそうなことを頭へ浮かべていた。

 現場へ着いてからとんでもないことをディレクターGさんから聞いた。昨日のロケはすべて使えないようだと……。

「……え、なぜ? あんなに撮ったのに、もったいない」

と、ぶつぶついっていた。

 ぼくの行ったまる子ランドでのはまじ声の物まね、言動はすべてが無駄となったのだ。

 夜中の会議で決めたのだろう。ぼくは番組関係者ではないので、彼の仕事ぶりがもったいなく歯がゆい思いだった。

 青山葬儀所入口で、撮影をし直した。まったく欽ちゃんの「なんでこうなるの……」が頭をよぎっていた。

 この日、寄せ書きの色紙を持参しているので、当時の担任先生、たまちゃん、花輪くん、ケンタなど来ればほしいところ。

 時間がたつと続々と集まって来た。私服で来てくれというわりには喪服が多い。

 ぼくへGさんがべったりと付いている。どこいくにも後方にいる。

 でもぼくもあまりのうろうろさにいない時もあった。そんな時は、同級生と会ったりしていた。担任のハマセンも来てくれた。積もる話しをしたりと、でもぼくは使命がある。色紙だ。それを先生や同級生に差し出した。みんな書いてくれる。やっぱさくらへの思いはたしかだ。

 次々と色紙が埋まっていく。でもまだ白紙は多かった。

 そんな時、ありがとう会が始まった。初めは祭壇ホールへ座っていた。だがとても堅苦しくなり脱走。そして報道側のモニターへ移動した。ここならブログも打てる。ただスマホの電源が十五パーセントのみだ。タラコさんのお悔やみ言葉を聞き、賀来千賀子さんの言葉を聞いていると自然と涙が出た。母の時は目頭が熱い程度だったが、さくらは男泣きだった。芸能関係者の言葉が耳に焼きつき、報道モニターから飛び出した。

 あちらこちらにいるSP(私服警備)を無視して、会場端で鼻をかんでいた。

 ぼくは私服だし、SPのモニターではかなりの不審者だったのだろう。

 別にやつらに捕まってもいい、もう帰ろうかと、そんな感情も強くなっていた。でも自分には寄せ書きがあった。

 ここはさくらさんの身近な人の集まりだ。こんな場は滅多にない。

 ある程度会が終わるとき、寄せ書きをもらえないかと。

 会は和み、おでんのコーナーへ。

 何度とたまちゃん、ケンタ、花輪くんを探した。が、とても人が多く、いないのかという雰囲気だ。

 でも途中で、たまちゃんがいるとの情報を聞き、さらに探した。

 だがいなかった。その後は、仕事関係者からでもいいかと寄せ書きをもらった。

声優コーナーでは、はまじ、の声優のカシワクラさんを見つけてもらえた。これは滅多にないと、笹山さんや野口さんなど声優陣からももらえた。野口さんに声をやってもらった。あまり似ていないが本物だろうなと。そしてカシワクラさんとWはまじを声優陣の前で披露した。結果はみんなわかるだろう。

 こんな体験を出来るならと、だんだんグッディディレクターのGさんへ感謝をしてきた。

ときおり、ぼくの後ろから話しを聞く青年がいた。フジテレビのミスターサンデーのディレクター青年だった。さくらの詩を巡っての話しを聞きたいようだった。だがそこの詩の話しはなかなか彼との会話に合わず、ちょっと話してはまた会った時に聞いて来るという、密かに着けられていたのだった。ミスターサンデーさんごめんなさいね。

ぼくは色紙を持って動き回っていたので、芸能人のサインをもらおうとしている変なおじさんと、SPらに絶対思われていたに違いない。自分の任務を遂行したいだけだったので、職質されても構わなかった。とにかくとても大勢の人たちで、目を見張っていたけど、たまちゃんを逃していたのかもしれない。一度、穂波にそっくりな人に遭遇。

「あの、穂波さんですか?」

 と聞いたら、首を振った。あの人はたぶん、穂波だ。さくらプロから聞かれたら違うといっていたのかもしれない。マスコミ嫌いでもある彼女だ。

ぼくがたまちゃんに似ていると思ったから本物だろう。

同級生のみ彼女の顔を知るし、でも大人のたまちゃんはどうだ。ぼくは洞察力があるほうだし彼女の顔は覚えている。こんないい方では申し訳ないが、逃げられたのかもしれない。その後は追わなかった。彼女の生き方もあるのだし。

 総合司会の葛西アナウンサーからもらえたのは嬉しかった。さくらの会の司会者だ。こんなこともあるんだなーと、Iさんへ再度感謝だった。

 そしてすべてが終わった。かよちゃんたちは、ファミレスにいるからと。ぼくはそれでも寄せ書きを集めたく、うろうろしていた。

 かよちゃんちに顔を出しては、葬儀所へ戻った。もう人もいなくなったころ、Iさんと初めて入るフジテレビへ向かった。番組で使ったさくらからの色紙を返却してもらうためだった。

 フジテレビは、テレビで見る通りの外観。ちょっと宇宙船に似ているような。そして元めちゃイケのプロデューサー、カガリさんと一緒のエレベーターだった。たしかもうPではなく、営業部長など役職のはず。そんないきなりの先制パンチに度肝を抜かれた。

報道局へ入り、Gさんから色紙を受けとって互いを労うと、すべてが終わった。

彼はとてもルールを無視できない人で、例えばぼくならアポなしでいいから、でも彼は電話をしましょう、大丈夫だって、といえば電話させてください、ととても大人の行動だった。報道とは思えない謙虚でもあった。

 ということは、ぼくっていつまでも小学生のはまじなのかと。帰りはタクシーで品川駅へ、そしてひかりで一時間後には静岡駅に降り立った。ただ駅から自宅まで一時間歩いた。

なに? せこい?

足が超痛くなったが、休憩のスーパーでは、お得意のカンチューをトイレで飲んで養い、後半を帰宅した。そして自宅でのお決まりコースだった。

 正直、グッディのGさんに口説かれて正解。それだけ様々な体験出来たので、さくらへお別れの気持ちを伝えられたと思う。あと少し寄せ書きをもらいたい。この日はなんとなくさくらが導いてくれたに違いない。ありがとうよ。


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